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第十五話 認めたくなくて、悪あがく

「あの、ノエル様……今、少々よろしいでしょうか?」


 王宮での勤務中にリュシールに声をかけられたのは、彼女と最後に酒場で会ってから、七日後のことだった。


 ――来やがったか。


 彼女に恋をしている、とセドリックに指摘されてから、シャルマンとして酒場へ行くことも控えていたノエルだ。

 久々に顔を合わせることになり、つい身がまえてしまう。


 ――とりあえず落ち着け、俺。しおらしく振る舞ってはいるが、こいつはただの性悪王女だ。それを忘れるな。


 胸中でそう繰り返しながら、「ごきげんよう、リュシール殿下」と、にこやかな笑みを浮かべる。

「よく私がここにいるとおわかりになりましたね」


 声をかけられた場所は、ノエルが普段、足を踏み入れない北の塔。

 急遽、騎士団長に呼びつけられ、打ち合わせをした帰りだった。


 ――まあ、いつもどおり俺のあとをつけ回して、ひとりになるのを待ってたんだろうけどな。


「あの、あなたのあとを近衛隊の演習場から追ってきたら――いえ、そうではなくて、あなたのお姿をたまたまお見かけしたので……」

 残念。前半で自らの行いを暴露してしまっている。


「それで、どうなされましたか?」

 ノエルは笑みを浮かべたまま問うた。


「それが……最近、なかなかノエル様にお会いできなかったので、お元気でいらっしゃるのかと気になりまして……」

「ああ、このところ忙しくて、殿下にご挨拶にうかがうこともできなかったのですよ」


 申し訳ございません、と頭を下げると、「いいえ!」と、彼女は勢いよく首を横に振った。


「そのようなこと、お気になさらなくてけっこうです。あなたがお仕事にどれほど真摯に取り組まれていらっしゃるのかは、八年前から存じているつもりですから」


 ようやくノエルの目をまともに見たリュシールは、にこりと微笑んだ。

「わたくしは、お仕事をされているあなたのお姿を拝見できるだけで、とても幸せなのです」


 直後、ノエルの鼓動が大きく跳ね上がる。


 ――今のはさすがに可愛い――いやいやいや、俺は絶対に認めねえぞ!


 ごほんっと咳払いをして、何度か深呼吸。


「ご理解いただき感謝いたします。……で、どうされましたか? 本当は、何か私にご用事があるのでしょう?」

「ええ、それなのですが……」

 下を向いたリュシールは、なにやらもじもじと両手を組み合わせ始めた。


「殿下?」

 うつむく彼女の顔をのぞきこむ。

「どうぞお話ください?」


 するとリュシールは、消え入りそうな声でようやく言った。

「あの……あなたのお姿を見られるだけで……とさっき言ったにも関わらず、矛盾してしまうのですが……」

「ええ」

「あなたともっと一緒にいたくて……それにはどうすればよろしいでしょう?」


 ――ふざけんな! 性悪王女のくせして、そんな可愛いことを言うんじゃねえ!


 表情を崩さぬよう努めたノエルだったが、胸中では様々な感情が嵐のように吹き荒れていた。


   *   *   *


「――で? 一緒に食事をすることになったって?」


 仕事上がり、例の酒場に久々に立ち寄ったノエルは、セドリックにことの顛末を話していた。


「いいねぇ。夜の帳が下りる頃、彼女の部屋――もしくは君の部屋で食事をして、そのまま朝までベッドで過ごすって? 素敵じゃないか」

「アホか。ただ食事をするだけだ」

 ノエルは呆れて溜息を吐く。

「色ボケのおまえと一緒にするな」


 するとセドリックはくすくす笑い出した。

「僕と一緒にするなだって? おかしいね、ノエル。つい最近まで僕より派手に遊んでいた君じゃないか」

「それは……」


 たしかにそうだ、と納得してしまった。

 この容姿のおかげで、黙っていてもひっきりなしに女が寄ってくる。

 その中からよりよい良い条件の女を選んで抱く――そのような毎日をつい最近まで送っていたのだ。


 ――なのに、このところの俺といったら、いったいどうしちまったっていうんだ。


 思い返してみれば、リュシールとの婚約が決まって以降、一度も女を抱いていない。

 リュシールに対して、とくに操を立てているわけでもないのに。


 ――って、あいつがシャルマンに会いにここに来るからか。


 助言を求めて頻繁に現れる彼女は、意図せず例の席――ノエルが夜をともにする相手が座る、と噂されている場所に座る。

 そのため先約がいると思い込んだほかの女が、ノエルに声をかけてこないのだ。


「そうか……俺は女を抱いてないのか」

 だからリュシール相手におかしな気持ちになるのかもしれない、とノエルは考えた。


 今夜、彼女はこの場に姿を見せていない。

 今がチャンスなんじゃないのか? ノエルは立ち上がって階下を見やる。


 時刻はまだ八時。

 店内は賑わう前で、客は少ない。

 と、その中に二十歳前後程度に思える女性の三人組を見つけた。


 見慣れない顔だ。

 この店には初めてやってきたのかもしれない。

 落ち着かない様子で、周囲をきょろきょろ見回している。


 ――ひとり、綺麗な娘がいるな。


 背筋がすっとのびた、整った顔立ちをした女。

 身なりから察するに、中流クラスの令嬢といったところだろうか。

 紫色の上品なドレスがよく似合っている。


「セドリック、俺は先に抜けるぞ」

「話がまだ途中だっていうのに?」

 そういえばそうだった、と、ノエルは一度、席に戻った。


「つまり、こういうことだ」 

 早口で話し始める。

「今日、彼女――あいつに一緒にいたいと言われたから、俺から食事会を提案した。が、気軽にあいつの部屋を訪ねたり、俺の部屋に呼んだりできるわけがない。で、どうしたものかと考えてたら、あいつが急に俺の執務室で食事をしたいと言いだしたんだ」


「執務室って、まさか近衛隊の? なぜそのようなところで?」

「知るか。で、さすがにそれは無理だと別の場所を提案したんだが、決して首を縦に振りやしない」

「へえ」

「さらに食事の手配は自分に任せてくれとか言い出して、もうわけがわからねえだろ? どうしようもねえからとりあえず了承したが、やっぱり何が何だかわからなくて困ってる」


 だからとりあえずセドリックの意見を聞いてみようと、この店にやってきたのだ。


「残念だよ、ノエル。僕にもさっぱりわからない」

「だよな」

 そもそも、あのリュシールの考えを推し量ろうだなんて、どだい無理な話なのだ。


「まあ、いい。今回は好きなようにさせてやるさ」

「食事の約束はいつなんだい?」

「五日後だ」

「素晴らしい時間になるよう祈ってるよ」

「どうせなら今からの時間が素晴らしいものになるよう祈ってくれ」


 ノエルはふたたび階下を見渡せる場所に立つと、下でワインを運ぶ店員に合図を送った。

 こちらの意図を正確に汲み取った店員は、ノエルが狙う女――紫のドレスを着た彼女に声をかけ、ノエルが待つ場所まですぐに連れてきてくれる。

 よくやってくれた、と、ノエルは店員にこっそり報酬を渡した。


「初めまして、レディ。よければ一緒に飲まないか?」


 胸に手をあて、彼女の瞳をじっと見つめる。

 流れるような動作で手を差し出せば、彼女は戸惑った様子ながらも手を重ねてきた。


「レディ、あなたのお名前をうかがっても?」

「……ライラックよ」

「可愛い名だ。俺はシャルマン」


「聞いたことがあるわ。この店に、シャルマンと呼ばれるとびきり美しい人がいる、と……その人は、毎晩のように違う女性を相手にしている、と」

「それが俺だって?」

「違うの?」

「もしそうならどうする? この手を引き戻す?」


 くすりと笑って、ノエルはライラックと名乗る女の顔をのぞき込む。

「俺はまだ君の手を握ってはいない。今ならまだ逃げられるが?」


 ライラックはごくりと息を飲んだが、手を引き戻そうとはしなかった。


「今が最後のチャンスだ。ここから先は、いくら君が逃げたいと言っても、きっと俺は逃がさない」


 それでも彼女は動かない。

 ノエルは彼女の手の甲に、軽くキスをした。


「……嬉しいよ、ライラック。不安になる必要はない。これからの時間は、俺に身を委ねてくれればいい。きっと君を楽しませてみせる」


 頬を撫で、彼女の耳に唇を寄せる。

 びくり、と反応した彼女の耳飾りが、しゃらりと揺れた。


「まずは別の店に移動しよう」


 ノエルはセドリックに「じゃあな」と右手をあげると、さっそく階下へ向かった。

 いつもなら、このタイミングで店を変えたりしない。

 けれども早く動かなければ、またリュシールがやってきて、面倒なことになるかもしれないと思えた。


「どこに連れて行ってくれるの?」

「二本向こうの通りに、別の店がある。そこなら君と静かに飲める」


 ライラックの腰に手を回し、店の外へ出る。

 街灯で照らされた通りは明るかった。


「すぐに俺の馬車が来る。――が、それが来るまで待ちきれない」

「え……」


 戸惑う彼女を抱き寄せ、焦げ茶色の髪のひとふさを手に取る。

 それに軽く口づけながら、彼女の瞳を見つめた。


「シャルマン様……噂に違わず、きれいなお顔……」

 彼女は熱に浮かされたようにひとりごちる。


 ――ああ、そうだ。俺はいつだってこうして遊んでいたじゃねえか。


 ずいぶん久しぶりだな、と考えながら、彼女との距離をより詰める。

 隙間無くよりそう身体に、肌をかすめる甘い吐息。


 ――あいつとは違う唇……いや、考えるな、俺。


 唇が重なるまで、あと少しだった。


「シャルマン……? そこで何をしているの?」

「――っ……!」


 急に声をかけられ、ノエルははっと息を飲んだ。

 ゆっくりと振り返った先には、馬車から降りたばかりらしき、リュシールの姿が。


 ――このタイミングで……マジか……。


 ノエルは天を仰いだ。

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