第十一話 巻き起こるトラブル
「って言ってもなー……あんたの姉と関係を持った過去は変わらねえしなー。俺的にはさっさと婚約破棄することをすすめるけどな」
どうにかその方向に持って行けないかと、ノエルは努力した。
しかし一方のリュシールは。
「そうだわ!」
何を思いついたのか、がばっと勢いよく顔を上げる。
「わたくしが救ってさしあげなければ……!」
彼女は握った拳をテーブルに叩きつけた。
「あ?」
なんだって?
「だから、お姉様の毒牙から、わたくしが救ってさしあげるのよ! そしてわたくしがあの方を幸せにしてさしあげるの!」
「ちょっと待て。だからあんたの姉とその男は、もうすでに関係を持っちまってるんだよ。言い方悪いが、姉のお下がりみたいな男と結婚するのか? 本当にそれでいいのか?」
「だって、愛しているもの!」
「あー……そういう感じ?」
だめだ。頭の中が沸いている。
おそらく今、自分が何を言っても、彼女には響かないだろう。
ノエルの闘う気が、完全に削がれた。
リュシールはもう、自分とは別の世界――空間――時空にいるのでは? とさえ思えてくる。
「わたくしがあの方に、真実の愛を教えてさしあげるの……! そうすればきっと、あの方も目を覚ましてくださるわ!」
「おー……もうわけわかんねえな。わかんねえけど、とにかく頑張ってな。じゃっ」
これはもう退散するに限る。
グラスに入ったワインを飲み干すなり、ノエルは立ち上がった。
「あっ、ちょっと、どこに行くのよ! あなたも少しはわたくしに助言しなさい!」
背後でリュシールの騒ぎ声が聞こえたが、無敵状態に入った今の彼女は、自分の手に負えそうにない。
ノエルは無言のまま、階段をおりた。
* * *
「ごきげんよう、ノエル。今日はわたくしの護衛に付いてくれるんですって?」
「ええ。なんでも、市中にお出かけになるご予定だとか」
「一日、よろしくお願いするわね」
翌日の午後、ノエルは急遽、アナイスの警護の任に就くこととなった。
王族警護は、本来であれば副隊長以下の仕事。
だが隣国の皇太子妃となったアナイスは、帰郷中とはいえ、客人だ。
そのためなんとしてでも彼女の身を守らなければと、近衛隊長であるノエルと、副隊長であるセドリックがかり出されることとなったのだ。
「あら、セドリックも一緒なのね。ふふっ、久しぶりね」
「ごきげんよう、王女殿下ーーいや、皇太子妃殿下。ああ、今やあなた様は人妻となられたのでしたね。困ったな……誰かのものになられたあなた様にお会いすることが、こんなにもつらいだなんて」
「セドリック、おまえは一度、死んどけ」
小声で言って、ぎろりと睨んだ。
このまま放っておけば、場も身分もわきまえず、アナイスを口説き始めそうだ。
「下がれ」
命じて、ノエルはアナイスと向き合った。
「さて、アナイス様。目的地はどちらになりましょう」
「まずは二番街の新しくできたという仕立屋をのぞいてみたいの。それからその隣の通りにあるお菓子屋で買い物がしてみたいわ。そのあとには中央公園を散策してみたいし、夕方には一番街のブラッスリーにも行ってみたいわね。そのあとには三番街にある――」
「お待ちください。そのどれもが、あなた様がおいでになるにはふさわしくない場所ですが」
ちらり、と、アナイスの背後に立つ侍女に視線を向ける。
侍女は伏し目がちで首を左右に振った。
つまり「お考えをあらためてくださいませ」と何度も説得したが、聞き入れられなかった、ということなのだろう。
「陛下はなんとおっしゃられましたか?」
「お父さまは、ノエルが付いているのなら心配ないだろうって言っていたけれど?」
「それは……ありがたいお言葉ですが……」
こうなったらもうどうすることもできないと、ノエルは視線でセドリックに合図を送った。
アナイスが目指す場所それぞれに先遣隊を送り、周囲の安全を確保しろ、との意味だ。
「しかたがありませんね……本来でしたらおすすめしない場所ですが、私の役目はあくまで護衛。行き先を決定されるのはあなた様です。本日はどうぞお好きな場所へ。どこまでもお供いたしますよ」
左胸の近衛隊記章に手をあて、一礼。
差し出されたアナイスの手をとり馬車へと誘導すれば、彼女はにこりと微笑んだ。
「ふふっ、ならば行き先をあなたの部屋に変えてしまおうかしら。どこでも好きな場所へ行って良いのでしょう?」
「それは承伏しかねますね」
「つまらない男。そんなにわたくしと遊ぶのが嫌? ……ああ、それとも一度でも寝たら、本気になってしまいそうでこわい?」
アナイスはわざと煽るようなことを言ってくる。
「失礼ながら、たとえ同じベッドで寝たとしても、あなた様に指一本ふれない自信がありますよ」
「欲情させる自信がある、と言ったら?」
「その自信を砕く自信がある、と言ったら?」
アナイスはくすりと笑って、「まあいいわ」と馬車に乗り込んだ。
「今日のところはあきらめてあげる。おとなしく予定通りに行動するわ」
「ではそのように」
馬車の戸と鍵を閉め、ノエルは自身専用の白馬にまたがる。
――そういえば、あいつ、今日はやけにおとなしいな。
ふとリュシールのことを思い出した。
昨夜、酒場であれほど騒いでいた彼女だったが、本日はまだノエルの周囲に姿を現していない。
昨日までは連日、執拗に付けまわされていたのに、急におとなしくなられると、気になってしまうではないか。
――まあ、いい。あいつもたまには忙しいんだろ。
それよりも仕事だと、ノエルは腰に提げた長剣の柄にふれた。
頼むから、厄介事は起きないでくれよ。
そう願いながら、馬車の戸を軽くノックする。
「では出発いたしますが、よろしいですね?」
「ええ、もちろんよ」
御者台に座る男に手を挙げて合図をすれば、たちまち馬車は動き出す。
その横にぴたりと付く形で馬を走らせ、王宮の西門へと向かった。
* * *
「まあ、ここが仕立屋? いつも王宮に呼びつけているから、こうして店をのぞくのは初めてね。あら……街ではこういった意匠のドレスが流行っているの。面白いこと」
隣国に嫁いでからはなお、街に出る機会などなかったのだろう。
アナイスは目をきらきら輝かせながら、あらゆるものに感動していた。
「ここがお菓子屋……これはなんという食べ物? これは? こちらには何が使われているの?」
買い物をしたい、というわりには、結局、何を購入するわけでもない。
きちんとわきまえているのだ、自身の身分や立場を。
自らが着るには品位に劣るドレスや、原材料が明確でない菓子類。
そのようなものを購入し、持ち帰っても、周囲を困らせるだけだろう。
――だったら、何が目的なんだ?
ノエルはわからなくなった。
買い物もしなければ、たんなる気晴らしのために外出したとも思えない。
彼女は仕立屋、菓子屋、宝飾品屋、雑貨屋、はては金物屋にまで行き、それでもまだ王宮に戻ろうとはしない。
――なにか魂胆があるはずだな。
と、その時だった。
街の中心部に位置する公園の前で、気にかかる集団を見つけたのだ。
「あれは……?」
総勢五人。
公園の横に立つ聖堂のかげから、こちらの様子をのぞき見る男たち――身なりは良いが、あきらかに不審な者たちがいる。
「セドリック、先に行け。アナイス様から離れるなよ」
命じて、公園の出入り口にある石像のかげに身を隠す。
しばらくそうしていると、やがていくつかの足音がこちらにやってきた。
「噴水の方に向かわれたようです!」
「よし、私が直接、彼女に接触しよう」
「どうかお気を付けてくださいませ!」
――って、あきらかに王女を狙ってるじゃねえか。
「はい、そこでストーップ。とりあえず止まれ」
腰に下げた長剣の柄を握りながら、ノエルは男たちの前に立ちはだかった。
「うちの王女殿下にいったい何用だ?」
非常事態であるのに、つい不適な笑みがこぼれる。
「急になんだ!?」
「護衛の騎士か!」
紺色の上質なコートをまとい、羽根飾りの付いた洒落た帽子をかぶった男が、この集団のリーダーなのだろう。
帽子のおかげで顔かたちを明確に見て取ることはできないが、立ち姿からかなり身分の高い者であることが予想された。
「どけ! 邪魔をするな!」
「騎士などに用はない!」
数人の部下――おそらく護衛の騎士であろう男たちが、主人を守るように立つ。
――おお、血気盛んで活きがいいな。
「この先に行きたいなら、邪魔をしないでやってもいいぜ? ただし、何が目的なのかちゃーんと教えてくれよな?」
ノエルはくつくつと笑った。
「……言ったところで、どうせまた拒絶されるに決まっている」
「ん?」
どういうことだ? と、主人らしき男の言に、首をひねった。
「どうせ彼女から、私を近づけないようにと命じられているんだろう?」
彼女? とは、アナイスのことだろうか。
わからなくて、眉間に皺を寄せたノエルだったが、すぐにはっとした。
「まさか……あなた様は……!」
正気か?
数人の部下のみを連れ、妻を迎えに隣国までやってきたというのか?
ノエルは剣の柄から慌てて手を離した。
しかし相手の騎士が。
「邪魔をするなら押し通させていただく!」
鞘からすらりと剣を抜き、その切っ先をこちらに向けてくる。
――って、とりあえず落ち着けって。そんなギラギラされても困るだろうが。
ノエルは降参の意を伝えるべく、両手を顔の横まで上げた。
「私はノエル・ド・アストレイ。ここラグランジェ王国の王立騎士団、近衛隊の長です。知らぬこととは言え、礼を欠き申し訳ございませんでした。どうか寛大な御心でご容赦を」
左胸に手をあて、深々と頭を垂れる。
「しかし、なぜあなた様がここにいらっしゃるのか……まずは我が国においでになった理由を――」
そこまで言って、ノエルはぎょっとした。
「わたくしのノエル様に、何をしているのよ!!」
この場目がけて、勢いよく走ってくるリュシールの姿が目に飛び込んできたからだ。




