第一話 命じられた婚約
「ノエル、おまえの結婚が決まった。お相手はこの国の第二王女、リュシール・ド・ラグランジェ殿下――こちらにいらっしゃるお方だ」
父であるアストレイ侯爵にそう言われた時、いったい何が起きているんだ? と、ノエルは混乱した。
「王女殿下、こちらが我が息子、ノエルでございます。先日、二十三になりました」
「ええ……もちろん存知ておりますわ」
目の前で恥ずかしげにうつむくのは、金髪碧眼の、天使のように愛らしい顔立ちの少女。
――第二王女だって? ああ、もちろん知ってるさ。
ここラグランジェ王国の王が溺愛する、十七歳の美しい王女。
彼女のことを知らぬ者など、この国にはいないだろう。
――で、なぜその王女と俺が結婚する? 何かの間違いじゃないのか?
父の言葉を聞き違えただけで、実際は何か仕事の――たとえば近衛隊の王族警護の件で用があるのではないか。
頼むからそうであってくれ、とノエルは願う。
仕事中、突然、父に呼び出されて訪ねた王宮の一室。
王女の背後に控えるのは、彼女の侍女たちと王の侍従長だ。
さて、この状況をどうしたものか。
とりあえずノエルは口を開いた。
「あらためてご挨拶させていただきます、王女殿下。近衛隊隊長のノエル・ド・アストレイ、王陛下からは伯爵位をいただいております。どうぞお見知りおきを」
左胸に手をあて、軽く膝を折る。
「……ええ、こちらこそどうぞよろしくお願いいたしますわ」
彼女は頬を朱に染め、消え入りそうな声で言った。
――って、なんだその恥ずかしげな態度は……! まさかこの王女、本気で俺のことを……?
いやいやいや、ちょっと待ってくれ!
ノエルが内心で焦っていると、父が満足げな表情で髭をなでる。
「あいにく王陛下はご都合が悪く、この場にお越しいただくことは叶わなかった。しかしこの結婚をお認めになられるとのお言葉を、先日、ありがたくもいただいた」
ということは。
「喜べ、ノエル。王女殿下がおまえをお望みになられたのだ。我がアストレイ家としてはこの上ない僥倖。王女殿下にはご降嫁していただき、アストレイ家の嫡男であるおまえと結婚していただく運びとなった」
って、結婚との言葉は、聞き違いでもなんでもなく、現実か!
――寝言は寝て言え!
ノエルは父の肩に手を回し、力任せに引き寄せた。
「おい、このクソ親父。なに身勝手に決めてんだ、冗談じゃねえぞ……!」
王女に背を向け、父の耳元で小声で怒鳴る。
「いよいよ頭がいかれちまったか! じゃなければこんなバカげた話、口にすらできねえもんな!」
「そうは言ってもあちらが望まれたのだ、どうすることもできないだろう。これは王命なのだぞ、背くことは許されぬ」
「って、それが『どうすることもできない』って顔か? 喜びがだだ漏れてんだよ!」
白髪に白髭をたくわえた父は、普段、厳めしい面持ちをしている。
けれど今はどうだ。口元は緩み、声は弾み、完全に浮かれているではないか。
「いやあ、おまえ様様だな! 我が家もいよいよ王家と縁続きだ!」
「ふざけんな! まさかこういったことが目的で俺を引き取ったんじゃねえだろうな!」
「まさか。ただ、容姿だけは素晴らしく良いおまえだ。いずれこのような僥倖が舞込むかもしれぬと期待はしていた」
「ぶっちゃけすぎだぞ、おい!」
「年貢の納め時だな、ノエル。おまえもいよいよあきらめて、侯爵家の家督を継げ」
「ありえねえ!」
「――あの、なにか不都合でもございましたか?」
割り込んできた王の侍従長の声に。
「いえ、まったく……!」
ノエルと父は、揃って愛想笑いを返す。
――ちくしょう。王命ってことは、断ることなどできねえだろうが……!
ひそかに「ちっ」と舌打ちをしながら、顔には偽りの微笑を貼り付ける。
仕事中、いつもそうしているため、ほとんど条件反射のようなものだった。
「王女殿下……私のような男を選んでいただき、光栄の極みでございます。あなたの良き夫となれるよう精進いたしますので、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
心とは裏腹、彼女の御前にひざまずき、その手をとる。
透き通るように白く、ほっそりとした手は震えていて、彼女の緊張がこちらにまで伝わってくるようだった。
「え、ええ……こちらこそ、末永くよろしくお願いいたしますわ」
恥ずかしげに顔を背けるさまは、まさに純情可憐。
知らず、ノエルは彼女の顔をまじまじと眺めていた。
――しかし……驚くほど綺麗な顔立ちだよな。まるで人形だ。
大きな目をふちどる長いまつげに、やや潤んだ蒼い瞳。
形の良い鼻に、薔薇色の小さな唇。
澄んだ白肌は頬だけほんのり色づいていて、抱きしめてみればもっと赤くなるのだろうかと、つい嗜虐心を煽られる。
――って、何を見惚れているんだ、俺は。
立ち上がったノエルは、隣に立つ父を睨みながら決意した。
この婚約、必ずや破棄へと持ち込んでみせる!
何があろうと、絶対に! だ。
とはいえ自分から断ることなど許されない。
どうにか王女側から破棄してもらえるよう、仕向けなければならなかった。
――この俺が王女と結婚? いくら美しいとはいっても、俺からしたら十七歳はお子様だぞ?
そんなことになったら人生の終了だと、ノエルは内心で頭を抱える。
ひとりの女性と――しかも浮気のひとつもできない相手と未来をともにするなど、ノエルにとってはまさに生き地獄と同等だった。
――俺はいつまでだって遊んでいたいんだよ!
誰に縛られることなく、美しい女たちと、適当に、後腐れなく。
そして酒にギャンブルにと好き放題、遊び倒していたかった。
「ではお二人のご婚約は、ひとまず内定ということで。公に告知するのは、婚約式や結婚式の日取りなどが決まってからとなるそうです。それまではどうかご内密にお願いいたします」
王の侍従長が場をまとめた。
「王女殿下、名残惜しいのですが、勤務中ですのでひとまず失礼させていただきます」
ではまた、と微笑み、ノエルは踵を返す。
「なんて素敵なの……」
と、王女の熱に浮かされたような溜息が背後から聞こえてきたが。
――いやいやいや、頼むから勘弁してくれ!
ノエルは軽い目眩を覚えながら、部屋をあとにした。
お読みいただきありがとうございます。
最後まで書き上げてある作品なので、テンポ良く更新していこうと思います。
応援していただけると励みになります。
よろしくお願いします!