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いつかヘリアンサスに誓って  作者: 森陰 五十鈴
第五章 森魔、洗礼す
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新たな仲間

「ようこそ。フレアリート砦へ」


 遡るほど一ヶ月前。魔の森に赴任したばかりの頃。

 石を積み重ね、要塞とも城ともつかぬフレアリート砦に到着したグレアムたち新人三名は、一階にある会議室のような場所に通された。そうして、先の台詞で出迎えたのが、一人の女性兵士だ。二十代半ばくらいか。胸まである茶色の髪を垂らし、後頭部で大きな白いリボンのバレッタを付けている。柔らかく垂れた目は榛色で、枠なしの楕円の眼鏡を掛けている。女性の中では小柄な部類だが、身体つきは適度に豊満と言って良いだろう。

 服装は、灰色のストライプのシャツの上に、太ももまである葡萄酒(ワイン)色のジャケットを羽織り、黒のストッキングを着けた上には膝丈までの葡萄酒色のタイトスカート――つまり、この国の女性用軍服だ。


「私は、メイリン・フォルテシア。謂わば……貴方たちの監督役ですね」


 厳つい軍服以外の柔らかい印象と相違なく、メイリンと名乗った彼女の物腰は柔らかい。このような人物――それも女性が兵士なのか、とグレアムは驚くばかりだった。しかもフォルテシアは、侯爵家の一つ。つまり、この目の前の女性は侯爵令嬢――のはずだ。

 だが、彼女はその姓ではなく、名前で呼んでくれ、と告げた。敬称もいらないそうだ。


「なにか理由が?」

「この砦、ひいては魔の森では、魔物との戦闘が頻繁に行われます。そのときに、長い名を呼ぶのは大変でしょう? 家名は、私の姓のように長く呼びづらいものもありますから、名前(ファーストネーム)で統一することとなったのです」


 因みに、その名前が長かったり、同じ名の人物がいたときは愛称を付けることもあるのだという。それを、砦の配属兵で共有するらしい。すべては戦闘時の識別のためだ。


「そういうわけで、ここでは貴族の権威も振りかざすことはできません。生まれ育ちにかかわらず、みな平等に森に喰われる命です」


 突然辛辣になった貴族に対する台詞以上に、その後に続いた言葉にグレアムは驚かされた。自らも相手も諦念に追いやるような、毒のある言葉だった。


「さて、自己紹介はそこそこで良いでしょう。貴方たち三名は、トラヴィス、グレアム、マシュー。トラヴィスは通常兵で、グレアムとマシューは魔法師兵。これ以上はいま知る必要はありません。部屋に案内しますから、各自そこで荷解きしながら待機。あとで迎えを寄越します」


 そうしてそそくさと背を向けたメイリンを、グレアムたちは慌てて追いかけた。対面したばかりの同期だというのに、言葉を交わす暇もない。


 ようやくその機会を迎えられたのは、メイリンのいう部屋に案内されたあとのことだった。

 質の悪い木板を組み立てただけの二段ベッドが四つと、部屋の隅に申し訳程度に置かれた粗末なロッカー。グレアムが貴族で一般層の生活を知らないことを差し引いても、あまりに簡素な部屋だった。グレアムの貴族的感覚で言うならば、物置と大差ない。ただ一つ、ここに押し込められる八人が囲めるだけの大きさのローテーブルがあって、それだけでも上等なのだなと思わせる。


「ふいー、なんかおっかねぇ姐ちゃんだったな」


 空いていた手前右のベッドの下の段に荷の麻袋を放り投げ、古く今にも破れそうなシーツが被さった布団の上に腰掛けてそう言うのは、メイリンと同じ葡萄酒色の軍服――ただし、男物は上下同じ太さ(パイプド・ステム)のスラックス――を着た黒髪の男だ。グレアムほどではないが上背はあって、顔は童顔。やんちゃな少年を思わせる。軍服なので通常兵。トラヴィス、とメイリンは呼んでいたか。


「でも、美人だったな。あんな人の下につけるとはラッキーかもな俺ら」


 広げた足の間に両手をついて、グレアムともう一人に満面の笑みを向ける。軽薄な男なのだろうか、とグレアムはなんとなく倦厭しながら、トラヴィスの反対側のベッドも下段に荷を置いた。一抱えある真四角の革製鞄と、手提げのついた(ケージ)。これから武器として使用する(スタッフ)は、傍の壁に立て掛けた。


「メイリン・フォルテシア……彼女、〝鬼人〟ですよ」


 何処を使おうかと悩みつつそう言うのは、もう一人の新入り、マシュー。茶色の短髪に細身で、吊り上がった藍柱石(アクアマリン)の瞳が大きいのと頬にそばかすが浮いている所為か、少し幼く見える。グレアムと同じ、魔法師院から支給された葡萄酒色のローブを着ているので、魔法師兵だ。

 因みに、ベッドはグレアムの隣のベッドを使用することに決めたようだった。この部屋は、右奥の下段を除いて使われている気配がない。 


「鬼人?」


 こてん、と一向に荷を解く気がないトラヴィスが首を傾げる。


「知りませんか? 〈氾濫(フラッド)〉で初めて剣を取ったのにも関わらず、一人で戦って生き残った烈女。その後兵士になりこの砦に配属されましたが、戦いぶりが凄まじいそうです」

「それで〝鬼人〟か……。美人なうえに強いんだな。これはますます得したぜ!」


 その異名は畏怖で付けられたものだろうとグレアムは推測したが、一方でトラヴィスはあくまで肯定的だった。前向きな様子に、グレアムもマシューも呆気にとられる。


「あ、そうそう。同期なんだしさ、タメ口でいいから。これから一緒に暮らすんだし、仲良くしようぜ」


 はあ、と頷くマシュー。グレアムは無言で承諾した。その馴れ馴れしさには戸惑うが、向こうから言ってくれている以上、拒む理由もない。


 ところで、グレアムはマシューに見覚えがあった。前に二度、魔法師学校の図書館ですれ違った男子学生である。特に二度目の邂逅では、彼のおかげで卒業論文が書けたようなものなので、よく覚えていた。

 ただ、一つ気に掛かることがある。魔法師兵を目指していたグレアムは、彼を授業で見かけたことがなかったのだ。魔法師兵を目指す同期とは一通り対面しているから、まず間違いない。


「あ、自己紹介な。俺はトラヴィス。カルダー領リース村生まれ。たぶん二十歳」

「たぶん?」


 年齢が曖昧なことを尋ねると、孤児なのだ、と返ってきた。道理で姓を名乗らないわけだ。


「カルダー領というと、〈氾濫(フラッド)〉の被災地だな」

「おーよく知ってんな」


 この魔の森から扇状に拡がった魔物襲撃事件。カルダー領は、国の中央よりやや北西寄りに位置するアクトン領と東の一点で隣接した侯爵領だ。あのカンテからも近いその領も〈氾濫(フラッド)〉の激流に飲み込まれている。


「両親はそのときに?」

「いや、違う。被害にゃあったが、その前から孤児院暮らし」


 ふと、その底抜けに明るいように見えた表情に翳りが差し、グレアムはそれ以上追求するのをやめた。その闇には覚えがある。取り扱いもだ。


 じゃあ次、とトラヴィスに指されたので、グレアムは内容に悩みながら口を開く。


「グレアム・アクトン。魔法師兵だ。歳は十九」

「アクトン……お貴族様、か」


 メイリンの言葉もあっただろうに、貴族と知ると気後れしたのか、トラヴィスは若干距離を取る。心理的なものだけではない。距離的なものも、だ。


「砦のしきたりには従うつもりだ。さっき君が言ったように、対等で良い」

「あ、そんじゃ遠慮なく」


 あっさりと掌を返した。調子の良いことである。不快感がないのはきっと人徳だろう。裏表がないのだ。


 最後、とトラヴィスは、今度はマシューに水を向ける。


「マシュー・ユラン。スウィフト領カルケー生まれ」


 スウィフト領は、アメラスの北東部、海岸線にある領地だ。カルケーは、貿易を行っている小さな港街だとマシューはいう。


「歳は十九。魔法師兵……です」

「敬語いらねって」


 トラヴィスは、遠慮がちに付けられた語尾にすかさず突っ込んで、


「二人とも、知り合い?」

「いや、すれ違った程度だ」


 応えると、マシューが驚いた様子でこちらを見た。覚えられているとは思わなかったらしい。


「僕は、貴方のこと知ってますよ」


 その台詞に侮蔑のようなものを感じ取って、グレアムは苦笑した。


「……大騒ぎだったからな」

「それもありますけど。貴族の跡継ぎで、向いていないのに魔法師兵を目指しているって」


 そっちも知られていたか。グレアムは鼻白んだ。まさかそんなことで自分が注目されているとは思わなかったのだ。


「僕ら一般層は、けっこう貴族の学生を見てるんですよ。虐げられたり、割を食ったりとかいろいろあるんで」

「そうなのか」


 生憎、友人だった彼らは全員貴族だったので、グレアムはそのことを知らなかった。


「なんか大変なんだなー魔法師学校も。魔法の才能あれば、平民も高待遇で入れるって聞いたけど。やっぱりしがらみがあるんだ」


 なんかがっかり、とトラヴィスは頭の後ろで両手を組んだ。

 それを最後に、話は終わった、とグレアムとマシューが互いの荷解きに専念しはじめた頃。


「あ、待って待って。あと一人」


 唐突にトラヴィスが声を上げるものだから、グレアムたちはまた荷解きの手を中途半端に止めることとなる。


「その可愛い子ちゃんも紹介してくれよ、グレアム」


 そうしてトラヴィスが指し示したのは、グレアムが檻から出してやったばかりの灰猫――サリックスだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] サリックスもついてきてたーーー!!!!(大歓喜)
[一言]  私物は最低限と言われていても猫はダメとは言われていない。これでうっかり人間に戻ってしまったら幽霊騒ぎが勃発する。
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