お孫さま、フカヒレで墓穴を掘る
しつこく書きすぎた感……
明け方頃だったろうか、降り始めたのを感じていたが朝が来てもまだ雨は続いていた。激しいわけではなくしとしと、だがしっかりと街を濡らしていく。意外にも旅に出てからは初めての雨だ。こういう時に天幕を開いて敷地内の確認をしたいがさすがに無理だ。そのうちチャンスもあるだろう。
今日は、肉の掃除を教わる。神罰騒動があったので、満天楼自体に非はなくともすべてが落着するまではとキャンセルする客も居て比較的手は空いているそうだ。だからその分の手間賃が入るのは有難いと言われたが事情が事情だけに心苦しい。そもそもなにを以て落着とするのだろう。神罰を受けた者は捕縛されその雇い主も明かされ聴取されている筈。
「あー、そりゃ向こうの店がきっちりお咎め喰らうまではなぁ」
答えてくれたのは厨房のスタッフ。昨日は休みだったのか、見なかった男だ。
「んで、誰? さっきお嬢が居たしその服ってことはここ入る許可はもらってるんだろうけど」
少し前までクァシンが居たが、出す肉の順番を確認すると言って少し離れたので今はただ立っていた。勿論上から下まで借りた服装だ。見えているのは目許だけ。
「今日は肉の処理を見学させていただきます」
「見習いか。そうそう、今日は預かりもんの上等な肉で作業するんだ。その歳から始めるってこたぁ、なんかワケありか?」
「んー、ワケがあるかないかでいえば、あるかと」
「なんだよ、ややこしい言い方すんなよ。んで、何が出来るんだ?」
「さあ?」
「あ? さあってお前、」
男の言葉は途中で遮られた。首から上はすっぽりとバケツが被せられ真後ろには頬を引き攣らせたクァシン。
「厨房にお客さまをお迎えしてるって朝礼で話したよねぇ?」
バケツの彼はそのままバケツを持って掃除に行った。雨なので出入り口には水が溜まるそうだ。
「こうやって少しずつ、少しずつな……」
説明は料理長、クァシンの父親自らしてくれた。包丁を使って無駄が出ないよう丁寧に、時には大胆に脂を削いでいく。
「この辺なら切れ込み入れて、手で掴んで引っ剥がしゃいい」
境目を見極め、べりっと音を発てて肉を分ける。豪快だがなかなか気持ちのいい剥がしっぷりだ。
「若旦那」
クァシンから声を掛けられる。一塊終えて、手が空いた者が出たようだ。
「なにを出せばいいかな?」
「仕事が丁寧で手際もいい者なので、緑の五番を」
作業の都合上、塊肉に番号を振った。指定の塊を、挙手しているスタッフの前へ出す。それぞれスタッフの前に塊を出すのは訓練になっていい。最初にやった時は驚かれたが今はもう誰も騒がないでくれる。いや全員分一気に出したのは自分でもやらかしたなとは思ったが。
筋の取り方も見せてもらって、あとは任せることになった。
「こちらがご希望のパイ生地でございます」
粉を扱っている台を見せてもらう。何枚ものパイ生地が出来上がっている。よく知る、折り込みパイの他練り込みパイも頼んだ。汎用性を高める為に、ラードではなくバターで作ってもらう。
「菓子にも料理にもお使いになれるかと」
「えぇ、そのまま焼いてよし、詰めてよし、包んでよし、器に被せてよし、本当に使うのが楽しみです」
次に見せてもらったのが焼き豚の工程。こんな上等な魔物で作らせてもらえて、いい経験になったと逆に感謝された。ジャイアントワイルドボアの塊を見せどこが適しているか指示をもらって切り分けた。肩ロース、バラ、モモ、それぞれ一部。調理の都合で更に切り分けられ、焼き豚の塊としては五つずつあるようだ。
これも楽しみだ。
スープを作っているところはひたすら時間が掛かるとのことで、割愛された。
次は、醤。それぞれ片手で持てる程度の大きさの壺入りで分けてもらう。これでかなり出来る料理の幅が拡がった。しかし改めて考えるとあちらでの各種調味料は本当に便利だった。それを使えば味がバシッと決まる、若しくはベースになる、とそういったものがかなりあった。和食なら出汁パックや顆粒出汁、洋食なら顆粒や固形のコンソメ、デミグラス缶やホワイトソース缶、中華なら例の大きな缶や顆粒鶏ガラスープ、オイスターソース、調味済みの甘辛いチューブ味噌まであった。
「麺はここで打っている場合もございますが製麺所からも入れております」
さすがにそこまで見学したいとは言わない。
「では、このあとはお買い物でよろしゅうございますか?」
合間合間に塊肉は頼めたし、これからはさすがに本格的にランチ客の対応があるだろう。肉磨きや他の工程を見せてもらっている間も、仕込みは進んでいた。
厨房に限ったことではないのだろうが、忙しいところは一秒を削ることを大事にする。一秒を削れれば、積み重なって分単位になる。つまり、効率化だ。
部外者による肉磨き依頼、スープ調理や脂抽出の作業。余分な仕事が増えた分、厨房は効率を求められるがきちんとこなして昼の態勢を調えていた。
「えぇ、ありがとう」
部屋に戻ってさっと身を濯いで着替える。雨だから傘と雨用の外套。おさがりの外套も考えたが、街の中での徒歩移動だ、打飼袋に元々あった方にした。草履にもつま先を覆う雨避けを付ける。いずれもが賜った品だ、自浄の付与で汚れることはないし大気以外不可侵の層を展開することも可能だが端から見て、不自然極まる。雨の備えは必要だ。
身支度を終え部屋を出ると、クァシンと共にユーチェンが控えていた。
「おはようございます、若旦那」
「ユーチェンさん、おはよう」
クァシンと交代だと説明される。
「あれと同類が他にも潜んでいないとは限りませんので」
盗難防止に父親と交代で目を光らせるとのこと。なにが盗まれるのかと思ったら肉だそうだ。
「若旦那さま、改めてあれらの魔物の買取額を思い出してくださいませ」
「んー? えーと……」
幾らだったか。いけない、本当にこちらに来てからどんぶり勘定だ。首を傾げているとユーチェンがクァシンの肩をポン、と叩いた。
「クァシン、諦めろ」
「ほんとに! ほんとにもうっ!」
もどかしいのか腹立たしいのか掴みかねるが、とりあえず原因は自分の筈。
「悪いね、私が鈍いというか、察しがよくないから……」
「概算というか、合計額は教えてもらうけれど私が受け取る分が幾ら相当になるかまでは聞かないから……」
満天楼を出て、道すがらユーチェンと話す。
まず、あの大きさを纏めて仕留めることがないそうだ。
「そして売った場合と肉のまま、どちらがいいか天秤に掛けます」
「まあ、それで生計を立てている方なら当然だねぇ」
肉で宿代や武器防具の費用は払えないだろうから現金の方がいい。そこは個々の事情による。
「なので本来は受け取る分が幾ら相当かは把握しているものでございまして」
「あー………………そこは、申し訳ない」
だが恐らく、今後なにか魔物を仕留めても金額は聞かないだろう。教えられても聞き流すのが目に見えている。
「まあ、大抵は全部売りますが」
「え? 全部?」
「はい。あのクラスの魔物を屠るのは多くは冒険者でございますが十中八九、金に換えます」
「せっかくのお肉を」
全部手放すのか。供養の概念も違うのかもしれないが美味しいと定評のある肉を自分の労働で手に入れて、全部売るなんて。
「……ステップバイソンの緑の肉を受け取るならそれを売って茶の肉を買います」
「えぇ……そんな……」
改めて、価値観の違いを感じた。
ユーチェンに案内された一軒目は、あの偽金騒動のあった店だった。
「店主がどうしてもと」
あの時の恩を返したいと、食材を買い求めるなら是非にと話が来たそうだ。
「私は個人だから、そんなにたくさん買うわけではないんだけれど」
「うちは小売もやっております、どうぞ見ていってくださいませ」
笑顔の店主は揉み手までしている。
八角や丁字はまだハーブやスパイスの部類なので使い道もわかる、多少購入するつもりではいたが。
「うちのフカヒレは丁寧に仕上げておりますから、おすすめでございますよ!」
さすがに調理したことがない。
「お召し上がりになったことは?」
「あるよ。姿煮とか」
ユーチェンの質問に即答するとユーチェンは一瞬戸惑い、店主はまた更に笑顔を強めた。表現としてはおかしいかもしれないが、うん、笑顔が強い。
「フカヒレを、それも姿煮を召しあがったことがおありと!」
「…………ユーチェンさん?」
助けを求めると、ユーチェンは諦めた表情で何度も頷いていた。
「いえ、まあ、おありかなとは思っておりました」
こちらではあちら以上に高級食材らしい。そうだ、海にも魔物が居るのだった。
「先に言っておくれよ」
「いえ、若旦那さまなら不思議はございませんし……」
「でも央京でいただいたんじゃないからね、まるでおじいさまが贅沢三昧しているように見られては」
「若旦那」
「なに?」
「それは、若旦那ご自身でフカヒレを召し上がれるお立場だったとのご発言になりますが」
「え? ………………あ、」
こういうのを、墓穴を掘るというのだろうか。
口を噤む。これ以上、余計なことは言うまい。
あちらでも、手間と技術を費やした乾物は特に高級品だ。
戻し方を聞けば掃除は済んでいるので純粋に煮て、置いて、水にさらして今度は香味野菜追加で煮て、また水にさらして。という工程だそうだ。掃除をする手間を考えれば本当に丁寧に仕上げているのだろうが。
「手間ではございますが皮のまま乾したものもございますよ。主に姿煮はこちらを使う場合が多いかと」
掃除済みを素剥き、皮ごと乾したものを原びれと呼ぶそうだ。下処理が面倒だが原びれの方が旨味を逃さず乾せているとか。
「いやいや、さすがに自分で姿煮を調理したことはないから」
中華的な味付けに便利なものがない、和食や作ったことのある簡単な洋食ならばなんとなく舌を頼りに再現することも可能だが。
「戻す工程を間違えさえしなければ、あとはお好みの味付けで煮ていただくだけで召し上がれますよ。あ、調味料の類も取り揃えております!」
「醤は何種類かもうもらったしなぁ……」
並ぶ甕や瓶の中に、見覚えのある焦げ茶よりもっと黒に近い茶色。
「あ」
ビール瓶くらいのサイズのガラス瓶に詰められた、もったりとろみのある液体。
「これ、もしかして牡蠣を使った……」
「おぉ! ご存知でいらっしゃいますか、えぇえぇ、うちの自信作でございます」
オイスターソース自体は何軒が作っているところがあるそうだ。だがここのは。
「ただ塩漬けにして発酵させただけではございません、秘密の割合で調味し手間暇掛けて丁寧にお作りしております」
店主は誇らしげに説明してくれた。
「お味見をどうぞ。普段はしておりませんが、わかってくださる方ならば」
小皿に茹でた青菜、オイスターソースが掛かっている。
「あー、うん、これこれ、知ってるのと似てる。うん、これなら私にも使える」
「ほう……旨味の濃いものでございますね」
ユーチェンの小皿は既に空だ。料理に使われて食べたことはあるのだろうが意識して味わったことはないそうだ。
「すごく便利なんだ、こうして絡めるだけでも美味しいし、麺に合わせてもいい。あんかけのベースにも出来るし、スープにもコクが出る。餃子のあんを作る時にも重宝するよ、なにも付けずにいただけるくらいしっかりと味が入る」
せっかく自力で挽き肉を作れるのだから一度くらい、餃子は作りたい。
「お客さまは、以前どこかでこれと似た味をお召し上がりに……?」
店主としては気掛かりな言葉だったのだろう。かなり申し訳ない。
「あー、うん……私が居た、里でね。もうないんだけれど」
「それはっ……大変失礼致しました」
笑顔から一変、沈痛な面持ちで深々と頭をさげられてしまった。
心苦しいが正直に話すわけにも。
「これ、どのくらいの量いただけるかな? 私は日持ちに関しては無視して大丈夫だからもらえるだけもらっていきたいんだ」
「もしや……最高級の収納箱をお持ちで?」
店主に、ユーチェンが厳しい顔で耳打ちする。
「なんと………………」
「他言無用に」
「えぇ、勿論にございます」
目を丸くしたままこちらを見て頷く店主に首を傾げる。どうしたのかと思ったらアイテムボックスの魔法の使い手だと話したそうだ。まあそのくらいは、ミルクのキャンセルで困った酪農家の前でも使っているので隠し通さねばならない秘密でもないとの判断か。
「あ、でしたら、フカヒレを戻すのはうちでやりましょうか?」
「え?」
「ご滞在予定は……」
ユーチェンと予定を確認している。トンルゥへの滞在は今日を含めて二日程度が限界だろう。山の方が予定が読めないから、余裕を持って動かねば。
「なるほど……それでは原びれは間に合いませんから、素剥きの方を……」
もうすっかりフカヒレを買う前提で話が進んでいるような。別に、買ってもいいけれど何故店主はここまで強く売り込むのだろう。
「このくらいで……」
「いや、それじゃうちの商売成り立ちませんよ、ご勘弁いただいて、このくらい」
「んー……もう一声」
ユーチェンも値引き交渉しているし。
声を掛けると、お好きなのかと、と言われた。
「つまり、姿煮ってそのくらい高級料理ってことだね?」
「えぇ、余程お好きでない限りは手を出さないくらいには。若旦那さまの里では、違ったのでございますか?」
「えーと……確かに高級料理ではあったけれどもっと身近なものだったかな」
何故か二人からは沈黙された。
「身近……」
「あ、待って、語弊があるから! なんていうか、一度は食べてみたいねっていう料理というか特別好物だから食べるわけじゃなくて定番っていうか」
「定番……」
駄目だ。本当に、これは墓穴だ。
山岳国家なのになぜ海産物? といった疑問が生じるかもしれませんが
次の回で書いてます、別段大した事情でもないです。