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お孫さま、人間やめてた

 転移魔法のことはさておき。本を読んだり、こちらのことを教えてもらったり、あちらのことを教えたりと気付けば時間が経っていた。

 リーンと控えめな音が響く。

「おや?」

「……楽しい時間というものは本当にあっという間に過ぎてしまうのですね」

 どうやら閉館の合図らしい。名残惜しそうなスターシアに今日付き合ってくれた礼を言う。

「私の方こそ、貴重なお話ばかりで胸がいっぱいです」

 かなり打ち解けてくれたようだ、無闇に崇められても困ってしまう。

 本を片付けようとするが、それは文庫の司書に任せていいそうだ。寧ろ、状態の確認もするので勝手にしない方がいいと。散らかしてしまったがお願いしよう。

 スターシアとはそこで別れ、エントランスまで戻ると信次が居た。

「閉まるまでいらっしゃると思っておりました」

「スターシアさんと会って思わず話が弾んでしまって。待たせてしまったんじゃ」

 信次は笑顔で否定した。

「ちゃあんと頃合いを見計らって来ておりますから」

 スターシアが居なくとも閉館まで居るだろうと思っていたそうだ。確かに、まだまだ色々見てみたい。まさか界を渡った本人たちの手記があるとは思わなかった。

「明日も来たいんだけど、やっぱり誰か付けなきゃいけないかい?」

「この信次が伴ではご不満ですか?」

「不満はないけど、店に悪い。揚羽屋の仕事の邪魔はしたくないんだ」

「邪魔なんてことは微塵もございませんが……決まった誰かをお傍に付けるのも、お嫌なんでございましょう?」

「道案内以外にはね。私は誰かに傅かれるようなご大層な身分じゃないよ」

「ならば私がお迎えにあがりましょうか?」

 立候補してくれたのは、傍で聞いていた司書の彼だ。

「司書長なら伴には十分ですね」

 おや、そんな偉いひとだったとは。信次の言葉に内心驚いていると、気まずげに司書長と呼ばれた彼がこちらを向き直り丁寧にお辞儀をしてきた。

「私程度、若旦那さまに名乗るなんて到底烏滸がましく、控えておりました」

「揚羽屋文庫の一切を取り仕切る司書長のクロードでございます」

 名前を書く時は蔵人と書いているそうだ。帰化という概念があるかわからないが彼はそういうわけでもなく、ただ文庫に対して募り募った熱の果てに和風の表記を好んで使っていると。

「桐人です。今日は色々とありがとうございました」

 明日はクロードが店まで迎えにきてくれることになった。

「世話を掛けますね」

「文庫設立以来初めていただいた機会です。ご存分にお使いください」

 随分と嬉しそうだ。

「揚羽屋の金食い虫と言われておりましてね、いえ赤字はいいんですよ、商売には儲からない部分がございませんと。儲かるばかりでは世は回りません。ですが役に立たないなんて言われ方をしてしまいますと」

「文庫の意義は目に見える数字になることはございませんので……」

「往々にして学術研究や資料保管は軽んじられやすい。お察しします」

「わかっていただけますか……!」

 当たり障りのない同意を口にしたつもりだったが妙に感動されてしまった。






 翌朝。

 そろそろ無差別に情報を取り込むのは控えた方がいいかもしれない。色々教えてもらっているし、これ以上は神の目線で世界を見た情報になりそうだからだ。まだ物知らずには変わりないが暦、気候、ある程度の常識は把握した。宇宙の成り立ちから考えると地球は奇跡の存在だがこちらもまた似たようなものだ。その深淵には踏み込むつもりはないが、配置は違えど星の巡りはほぼ同じ、太陽があり月がある、海の満ち引き、世界の傾きと季節の移り変わり。植生も多少の差はあるが似ていて、主なエネルギーは鉱物資源や化石燃料ではなく魔力、その便利さから蒸気機関すら開発されていない。魔とつくが邪でも悪でもなく、寧ろ精神力や気力といった方があちらの感覚では近い。大気中にも混じる魔力をすべての生命が享受する、故に、生態系に差が出るのも当然。動物の中には進化の過程で強く魔力の影響を受け他と違う変異を遂げ魔物と呼ばれる種も生まれた。あちらを知っていれば不便を感じることもあるが、自然へのダメージを考えるとこれ以上ないクリーンなエネルギーだ。

 午前、クロードが迎えにくる前に信次がボールペンの試作を持ってきた。まずは重郎が手に取る。

「ふむ……悪くはないが」

 線が太い、インクの出が良すぎる。まるで墨をぼとぼとに吸わせた筆だ。

「ですが、原理としては上出来かと」

「桐人の言う通りではあるが」

「私は寧ろ、この粘りのあるインクが再現されていることに驚きましたよ」

 改良の余地はあるがやり方としては間違っていない。いくつか気付いた点を伝え試作の評価は終えた。

 クロードが来て、その日一日文庫で過ごした。おかげである程度の魔法の知識は学べた。今夜からは自分で髪を乾かしてみよう。





 朝、目覚めて。運ばれた桶の水で顔を洗って、着替える。最初の朝こそ身支度の世話を女中がしたがったが、こちらではただの穀潰し、べったり付かれるのは落ち着かない。最低限の準備だけお願いしている。

「……桐人や、もう起きていると聞いたが少しいいかい」

「はい。着替えは済んでおりますので、どうぞ」

 髪を結う為に梳いていると重郎が信次と共に部屋に来た。

「おはようございます、おじいさま」

「あぁ、おはよう。そうしておろしていると随分長く見えるな」

「そうですね、自分で自分の毛先を摘まんで見ることが出来るのが少し新鮮です。それで……?」

「あぁ、信次がな」

「おはようございます。早くからすみません」

 なにかあったのかと思ったら、刀が抜けないのだと。

「若旦那さまの持ち物に順次揚羽紋を入れさせていただいているのですがどうにも鞘から抜けませんで……もしや、そういう細工をなさっておいでかと」

 文庫での様子からそろそろ行動範囲が拡がりそうだと焦った末らしい。揚羽紋を入れることは最初に持ち物を預けた時に頷いた。あまり派手にされては困るが信次ならそのあたりは心得ているだろう。背中で斜めがけにして使う武士の旅装束では一般的な鞄である打飼袋にはまっさきに入れられた。これより派手には致しませんからと確認を含めて見せてくれた。以降は確認していないが羽織に袴、足袋、手甲、笠、手拭いにも入れたようだ。だが一番に取り掛かろうとした刀がまだ抜けず紋のない刀を持たせて出歩かせたくない信次たちは困り果てた、と。

「そういえば、あの刀……抜いたことないですねぇ」

 重さはしっかりあったので竹光ということはないと思うが。

 信次から刀を受け取る、やはり振れなくはないが重みはある。鯉口を切り鞘から引き抜く。

「抜けましたね」

 朝日を受けて光る刀身。抜いてみて初めて知る、刀の詳細。不壊、自浄、承認。

「どうやら私にしか抜けない刀のようです。承認の魔法が掛かっています」

「使用者を限定する付与が掛けられているのか!」

「なら、誰がやっても抜けないのも無理はございませんね」

 付与というのか。他にも掛けられているが黙っていた方が無難か。だが、不壊があるなら紋を入れるのは無理だ。

「ん……?」

 自分なら出来そうだ。なんとなくそんな気がする。

「信次さん、入れようとした紋はどの辺りに?」

「はい、(はばき)の部分に……」

 刀身を支えるパーツだ。紋を思い浮かべながら、何度か指先で撫でる。きれいに入った。

「うん、こんな感じでどうだろう?」

「………………」

「………………」

 二人が黙り込んでしまった。

「……少し歪んだかな?」

 刻んだばかりの紋を見直す。まあまあ、いけたと思うのだが。

「いえ、見事な、揚羽紋でございます……」

「桐人や、今、なにをした?」

「不壊が掛かっておりますので余人には無理だなぁと。そう伝えてがっかりさせるのは忍びなく、私なら出来そうだなと思ったのでしてみました」

 なんだかこどものような物言いだがそのままに口にした。

「不壊………………」

「そこに、紋を……?」

 困惑気味の二人には悪いが抜いたままでは危ないので刀を鞘へ戻させてもらう。

「撫でただけだったよな……」

「えぇ、指先で、ちょちょいと……」

 まだ戻らないようなので髪を結ってしまおう。

 結わえる為の紐を取りに立ちあがる。ゴムではなさそうだが伸縮性のある素材でしっかり巻いて縛れば一日緩まない、ただの紐で結うなんて出来ないので助かった。

 紐を手に鏡の前に戻り、手早く纏めて紐を巻こうとしたところで鏡越しに二人の視線に気付いた。

「どうかなさいましたか?」

「………………桐人や、悪いが立って、少し歩いてくれないか」

「? ……はい」

 髪を結うのをやめ、重郎の奇妙なオーダー通りにしてみる。

「これでよろしいですか?」

 なんだろう、歩き方がまずかったのだろうか。畳の縁は踏んでいないし、過度に擦らせて音を発てたわけでもない。

「気付いていないのか」

「……申し訳ございません、未熟者故、」

 頭をさげようとしたら違うと言われた。

「お前が歩くと、光の粉が舞うんだ!」

「………………………………………………は?」






 今まではそんなことを指摘されたことはなかった。違うとすれば、髪だ。

「結っていれば、起こらないみたいですね……」

 少し離れたところで信次が唸りながらこちらを眺めている。動く度自分の後ろに金、銀、虹色、様々な光の粒子が靡くように散っているのだとか。結わずに歩き、結って歩き、また結わずに歩き。

「若旦那さまは、生身で揚羽の煌めきを召されるんですねぇ……」

 いつからこうなのかはわからない。鏡に映しても自分には見えない、もし自分で見えるのなら入浴時に気付いていた筈だ。

「それで、身体はなんともないのかい?」

「えぇ、特にはなにも」

 溢れた魔力が可視化したというわけでもなさそうだ。不可思議なことは神の領域かもしれない、ということでスターシアが呼ばれることになった。






「なんと、なんという、これを奇跡といわずしてなにをいいましょうか!」

 せっかく先日の文庫での語らいで打ち解けてくれたと思ったのにまた信仰対象のような状態に戻ってしまった。話にならないので髪は結った。

「お力は変異なさっておいでです。魔力とはまったく異なる質のものに」

 属性無制限ですら特殊だったらしいのに。なにか大きな魔法を使ったり、特別な訓練をしたかと訊かれるが、魔法は先日の物質転移をやってしまったこと以外には髪を乾かした程度だ。

「制御の為に瞑想をしたくらいで訓練だとかは……、あれも魔法になるのかな?」

 一昨日の夜でやめたが、インストールされた知識の流し込みだ。

「桐人さま。桐人さまの魔力量で、それをなさっておられたのですか……」

 スターシアが引き気味だ、そんなにまずいことだったのだろうか。

「体感では三十分もないくらいですけれど」

 次に気付くのは翌朝なので正確な時間はわからない。

「桐人や……それは、魔導師が命懸けでやる修行だ……」

「え?」

 単に魔法が使える者ではなく、魔導師。魔力の扱いに長け、魔法を専門的に研究、行使する職業だ。

「桐人さまの魔力量は、無尽蔵といえるほどのものでした」

「それが魔力切れになるくらい使っちまうって、どんな勢いでお勉強なさったんで」

「こちらの世を知らぬ桐人の焦る気持ちもわかるが、命を削ってまで急がずとも」

「そんなつもりではなかったんですけどね……」

 就寝前なら合理的だと思っていた程度だ。

「ま、まあ、昨日はしておりませんし、それまでも特に苦しいといったことはなく普通に眠って目覚めましたし」

 今後はしないことを約束させられた。

「桐人、お前の望みはなんだって叶えてやりたいが、どうか俺より先に逝くようなことだけはしないでおくれ」

「揚羽屋殿、その点だけはご安心を」

 重郎の懇願に言葉を返したのはスターシアだ。

「桐人さまは既に定命の理から外れていらっしゃいます」

 こちらに来た時、聞いた単語だ。あれは、定命の理に縛られぬ場所、だが。

「桐人さまの魔力はその質を変え神力となりました。桐人さまの存在を言葉にするならば、現人神が一番相応しい。故にお歳を召すこともなくご自身より弱い邪気に煩わされることもなく。健やかなるままに神がそうお望みになるまで、この地にてお過ごしになれます」

 神があの場所に呼ぶまでは、ということらしい。喩え今すぐ呼ばれたところで、百年程度の遅刻は遅刻にならないと。

 とりあえず、こう言った。

「全部、なかったことにしましょうか」


お孫さま、ことなかれ主義というか、わりと他人事。


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