お孫さま、神罰体験
遙かなる麺よ……
「こちらでございます」
昼食もまだだが先に部屋へ通される。旅装束が解けるのは有難いが、交渉にすら至っていないのにいいのだろうか。
妙齢の女性連れで部屋に入るのはどうかと思ったのであの見習いの少年についてきてもらった。
部屋はジュニアスイートといったところか。ベッドと広めのリビングスペース、窓からはトンルゥの街並みと雄大な山の風景が臨める。料理宿と銘打っているだけあって、部屋よりも食事にサービスの重点をおいているのだろう。
「若旦那さまには手狭かと思いますがこちらにてご容赦いただけましたら」
「十分ですよ、ありがとう」
若造の一人旅と考えれば過ぎた部屋だが、先日まで泊まっていたセルジュが居た宿のスイートに慣れてしまうと見劣りするのは致し方ない。
「やっぱりあの通達って届いているのかい? 歳相応の扱いを求めるだろうけれど望むままにはさせるな云々」
今回は実用化されたシャワーを見る目的もあるからしょうがないとして、自分はいつになったら歳相応の旅が出来るのやら。いや、今の時点で無理なのだからもう絶対に無理だ。ここのあとは登山、そのあと野営はするだろうが、サントルに入りスターシアと合流すればもう。
「えっ、あ……はい………………」
気まずげに肯定する、偽ることも出来ないだろうクァシンには少々意地悪な問いだったか。
「物知らずを旅に出してもらったことと引き換えでしょうから、気にしなくていいですよ。店の目が届くところに居る間は食事から買い物から報告するようになっているんでしょう?」
「え、えぇ……ですが、若旦那さまは、このような監視めいたことをお許しに?」
「んー、事情が事情ですしね。この程度は」
「はぁ……」
どこか沈痛な面持ちのクァシンに彼女の優しさが見えた。
「報告書を作ることで私の世話をしてくれた店の者に手当が付くなら気兼ねせずに色々頼めますし、報告書を見ることでおじいさまたちが安心してくださるなら私はそれだけで十分だと思ってます」
「なにもかも報告されていては私生活なんてなくなってしまいます。若旦那さまはそれで平気なのですか?」
「平気というか、おじいさまに隠さなきゃならないようなことなんてしませんし、まったく私生活がないわけじゃありませんよ。それに以前に比べれば遙かに自由にさせてもらっている方……あ、」
これは喋りすぎだ。
「以前に比べれば自由って……」
呆れるというより、引いたというべき表情に笑って返すしかない。
「あはは、まあ、今もね、街の外だとか寝る前だとか、ちゃんとひとりの時間ならありますから。ご心配ありがとう」
少し卑怯だがこう言ってしまえばもうクァシンはなにも言えない。
「! いいえ、差し出口を申しましたっ」
「じゃあ、着替えますんで」
クァシンと少年には部屋を出てもらった。
さて。洋服はまだ届いていないので、羽織でいいか。このあと青藍に乗ることもないだろうからすっかり着替えてしまおう。
バスルームのシャワーを確認する。シャワーブースではなくバスタブの横に付け足されている。ざっと全身を流して手早く髪を乾かして纏めた。
「あ、そうだ」
鏡が設置されている、ずいと近付き見てみるが。
「んー……」
やはり、特に問題はない。シャワーを浴びたら本来は保湿したくなるものだが、その感じはない。かといって脂も感じない。便利といえば便利だが。
もう顔を塗ることはないのかと思うと、ふと寂しくなった。あれも技術のひとつではある。用立ててもらえるなら、たまには塗ってみてもいいかもしれない。
足袋も草履も替え、羽織の紐を結んだところで弱く響いた。
「震度一くらい……?」
あちらの、日本でならもうめずらしくもなくなった程度だがこちらでは違う筈。身嗜みを確認して部屋を出る。
どうやら厨房でなにか起きたみたいだ。小火でもあったのだろうか。覗き込むとまず目に入ったのは掃除途中の塊肉。べろりと部位が剥かれた状態で止まっていてなるほどと思った。こうして分けられるのか。肉の前には誰も居ないので騒動とは無関係だ。更に進むと、あの見習いと思しき少年が居た。声を掛けると、着替えていたことにまず驚かれた。
「お、お召しものがすっかり違っておいでだったので、すみません」
「身繕いする時間くらいはあったからね。それで、なにがあったんだい? なにか響いたのを部屋でも感じたけれど」
「それが、どうやら神罰が下ったようで」
神罰。確か、室内でも容赦無しに降り注ぐ雷ではなかったか。
「誰か悪いことをしたのかい?」
「それが……」
少年は随分と言いにくそうに、厨房の奥の人集りをちらちらと見る。あの中心に神罰を受けた者が居るのだろうか。人集りの中に居たクァシンがこちらに気付き、抜け出してきた。
「大変お騒がせを」
「なにがあったんだろう。神罰が下ったって聞いたけど」
「はい。詳しくは聖職者による判断に委ねますが……」
神罰が発生すると、聖職者が呼び出されるようだ。どういった行いをして神罰が下ったのか、確認や記録をしない筈がないか。
「……んだとぉ! ならお前、あいつの指示でうちに潜り込んでたのか!」
その辺りを訊こうと思ったのだがクァシンの父親らしき怒声につい口を閉じる。クァシンは、小さく頭をさげて人集りの方へ戻った。
「なにか進展があったみたいだね」
「、……」
少年が相槌も打たないので、おや、と思った。気まずげに視線を彷徨わせて。
「もしかして、なにがあったのか知っているのかい?」
「……お客さまがお召し上がりになる予定だった料理に、針を入れたらしく……」
「お客さまって?」
そっと手でこちらを示される。
「私? あー……なるほど」
神罰の理由がわかった。やはり、こうなるのか。しかしまずい、周囲は何故神罰騒ぎになるのか不思議に思う筈だ。
クァシンが戻ってくる。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。不届き者を捕らえました。店には既にひとをやりましたのですぐ参るかと」
それぞれ逆の袖の中へ手を入れる形で腕を組む。
「大事になっちゃったねぇ。しかし失念していました。針の場合も一服というのかわかりませんが、おじいさまの孫と知りつつ盛るひとが居るとは」
クァシンが目を見開き、すぐに少年を睨み付ける。
「いや、私が聞き出したことだから」
「申し訳ございません。実家に対する信頼と極めて私的な事情からご案内しましたばっかりに……」
深々と頭をさげるクァシンに声を掛けようとしたが、人集りの中心からの激しい物音がした。やめろだのうるせぇだの、暴言と怒声の応酬。周囲の物を、手当たり次第に床へはたき落として暴れているようだが。
「神罰の理由がわかんねぇよ! 俺ぁもう終わりだ! だったらせめて、てめぇの娘を道連れに刻んでやらぁ!」
数名が突き飛ばされ、男がこちらへ向かっていた。手には厚みのある牛刀。
「クァシン!」
一瞬の風圧。
「包丁は料理を作る為のもの。ひとに向けるものじゃありませんよ」
「っ……」
男の勢いごと断たれた牛刀の刃が床に落ちた。
やはり打飼袋ではなく、身近に収納しておいてよかった。男の手から、棒きれになってしまった柄が零れる。
刀をくるりと返し鞘へ納める。その小さな音で皆我を取り戻したのか一斉に動き出した。目の前で牛刀が断たれた男は取り押さえられ、牛刀に狙われたクァシンは腰を抜かしたらしくへなへなと床へ座り込んだ。
「クァシン!」
父親が駆け寄り、クァシンを抱き締める。頻りに大丈夫かと声を掛けているが、本人はまだ声も出せないのか、ただ頷いている。
ざわつく中、厨房奥から二名が人集りから抜け出しその場で額突いた。どこかで見た白いローブのような服装に小さく溜め息を吐く。
「………………」
ややこしいことになりそうだ。刀を収納し、厨房へ背を向ける。
「あ、あの、どちらへ」
少年が声を掛けてくる。
「部屋へ戻っています。店から誰か来たら通してください。それと」
額突く二名を一瞥して言葉を続ける。
「そちらもお話がおありならご一緒に」
二名は無言で、一礼するかのような仕草のあと立ちあがった。姿勢は低めのまま静々とついてくる。少年が呼んだのかコックコートではないスタッフが慌てて先を行きドアを開けてくれる。
自分は中へ進むが、二名は部屋に入ってすぐの位置で再び額突いた。状況が飲み込めないだろうスタッフに悪いので、さがってもらうよう言った。
「教会の方ですか」
二名は沈黙を保つ。
「……えぇと、もしかして私が直答を許さないと話せなかったりしますか?」
二名はそのまま動かない。当たりのようだ。
「許します」
「有難き幸せ。されど、誠に御無礼ながらこれ以上は、」
自分から見て右側の者が僅かに頭の位置をあげて答えた。彼の方が上役らしい。
「あんまり近いと色々あるみたいですし、お二人ともその位置でどうぞ」
右側の者も一度また深々と頭をさげてから、二名同時に頭をあげた。
「当地トンルゥの教会にて神司の職を得ております者にございます。名をお聞かせするほどの神格には達しておりませぬもので、お捨て置きくださいませ」
「同じく」
「世話を掛けます」
右側の者が発言し、左側の者が続くようだ。
「あの者は指先程度の短い針を数本食事へと仕込み、御身を傷付けようと画策」
「針を持ったまでは無実、忍ばせた時点で御身への害意が確定しました」
位や神格による上下関係が厳格なのか、はたまた相手が自分だからか。
「今まで暢気に過ごしてきたものだから気にしたこともなかったけれど、まさか、直接襲われるのではなくこういう危険があるとはね。勉強になりました」
聞こえていた内容ではどこかからの差し金だった様子。さて、どこまで累が及ぶのか。
「当地にてかようなことが起きたこと誠に遺憾」
「忸怩たる思いにて、如何なるお咎めをも」
「待って待って」
また深々と頭をさげられて思わず止める。
「神罰はもう済んだのでしょう? 私があなたがたを咎める筋にはありません」
「ございます」
「ないですよ。私が求めるのは、きちんとした捜査と法や倫理に則った処罰です。食に関わる仕事をしていながら料理に針を仕込もうとした理由、依頼元があるようでしたからその事情。追加で、トンルゥの揚羽屋番頭クァシンへの襲撃」
あちらでいえば偽計業務妨害か。個人間でのことなら傷害一歩手前になるのかもしれないが法律は学んでいないのでその辺りは正直よくわからない。
「御心のままに。当地の警察機構へ連絡し、衛兵と合わせて捜査にあたらせます」
「そうしてくださいな」
警察機構と衛兵はまた別のようだ。あちらでも国や地域によって執行機関は色々あった。また今度誰かに訊いてみよう。
「では我らへの御沙汰を、何卒」
彼らは神司、つまり花生まれではない聖職者だ。
「………………見なかったことにさせてくれないかなぁ」
「見なかったことに、でございますか……?」
「私がよくそうしてもらいますからね。それに、そろそろ限界じゃあないかい?」
右側の肩がぴくりと動く。
「、……お気付きでございましたか」
「そっちのひと、もうぴくりとも動かないし」
左側はもう気を失っているのだろう。本当にはた迷惑な身だ。
「なればこそ、私めが」
右側もギリギリ、声に若干震えも入っている。
「誰かひとを遣って、迎えを呼んでもらいますね」
「………………………………………………………………」
「あ、聞こえてないか」
そのあと。クァシンが父親を連れて部屋へやってきたので、聖職者二名のことは頼んだ。
「若旦那さま。神司殿は、いったい……」
「ちょっとね……」
央京を出た時よりもはた迷惑度が増しているお孫さまです。