お孫さま、金銭感覚が身につかない
麺、遠し……
「今お客さまを入れていないのは遊ばせる為じゃないんだよ!」
現在満天楼は宿泊客は入れずランチとディナーの予約のみに対応しているとか。料理勝負が無事終わるまではその態勢だそうだ。今はちょうどランチ前、本来なら仕込みに忙しい時間帯とのこと。
隅に居た、比較的若い厨房見習いのような少年から聞き出した。
「あ、あの……よろしければ、お預かりしましょうか?」
少年が両手を差し出す。笠のことか。
「あぁ、ありがとう。大丈夫」
片付けてしまうと僅かに口を開いて目を大きくしていた。
「揃いも揃って大騒ぎして!」
ぎろりと周囲を睨み付けるクァシン、背筋をピンと伸ばすスタッフたち。
「ひっ……ですが、お嬢、」
「ご滞在いただけたらそれだけでうちにとっちゃ栄誉だって話もした筈!」
なるほど、クァシンは根っからの商人ではない、わかりやすさも納得だ。
「ひぃぃっ! すいやせんでした!」
クァシンに直角の姿勢で謝るスタッフたち、対してクァシンは自分に膝をついて謝ってきた。
「連中はのちほど締めておきます。何卒、何卒ご容赦を」
そんなクァシンに、またスタッフたちは狼狽えて。
「えーと……とりあえず、少し落ち着きましょう」
包丁男が予想通り、クァシンの父親だった。
「はぁ? お前、あそこはまだ改修したばっかりの、」
「だからこそお泊まりいただく意味があんの!」
ルフの足の交渉はまだだから泊まると決めたわけではないが、クァシンが支度を指示した部屋に父親が納得していないようだ。
「宿泊の方をお休みする機会にと、何室か改修しまして」
やはり見習いの少年から事情を聞く。
「最近発売されました、シャワーなるものを備えました」
「へぇ、早いね」
もう実用化されたとは。番頭の実家とはいえ系列の宿ではないのだからお試しに設置したわけではなくしっかり商品化されてのことだろう。セルジュが居た宿にもそろそろ話が通った頃だろうか。
「お嬢が、これは絶対流行るって渋る料理長を蹴りあ……説得して入れたんです」
蹴り上げたらしい。
自分が零した言葉を、新製品をいち早く導入したことに対するものだと、少年は勘違いしているのだろうがいちいち訂正するまでもない。
「中でも今回お嬢がお申し付けになった部屋は、いっとう高いお部屋で……」
「いくらお前のツテの客でもビタイチ値引かねぇぞ!」
少年の言葉を掻き消す声に苦笑する。
「一応訊いておくけれど、普段は客の前であんな遣り取りはなさらないよね?」
「も、勿論でございます!」
少年が両手を振って返事をするのと同時に、やっと状況に気付いてくれたのか。クァシンとその父親の口論が止まった。
「あっ! すまねぇ!」
「申し訳ございません!」
「悪かった、放っておいて。だがクァシンの紹介があっても改修したばっかりで、値引きはさすがに」
気まずげに言う父親に、元来のひとのよさを感じる。娘が連れてきたのに融通を利かせることが出来ない不甲斐なさを詫びているようだ。
宿でいえばロビーの役割だろう、籐で編まれた椅子に落ち着き話をする。
「一泊おいくらですか?」
「朝夕付きで金七枚、昼も付けるなら追加をもらう」
貨幣の単位が統一されているのは本当に便利だ。それに七万円相当と考えたら、あちらでもそこそこの高級旅館なら相場ではないだろうか。
「よかった、ちょうど細かいのがあるから大丈夫です」
「は?」
父親のきょとんとした顔に、失敗したことに気付く。
「間違えた。金一枚は細かくないって言われたんだった」
「銭勘定を白でするって本当だったんだ………………」
クァシンの呟きが居たたまれない。シャンにまで知らされているのか。
「まあ、そのくらいの出費は平気です。ご不安でしたら口座からでかまいませんしその辺りはクァシンさんに任せます」
零した呟きは無意識だったのか、慌ててクァシンが頭をさげる。
父親の方は怪訝そうに眉間に皺を寄せ首を傾げていた。
「まあいいや。ともかくさっきは勘違いして悪かったな、娘がいい感じの歳の男を連れてきたもんだから、つい」
「いえ」
「それはそうとして、うちの娘、どうだ?」
身を乗り出した父親、逆にこちらは少し仰け反って距離を保つ。
「どうだと言われましても」
「大事なお客さまに戯れ言聞かせないで」
クァシンを見遣るとこめかみがひくついていた。
「器量は俺の嫁に似た、性格はちぃっと俺寄りだが」
「いえ、ですから。私は旅をしておりますし、」
「黙れって言ってんの!」
クァシンは今にも足を振り上げそうだ。そこに駆け込んでくる足音。
「ううううう厩! 厩にすごいのが! どこのお大尽がいらしてるんです!?」
興奮している男は近くに居るスタッフに訊いているが誰も返事をしない。
「青のグランドエクウスなら私の馬ですが」
「ひぇええ! 失礼しました!」
客が居ると思っていなかったか、青い顔でどこかへ走り去ってしまった。
「へぇ、お客さん、そんなご大層な馬に乗ってんのかい。こりゃ是が非でもうちの娘を引き受けてもらいたいもんだ」
ここまでくればはっきり言うしかないだろう。
「クァシンさんは大変お美しいお嬢さんですが私にはこの先、同行を約束している方がいらっしゃいますので頷くことは出来ません」
意外にもここで驚いたのはクァシンだった。
「そのようなお話は伺っておりませんが……」
「身分のある方だからね、まだ今のお立場を退けていないんだ。その日の数日前に公表するって信次さんから聞いているよ。まだあまり大っぴらに言わない方がいいだろうし」
クァシンは納得してくれたが、納得しなかったのは父親だ。突然出てきた人名が気になったようだ。
「しんじってのは誰だ?」
クァシンに訊いている。
「大番頭さまのこと」
「トンルゥの揚羽屋で番頭してんのはお前だろ」
「大番頭、大が付くの。央京の本店の、大番頭さま!」
「どう違うんだ?」
「本店を他の店と一緒にしちゃだめ。私なんて、本店では手代より下になるんだ。軽々しく大番頭さまのお名前をお呼びすることすら失礼にあたるのに」
「えっ? そうなのかい?」
驚いたのはこちらだ。
「もう、そういうことはちゃんと教えてくれたらいいのに」
「だよな、今お客さん、名前で呼んだよな?」
父親の表情も疑問でいっぱいだ。
「そりゃ、この方ならどうお呼びでも不思議はないから」
「おじいさまも信次さんもひとが悪いよ。でも今更呼び方を変えたりしたら、絶対騒ぐだろうねぇ」
「お客さん、いったい……?」
一応、クァシンを見遣る。ここは訊いておかねば。
「不用意に名を告げるなと言われているけれどこの場合はいいのかな?」
「はい」
クァシンは姿勢を正し頭をさげてから、父親に向き直った。
「こちらの方は大旦那さまのお孫さま。揚羽屋の若旦那さまにございます」
「は………………?」
「ルフの討伐者であり、料理勝負運営担当の満天楼の主に対して、ルフの足の売却交渉に応じてくださる方です」