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お孫さま、信の字ではない信

 クァシンに案内されたのは、プレリアともヤマトとも違う建築様式の店だった。変わらないのは揚羽紋。青藍は店の前に繋いだ。小僧が見張りに立つ。トンルゥの店には厩はなく、来客用のスペースを確保してあるだけだった。

「戻りました」

 クァシンがそう声を出すまでもなく、一歩入った時点で店中に緊張が走ったのがわかる。そう畏まられるような立場ではないのだが重郎の威光ではしょうがない。すぐに店主が出てきた。

「ようこそお越しくださいました、トンルゥの店を預かります信世にございます」

 クァシンよりやや年嵩の、眦に小皺ではなく何らかの鱗めいた輪郭がうっすらと浮かぶ女だ。口許は柔和な笑みを浮かべつつその目は鋭い。

「信の文字が名に入っておりますが元からでございまして、信の一門とは無関係でございます」

「ご丁寧に。桐人です」

 軽く会釈だけ、それ以上は店主相手とはいえ気まずかろう。しかし、信の一門、初めて聞いた。

「手前どもの見習いの件、御礼とお詫びを、申し上げます」

「あの子は大丈夫だったかな?」

「はい。手代によれば腹に資料を抱え丸くなっていたので怪我自体はそこまでは」

 だがまだ幼く、襲撃された恐怖はすぐには消えそうにないので数日は手代の家で休ませるとか。親元へ帰してもいいがそれだと辞めさせられるのではと、また別の不安を生じさせそうな為、身内に来られそうな者が居れば呼んでやって手代の家でゆっくり養生させるとのことだ。



 中へ促され、札の登録と地図の更新を済ませる。

「へぇ、クァシンさんは可馨さんと書くんだね。じゃあユーチェンさんは……」

「ヤマトの言葉で宇宙の宇に、竜を意味する辰で宇辰でございます」

 クァシンはわかりやすい単語を例にしてくれた。壮大な名前だった。

「商人で名前に信があると、やはり誤解されるものなんですか?」

 信世はまさかと笑って首を振った。

「若旦那さまは大番頭の次にプレリアトの手代にお会いになった、名に信があれば信の一門で当然とお思いでしょう。されど信の一門とは、商いを生業とする者からすれば、まさに憧れの存在。超が付くエリートでございます」

「誰に師事したとか、よくあるのかと」

「それは勿論、よくあることでございますよ。大抵の者は誰ぞから教えを乞うたり表立って弟子にならずとも参考にしたり。ですが信は違います。あれは、正しく、選りすぐりの精鋭でございます」

 その筆頭が信次だそうだ。それだけの師匠だからこそ弟子も名を変えるに至るのだろう。必然的にそんな師匠と組んでいた重郎のことも改めて、推し量れる。

「そのプレリアトの手代の話では若旦那さまは食にご興味をお持ちとか」

「えぇ。気儘に作って食べるのが好きで、勿論作らずに食べるのも好きです」

 この様子ならプレリポトの朝市で食べ歩きをしたのも知られているだろう。

「少しプレリアトでのんびりしてしまったのでそう日程に余裕はないんですがね、プレリポトのアルフさんからシャンでは動物の骨で出汁を取る麺があるとか。それだけはいただいてから山へ向かいたいです」

 鶏ガラだろうか、豚骨だろうか、それとも。

 信世は笑顔で頷いて、クァシンを見遣る。クァシンは一度信世に頭を下げてからこちらへ向き直った。

「麺は私の家でお召し上がりいただけます。実は先に申し上げた個人的なお願いの件でございますが」

 ここでそう口に出すということは、内容は予め信世の許可を得ている筈。どんな頼みかと一瞬構えたが、次の瞬間拍子抜けした。

「若旦那さまがお持ちのルフ素材、私の家に買わせていただきたく」






 話を整理すると。

 クァシンの家はトンルゥでも一、二を争う料理宿で、主は父親。料理人でもある父親は年一回行われるトンルゥの料理勝負にて、十年連続優勝を果たし殿堂入りとなった。殿堂入りした者は運営側へ回るのが決まり。今年の開催は近付くものの、納得のいく食材が見つからず困っていたそうだ。

 そこへ入ったルフ出現の報。まずはトンルゥの街に意見をあげ、国へあげ、隣国プレリアにお伺いを立てる算段をしていたが、先日討伐されてしまった。しかも、冒険者や騎士団による討伐ではない為ギルドでは買い取れず討伐した個人が素材をまるまる収めたと。

 冒険者や騎士団が仕留めたのならまだ交渉のしようもあるが個人相手では厳しくなる。まず窓口がない。その個人とツテがない限り交渉すら出来ない。灰まだらの時と同じく、討伐者は匿名とされている。妨害された件もあり実際現地に行った者以外にも数名知ることになったが口止めはされている。諦めるしかないのかと落胆したところで、思わぬ方向から討伐者を知る。プレリアトからの報告書だ。

「若旦那さまが次の目的地としてこのトンルゥにいらっしゃる、ルフ素材をたんとお持ちだと……」

 内部情報の漏洩になる為、父親には黙ってクァシンは交渉を希望した。

「ルフの足はここ数十年、手に入らなかった幻の食材でございます。どうかお売りいただけましたら」

 重ねて、頭を下げられる。

「プレリアトで買取に出さなかったのはただあちらでの資金繰りや流通事情によるもので、買い取っていただけるものがあるならお売りしますよ。ただ供養の意味も込めて私も少しは口にしたいのでその分の肉と、卵はお譲り出来ません」

 生食可能な卵、一個信次に渡したので残りは九個。次はいつ手に入るか不確かな以上、理由もなく売るつもりはない。

「それはもう、若旦那さまがお許しくださる範囲で」

 だがクァシンの父親の料理宿は揚羽屋の系列ですらないし、そもそも買取を希望しているのは宿ではなく、料理勝負を運営する団体だ。

 宿で買い取れるような額ではない、店で買い取って運営団体へ卸すにはある程度儲けを出さなければクァシンの職権濫用だ。この声掛けすらそういわれたら否定は出来ないだろう危険な行為の筈。

 長々と説明されるが要は自分と運営団体の直接交渉という形にしたいと読めた。

「話を遮ってしまうけれど、手続きに関する諸々をお任せできるのなら私はかまいません」

「え……?」

 クァシンはぽかんと、口を開けて驚いていた。そんな突拍子もないことを言ったつもりはないのだが。

「相場も知りませんし、信世さんがいいって仰ってるんなら私からは別に」

「それは、クァシンが都合のいいようにしてしまうとお疑いには……」

 信世の懸念は尤もだが。

「だったら私のことを知った時点で父親に話しているでしょう?」

「それは……」

 元々店には売る筈だった。店に売ったあとクァシンが即座に買うことも出来た。店を介さず取引する、そこに生じる損失を店主の信世が認めている。

「更にずるい言い方をしますとね、そういうおひとがおじいさまの店に番頭として居るとは思っておりません」

 クァシンは無言で頭を下げていた。信世は小さく溜め息を吐き、頷いていた。

「まあ、信吉さんの報告書通りのおひとですこと。蛇の睨みをものともしない」

「蛇の睨み?」

 信世は種族の特徴として蛇の力を持っているそうだ。

「龍のひととはまた事情が違うのかな?」

「違います。龍は別格でございます。他と血が混ざり合うこともなく、しかしそれ故に多種多様な龍が存在しております」

「へぇ」

 龍の種類についてはセルジュに訊く方が実情に即した話が聞けそうだ。

「若旦那さまは、隠れ里にお暮らしで世情に疎いと伺っておりますが」

 そうだ、ここでは自分がどういう者か知られていない。

 物知らずの孫だ。

「えぇ。央京やプレリアで色々知ったばかりです」

「では何故、龍のことを?」

「プレリアトでお会いして」

「なるほど……でしたらまずは、種族の説明をさせていただきましょう」



 あちらと似てはいるが、こちらで大きく違うのが主要エネルギーである魔力と、その影響により差が生じている進化や発展。種の繁栄は人類ひとり勝ちではない。ここまでは、インストール知識でわかっている。

「獣が魔物ではなくヒトに近い存在に進化した者を祖先とする種族、あまり纏めて呼ばれることを好みませんが、生物学の分類上、我らは獣人とされます」

 魔素を取り込み、しかし魔物には至らず何らかの要因で人型を取ることを覚えた獣。それが獣人の始まりだそうだ。考えてみればヒトだってある意味そうだ。だがヒトの場合、元々の形がヒトに近かったこととどの種族より先に進化した、という見方が学者の中では定説だそうだ。この辺りは、インストール知識に頼れば正解がわかるのだろうが自分に必要なのは事実や真実ではなく、通説だ。こちらでの一般常識。

「獣人は、特性は残しつつも全身そっくり、そのものに姿形を変えることはございません。ですが龍人は龍にもなれますしヒトにもなれます。あれは別の存在なのでございますよ」

 龍はそもそもが獣に分類されないとか。だからただ龍とだけ呼ぶ者も居るのか。考えてみればわりと、しっくりとくる。あちらでの龍とは、大きな蜥蜴をそうした名称で呼ぶことはあっても本当にドラゴンだとは思っていない。空想上の、強力な生き物だ。だがこちらでは龍は実在するし、最初から龍だ。進化の過程を辿って、形成された存在ではなく生まれた時から龍は龍。故に、別格。

「店主が獣人と知って、どう思われました?」

 信世は挑発的な言い方で訊いてきた。

「どうって?」

「なにか、思うところは」

「うーん………………?」

 ふと、思い出したことがある。トンルゥとシィルゥの店に立ち寄る予定に信次は妙な顔をしていた。店の主は双子の姉妹で個人的には関わりたくないとまで。だが忘れてくれと言われたのだから忘れたままでいよう。

 信世は小さく溜め息を吐いた。これは、呆れさせたか。

「プレリアトからの報告書はどこまでも正しいようだよ、クァシン」

「はい……よもや、ここまでの御方とは」

 目を丸くしているクァシンに確信する。

「どうやら私は試されていたみたいですね?」

 二人から誠実な謝罪を受けた。






「獣を祖先とする獣人は種族としては一番下等だと見下す者も少なくなく」

 信世の言葉に個が入り交じればどこも変わらないのだなと改めて感じた。

「若旦那さまは龍と獣人を同等に仰いました」

「悪いけれど、私にはその差がわからないからの物言いなんだけどね。ヒトも龍も獣人も結局は同じじゃないか。文化と教養と理性の下、生活を営んでいる。そりゃ聖職者、花生まれの方は事情がちょっと違うんだろうが、他は大して変わらない」

 わからない、本当に傲慢だ。だが、本当にわからない以上、自分はこの傲慢さを貫き通すしかない。

「進化したばかりならともかく遙か昔のことに。先に知性を持ったから種族として上だと考えるのは突き詰めていけば先に生命体として発生した者が一番偉いことになる。さて、一番先に発生した生命体って、何だろうね」

 極論というか屁理屈だ。だがここまで吹っ切ってしまわなければ、物知らずでは通せない。

「意思疎通が出来てある程度共通する文化圏に属していて上だの下だの、まったく理解出来ない」

 信世は何の含みもなくにっこり笑って何度も頷いた。


次回、やっと麺にありつける……かな?

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