お孫さま、シノワズリ
今日のながら調理はマグロのソテーの付け合わせで色々と野菜を刻むから余分に刻んで、アサリの出汁とミルクで煮込む。クラムチャウダーっぽいスープを目指す。さすがに主役であるアサリ本体がないのは寂しいので数粒追加するつもりだ。
まずは野菜を選ぶ。玉ねぎ、ニンジン、付け合わせの方にはセロリと茄子も。
「セロリがあるんなら今度ミネストローネもいいなぁ」
生で囓るのは香りが強すぎてあまり好きではない。筋も強いし。
スープの方にはジャガイモ、コク出しの為にベーコンも同じくらいの大きさで。小さめのダッチオーブンでまずベーコンを炒め、スープ用の野菜も入れる。程良く炒まったところで出汁を投入、小さめの器にあくを取りつつ煮ていく。同時に付け合わせ用の野菜を仕上げる。彩り的に地味だ、もう少しカラフルな野菜を使ってもよかったかと思ったが食べるのは自分一人、どうでもいいかと諦める。
マリネしていたマグロの切り身、やはり魔法で軽く水気を飛ばす。こういう時、あちらで使っていた便利な紙類やラップ類、袋類が欲しくなるが迂闊に言葉にしてしまうと天幕内に転がっていそうなので口を噤む。
軽く塩を振り、焼いていく。横から見て半分くらい、色が変わったら一度返す。マグロはすぐに火が入る、あまり焼きすぎるとパサパサになるだけだ。表裏と側面四方きっちり焼き目を付けて皿へ。皿に移してもまだ余熱で中に火は入る。野菜を添えて、西洋山葵も。これはオイルと合わせ、醤油で味を調えたものだ。刺身ではなくともマグロが相手だから爽やかな香りはアクセントになる筈。
「ん。美味しい」
あく取りはもういいだろう、ミルクとアサリを投入。明日以降の為に、米も炊き始める。天幕を展開してすぐ研いで水を吸わせていたからいい頃合いの筈だ。
「あー……うん、合うな。美味しい」
味見がてらにまだ味が落ち着いていないだろうが少しだけクラムチャウダーを。バゲットととても合う。口の中をまろやかに、再びマグロのソテー。辛みは飛んで香りだけが抜ける西洋山葵、マグロの旨味とマリネしたニンニクやハーブの風味。
「彩りは地味だけど美味しい夕食だ」
明日の朝は、白ご飯とマグロの角煮だ。青藍と約束しているから少し早起きして出なければ。
『あー、たぶん、トンルゥの手代の、ユーチェンさんですね』
一応信吉に連絡を入れておいた。
服装でも思ったが、名の響きからもやはり予想通りでいいようだ。シャンの国を建てたか発展させた者が出身だったのだろう。央京が江戸風の街並みなのは重郎が当時あちらで見ていた娯楽作品の多くが、その時代を舞台とした勧善懲悪物だったからだろう。城で連想するのがあの城、威厳や美しさは当然として保存具合や撮影環境、色々な事情の兼ね合いでよく江戸城として映像作品には登場していた。だがこちらの世界で完全にあちらを再現するのは無理があろう、今日立ち寄った集落も確かにそうした雰囲気はあるがそこはかとなく洋風の気配もあった。シノワズリ、界を隔てたからこそぴったりの単語かもしれない。
『トンルゥ近くの集落に妹が嫁入りしていて、出張の帰りには立ち寄るようにして妹夫婦の援助をしてるって聞いてます』
あの集落は、トンルゥまでは辿り着けないが野営するのは不安がある、といった旅人がよく立ち寄るそうだ。だから乗合馬車も一度あそこで停車し、トンルゥまで運んでくれる。
ユーチェンの妹夫婦は野営に不慣れな旅人向けに、集落で唯一の宿を営んでいるそうだ。夫婦と夫の両親で切り盛りする小さな宿だが相部屋タイプではなく個室で提供している為、夫婦や親子連れが多いとか。相部屋ではない分、客数は稼げないので経営自体はギリギリらしい。自衛手段に不安がある妻や子を連れている時には有難い宿だろう。
『なるべく手前もトンルゥへ行く時には寄って顔出してるんで。あそこ揚げ饅頭が美味いんですよ。亭主の曾祖母がお土産的に始めて』
プレリアトに居た頃から思っていたが、信吉はかなり甘党のようだ。
『おや、それは勿体ないことをした。注目されちゃったから集落には入らずに出てしまったよ』
『揚げ饅頭ならユーチェンさんが店に戻る時にたぁんと手土産に持って帰ってると思いますよ』
店の女性陣は美味しいけれど腹周りの大敵、と悩まされているそうな。そんな、かなり私的なぼやきまで信吉は把握しているのか。生き物に強くて、商人にしては少し善良すぎやしないかと思っていたが、信次の弟弟子だけはあるのだろう。情報収集は怠っていないし、生き物に強いから役畜を扱う者からの信頼も厚い。酪農家たちが信吉に色々相談していた点だけでも窺える。
『若旦那、すぐにトンルゥをお出にならないでしょう?』
『山登りについて話を聞きたいし、シャンの麺を食べてみたいかな』
『ならその間にユーチェンさんも戻りますよ』
お土産を期待して、なんてのはさすがにどうかと思うのでその辺りはあまり気にせずに居よう。
『ところで、サイラスさんが調査していた花畑の件、ご報告が纏まりました』
結論からいくと、生態系への悪影響はないそうだ。
『小動物も、旅人も、あの花畑で救われるでしょう』
ただ、どのくらいの期間存在しているのかわからないので定期的に観察を続けてくれるそうだ。
『悪く作用していないか、のちの報告もお願いしますね』
そのあと青藍のブラッシングを丹念にして、この日は就寝した。
「あー、美味しい」
マグロの角煮は上出来だった。ほかほか白飯の上に乗せる、生臭みも残らず味はしっかり入っていて旨味も奥から十分出てくる。白飯との相性は抜群、約束された勝利というやつだ。
昨夜野菜を刻んだ時の端くれは、おやつの葉の若木が抱え込む植木鉢に入れた。周辺で拾った落ち葉なんかも一緒に入れておいたが、翌朝すっかり分解されて土のようなサラサラしたものになっていた。このスピードはおかしいのだろうが、まあ考えるだけ無駄なのだろう。ともあれこれで植木鉢をコンポスターとして使えるとわかった。
まだ早い内に天幕を片付けて出発する。今日は午前中にトンルゥへ着くだろう、昼食は準備しなかった。
「待たせたね、行こうか青藍」
青藍は嬉しいのか軽く足踏みするように小さな円を描いていた。
トンルゥの検問所に着いたのは開門から少し経ってからだ。時計を買って本当によかった。時間に縛られない生活とはいえ、自分以外の他にその理屈は通らない。ふらりと訪ねて門を開けろと言うつもりはないし、避けられるなら混雑も避けたいものだ。
「ヨウコソ、とんるぅへ」
衛兵は微妙に上擦った声で通してくれた。
「おはようございます」
通ってすぐ、一人の女に恭しく頭を下げられた。
「青毛のグランドエクウス、ルフ素材の馬鎧、若旦那さまとお見受けいたします。トンルゥの揚羽屋にて番頭の位置におりますクァシンでございます」
艶やかな黒髪をきっちり後ろへ纏めつつ、鮮やかな花を髪留めに飾っている。
「おはよう」
「手代ユーチェンより報せがありお待ちしておりました。ようこそお越しくださいました」
「桐人です。泊まり込まずにとお願いしておりましたが……」
「私はこの街の出身でございますれば、開門の頃合いにこちらまで出向くくらいは容易うございます」
これ以上は言ってやらないのも情だろう。
「実は若旦那さまへ個人的にお願いしたいことがございまして余人とお会いになる前にと、急いたのもございます」
「私にですか」
「はい。詳細は、店の方で」
初対面の、妙齢の女からの個人的な頼み。厄介なことでなければいいのだが。
タグに「ご都合主義」といれるべきか迷いますが…どこからが
ご都合主義となるのかよくわからず…