お孫さま、廃墟神殿を浄化す
島国での生活が長いと、陸続きにある国境がどんなものかわかりづらい。だから自国以外を示す単語が海外なのだ。海に隔てられた土地ならではの呼び方だろう。
国境検問所は街の検問所と仕組みはほぼ同じだが、厳重さが違っていた。衛兵の数も多く装備も充実している。自分は一度、ヤマトからプレリアへと国を跨いだがあの時は広域特別神司一行の連れのようなものでかなりあっさり通れた。
午前の早い内に到着したが既にかなりの列だった。手荷物だけの徒歩、たくさん荷物を載せた荷車、複数人が乗る馬車。効率の悪いことに、全部同じ列だ。空いている門もあるがそれは王侯貴族や聖職者専用だ。豪華な馬車がちらほらとそちらを通っていく。
列が出来れば、物売りなんかが集ってくるのはわりと自然な流れだ。並んでいるから動けない、動けなければ売りつけやすい。飲み物食べ物に加えて地図もある。そして彼らは見込みがなさそうな場合すぐ諦めてくれる。縋ってねだってしているくらいなら次の客を捜した方が効率がいいからだ。なので、何を売りつけに来ても馬上のまま無視していればあっさり去った。地図はどうやら普通の紙製で、自分がもらった地図とは違って更新されないようだ。いつ頃作った新版だと売っていた。
小一時間ほど待っただろうか、順番だ。
「へっ!?」
揚羽札を、正しくは紋の色に悲鳴をあげられるのはだんだん慣れてきた。特別な問答はなくすんなり通してもらえた。
妙な気配はプレリアの次にシャンの検問所を抜けた時に拾った。
「道からはちょっと外れちまうが、一見の価値ありなんだよ!」
シャンから出国する側の列で周囲に話し掛けている男。連れというわけではなく無差別に声を掛けているようだ。
「今はもうない宗教の古い神殿なんだ、見る奴が見れば遺跡にも等しいんじゃねぇかな! シャンを出る前に一度覗いてみなよ!」
随分な大声で、通り過ぎる旅人たちもちらりと振り返るくらいだ。青藍の歩みを止めずそのまま行った。ああいう手合いは信用出来ない。土地勘のない者を人気のないところへ誘き寄せるのが目的の可能性がある。物知らずではあるが、さすがにそれくらいはわかる。
街道をのんびり行く、徐々にプレリアの穏やかな緑から色合いが変わっていく。草は短く、ところどころ岩が覗き出す。さほどの距離ではないと思うが、こうまで気候が変わるのかと不思議に思った。考えてみれば森と草原のプレリアの横には、砂漠の国がある。インストールされた知識で理解していた時にはただありのままにそういうものだと認識していたが、考えてみれば不思議だ。
街道を少し離れ岩に腰掛け昼食がてら信吉に訊いてみた。周囲には誰も居ないが不意に旅人が通り掛かって独り言を呟いていると不審がられるのも面倒なので声は出さずに。
『手前も学者じゃねぇんで詳しくはございませんが、各土地の気候は魔素の影響によるものです。デゼクは火と属性を帯びた魔素が定着しやすくそこに風が混じり、砂漠が広がっている感じですかね。プレリアは風と水、地、それぞれのバランスが取れているとか』
星の巡りや太陽に関しては、季節に影響していそうだ。だが、これ以上は知ったところでなるほどと納得する程度だ、疑問に思っても答を求めないでいよう。自分だって地球の気候を訊かれて正しく説明することなんて出来ない。銀河系、地軸の傾き、自転と公転、海と陸の成り立ち、大気の流れ、季節の巡りと消費することで発展した経済や文明による弊害等々。一般常識の範疇としてぼんやりと知っているだけに過ぎない。
『では、現在地はシャンへ入国なさったところでございますね』
『だいたいそんなところかな、国境の検問所からはいくらかは進んでいるけれど』
現在地を報告して、念話を終えた。さて行くか、と思った時。
「ん?」
一定の距離は保っているが気配があった。じっと見つめてくる視線。
岩影に痩せ衰えた狼が居た。いや、狼っぽい魔物か。自分が知る狼より痩せてはいてもずっと大きい。不思議と攻撃性は感じない。
「……どうしたんだい? お前」
声を掛けると狼はくるりと背を向け歩き出し、すぐに振り返る。ついてこい、と言っているようだ。
青藍に、距離を保たせて狼のあとを行かせる。岩を越えて、狼が案内する先には朽ちてはいるが明らかに人工的に拓かれたのだとわかる道があった。狼はその道を行く。石や板で舗装されているがあちこち割れたり欠けたりして草が生えている。道が続く先には小高い丘、石造りの建物があった。国境を越えて見掛けた、怪しい風体の男を思い出す。
街道から外れた、古びた神殿。目の錯覚と誤魔化すには少々無理がある程度にはおかしな靄が掛かっている。おどろおどろしく、禍々しく、見ているだけで気分が滅入りそうな、胸になにか重く詰まってくる。
だが狼はその神殿の方へは行かず、道を逸れて奥の洞穴へ入っていく。どうやら目的地らしい。
青藍を道の脇で止め、自分の足で穴の方へ向かった。
洞穴の中は緩く下っていて、あちこちにひとの手が入っているのがわかる。魔力切れか、もともと魔力ではなく油だったのか、長く放置されていそうな照明器具が壁に点々と据え付けられている。横穴があるが狼は迷うことなく進んでいく。
「坑道だったのかな……」
確か、坑木といったか、壁と天井に沿って柱と梁がある。途中で、外からの光が届かなくなった。狼は鼻で進めるのだろうがこれでは足元が不安だ。
光が欲しい。思ったら、周囲が明るくなった。
「んー……魔法、なのかねぇ」
光源の位置は頭の斜め上、眩しくて凝視は出来ないが形はなさそうだ。ただただ光の塊。とりあえずこれで進める、
奥へ行くと狼はひとつの横穴の前で座っていた。
「ここかい?」
狼は牙を剥くこともなく、疲れたといわんばかりに伏せてしまった。途端、狼の周りを黒い靄が包む。どうやら靄に抗ってあの岩陰まで来たようだ。
横穴へ入る。最初に見えたのはブーツの裏。
「え」
ずんぐりむっくりした体型の男が、壁に凭り掛かるようにして横たわっていた。眩しかったのか、瞼が動く。よかった、生きている。足を見た時は心臓がひやりとしたものを感じた。
「う……あ? なんだ? 灯り?」
声はかなり嗄れていたが意識もある。
「街道沿いで狼が、まるで助けを求めるような風情に見えたもので」
「あ……助け? まさか、あ、お前」
気付くと狼は男の傍らに来ていた。
「お怪我ですか? ご病気ですか? ひとまずここから出ましょう」
肩を貸して出よう、そう思って手を差し伸べたのだが。
「いや、それが、出来ねぇんだ」
男は首を横に振った。その身体には、黒い靄が纏わり付いていた。
もう二カ月は居るらしい。種族的に長命種なのでヒトよりは生命力があり、岩を伝う僅かな雫で辛うじてどうにか繋いできたと。
「なら固形物は危険ですね……液体は飲めそうですか?」
「あぁ……舐める程度なら。だが、出来りゃ水以外が欲しい」
岩からの雫で生き長らえてきたのなら味が欲しいのかもしれない。だがお茶やら珈琲はだめだ。
周囲には男の旅荷物が散乱していた、そこから木製のコップを見つける。魔法で水を出して濯ぎ、魔物牛のミルクを注いで渡してみた。
「どうぞ、無理はせずに飲めそうなだけ飲んでください」
「こりゃ……すまねぇ、もらう、出来れば、こいつにも」
狼にもか。皿を見つけて同様に濯いでからミルクを与えた。狼はぴしゃぴしゃと舐め始めた。
「随分上等な乳だな、ありがとよ。これでもう少し保ちそうだ」
男はドワーフという種族だそうだ。
「ここは、元は鉱山でな。思うように採れなくなって閉じたんだがまだ少しなら、掘れるんだ」
大々的に採掘するにはマイナスだが、個人で使う分にはまだ十分採れるそうだ。時々職人本人が来たり、冒険者が依頼として請け負ったりしていたが。
「神殿があったろ、あれを餌にした盗賊が出るようになっちまってな……」
街道から外れた古い神殿に迷い込んできた旅人を餌食にしている、と。それで、冒険者ギルドへ依頼しても盗賊の排除が先だと、採掘の依頼を断られたそうだ。
やはり怪しげな男はよからぬ者だったか。
国境検問所の近辺で見掛けた男の話をすると、頷かれた。
「野郎だ。あいつ、妹の形見を神殿で落としたから一緒に取りに行ってくれって、教会の護符を持ってるなら平気だからと言ってしつこくてな、俺のことを後ろから斬り付けて護符まで奪っていきやがったんだ」
護符、ここに来て教会関連で初めて聞くものが出てきた。だが、それはまた後日誰かに訊けばいいことだ。
「一応、神殿の噂は聞いていたからな。踏み入るつもりはなかったが、用心として持っていたんだ」
背後から襲われ命辛々逃れたものの怨念が纏わり付いて動けなくなったそうだ。教会の護符とはそれだけ確かな働きをしているようだ。
「どうやらあの神殿には息絶えた巡礼者と、騙された被害者の怨念が溜まっているみたいでな……」
襲撃者は坑道内までは追ってこなかったそうだ。慣れた者は別として灯り無しに進める場所ではない。
「その狼はな、崩れた岩に足を取られていたのを助けてから懐かれたんだが、俺の巻き添え喰らわせちまった……」
男が僅かに手を持ちあげると、狼はその下へ鼻先を差し込んだ。
「なぁ、お侍。俺はもう長く保たねぇ。頼みを聞いちゃくれねぇか。大したもんは残ってねぇだろうが、俺の荷物を勝手に漁ってそれを報酬にしてくれや。聖職者を呼んできて、あの神殿を供養してやって欲しいんだ」
「聖職者による供養、ですか……」
少し考え、ミルクのおかわりを置いて外へ出た。
どうしたものか。街まで行って、話を通している間にあのドワーフは息絶える。聖職者を呼ぶなどと悠長なことは言っていられない。聖職者に供養出来るのならばこの身も多少は助けになるだろうか。だが供養の文句も知らないし儀式のいろはも知らない。本来は、研鑽を積んだ者が行う行為だ。だが今は一刻を争う。
まずは神殿を見てみよう。
近付けば近付くほど重苦しい空気が濃くなっていく。
「、………………」
だが、ふと気付く。この靄は確かに怨念ではあるが、同時に哀しみでもある。
自分たちの宗教施設が悪用されていること、ドワーフが言っていた通り巡礼者や被害者の怨念もあるが、かつてここで捧げられた祈りは確かだ。神は唯一神、だが他の信仰対象を否定はしていない。神を侮らなければ信仰の対象が増えようとも、神罰は下らない。山に感謝する民が居れば、太陽を崇める民も居るし海に祈る民も風を愛でる民も居る。
盗賊の行いはここで真摯に捧げられた祈りを冒涜するものだ。
その嘆きを、しっかりと感じ取る。
迷いはなかった。
祈りや祝福なんて自分には出来ない。
出来るのは、芝居と芝居に繋がることだけ。
神殿の中を進み、ここが中心であったであろう広間に着く。ご神体だったのか、崩壊した像の土台だけが目線少し上に残っている。ここで祈りを捧げた信者たちを身近に見守っていたのだろう。
「………………」
特にイメージするものはない、ただ気の向くまま、心赴くままに。
髪を解き、扇を取り出す。目を閉じて、姿勢を正し一呼吸。
いざ。
瞼をあげる。
◇◇◇◇◇◇
もう、どのくらいの間こうしているのかわからなかった。背中を斬られた痛みは最初こそあったが、過ぎた痛みはわからなくなるらしい。それか、慣れたか。
無駄にしぶとい種族だったのが災いした。簡単にくたばってくれない身体は長く苦しむ、それでも確実に衰弱していった。石になったように身動きがとれないのは傷の所為ばかりではない。近くまで行くのだからと用心したつもりで買った教会の護符、効果はあったが奪われてしまえばどうにもならない。
あいつにも悪いことをした、来る途中に助けたダイアウルフの雌。威嚇されても威嚇し返して助けた。そんな慈悲、普段は持ち合わせていない筈なのにだ。偶然、気が向いたからそうしただけだが恩を感じたのか自分についてきた。採掘している間もずっと居た。だが本能的にわかるのか、神殿には近付かなかった。あれが中に入ったのは自分が叫んだからだ。斬られた拍子に声をあげ、ダイアウルフは野郎の腕に噛み付いた。だが護符なんか持てない魔物が出来るのはそこまで、すぐに力を失いその場に倒れた。野郎がぐったりしたダイアウルフを蹴飛ばし、反撃がないと見るや刃物を手にした為どうにか突き飛ばし、毛むくじゃらを抱きかかえて坑道へ逃げた。出来たのは、そこまでだった。
毛むくじゃら、ダイアウルフは番だった。雄が様子を見に来て、時々雌に獲物を与えていた。最初はどうにか囓ることの出来ていた雌だが、次第に食べることすら辛そうだった。動くことがまず苦しいのだ、雄まで動けなくなるのはすぐだった。
毛むくじゃらの雌がよろよろと立ちあがりどこかへ出ていった。死に際をどこか目の無いところでと思ったのだろうか。雄もそれを追い掛けたのか気付けば消えていた。
そうして、いつ振りか。
光を見た。
「街道沿いで狼が、まるで助けを求めるような風情に見えたもので」
身なりのいい若侍が入ってきた。いや、身なりのいいなんて言葉で片付けるには無理があった。ベヒーモスの皮で出来たマント、その中は高そうなヤマトの装束、得物は刀。まず、マントだけで只者ではないことがわかる。何年も討伐されたとは聞かないから数十年前の討伐騒動のやつだろう。あれに参加したとは思えないから討伐者の縁者かなにかか。そうでなければとんでもない大富豪かだ。ベヒーモスの素材は大国でもまるごと買い上げることは出来ない。ひとつひとつが国家予算にも匹敵する、ある意味金には換えられないというやつだ。更にベヒーモスの皮を加工するのは至難の業だ。針も、糸も、裏地も、すべてがベヒーモスの素材でなければ皮に負けてしまう。そんなマントの中も更にえげつなかった。何にでも格というものはあるがヤマト装束は特にその差が激しい。冒険者で侍を見たことがあるがその装束は違っていた。形だけなら似ていたが生地も仕立ても段違い。控えめな色にも安っぽさがなく、糸も染料も厳選されて作られている。冒険者の装束が一般的ならこの若侍の装束は婚礼衣装に使われるレベルの豪華なものだ。なにかの紋様が隠すように織り込まれているがずっと暗い中に居たからか、視界が怪しくはっきりとは見えないのが残念だ。そして極めつけは刀だ。鍛冶職へ進む同胞が多い中違う道を選んだ自分ですら感じる、鞘にあってのこの気配。凄まじい業物だろう。
「お怪我ですか? ご病気ですか? ひとまずここから出ましょう」
自分じゃ見えないが相当あれなことになっている筈だ。手当てもしていない傷、動けず垂れ流しの糞尿、動かなければ身も朽ちていく。なのに若侍は、躊躇なく、手を伸ばしてきた。
善人に見えた。だから、伝えるだけ伝えた。若侍はなにか考える様子をみせて、坑道を出ていった。あとは朽ち果てるのを待とう。
そう思っていたのに。
「な、なんだ?」
怨念で、呪いで動けなかった身体が不意に軽くなった。落ちた体力までは戻っていないが十分。毛むくじゃらと一緒に坑道を這い出た。情けないことに、坑道内を照らす魔道具が力を取り戻していることに気付くのは改めてここを訪ねた時だ。
この時はまだ、外を求める気持ちが急いて、周りがよく見えていなかった。
「あぁ………………」
風だ、清々しい風が吹いている。久し振りに感じる外の空気だ。
「くそ……目が、滲みる……」
明るさか、風か、それとも。潤んで視界が歪んでしまう。毛むくじゃらも身体を震わせ軽さを体感しているようだ。
あの若侍だ、あの青年が、なにかしたのだ。
まだ立ちあがるまでには行かず、這って神殿へ向かおうとした。
「ん? なんだ、あん時のドワーフ、まだくたばってなかったのか」
野郎だ。腹の底から一瞬で怒りが湧いた。毛むくじゃらがすぐ隣で唸りをあげている。
「へっ、痩せ狼がいくら唸ったところで、」
野郎の声は途中で途切れた。真横から、その片腕を噛み千切った赤い影。雄だ。
遅れて呪いを受けた雄は弱ってはいても後ろから襲い掛かるしか能が無い野郎が敵う相手ではなかった。赤い毛並みで隻眼、二つ名もある魔物だ。
野郎は泣き叫びながら逃げていったが若侍が心配だ。あれが居たのなら、神殿でもしや。
そう考えが及んだ瞬間、道の脇から言葉を失うような魔物が現れた。しっかりと馬鎧を着込んだ、大きな馬、いや、魔物。駆け寄る先には若侍。
「セイラン、待たせたね」
優しげに声を掛けて撫でている。若侍の馬か。
「おや」
這い出た自分にやっと気付く。
「ご無事で」
「なにを、いったい、なにがどうなって、」
言葉が出ない。
「知り合いに教会関係者が居ましてね、聖水をもらっていたので撒いてみました」
どんな関係者ならそんな強力な聖水を持てるのか。ここで詳細を問い質すのは、ただの間抜けだ。
坑道内で若侍が飲ませてくれたのは、魔物の乳だ。実は酒を求めて水よりは、と言ったのだがまさか魔物の乳なんて高級品が出てくるとは思わなかった。おかげで毛むくじゃらも持ち直した。
「まずは傷を洗いましょうか」
何の呪文も杖もなく若侍は魔法で湯を出した。身体を濯ぎ、乾燥もしてくれる。斬られた傷は不思議と痛まず、塞がってすらいるようだ。
「狼ってなにを食べるんでしょうか……? 肉? あ、でも内臓から食べる?」
肉は勿論だが、狩りをしてダイアウルフが真っ先に喰らい付くのは内臓だ。特に肝、心臓。
「もらったはいいけれど処理が面倒だなと思っていたのでちょうどいいかな」
若侍はボタボタと音を発てて、虚空から内臓肉を生み出す。アイテムボックスの魔法か。
「食べられるようならお食べ」
きちんとお座りをして待っている犬のようだったダイアウルフの番は若侍と肉を見比べ、閉じている筈の口から涎を垂らしていた。頷かれてやっとかぶりつく。
「何の内臓だ?」
「ステップバイソンとジャイアントワイルドボアです」
軽く言われて耳を疑った。
「お侍が仕留めたのか?」
「えぇ」
重ねるが、軽く言われて耳を疑った。
毛むくじゃらの番は弱ってはいても魔物だ、普通の獣が喰う量なんてあっという間に平らげてしまう。
「すごい食べっぷりだなぁ……まだまだいるかな?」
更に出した若侍。
「もう少しいけそうかな」
「おい……バイソンとボア、二頭分にしちゃ多くねぇか?」
「全部はもらいませんでしたけど牛は合計で四頭仕留めましたから」
もう耳を疑うことはしなかった。常識の枠なんか当てはめるだけ無駄だ。
自分にはプレリポトで買ったのだと食料をもらった。塩焼きの魚と薄切りの肉、そいつを包んで食えそうな粉を焼いたもの。無理せず食べられそうならと。夢中で貪った。どれもが作りたての風味だ。
つま先で体重を支え踵の上に尻を置くような、変わったしゃがみ方でがつがつと食べる毛むくじゃらを見ていた若侍だったが、大丈夫そうだと判断したのか不意に立ちあがった。不安定そうな体勢から、まっすぐ、芯が通っているかのように。
「お侍っ」
このまま行かせるわけには。慌てて口の中のものを飲み込んだ。
「ゲオルグだ。今はこんなだが、これでもそれなりに名の知れた職人なんだ。傷が回復したら必ず、必ず仕事で恩を返す」
これでも中央大陸で一番だと自負しているし、そう評価もされている。
「ゲオルグさんですか」
広域本部にだって納品したことがあるし、天下の揚羽屋とも契約している。ただ誰かに縛られてしまうのが性に合わず契約だけで、傘下に入ったわけではないが。
「ゲオでいいさ。アルティに来たら俺を訪ねてくれ。お侍は?」
「生憎と、名は」
若侍は申し訳なさそうに首を振る。
「いや、いいさ。そんな上等な身なりをしてんだ。伴がないのが不思議だが相当な身分の筈だ」
「私自身は大したことがないんですがねぇ」
予想通りベヒーモスを討伐した者と縁があるのだろう。名を伏せるのも当然だ。だが、ステップバイソン四頭とジャイアントワイルドボアを仕留める奴を、大したことがないとはいわない。
「俺と、街の名前だけ覚えていてくれ。街に着いたら衛兵にでも聞きゃ俺の工房はすぐわかる」
「近くを通った時にはお見舞いがてらに寄らせていただきます」
詳しく言わなかったがアルティでわかるだろうと思っていた。
デュルハルト帝国きっての職人の街、アルティ。
若侍が去ったあと。内臓肉を平らげたダイアウルフは、気力も漲ったのか背中に乗れと頻りに勧めてきたので世話になった。
「気持ちのいいお侍だったな」
同意するかのように雌が鳴いた。




