一方その頃。 サイラス 3
花畑の顛末。
ルフ討伐に乗り出すことになったと聞いた時には、納得と驚きの両方があった。いや、若旦那にとっては怪鳥ルフの討伐ではなく、生食可能な卵を入手するだけのことだそうだが。
若旦那はこれまでも大物を軽く討伐しては事後報告だけだったが、今回は事前にわかっている。見届けたいと冒険者ギルド側が言い出すのは当然だった。人選には相当苦労したらしいが会話したこともあることで解体処理班班長が同行することになった。
だが、当日ギルドへ班長を迎えに行って厄介事が判明した。
灰まだら討伐に失敗したパーティーの片方からの情報提供に班長とサブマスター二人共が頭を抱えていた。
「連中は確か、あの野郎が目ぇ掛けてた奴らだったな」
班長のいうあの野郎とは、前のギルドマスターだ。
「賄賂の通じる相手が居なくなって焦ったんだろう……胃が痛い……」
頷くサブマスターの顔は最近胃の辺りをよく押さえているトーマスと似てきた。
「あいつらどれだけギルドに迷惑掛けるつもりだ……!」
「班長、悪いな……」
「いや……あの優男は気にしなさそうだが、周りはどうかなぁ」
「それは、こちらでも詫びを入れる。受けてもらえるかはわからんがな」
詫びを受け入れるかどうかは、ルフ討伐の結果如何によるだろう。
「揚羽屋の、サイラス殿とお見受けする」
声を掛けてきたのは今回の情報提供者だ、意識不明の間に虚偽報告をされていた被害者でもある。随分と血を失ったのだろう、顔色はまだ悪いが元気そうだ。
「ルフ討伐は、あなたが?」
「いいえ、私は案内だけです」
「そうですか。いや、ひとまず揚羽屋の方には礼が言いたくて」
何かと思ったら、薬葉だと。
「ここしばらく品薄状態であったのを、揚羽屋が少量でも入手してくれたおかげで我らはここまで早く回復することが出来たし、貯えをはたいて養生するだけでそう後遺症もなく戻れそうでな」
真っ当に励む冒険者ならば、仕事は続けてもらいたい。今回彼らは、前のギルドマスターから勧められるままによく知らないパーティーと組んでこうなった。本来組む相手は自分で判断しなければならないがギルドマスターの紹介に油断したか。
「店主に伝えておく。あぁ、だが店に薬葉を提供してくださったのは、灰まだらを討伐し今回ルフ討伐に向かわれる若旦那さまだ」
「………………今、なんと?」
「揚羽屋のお孫さまだ」
いたって一般的な野営道具を見て驚く若旦那に不思議そうな班長、苦笑するしかなかった。まだ検証も済んでいない為、確かなことは言えないが若旦那の野営には見張りも篝火も不要だろう。
ルフの討伐自体は至極あっさり終わった。自分は案内と気配遮断に少し風魔法を使っただけだ。今回討伐に赴いた者の中で一番弱いとされるのは実は班長だった。Aランクで魔物討伐をメインに活動していた冒険者だったが、所帯を持つのを機に魔物の知識を買われ職員になる採用試験に誘われたと聞く。事務処理能力は高くはなかったそうだが魔物に関してはやはり秀でていて一回目の挑戦で採用されたと。現役を退きつつも日々刃物を使い時には金槌やら鋸やらまで使って自身の何倍もの大きさを適切に解体する。それでも、商人である筈の大番頭の方が恐らく、強い。英雄とも呼ばれる揚羽屋重郎が後継にと認めた人物だ。揚羽屋を統べる者は正しく世を統べるとも同義だ。商才だけでどうにかなる地位ではない。
ルフの討伐報酬を聞いた若旦那は何故そこまでの高額になるのかといった疑問はおありだったようだが額自体に狼狽えることもなく、口座入金でと軽く仰るだけ。大抵の冒険者は報酬で緋は見ても白を見るのは極々稀で、黒が提示されるのは国家対応レベルの厄災だ。ルフの番は、まさに厄災といえるものだ。雛が孵ればその後どれだけの被害があったか。ところが若旦那は。
「セルジュさんに手当てがないのはいただけない。現物支給になってしまうけれど一羽分の風切り羽根を提供するから青藍と同じように、ヴィナスの分も拵えてくれないかな」
気にするのは同行した者への手間賃だ。揚羽屋に属していれば、特別手当としてどうとでもなるがセルジュは違う。そこを随分と確認なさっていた。班長はギルドから出張手当あるし、実際見届け業務なだけで討伐には参加していない。
◇◇◇◇◇◇
その日、プレリアトの揚羽屋の暖簾を潜る者が居た。
風体は一言でいえば、怪しい。ヒトの大人の肩くらいまでしかない小柄な身長、髪も顔も隠すように巻き付けられた布、見えているのは目許くらいだ。
店に入ってすぐ、こう口にした。
「冒険者サイラスの呼び出しに応じた、ジュニパーだ」
すぐさまサイラスが出てくる。
「話は外だ」
挨拶はなくすぐ用件に入る、互いに心得た遣り取り。
「馬に水だけ、いいか?」
サイラスが目を手代へ移す。ここの手代は役畜に特に詳しいと評判だ。
「既にやっておりますよ。あと先日若旦那がくださったおやつもね」
「おやつ?」
ジュニパーは疑問に思った。店の前に繋いだ馬は、裏の厩へ移動しており丁重にもてなされていた。たっぷりの水、馬が満足げな表情でもしゃもしゃと食むのは、二枚の薬葉。
「サイラスさんの呼び出しで無理をさせてのお戻りだったんでしょう? 馬だってご褒美がなきゃ」
手代はにこやかに言うが。
「あの、これ、」
こめかみに垂れる汗を感じる。魔素乱れの影響で魔物の分布が不確かな今、採取依頼は通常より危険度があがっている。薬効が認められているものの、栽培出来ず自然にあるものを摘むしかない薬葉は現在品薄。通常銀五枚のところ相場銀七枚と高騰している。一時期は倍近くなっていたが揚羽屋が少量仕入れて市場へ流した為価格もやや落ち着いた。
それが二枚。愛馬は美味そうに食んでいる。
「若旦那が手ずからお摘みになった葉を自由に使えと手前がいただいた分でございますからね、ロハですよ」
「あぁ、よかった……いや、よくない! 薬葉を馬のおやつって!」
薬膳に使用される高級食材であり、薬の素だ。それを、馬の。
「おい、お前の馬……古傷があったよな」
サイラスの言葉に思考が中断される。
「あぁ、時々引き攣れるみたいで気を付けて………………消えてる」
後ろの腿の辺りにあった傷跡がきれいさっぱり消えていた。
「薬葉にここまでの即効性があったか……?」
どすん、と音がして振り返ると手代が倒れていた。体調不良というよりは驚きのあまり、いや、受け入れがたい事実を前に現実逃避した、が正解か。
「サイラス、どういうことなんだ、おい」
事情を知っている筈のハイエルフは目を覆ってかぶりを振っていた。
「悪い。話すには許可が……」
「許可だと?」
「待っていてくれ。俺の裁量じゃ無理だ。ここの旦那に訊いてくる」
「あ、あぁ……」
雇用主の指示を仰ぐのはお抱え冒険者なら当然だ。
馬の様子を見ながら少し待つ、倒れた手代はサイラスが担いでいった。
「待たせた」
「どうだった」
「俺と同じ誓いを立てることになるが、聞くか?」
誓約が出てくるとは、尋常な話ではない。
「お前の立場ならいずれ知るだろうが、先に知ってしまう心理的負荷はある」
「わからんがお前が立てている誓いなら一方的に不利なものではないのだろう?」
「なら、手を」
「ん」
差し出されたサイラスの手を握る。
エルフの血を持つ者同士なら物理的な接触で念話が可能になる。ハイエルフとは違いこちらはそこまで濃い血ではないが。
サイラスから語られる内容。瞬きも忘れ、だらだらと汗が流れ、舌と唇が乾いていく。
気絶したい。さっきの手代のようにぶっ倒れたい。
「お前のそんな状態、初めて見たな」
このハイエルフ、軽く言いやがって。確かに感情を表に出すことはあまりなく、種族的にも侮られやすいが故に常に冷静に、常に用心深く振る舞ってきたが自分は特別神司のように揺らがぬ心を持っているわけではない。
「なん、ひとり、おひとり、で、旅、なんて」
「お望みだからだ。安心しろ。あと十日も凌げば今のサントル殿と龍人セルジュがお傍に付く」
「ほ、本当だな」
「あぁ。サントル殿の方は確定している。龍人の方はサントル殿が頷けばとのことだが、あの方がセルジュを拒むことはないだろう」
「そうだな、今さらりととんでもないことを聞かされたがこれも胸の内にしまっておく」
中央がその地位を外れる、広域特別神司の進退も実にとんでもない話だ。念話で聞かされた方が爆弾度が高いだけで。
「恐らく数日前になれば公表されるだろう。それまでは秘匿としてくれ」
頷く。
「それで、その、お前がする呼び方を使わせてもらうとその若旦那さまがお摘みになった薬葉だから薬効成分がとてつもないことになった、と?」
「だと推測する。信吉さんには他にやらないよう言っておく」
「既にやっていないかの確認もな」
揚羽屋が今回仕入れ市場に流した薬葉は品薄だから広く行き渡るようにとかなり細かくされていた筈。一枚二枚をまるまる使うようなことがなかったから騒動にはならなかったのだろう。
「まあ、正直なところ私は助かった。幼い頃から共に居るが傷を考えればそろそろ広範囲の移動に付き合わせるのは辛かろうと思っていた」
「そうか」
今は水を飲む愛馬の首を撫でる。本当に長く居てくれている、望めるのなら次の馬は迎えず引退して共に余生を過ごしたい。旅暮らしではなく腰を据えてゆっくり長閑に。古傷の悪化に叶わぬ夢かと思ったが。
「来た甲斐があった」
「いや、用件はこれじゃないんだが」
「………………え?」
そういえば、話は外だと言っていたような。
「これは………………」
サイラスに案内されたのは、薬葉の木が生える森の近く。街道からは少し外れた草原だ。ある一区画、花々が咲き誇っていた。
「野では見たことのない草花だ。香りは優しく、手折ろうと触れれば擦り抜けるが嗅ごうとするだけなら触れられる。土も触れられるが掘れない、根から奪うことも不可能だ。虫や小鳥が蜜を吸い、野鼠なんかは隠れる場所にしている。夜、花弁は閉じるが全体が淡く光る。離れた位置からもぼんやりわかる程度にはな。そして、一晩ただここで見ていたが俺は一度も剣を抜かなかった」
サイラスが、自分を呼び出す筈だ。
「その条件に合致するのは教会関連の文献で見たことがある」
「聖域」
頷く。
「お前もそう思うか」
「確信が欲しかったのか?」
サイラスがわからぬ筈がない。
「俺は揚羽屋と契約している。一応、身内に該当するだろうからな」
「………………そうだな、正しい判断だ」
中立の、しかるべき機関に判定させる。サイラスは間違っていない。
「ここは二度野営なさったので範囲が広いがプレリポトの手前にもう一箇所ある、そちらはここの半分の面積だ」
「本部へ報告しておこう。見たこともない花畑は、安全地帯であると共に不可侵であると。そうだな……神のお戯れ地、浄域とでも呼ばせるか」
「同時に定期観察もだ、いつまでもあるのかわからない」
「そうだな」
お孫さま、無自覚にセーフゾーンを作っていたの説明でした。
ちなみにジュニパーは、別の回で1028と名乗っています。
年内に終えなければならない業務量と残り日数があわないけれど、
今週はホールケーキが食べられるから頑張ります…