お孫さま、読書
「お帰りになる頃お迎えに参ります。絶、対、に! お一人でお戻りになりませぬよう」
どうやって帰る時間を知るのだろうと思いつつも、有無を言わせぬ笑顔に圧されわかりましたと返せば信次はあっさり戻っていった。
「……揚羽屋の系列だから、誰か使いが走ってくれるのかな」
それはそれで申し訳ない気もするが。
文庫に入ると格子で遮られた向こうで女が立ちあがる。
「ご用件は」
突っ慳貪な言い方、いや、接客ではないからこれが普通か。
「色々と見てみたくて」
「……」
あからさまに顔を顰められた。
「ご紹介はありますか?」
「あ、そうだった。これを見せるんだった」
揚羽の札を見せた途端、女は悲鳴をあげて倒れてしまった。
「え?」
格子に遮られているので助けることも出来ない、どうしよう。
奥から男が出てきた。信次より少し歳上だろうか。この街で見なかったわけではないが西洋人のような雰囲気だ。強引に置き換えれば英国紳士といったイメージ。グレーの長い髪を結いあげるのではなく首の後ろで一つに纏め、着物は着ているが襟から覗く首許はハイネックに隠されている。
「聖職者の方がいらしているのになにを騒がしくして……おや、お客さまですか」
「すみません、彼女、大丈夫でしょうか?」
男は女の傍に跪き呼吸を確認する。
「大丈夫ですね、いったい何があったんですか」
「紹介があるかと訊かれたのでこちらをお見せしたら……」
男は一瞬目を丸くして、だがすぐに落ち着きを取り戻してくれた。
「彼女のことはお気になさらず。ご案内致します」
普段は彼があそこで受付をしているそうだ。
揚羽屋文庫の司書は少数精鋭、高い教養と豊富な知識を持っている者のみが採用される狭き門で、知識階級にある者には憧れの職場らしい。揚羽屋は手広くやっていようが一民間企業、どの国とも政治的に繋がっていないがその力は強大で大国に匹敵する。自力で中立的な立場を維持出来る為研究や思想が曲げられないのだと。子飼いの学者を文庫へ潜り込ませようとする不心得者もたまに居るが、採用されたことは一度もないとか。あとから聞いたのだが、今回倒れた彼女は纏まった納品があった為に検品要員として臨時に雇われた学生だったそうだ。
「若旦那さまはどういったものをご所望でしょう?」
案内されたのは畳敷きの一室。書見台や低めの机はあるが書棚はない。
「色々見てみたかったのですが……もしかして閉架式ですか」
「よくご存知で。こうした施設に馴染みがなく初めてご利用の方にはまずそうした説明からさせていただくのですが」
馴染みがあるといえるほどではないがまったく無縁だったともいえない。
「どこでも手に入る比較的安価なものは棚にお出ししておりますが、きちんとした知識をお求めの場合は個別に対応させていただいております」
あとでその安価な本を集めた棚も見せてもらうとして、ひとまずは魔法に関するものをお願いした。
彼は数分で戻ってきた。
台車に本をたくさん乗せて運んでくるのかと思ったが、手にしていたのは横長の箱一つ。両手で持てるくらいの大きさだ。
「こちらは揚羽屋魔道具職人謹製、収納箱にございます。この街以外ではアイテムボックスとも呼ばれます箱に書庫専用の機能を追加してございます」
魔法の力で見た目以上の収納力だとか。こちらの物流事情の認識を改める必要がありそうだ。こんなかたちで大量輸送の手段があったとは。
「指先でかまいません、蓋の紋へ触れたままご覧になりたい内容を仰ってください。候補が多い時は絞り込む為に言葉を追加してみてください」
紋に触れるとなんとなく、箱の中身が書籍だとわかった。魔法の本と頼んで用意してくれた箱だ、魔法と指定しても無意味だろう。
「乾かす」
ぐっと反応が減った。
「弱」
また少し減る。
「頭髪」
また減る。
「基本」
また減って。
「覚え方」
これ以上は減らなさそうだ。
「お上手です、お手本のような絞り込みです」
ただ検索ワードを増やしただけだ。
「これ以上絞り込めないと思えたら蓋をお開けください」
開けてみると五冊ほど入っていた。
「本を箱に入れ蓋を閉めれば収納内部へと戻ります。また絞り込みの最中に紋から手を放せば条件はまっさらになります。百冊以上が該当している状態で開けようとなさっても蓋は開きませんのでご注意ください」
禁帯出の為、箱から一定以上距離が離れれば書籍は自動的に箱へ戻るらしい。箱自体も敷地から持ち出せないようになっているとか。
「なにかご用がございましたら書見台に備えております鈴を鳴らしてください」
「ありがとうございます、色々試してみます」
「さて、と」
まず手始めに出てきた五冊を読んでみよう。多言語理解が備わっていると知って意識してみるとそれぞれ意味はわかりつつ文字の違いや響きの差がわかった。
こちらの世界の共通語で記された基本書。もう少し古い森林地帯で暮らす種族の言葉で記された風魔法の一覧と火炎魔法の同じシリーズ。共通語の特に平易な言葉だけで纏められた初心者用入門書。最後に、職人向けの緻密な設定が書かれた一冊。どうやら髪を乾かす魔法は食品の乾燥や染め物にも活用されているらしい。
勉強になった。五冊を戻し、次に全魔法を種類だけでもわかるようなものを探す。膨大な数が残ったがさくさく絞り込み、これぞと思える一冊を見つけた。検索するキーワードを知らなければそもそも探せない。助けになるだろう。
属性の種類、よく見られる魔法などがわかった。この辺りもインストールされた知識に任せればいいのかもしれないが安易に使うと痛い目を見そうで控えている。行うのは眠る前に限定しているが魔法の知識なんて引っ張ろうものなら数日寝込むこともあり得る。それほどに情報は膨大だった。
少しずつ、出来る範囲で知ればいい。常人にない力はそれだけ危ういものだ。
髪を乾かす魔法の他に気になったものがあった。物を収納する魔法だ。魔道具といっていたがその魔法を固定化して箱に作用させているのだろうか。そういった、魔法が作用している道具が魔道具、いや魔法に限らないようだ。魔道具で絞り込む、実に様々なものがあった。照明器具に重量軽減、書見台の足に掛けられている鈴もそうだった。鳴らせばどこに居ても登録された者に鈴の音が聞こえるらしい。
魔法は不思議だ。
一段落して、鈴を鳴らす。次は界を渡った者について知りたい。主に巷ではどう思われているかだ。吹聴するつもりはないがやはり隠した方がいいのか予め知っていれば用心の度合いが違う。安価な本というのも見てみたい。
「では公開書架へご案内致します。界渡りに関しては専門書もございますが世間でどう捉えているのかといったことでしたら、広く出回っているものの方がよろしいかと」
公開書架は一転、西洋建築の空間だった。二十一世紀的なものではなく寧ろ古風、どこか映画的な風情もある。二階分はありそうな高い天井、書棚はそこまで届いている。日光は遮られ、室内はやや薄暗い。並ぶ背表紙、眺めるだけでも少し楽しい。
「界渡りについてはどの辺りにありますか?」
「あちらですが……まだ先客がいらっしゃるようです」
棚の向こう、見たことのあるローブを羽織った数名が居た。床には白い布。
「あぁ、聖職者の方がいらしていると仰ってましたね」
「えぇ……界渡りに関してならすべて見たいとのことで」
これは日を改めた方がいいか、と思ったところでローブとよく似た色合いの鎧を纏った騎士風の男がこちらを見た。
「控えられたし。身分ある方がご利用中である」
「そのようですね、また後日に致します」
うむ、と騎士は頷いたが。
「なりませぬ!」
どこかで聞いた呼び止める声とささやかな足音。多少皺になりつつ白い布が床に伸び、現れたのは長い白銀の髪を靡かせたスターシアだった。
「尊き方との邂逅、望外の喜びでございます」
布の上で額突くスターシアに他の聖職者たちが慌てて跪く。
「私の名前は尊き方なんてものじゃありませんよ」
手を差し伸べ立つよう促す。スターシアは恭しく手を取ると笑みを浮かべた。
「桐人さま」
「はい。こんにちは、スターシアさん」
古い森林地帯で暮らす種族=エルフとか
職人向け云々=ドワーフとか