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お孫さま、お裾分け

「おかえりなさいませ」

 先に話を通してもらっていたからか、挨拶の時点でもう宿泊客として扱われた。表面上は接客スマイルだが、セルジュからひしひしと歓喜が伝わってくる。

「お部屋のご用意は調っております、すぐにご案内出来ます」

「ならお願いしようかな、旅装束を解きたいし」

「畏まりました」

 サイラスは店に戻ったが、今回は信吉も宿の部屋までついてきた。



「今回はご出発日未定で数日ご滞在いただけるとのことで、こちらをご用意させていただきました」

 前回とはフロアから違った。見間違いでなければドアの脇にはスイートの文字があったような。案内されるまま中へと足を進めればやはりスイートルームだった。それも普通のスイートではなく、会議や小さめの晩餐会を開けそうな応接付きの。このクラスの部屋ならばそうそう埋まることもなく出発日未定でも対応出来るかと納得したのだが。

「なにかとお話し合いもおありかと思いまして」

「さすがセルジュさんだ、これだけ広けりゃ色々と捗ります」

 信吉の口振りだと店側のリクエストでもなく宿側の事情でもなくセルジュが気を利かせたようだ。

「信吉さん、何が捗るんだい?」

「このあとの若旦那の旅程だとか、税についてのご説明だとか、色々ですよ。山へ向かわれるんならそれ相応の用意が必要でございますしね」

 そうだった、自分は防寒具を持っているが青藍にはない。

「このくらいの買い物が必要かなと纏めてはいたけれど青藍の装具について私ではわからないよ。信吉さん、頼めるかい?」

「勿論でございます。お纏めになった書き付けがもしおありでしたら今、お預かり致します」

 メモを信吉へ渡す。セルジュが受け取ってくれるので旅装束を解いていく。

「若旦那、実はね、先日伺ったご所望品、聞き間違いかと思ったんですよ。でも」

「なにか伝え間違いしてたかい?」

 脚絆と手甲を外すとやはり開放感がある。

「いえ、そのまま過ぎて当惑しております。あ、伺ったままご用意はしておりますのでご安心を」

 信吉が言いたいのはそこではないらしい。

「若旦那、正直にお話しください。食事処でも開かれるんですか?」

「え?」

 羽織を脱いで伸びをしていたところだった。食事処だなんてどこから出たのか。

「だって、この野菜の量! 調味料の量! そして種類!」

「あー、いや、魚とか肉とか手に入るから、ブイヨンがあればいいなぁと」

「は? ブイヨン?」

「あの……拝見してもよろしいでしょうか」

 セルジュが断りを入れてから、買い物メモを見る。

「若旦那さまご自身で、ブイヨンを仕込まれるおつもりと……?」

「えぇ」

「差し出口を申しますが、うちのでよろしければお分けいたしましょうか?」

 どういう意味だろう。

「若旦那さまがどうしてもご自分で仕込みたいわけではないのでしたら。お発ちになるのは数日後とのことですし十分対応可能でございます」

 つまり、宿の厨房で作ってくれるということか。プロの手によるものならずっといい。

「私は旅先でも美味しいものが食べたいだけで特別作りたいわけではありません。自分で仕留めた魔物が食用に向いているのならなるべく少しはいただいて、供養になればと思ったものですから。あ、食用が可能でも無理なものはありますが」

 本当はコンソメキューブやら出汁パックやらあれば使いたいくらいだ。ないから作るだけ。キューブがなければ液体そのものを、どうせ作るなら種類別に色々と。アサリの出汁だってその程度の浅はかさで作った。賞味期限も重さも気にせず持ち運べる今の自分だからこその浅はかさだ。

「若旦那に食べ物の好き嫌いがおありとは意外な」

「いや、さすがに虫とかは……こればかりは文化の差だと勘弁して欲しい」

「あーなるほど、ワームとかですか」

 信吉は納得したようだが。

「わーむ?」

 釣り餌や小動物の餌では聞いたことがあるが、それだろうか。

「簡単にいえば芋虫です」

 それだった。つまり、食用となりそうな大きな芋虫が居るのだろう。

「う……貴重なたんぱく源なんだろうけど無理だね、私は」

 思いっきり顔を顰めてしまった。信吉は反対に笑顔だ。

「報告書、あげておきます。敢えて若旦那に虫を出そうもんなら、それこそ虫しか食えなくなるような目に遭うでしょうよ」

 どうやら自分の嫌いな食べ物をひとつ見つけたことで信吉にはまた手当てが出るようだ。随分気遣われている、それくらい訊かれれば答えたのにと思ったが、旅に出るまで虫を食べる可能性に思い至らなかった。訊かれても答えられなかった筈。有難い気遣いとして受けておこう。

「若旦那さまが思われるブイヨンと同じものかご確認も含め、一度料理長とお話ししていただければと……」

「確かに。材料費に手間賃も相談しなくちゃね」

 もし出来るならデミグラスソースもお願いしたい。あれも作ろうと思えばかなり大変だ。缶詰やパック詰めが売られていたのはなんと便利なことだったか。

「若旦那、魚のお話」

 そうだった。

 魚の持ち込みが可能かを訊くと普通はやっていないがものがものだけに料理長がやりたがると思うと言われた。引き取った四体分のこともある、店に戻るついでに料理長と会うことになった。




 結論からいくとブイヨンを含む数種の出汁、デミグラスソースを分けてもらえることになった。いや、特注で作ってもらってそれを購入するのだが。

 ランチ前の慌ただしい時間に行った為、料理長の機嫌はすこぶる悪かったのだが話の流れで調理した魚を見せろと言われたので昆布締めを味見させたら、ころっと変わった。

「こんな繊細な味付けで魚を食うんだ、ブイヨンにこだわるのもわかるし持ち込むもんも普通の魚じゃないんだろ?」

 料理長がやりたがる、との言葉の意味がわかった。プレリアトでは、海の食材は手に入らないこともないが収納箱があっても輸送コストが掛かる。高級食材だ。

「手つかずなのがクエ、あとカジキっぽい……」

「デスマーリンです、若旦那」

「それ。デスマーリンの身をいくらかもらったのと、あ、塩釜焼きにしたくて鯛もあるんだ。考えてみたら塩釜焼きって一人で食べきれないね、信吉さん今度一緒にどうかな」

「飯の誘いはあとにして、魚を見せてくれ!」

 早く早くと急かす料理長のリクエストに応えてクエを出す。

「おおお!」

 血抜きまでしかしていない手つかずのクエに料理長は興奮していた。

「トーマスさんと番頭さんにカジキもどきの身をお裾分けしたいんだけど、ご迷惑かな?」

 信吉に訊いてみると迷惑だなんてとんでもない、とのことだったので気兼ねなくお裾分けしよう。

 調理台とまな板を借りて、カジキもどきの身を出す。料理長だけでなく、厨房のあちこちから声が聞こえたが話し掛けられたわけではないのでひとまず応えずに。

「信吉さん、トーマスさんはおひとりかな?」

「えぇ、おひとりです」

 一番近くに住む家族が文庫のクロード、他は郷里に居るそうだ。

「トーマスさんやクロードさんって、プレリアのおひとじゃないのかい?」

「フラッハの出でございます」

 確か公国だった筈。地図にあった。プレリア共和国から西へ、砂漠の国と教会の広域本部があるサントルを越えた、大きな国だ。中央大陸の西側三分の一を国土としている。そんな大国から宮廷魔導師にと望まれて、それを蹴って文庫の司書長になったクロード、本当に本の虫なのだろう。

 さて、切り分けねば。

「おひとりだったらこのくらいかなぁ」

 プレリポトで買った脇差しほどもある包丁を取り出し、大きな身を切る。スッと刃が入って断面も滑らかだ。いい包丁だ。

「番頭さんのところはご夫婦とそれぞれのご両親だったねぇ、いや、祝いの席だというんだから他にもいらっしゃるかも。少し多めに」

 トーマスには指三本分くらいの厚みで一枚、番頭には両手を並べたくらいの塊。

「プレリポトで焼いた切り身を少し食べただけなんだけど、このくらいあれば皆で食べられるのかな?」

「………………若旦那、うちの旦那の分がそっちの分厚いのでしたら三食食っても三日は掛かります」

 身のブロックが大きくて錯覚してしまったか。信吉にも持って帰ってもらうよう半分にしようとしたら、三分の一で十分だと言われてしまった。サイラスも今日は店に居るから独り身三名で分けるくらいでちょうどいいと。新しく三枚切った方が部位の偏りがないかと思ったが最初のを分けるので十分だと。簡単にお裾分けするつもりだったがどうもうまくいかない。だが切り分けは済んだのですぐに渡せる、店に戻る途中どこかで皿か入れ物を買おう。

 そして、クエで興奮していた料理長がカジキもどきを見て興奮しないわけはなく少し身を売ることになった。ブイヨン他と交換でも良かったのだがそれだと対等な取引にならないそうだ。

「宿での購入となればメニューに載せられますから」

 セルジュの言葉に納得した。料理長の財布から費用が出ては、仕事で使えない。だが宿が買い取るなら料理長は仕事としてカジキもどきを扱える。本来、商人でもない自分が高級宿に食材を卸すなんて許されることではないが信吉が居る。自分が揚羽屋に卸し、揚羽屋が宿に卸す。帳簿上はそう処理される。ちなみに重郎の孫である自分が重郎の店に成果を売ることは問題がないそうだ。この宿が揚羽屋の系列だったなら不要な操作だが、厳密には提携先であり系列ではないとか。道理でこの宿の中で揚羽紋を見掛けない。

「はい、確かに」

 経理担当者も呼ばれ、厨房の一角で急遽信吉と書類を作っている。

「魚も立派だが、そいつも立派だな」

 料理長はカジキもどきの身にも興味を持ったが、包丁も気になったようだ。

「これを切り分けるのに普通の包丁では厳しいなと思いまして、プレリポトで買いました。大きなお肉を切るのにも使えるかなと」

 何の肉を持っているか話すと料理長は経理担当者を見遣ったが首を左右に振られがっくり肩を落としていた。

「大半は信吉さんのところに渡しますのでまた機会がありましたら」

「あぁー……ステップバイソンの赤なんて滅多にお目に掛かれないのに」

 赤は獰猛だから討伐数が少なく、緑は臆病でそれこそ滅多に見ることもないからこれまた討伐数が少ないとか。色で味が違うのかと訊いたら、基本的には同じだが肉質が違うそうだ。

「普通の牛に近いのが茶だな、牛より格段に美味いだけだ。赤は獰猛でよく動く、赤身っていうか、筋肉質で脂肪が少ない。青も赤と似た感じだが赤よりはまだ多少脂肪がある。一番美味いとされるのは緑だ。素速く逃げたり、じっと身を潜めたり動きに緩急があって赤身と脂肪のバランスがいい。全体にサシが入って、口の中で溶けるんだ」

 緑は霜降りなのか。

「へぇ、楽しみだな。四色それぞれ同じ部位で食べ比べてみるのもいいなぁ」

「だから緑はそうそう市場には、」

「今解体してもらってます」

「は?」

「緑の牛っぽいの」

「解体?」

「信吉さん、今日頼んだの、あれ、緑の牛っぽいもの、あれってそうだよね」

 話が纏まったのか経理担当者と頷き合っていた信吉に声を掛ける。

「グリーンステップバイソンございますよ」

「緑、霜降りなんだって。材料があればすき焼きにしたいけどあるかなぁ」

 売ってくれと料理長に縋り付かれそうなのをセルジュが制してくれた。


焼き豆腐ない、しらたき(糸こん)ない、卵は生食不推奨…

なんて、すき焼きにアウェーなんだ…

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