お孫さま、気付く
お孫さまが不安定期に入ってます…
「そうだ、少しだけど解体してもらいたいものがあるんだった」
冒険者ギルドへ行く前の時間潰しにプレリポトへの道中で起きたことを話した。青藍のおやつの葉を視認だけで収獲してしまったことではなく、遭遇した二人組と追加で斃した魔物のことだ。信吉もサイラスも眉間に皺を寄せ難しい表情で唸る。
「厄介なことになりそうでございますねぇ」
「また私は失敗したかな?」
「いえ、若旦那じゃなくて、その行きがけに遭遇した二人の方でございますよ」
確かに、あの二人は揉めていた。
「ま、そういう話はさっさと済ませましょうか。そろそろいい頃合いでしょう」
ギルドへ向かうことになった。
冒険者ギルド内ではがっちりとサイラスが付き添ってくれる。信吉は先を行き、受付やらを済ませてくれる。至れり尽くせりだ、申し訳なくなってくるが、信吉の言っていた若旦那お世話手当てみたいなものはサイラスにも出ているのだろうか。あとで訊いてみよう。出ていないなら出してもらう方向で。
なにやら揉めているらしい冒険者をよそに、先日とは違う外商担当が信吉と話していた。
「そう、ちょうどあんな感じの服装の、」
揉めている冒険者の一人がこちらを指差す。プレリポトへ向かう途中に遭遇した片割れの女だ。
「あ! あのひとです! あのひとに助けられました!」
女の方は特に縛められてはいないが男の方は顰めっ面で、縄を打たれている。
信吉から、お応えなさらずに、と耳打ちされる。瞬きひとつで承知した旨を伝えこちらへ近付こうとする女を見ないようにした。
「海に行くなんてやっぱり嘘だったんだ」
女の言葉はまだ続いていたが耳に入れない。聞こえているものを聞かないことは大勢に囲まれる経験に慣れていれば造作もない。
サイラスが間に入ってくれる。女がなにか言い、サイラスがこちらに用は無いと突っぱねる。
その間に信吉が職員との話を進めていた。
「彼女が主張している内容とも合致しています。彼女は不服を申し立てていますが海へ向かう旨の発言も馬に乗せなかったこともまったく問題ございません」
「そりゃあそうでしょうとも。どこの誰とも知らない、なすり付け行為をしてきた片割れをどうして馬に乗っけてやんなきゃなんねぇんです? 不服を言いたいのはこちらでさ。それに、海へお行きになったのは本当のこと。疑うならポトの衛兵に確認すりゃいい」
「いいえ。プレリポトでのデスマーリン討伐報告もありましたのでご滞在の確認は出来ています。冒険者の行動につきまして、ギルドとして謝罪致します」
職員は信吉とこちらへ向けて丁寧に詫びてくれた。
「サイラスさん」
「はい」
「なすり付けってなんですか?」
自分が話した時にはなかった単語だ。どういう意味だろう。
「魔物に追われている際、無関係の周囲の者へ魔物の注意が向くようにして自分は逃げる行為です」
「それは卑劣だとは思いますが、冒険者としての問題行動になるのですか?」
「冒険者でない者が魔物に追われ、冒険者なり衛兵なりに助けを求めるのは大丈夫ですが逆は明確な危険行為です。例外はスタンピードくらいです。また、冒険者の場合は魔物に狙われたまま街まで逃げてくることも危険行為となります」
スタンピード、インストール知識の中であったような。元々は確か群衆が一気に動いて起きるパニックや事故のようなものを表す言葉の筈、それを魔物と絡めればなんとなく想像がつく。
「冒険者や衛兵なら戦う術を持つのだから己の身は己で守れということですか」
「それに加え己の技量でどうにか出来ない魔物に手を出すのは自業自得との意味もございます」
なるほど。シビアな世界だが当然といえば当然だ。
「先日の引き取りもですが今回も解体作業の依頼を」
信吉と職員の話はやっと本題に入ったようだ。女はまだなにか言いながら自分に近付こうとするがサイラスが防いでくれている。
「報告にありました、グリーンステップバイソンでしょうか?」
「えぇ、他にも多少あるそうです。ものまでは伺っておりませんが」
「先の四体も完了しております。教材としてのご協力、ありがとうございました。ステップバイソンはカウンターでのお引き取りが叶いません、お手数ですが今回も処理場までお願い出来ましたら助かるのですが」
「若旦那」
信吉が振り向く。
「かまいませんよ」
職員が処理場へ連絡に向かい、信吉の案内で移動しようとしたのだが。
「ちょっと待ってってば!」
女が行く手を阻んだ。サイラスが淡々と退くよう言っているが聞かない。なにか言っているが意識から外していた。
「黙りなさい」
サイラスの怒気が伝わる。
「こちらの方は冒険者ではない、見当違いな誘いをして迷惑を掛けるな」
嘘吐きだなんだと喚き始めた女はギルドの職員がどこかへ連れていった。
「失礼致しました」
深々と頭を下げられるが騒いでいた女を無視していた以上、職員の謝罪も自分が受けるものではない。
「上を排除しても緩んだ空気は戻せていないようだ。命を救われておきながらここまでの無礼を働くとは」
サイラスはかなり怒っていた。それほど女の言葉は聞くに堪えないものだったのだろう。
「お叱りはごもっともに」
職員は再び頭をさげる。先を促そう。
「信吉さん」
「どうぞ、こちらに」
腰を低く、手で促す方へと進む。
聞かないようにしていてもなにも感じないわけではない。もし内容まで把握していたら、もっと心に鬱屈したものが積もっていただろう。自慢出来ない技術だが、役に立った。
「申し訳ございません、お守り出来ず……」
サイラスが謝ってくるのを首を振って赦す。しかし、疑問だ。
プレリポトでは色々な商店で親切にしてもらった、今朝街へ入る前に会ったあの夫婦もたいへんな状況だったのに礼儀を忘れぬ穏やかな方々だった。彼らは特殊な例だったのか、それとも、こちらでは力関係が上の者や己に利のある相手以外には無礼に振る舞うのが日常なのか。もしそうなら、旅を続けるにあたり一層の警戒が必要だ。
「信吉さん、彼女のような行動は一般的なのかい? 無遠慮というか、少々不躾が過ぎる。もし他人と関わるのに一般的な態度があれなら私は、」
街に立ち寄っても店だけで今後は他と関わらないようにしたい、と言葉を続けるつもりだったが、内容的に竦み上がるほどだったのか信吉は慌てて遮ってきた。
「まさかまさか! あれはずば抜けて礼儀知らずなだけでございます! ですから元の、静かな場所でお暮らしになるとか仰らないでくださいましよ、大旦那さまが哀しまれます」
「、」
信吉は、揚羽屋桐人が聖職者絡みで重要な存在だとは勘付いていたが正確に説明したわけではなかった。だからこそ出た言葉だろう。そして、その言葉を聞くまで自分は。
「若旦那?」
足を止めた自分に信吉が振り返る。心配そうな表情をしている、だが違うのだ。つい、よくない笑みが零れてしまう。
「若旦那、」
「私は薄情だねぇ」
気付かなかった。
元の場所、望めぬ場所、望んだことのなかった場所。
場所、居場所、いや居場所とはどこだ、居場所とは何だ。
瞼をおろしても思い出せない。
「大丈夫だよ、私はもう戻れないし、戻らないし、戻りたいと思ったこともない。まったく薄情だ。伝統を継げなかった、あの家に生まれた務めを果たせなかった、こちらに来て考えたのはそれだけだった。家族も居た、友だち付き合いをしていた者も居た、共に学び高め合う仲間も。なのに私は彼らのことを思い出さなかった。役に立てなくなったことだけを詫びて。あぁ、本当に、なんて薄情なんだろうね。今こうして気付けても、どうしてか、自分を薄情だと思うだけで恋しいとも寂しいとも思う気持ちが湧かないんだよ。戻りたいと、戻れればと、一度も思ったことがない。私の心は壊れているのかな?」
随分落ち着いている、最初に聞いた神の言葉だ。一般的には取り乱すのだろうが自分はただ淡々と。これでも自分なりに絶望したのだ、家の為になれなかったと。だがもっとあって然るべき。天涯孤独の身でもなければ路頭に迷っていたわけでもない。あちらに、未練だの郷愁だの、あるのが当然。なのに、自分は。
「必死に生きてきたつもりだったけれどなんだったんだろうね、私の人生。大事にしてもらっていた筈なのに。蔑ろにされていたわけでもないのに。なんて空虚で、浅はかで、なにもない……すかすかで空っぽだ、神はこんな私のなにを気に入ったんだか……」
こんなだから、祖父は心配していたのだろう。このまま名跡を継ぐようなことになれば、潰されるのではと。だから、どこでもいいから生きていてくれと。皮肉なことに自分は果てることのない身になった、生とは何だ、死とは。
場所と状況を思い出す。
「いけない。聞かせるような話じゃなかったね、忘れておくれ」
信吉は必死になにかを堪えているようだった。
「悪いが、サイラスさん」
サイラスは自分の斜め後ろで跪いていた。
「口外無用、心得ております」
「世話を掛けます」
「………………若旦那」
信吉の声が震えている。余計な秘密を知らせてしまって申し訳ない。
「弱音ですらない愚痴ですよ、気付けたことは僥倖、ですが不用意でした。忘れてください。さあ、行きましょう。解体の職人さんたちを待たせてしまった」