お孫さま、やらかす
揚羽屋の敷地は広く、店とは別棟が住まいだった。ひとまずは客間に通すが後日きちんと部屋を用意すると言われた。ここで暮らすかは決めていないが、重郎には関係ないらしい。孫の部屋がある、それだけで嬉しいのだと。
夕餉は重郎と二人だけだった。信次は大袈裟な宴にしたがったがまずは界渡りの疲れを癒す方が先だと重郎が諫めた。有難いと思ったが重郎の言葉は続きがあって、万全の支度をしてから盛大に祝うのだと拳を握って、信次は目を煌めかせていた。勘弁してくれと口に出さなかった自分を褒めたい。
風呂を済ませ敷かれた厚みが足首を越えようかという布団の上へと寝転がる。
「………………さあ、どうしたものかな」
聖職者が受けた神託によれば、すべきこともなく自由でいいらしいがそれが一番困るといえば困る。役者以外の生き方を知らない。
瞼を下ろして考える。あとは寝るだけなので流れ込む知識をそのまま享受する。
世界は広い、こちらではすべてが見たこともないものだ、人間以外にも直立二足歩行の知的生命体は居る。指環を巡るあの物語を知識としてだけではなくきちんと読んでおけばよかった。もう少しこちらの世界にも馴染みがあったかもしれない。
「………………」
自分は、すべての埒外に在る。誰にも縛られず、何にも追われない。
あの無垢なる空間で、身体を戻されやっと立てたように揚羽屋の孫という立場が出来た程度だ。なにをしてもいいし、なにもしなくてもいい。まあ、せめて大人として自らの食い扶持くらいは自分で稼ぎたいがその程度だ。
「明日また、おじいさまや信次さんに相談してみるか……」
そのあとも惰性でだらだらと知識を流し続けて気付いたら眠っていた。
自分は知らなかった。インストールされた知識を理解する時疲れるのはこちらで魔力と呼ばれる類の力を消費しているからだと。眠る前に、無差別といえるような勢いで知識を流し込む行為は一般的に自身が持つ魔力値の上限をあげる目的で極限まで使い果たし昏倒するといった苛酷な訓練の一種だと。
翌朝。顔を洗い、髪を結う。まさかカツラが地毛になっているとは思わなかった。解いておろせば長さは腰に届くくらいか。昨夜は風呂で流した程度だが乾かすのに苦労した。すぐに女中が来て手拭いで軽く水気を吸わせたあと、ふわりと何かしてくれてすっきり乾いた。あれが魔法だろうか。ドライヤーよりも早かった、自分で出来れば便利そうだ。
「おじいさま、おはようございます」
重郎に朝の挨拶をしたが返事がなかった。不思議に思い頭をあげると。
「いいなぁ、孫ってのは、いいなぁ! あぁ、おはよう桐人!」
重郎の顔はふにゃふにゃになっていた。女中たちもよろしゅうございました、と影で涙を拭っていた。
「桐人、もう一回言ってくれ」
「……はい、おじいさま」
「もう一回」
「おじいさま」
「あーっ! 生きててよかった! お前にしちゃ不運の極みだったろうが、悪い、俺は、」
「私も、おじいさまとお会い出来てよかったと思っておりますよ」
「桐人はいい子だ、あぁ本当にいい子だ。こんないい子を俺の方へ来させちまって重の奴には謝んなきゃならねぇなぁ」
重郎は祖父のことを重と呼んでいたのだろう。
とりあえず、いい歳なのでいい子はやめてほしい。
髪を乾かした技術が魔法なら学びたいと話してみたら、午前の早い時間来たのはスターシアだった。
「特別神司の方はあまり外出なさらないものだと認識しておりましたが」
「教会に属する者は御身のお役に立てることを喜びと致します故」
はぐらかされた気がする。
まずは、使える属性を調べることになった。魔法はそれぞれ火だの水だの風だの何らかの属性を帯びているそうだ。髪を乾かすのはごく弱い火と風の複合系。弱くとも両方扱える場合に可能な魔法だった。弱い魔法も使いようによっては働ける、いいことを知った。
「どちらでもかまいませんので片方のお手をくださいまし」
深く考えずに右手を差し出した。スターシアは恭しくその手を両手で包み、目を閉じた。
「予想はしておりましたがやはり私が魔力を流して調べるまでもございませんね、桐人さまは望むままになさることが出来ます」
「望む、まま?」
「属性の括りに縛られないという意味です。属性外のことは私にはわかりませんが、桐人さまならばなにか、この世界にない魔法も思い付かれるのでは」
とはいえ時を遡るだとか重力を反転させるだとか、世の理に反するようなことはすべきではないだろう。
それからスターシアは界を渡った者の多くに現れる特徴を教えてくれた。
「大抵は、元から備わっていた技術がより研ぎ澄まされることとなります。剣術を嗜んでいればこちらでは剣聖が如き剣術を、俊足なれば風同様に野を駆ける。ただ魔法のない世界だと伺っておりますので最初から魔法の達人というのは界を渡った者には居りませぬ」
それでも頭脳労働に長けていれば多少魔法の理解力に差が出ることはあるそうだ。
「ですが桐人さまは別です。私の推測に過ぎませんが界の狭間たる神域にて御身は直接神気を浴びられたのではないでしょうか。神がご尊容にと桐人さまを象った、それは御身を目にされてのことかと」
確かにあの空間で身体を得た。
「それと誤解を抱かれるかもしれませんので先に申し上げますが、神域での身体は魂の在りようが現れるとの言い伝えもございます。神は姿形のみで桐人さまを判断したのではないと、そこだけはご理解くださいませ」
「神司殿がそう仰ったのならそうなのだろう。寧ろ魔力を流すまでもなく、の方が重要だ」
どうやら本来は体内に宿る魔力に聖職者が介入して属性を調べるらしい。それをしなかったということは。
「もしや、私はその魔力とやらを垂れ流している……?」
「言い方がよくない。溢れ出してるんだ。本来自分以外の魔力なんて触れてもただ不快なだけだが、お前の魔力はひどく心地いい。誰もが傍らに居ることを願いたくなる。この店に来るまでにそういったことはなかったか?」
城の近くで会った男も親切だったし、食事をした店でも女が親切だった。
「まずは制御することを覚えた方がいい。ただ、今の状態で疲れを感じるわけではないとしたら厄介だな」
「厄介ですか」
「お前が厄介なのではないぞ、お前はいい子だ!」
話を進めてほしい。
「溢れ出ても疲れを感じない、消耗している様子がない。それは溢れ出た分、回復しているということになる」
「常に満杯である、と。出てしまうのを止めた時にどうなるかですね」
だがその問題はあっさり解決した。魔力を気のようなものだと捉えて、少し瞑想してみた。血液やリンパ液同様体内を巡るものだと思い込むと、循環していった。増え続けて苦しくなることもない、減らなければ回復もしないようだ。
そう重郎に報告したが共に居た信次と共に目を丸くされてしまった。
「なんということだ、もう制御を身に付けたとは! 桐人は才能の塊か!」
「短い休憩時間でも効率よく休めるよう、瞑想の習慣があっただけです」
「指南役の選出をしていたところでしたが……いやはや、これは」
元から持っている技術が向上している筈だとも言われたので、次はそちらを検証したい旨伝えたのだが。
「桐人の得意なことは? 上手い下手は関係ない、言ってごらん」
「なにが出来るんでしょう……?」
役者の仕事で精一杯だった。潰しがきくような資格は持っていなかったし、特に浮かばない。腕を組んで考え込んでいると、信次がお孫さまと声をかけてきた。
「一度身上書のようなものをお作りになって整理なさってみては。大旦那さまならそれを見て、どういった技術に昇華されているのかおわかりになるかと」
確かに。
信次はすぐに書くものを用意してくれた。
「鉛筆もあるぞ? こっちじゃ高級品になっちまうんだが鉛筆の方がよければすぐ持ってこさせよう」
「筆で平気ですよ。慣れておりますし」
「そうか」
「しかし鉛筆が高級品ということは、ボールペンは……」
「作ってみようとはしたんだが、あれは仕組みがよくわからなくてな。簡単にでも造りがわかればどうにか出来そうなんだが」
「あぁ、確か……」
持ってきてもらった白い紙に先を閉じない円錐を描いていく。
「この先端に金属製のボールがあって、回転することにより中のインクが出てきて書ける仕組みだったかと」
だから筆圧が強ければ歪んでしまってボールが回転せず書けなくなる。
「ボール……、本当に玉が入っていたのか!」
「えぇ、ボールポイントペンが正式名称の筈です。粘りのあるインクが先端に続く管の中にあって、一回り大きな筒を軸にしてその中へ通す形で……」
誰もが普通に知っているものだと思っていたが重郎がこちらへ来た年齢と時代を考えればそれほど身近な筆記具ではなかったのかもしれない。
「あちらでは熱によって色をなくすインクや、インクなしに書けるものが既にありました」
「インクなし? 墨やインクがなくてどうやって書く」
「私は持っておりませんでしたし、あまり詳しくは。ただ摩擦によって酸化させてどうのこうのと聞いたことがあります。特殊な金属や加工技術が用いられていて、ペンとしては高級品でしたね」
描いた円錐の横にテレビ番組で紹介されたのを見たことがあるインクレスペンを記憶を頼りに描いてみる。手に触れる軸の部分には木が使われていた。
「………………」
「………………」
重郎も信次も黙り込んでしまった。
「私にわかるのはこれくらいです」
「…………………………うむ」
重郎が頷く。
「信次」
「畏まりました」
落書きに等しい図を持って、信次はすごい早さで部屋を出て行った。指示らしい指示はなかったように思うが長年働いてきた阿吽の呼吸とでもいうのだろうか。
意外と早く信次は戻ってきた。
「万事、滞りなく」
「ん。桐人の名にしてきたか?」
「勿論にございます」
「よし」
何のことだろうと思ったら、ボールペンの開発チームを組んだらしい。
「職人連中が飛びあがるほど喜んでおりました、インクさえ出来れば実用化は遠くありません。三日もすれば試作があがってくるでしょう、お試しくださいませ」
よくわからないが権利者として利益の一部が自分のものになるらしい。
「なるほど……おじいさまは勉強の機会を与えてくださったのですね」
「桐人?」
ただ知っていることを教えただけだがこちらの世界では思わぬ騒動になることもある。今回は身内相手だったからよかったがこれが欲深い他人だった場合、知識の内容が悪用されかねないものだった場合。自分は責任を取れない。
「今後は不用意に二十一世紀のことを口にするのは慎みます。ご指導、ありがとうございました」
師に対するように深々と頭をさげると重郎と信次は奇妙なほど狼狽えていた。
さて、身上書だ。
演目までは不要だろう、重郎にしか通じない。ならば何を書くべきか。自動車がないのに運転免許のことを書くのもおかしい。
「なあ……桐人?」
「はい、おじいさま」
「別にお前は、悪いことをしたわけじゃあないんだぞ?」
「はい?」
「あちらの技術をこちらに持ってきたと、心を痛めることなんてないんだ」
「そのことですか、弁えております」
笑顔でわかっていると返せば重郎は天を仰いで唸り、信次は拳で膝を叩き何故か歯を食い縛っていた。
「そもそもこちらには魔力や魔法というものがあるのでしょう? 私が知っていて説明が出来る程度のものは限られますしそういったものも大半がこちらに既にあるでしょう。もっと便利な代替手段があるかもしれませんし。もし万一、思うことがありましたら必ずおじいさまか信次さんにご相談致しますよ」
「必ずだぞ、桐人!」
「お願い致します、お孫さま」
わかったから、そろそろちゃんと身上書と向き合いたい。
体裁は整っていないが思い付くままに書き連ねてみた。ほとんど箇条書きだ。
重郎へ渡す。
「桐人は字も美しいなぁ」
「大旦那さま、まずは内容でございます」
「そうだったな……」
書き付けを見た途端重郎の表情が変わった。
「信次、今から言う連中を呼べ」
外国人風な響きも交え、重郎は何人かの名を告げた。
午後。
まず会ったのは、城の剣術指南役と肩書きを持つ武士だった。庭の一角で木刀を渡され振れと言われた。握って構えれば、高校時代に部活で学んだ剣道を思い出す。
「っ、」
一度振ればあとは自然と身体が動いた。振り下ろし、薙ぎ払い、刺突を繰り出す。更にもう一歩踏み込んだのだが。
「そ、そこまでっ!」
次に会ったのは腕の太さが自分とは倍ほどありそうな屈強な男。僧兵だろうか、刈り込んだ頭と飾り気のない着物。
「揚羽屋殿、まっこと、この佳人と立ち合えと……?」
外見はかなり厳ついが心根は優しい男と見える。佳人と呼ばれるのは頷けないが同じ疑問を自分も持っていた。この豪腕相手になにをさせられるのだろうか。
「なに、腕試しだ。貴殿ならば相手の技量くらいわかるだろう」
男が安堵した表情で頷いた。
「桐人、柔道や空手の心得があるだろう? 彼になにか仕掛けてみてくれ」
「わかりました」
一礼し、胸を借りる気持ちで向かい合う。
「………………」
かなり気を緩めているようだが本当にいいのだろうか。
「いつでもいいですよ」
「では失礼」
男の腕を取って転がし拳を入れる寸前で止めた。
次に会ったのは重郎と同じ時期に界を渡った老人だ。見るからに西洋人なのに、作務衣を着ている。
『不思議かね? 私がこいつを着ているのが』
フランス語だ。眉間に皺を寄せ、検分するような眼差しを投げられる。
『意外で……いえ、不躾な態度、失礼致しました』
『いやいいさ、あからさまに文句を言ってくる奴も居るくらいだ』
『なにを着ようと個人の自由なのでは』
『そういった考え方が出来ん頭の固い奴らもいるんだ。こいつは着心地もいいし、なにより楽だ』
『私も持っておりましたよ、向こうで。おじいさまと同じ頃にこちらへいらしたと伺いました、お会い出来て光栄です』
『………………』
『? もし?』
「おい揚羽屋! これ本当にお前の孫か?」
「俺の双子の弟の孫だから俺の孫だ」
「馬鹿野郎違うじゃねぇか! お前みてぇな奴からこんな出来のいいのが生まれるわけはねぇと思った!」
あまり意識していなかったのだが、フランス語だったのは最初だけであとは違う言語を話されていたらしい。
部活で取った剣道三段は剣術の極意、授業でやった柔道は体術の心得に。大学で第二外国語として選択したフランス語は多言語理解に。
色々終わって、ゆっくりと茶をいただく。
「剣術の方が体術よりお強そうですな」
「段位がものを言ったな」
茶菓子はカステラだ。卵や砂糖の供給は安定しているのか、ただ揚羽屋が裕福なだけか。
「桐人や、お前、槍を使ったことは?」
「ありますが馬上で何度か扱った程度です」
「なら槍もいけそうだな……馬上?」
時代劇の撮影では馬に乗れると仕事のチャンスが増える。テレビの仕事も受けるようになってすぐ習った。
「このお茶美味しいですね」
スキル確認回。たいして確認できてません。
お孫さまはチートよりも美味しいお茶。