お孫さま、鯛実食
小さめのアサリを大量に使い、しっかりとした出汁を取る。打飼袋にはしっかり米も味噌も醤油もあった、鰹節は削り器とセットでだ。ご丁寧に揚羽紋入りの箱にそれぞれ詰められて。出汁を取っている間に鍋を借りて米を炊く支度をする。家のものは気にせず使っていいとは言われているがさすがに土鍋はなかったので煮込み料理でも作りそうな厚手の鍋を借りた。
今のうちに出来ることはしてしまっておこうと、魚を取り出す。
まずは一尾目の鯛。血抜きは済んでいるので取り出した瞬間、針のような細さで風の魔法を使い神経抜きを施しておく。二尾目も同様に。腹は抜かれているが再度流水で洗っておく。一尾は塩釜焼きにするつもりなのでそのまま手を翳して収納しもう一尾は三枚におろし、半身は刺身用に皮を引く。頭や中骨といったあらに塩を振り少し時間をおく。その間に身を切り分けて刺身やカルパッチョ用に造っておき飯の鍋とアサリの鍋を確認。あらに霜降りを施してぬめりを更に洗い流す。昆布と一緒に水から煮ていく。火の口が三つあってよかった。あくを除いて最後に酒を、と思ったところで日本酒を持っていないことに気付いた。アルコール成分があればいいかと少しだけ例の水筒からもらった。さすがに潮汁の為にワインを開けるのも気が退ける。味を見て、頷く。
「うん、上出来。木の芽か柚の皮が欲しかったけどしょうがない」
未開封の安酒と、減っても満ちるネクタルとを天秤に掛け味わいの特徴から特に問題にならないネクタルを使ったわけだが、ここに常識を知る者が居たら怒られたかもしれない。
「あ、山葵もなかった。まあいいか」
明日は街を出る前にあれば山葵と、卵をいくつか買おう。うっかりしていたが、塩釜焼きにするには卵白も必要だ。
アサリの出汁と炊けた飯を鍋から片付ける。うまくいくか不安もあったが液体も問題なく収めることが出来、また任意の量を取り出せた。
少し合わないがプレリアトで買った野菜で生野菜のサラダを作り、野菜を補う。白飯と、自分でさばいた鯛の刺身、潮汁。ここまで出来てしまったので、ヒラメは食後に処理しよう。ちなみに、米や味噌と一緒に食器の類も一式入っていた。いや一式以上あった。箸や汁椀は揃いの漆器、飯碗や小鉢、皿は焼き物だが漆器と似た色で統一感がある。はっきり言ってしまえば重郎の家で重郎と自分にだけ出されていた食器と同じものだ。器の底、高台の内側には揚羽紋がある。ここまでは一式、一式以上なのは、まさかの茶道具だった。さすがにすべてではなく、必要最低限の簡易セットが一箱に納められていた。それも煎茶用と抹茶用があった。
気軽に楽しめということだろうが央京滞在中に茶を点てたことはなかったのだが何故入れられたのだろう。有難く使わせてもらうつもりではいるが。
「いただきます」
久々の和食だ。
「あ、美味しい」
魔素を含む海で育つからか、自分でさばいたからか。
鯛は記憶にあるよりも美味く感じた。
アルフの家のキッチンにはあちらでいう冷蔵庫、こちらでは保冷庫と呼ぶものがあった。魔道具のひとつで、ちなみに冷凍庫は氷温庫と呼ぶ。
塩を炒って焼き塩にしておき、五枚おろしにして皮を引いたヒラメから一さくと、刺身用にした鯛から一さくを昆布締めにしていく。
「あ」
フィルム状のラップがない。なにかで代用出来るのだろうが、この家にあるかはわからない。
「うーん………………………………あ、」
不可侵の層を作れるなら、逆も可能な筈。外からの侵入を防ぐより内部から漏れ出るものを防ぐ極薄い層を昆布締めにしたい身へと張ってみる。
大丈夫そうだ。保冷庫へ入れておく。あの層をうまく使えば真空調理的なことも出来そうだ。結界魔法という大仰な呼び方をされるようだが、とても便利だ。
「アルフさんを呼んでおくれ」
ふと思い出して、札でアルフを呼び出す。
『うぇええ? これ? これでいいのか?』
少し待って、繋がった。
「アルフさん?」
『はひっ、はい、アルフです、若旦那!』
「お仕事中すまないね、今平気かな?」
『これが通話かい、なかなか不思議なもんだね。途切れちまうだろうからアルフ、札の紋から指離すんじゃないよ』
傍にアヴィルダも居るようだ。他にも数名、声が聞こえる。今のところ揚羽札の魔水晶を介しての通信なので相手にも札に触れていてもらう必要がある。いつかはハンズフリー通話も可能になるのだろうか。
『デスマーリンの解体が一段落したところだよ、これから更に細かく素材を分けるから今はちょうど休憩さ』
「世話を掛けます。それで、いくつかお願いしたいことがあって」
明日、信次宛てに早飛ばしを使いたい旨と、解体したデスマーリンは可食部分をいくらか欲しいのと、釣り堀へ差し入れしたい旨を話す。
『早飛ばしの件、了解だ。若旦那の取り分はうちの目利きがしっかり選んでるよ。アルフ!』
『釣り堀のおやっさんには心付けの他、家族で食える分だけ身を渡しておきます』
「よろしく」
『あと、相談なんだが』
『ボス! それは、』
『坊やは黙ってな!』
なんだろう、何を揉めているのか。
『デスマーリンの一番の素材は嘴だ。あの部分は奴にとっても最大の武器、だからこそ無傷で討伐されることは滅多にない。だがその分、高値が付く』
「はあ」
『いい武器にもなるが、あれは魔法媒体にもなるんだ』
なるほど。
『だから、』
「手間を掛けましたからね、差しあげてください」
『うちで買取………………は?』
「アルフさんのに使えそうってことですよね? 今までどうもしっくり来るものがなかったと聞きました」
『あ、あぁ、そうだが……』
「どうぞ差しあげてください」
『無理です! 若旦那、受け取れません!』
アルフの叫びは悲鳴そのものだ。あげる、受け取れないの問答を何度か繰り返しやっと理由が聞けた。
『デスマーリンはその嘴が買取料の三割以上だといわれるんだ』
今回のデスマーリンはそこそこ大きかったそうなので嘴を抜きにしても査定総額金一千五百。嘴だけで金一千するとのことで、合わせて二千五百。草原での魔物の推定額を考えればかなり高額だ。
「水棲の魔物ってもしかして高かったり?」
『当たり前だろ、って、あぁそうだった、あんたそうだった』
水棲の魔物は討伐が難しく大抵は追い払うだけになるそうだ。討伐出来ても相当被害が出るし魔物も傷む。今回のような鮮度は最高、ほぼ無傷に近い大物だなんて冒険者ギルドでなくても一枚噛みたがる、と。
「だからあれだけ派手におじいさまのことを広めたんですね」
『そうすりゃしゃしゃり出てくるのは居なくなるし問い合わせはうちが一手に引き受けられる』
そうした面倒を引き受けてくれることにもなるのだからと話が戻る。
「プレリアトで頼んでいる解体が済めばいくらかは入るんだ。だから私は美味しいところをもらえればそれで満足なんだよ」
『そうは仰ってもですね、若旦那。金一千の価値があるものをおいそれといただくなんて』
『世間知らずも程々にしな。もらっちまうには度が過ぎるって言ってんだ』
「わかってますが、宿代も兼ねて、ここで恩を売っておけばプレリポトの店は安泰でしょう?」
『っ……』
絶句されるようなことを言ったつもりはないのだが、返ってきたのは沈黙だ。
「プレリポトの店は地元ともよい関係を築いていそうだしアヴィルダさんたちじゃないと仕切れないでしょう、今後ともよろしくというご挨拶含めて納めてくれると私も少しくらいはおじいさまのお役に立てたかなと思えるんですよ」
雇用主ではないが臨時ボーナスのような感じで納めてもらえたらと沈黙される間待ってみた。
『………………半額だ』
「はい?」
『半額に値切らせて欲しい』
ここが譲歩のしどころか。
「わかりました」
『アルフ! お前、口座に二百五十くらいはあるだろ、若旦那に支払いな! 残り二百五十、店で立て替えてやる、キリキリ働いてさっさと返すんだ!』
『えええええ! 突然の借金持ち!』
『よかったね、アルフ坊や。月賦で金二十五ずつ返していけば一年以内に済むよ』
アルフが言っていた三名の重鎮の誰かか。のんびりした口調で返済計画を話すが月に金二十五とはアルフの収入から無理のない範囲なのだろうか。
『二十五も払ったらいくらも残らないですよ! 僕どうやって暮らすんです!』
無理のある範囲だった。
この調子になったアルフはやはり声が大きい。結局二年計画で返していくことになったようだ。
「私は美味しいところを少しもらえればかまいませんので他はそちらに任せます。解体の費用は勿論差し引いてください」
『デスマーリンにゃ魔石があるが、それもいらないのかい?』
「魔石の使い方も知りませんし、お任せしますよ」
どこかの誰かが役立ててくれるならそれでいい。
『素材諸々含めて、口座に入金でいいね?』
「あー、でもあの口座……あまり使うつもりがなくて」
ボールペンの利益が入るだけの口座なのだと説明した。
「さすがに手持ちでは足りなかったので青藍を迎えた時には借りるつもりで決済にしましたが」
『ボールペン…………あんただったのかい……』
『若旦那、あれめちゃくちゃ便利ですよ。船の上でも安全に書き物が出来るって、うちでもよく売れてます。僕も持ってます』
船ではインク壺も硯も不便だろう、役に立てているのならよかった。
『あんたには小額なんだろうが生憎とデスマーリンの代金をそっくり現金で渡せるほどの用意がないんだ』
口座決済なんてものが浸透しているのだ、無理もない。あちらでも様々なことが数字の操作で済む振込だった。こちらでは貨幣経済と信用経済が入り交じる。
「小額とは思ってませんよ」
『アトの信吉さんから聞いてるよ、銭勘定を白でやるって』
「いや、それはあまり使わないとは知らなかっただけで……」
そんなことまで報告が回っているとは。迂闊だから気を付けろと揚羽屋内で周知されているのだろう。かなり恥ずかしい。
『事業とは分けたいのなら第二口座を作りゃいいよ』
「あ、口座というのは複数持ってもいいものなんですね」
それなりの額が入る奴だけだ、と返された。
『元の口座に紐付けされるから別の口座があるってことは知られるけどね』
「そこはかまいません。分けてもらえるならお願いしたいのですが」
手続きがわからないと伝えると盛大な溜め息が返された。
『やれそうならこっちでやっとくよ。揚羽屋の名前で開いてるんだろ?』
「そうですね、名義は揚羽屋桐人で口座のカードには揚羽紋が入ってます」
『色は?』
「枠の色ですか? 金箔ですね」
また向こうに沈黙される。
「もし? アヴィルダさん? アルフさん?」
『………………滅多なことでひとに見せるんじゃないよ」
このカードだけで窓口に行けば黒金一枚、問答無用で借りられるそうだ。
「そんな物騒なものだったとは。財布に入れておくようにとだけ言われて」
『孫馬鹿にも程度ってもんがあるよ……』
決済に使用するのも第二口座に指定出来るそうなので合わせて頼んだ。
『ところで、飯は?』
「食事はさっき済ませました」
『頃合い見計らってアルフを走らせようと思ってたんだけど、区切りが悪くてね。妙なもん食べちゃいないね? 街に居る間は報告しなきゃなんないんだ』
「キッチンをお借りして今日仕留めた鯛をいただきました」
『鯛?』
『若旦那、ほんとに料理するんですね……』
刺身と潮汁にして昆布締めも作ったと言うと例の調子で驚かれた。
いわゆるブラックカードです。