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お孫さま、めずらしい黒星

 アヴィルダからの盛大な拳骨を喰らったアルフはテーブルセットの下に敷かれた絨毯のシミ抜きをしてこいと、文字通り蹴り出された。



 濡れてしまった椅子を手で払い、アヴィルダが座る。斜め向き、足を組んで腕も組む。元船乗りというより、勇ましい海賊の雰囲気を醸し出す。

「失礼したね。もうちっとばかしまともならねぇ、ツラもおつむも悪くない、肝もそこそこ据わってる、言うことないんだけど」

「アルフさんのお気持ちは」

「知ってるさ、あれを拾って二十年になるんだよ?」

 アヴィルダは軽く両肩を竦めた。

「こっちは五十過ぎてんだ、息子みたいなもんさ」

 そうですか、と流すとアヴィルダは目を眇めた。

「なんだい、あっさりした返答だねぇ。もっと何か言うのかと思ったが」

 色々言われ慣れているのだろう。

 アルフは美青年だ、秋波を送られることも少なくない筈。そのアルフが見るのはアヴィルダだけ。上司であり親代わりのような存在、口さがない連中が吐く言葉も想像がつく。

「余人が口出しすることじゃありません。当人同士のことです」

「ならなんで確認したのさ」

「あの奇妙な笑顔の理由の、確証を得ようと」

 予想通りだったわけだが。

 アヴィルダはこの返答に納得はしてくれたようだ。そうかい、と小さく呟いて、テーブルの上の無事だったチョコレートを口へ放り込んだ。

「しっかし、あいつ、べらべらと喋りやがって。あとでボニーに絞らせてやる」

 苛立ちをぶつけるようにアヴィルダはチョコレートを噛み潰す。

「あいつ、あたしの半生話してただけかい?」

「そうですね。あ、札の登録と地図の更新は済んでます」

「……それが済んでなきゃ今からまた蹴り倒しにいかなきゃならないとこだった」

 笑って流しておこう。

「どこかのご令嬢だったと伺いましたが、もしかしてアルフさんも」

「……」

 こちらを探るようなアヴィルダの目つき。言葉を続ける。

「幼少期に仕込まれたものはなかなか隠しにくい、十歳なら十分。足の運びがただ船乗りであったとは思えない。教育も受けていたのでしょう、初等教育であってもその差は大きい。だから他を差し置いてチーフの地位に居る」

「………………あれはデュルハルト帝国の王子だよ」

 プレリア共和国が中央大陸の南側、北にはシャンという国があってその向こう、北の海に面してデュルハルト帝国がある。

「アルフォンソ・ドリテ・フォルガナーハ・デュルハルト。表向きは死んだことになってる。平和的交渉とやらで一国呑み込んで、国土を拡げたばかりだったが中はどうにもきな臭かった」

「十歳で内乱を察して亡命ですか、なかなか思い切った決断だ」

「母親と妹が相次いで毒殺されたからね、あれは偶然毒を口にしなかっただけだ、そりゃ逃げるさ」

 アルフの母親と妹を殺したのは当時宰相だった男だそうだ。すぐに暗殺は露見し罰せられた。

「知ってるのはうちじゃ四人、あとは大旦那と大番頭だ」

「四人……アヴィルダさんとアルフさんが言ってた三名の方ですね」

「あれは隠し通してるつもりだがね、女だけの船に残すんだ、裏は取るよ」

 アルフが船に残れた理由だろう。

 こどもだったから、便利だから。それだけで残れたわけではない。

「私も知らないことにします」

「………………そうしとくれ」

 アルフを匿えばアヴィルダたちにも危険があった筈だ。だが、アヴィルダたちは少女の振りをして逃げる少年を、自分たちと同じだと扱った。行き場を失った者。

「………………」

 果たして、自分の行き場とは。

「若旦那?」

「いえ」

 小さく首を振る。行き場なんてものは気付けばあるものだ。旅をして、こちらを知って、漸く見つけられるかもしれない。見つからなければそのまま彷徨うだけ。幸いこの身は死なないらしいから、重郎を哀しませることもない。そんな道行きに付き合ってくれることになるスターシアには悪いが、好きに離れてもらえばいい。

「大旦那になにか言われて来たわけじゃなさそうだね」

「なるべくあちこちの店に顔を出して札に登録して欲しいとは言われてますが」

「プレリポトに来た目的は札の登録だけかい?」

「主な目的はそれですね。あとは完全に物見遊山なので」

「物見遊山、本当だったのかい……」

 心底呆れられてしまう。

「私は物を知らないので、色々見てまわりたくて」

「あたしゃてっきりまた大旦那がなにかなさろうとしてんのかと」

「もしかしたらなにか思惑がおありなのかもしれませんがおじいさまのお考えなぞ私にはわかりませんよ」

「思惑ねぇ……」

 アヴィルダがじっとこちらを見てくるが、本当に重郎の思惑なんてわからない。

「それじゃしばらく滞在なさるのかい?」

「いえ、プレリアトの冒険者ギルドに預けている魔物の解体が明後日には終わる筈なので間に合うよう戻ろうかなと」

 一瞬アヴィルダは怪訝な顔をしたがすぐ納得したように表情を戻した。

「グランドエクウスに乗ってるんだったね、それも五つ星の」

「明日の昼前に発てば明後日には十分間に合うかと。それにもし遅れても向こうの店で引き取ってくれているでしょうし」

「じゃ、今日は泊まりだね。宿は?」

「まだです。どこか紹介していただければ助かるのですが」

 アヴィルダは渋い表情で唸る。

「紹介したいのはやまやまなんだけどね、生憎どこも若旦那が泊まれそうな宿じゃないんだ。簡易宿っていうか、船乗りが多いからね。格の高いところはポトで店を持たない豪商や屋敷を持たない貴族連中が年間契約してて空きがない。需要がないからそもそも少ないんだ。無理に空けさせるのは簡単だが、そういうの嫌いだろ」

「えぇ」

 信吉に教えてもらった本店からのお達しがここでも影響している。セルジュとの約束もある、安宿には近付けない。宿がなければまた外へ出て野営してもいいかと思ったが、アヴィルダはまったく別の提案をした。

「停泊中の船に泊まる手もあるが、まあアルフんちを使うか」

「え?」

 停泊中の客船を仮の宿として活用することはめずらしくないそうだが。

「今日は残業させるからあれんちは空いてる」

 アヴィルダは軽く、壁の向こうを指差す。今、必死にシミ抜きをしているだろう美青年の夜勤が決定してしまったのか。

「いえ、でも」

「一人で身の回りのことは出来るんだろ? そう聞いてる」

「えぇ、でも今日初めてお会いして家主不在で泊まるのはさすがに」

 アヴィルダは、そういう常識はあるんだね、と軽く笑い飛ばすが頷けない。

「平気さ、あれも気にしないよ」

 豪快に笑いながら残りのチョコレートを口へ放り込む。アヴィルダの中ではもう覆らないようだ。



 それから、滞在中の予定を話し合う。

「冒険者ギルドに報告は済ませたのかい?」

「何の報告ですか?」

「到着のだよ。冒険者は動く度に所在を明らかにする為に報告の義務がある」

「私はどこのギルドにも登録はしてません」

「解体依頼出してるのに?」

「冒険者じゃなくても解体依頼はすると聞きましたが」

「まあ、そりゃすることもあるけど」

 アヴィルダは腑に落ちない、といった表情だが本当に登録はしていないのだから報告することもない。

 ちなみにプレリポトの店ではお抱え冒険者は居ないそうだ。何故なら、全員が元船乗り。それぞれ得意分野は違えど戦える、冒険者を雇う必要がないそうだ。

「じゃあ他に希望はあるかい?」

 アルフから魔法の説明をしてもらえる話と、市場のようなものがあれば見たいと話す。

「なにか魚介類を買えたらいいなぁと思ってます。野営用に肉は買ったんですが、魚とか貝とか、スパイスやハーブ、調味料も欲しいかな」

「そりゃあこの街で正解だねぇ」

 アヴィルダはにっこり笑った。やはり港町、交易だけでなく漁も盛んだとか。

 そこに絨毯を手にアルフが戻ってきた。

「シミ抜き完了しましたっ! 乾燥も済んでまっす!」

 濡れたスーツもしっかり着替えている。

「アルフ。若旦那、お前んちに泊めるから」

「え?」

「若旦那に魔法の説明をするんだってね、あと市場も見てみたいそうだからご案内しな。それが済んだらお前の家に送り届けて、お前はボニーんとこに顔出すんだ」

「ボニーさんとこって僕今日帰れないの確定じゃないですか! うちに、若旦那がお泊まりになるのに!」

「若旦那は身の回りのことは自分でお出来になるんだよ」

「えええええ! そこは出来ないって言っちゃいましょうよ若旦那!」

「うるさい! お前はおとなしくボニーに絞られな!」

 いつもこんな感じなのだろうか。そしてアルフ、舞台役者ばりに声が大きい。

「あ、そういや若旦那、冒険者ギルドにはもう」

「そいつはあたしが訊いたよ!」

「ギルドには行きません。用がないですし解体依頼の為に先日初めて行ったら刀を寄越せと見知らぬ冒険者に言われて色々ごたついて」

 その言葉にアルフは目を見開き、アヴィルダは大笑いしていた。

「死にたいんですか、そいつ……」

「お酒を飲み過ぎていたようです。真っ青な顔で震えてましたから」

「馬鹿が、集るにしても相手を見なってんだ……ひぃ、可笑しい……」

 アヴィルダは椅子が倒れそうなくらい仰け反って笑った。

「それだけ全身揚羽紋が入ってるのにわからないような奴はなに言ってきても無視していいよ、わかる奴はそんなこたぁ言わないからね。それにしてもよくそこまで入れたもんだよ。絶妙な隠し加減だ、織り、染め、刺繍、しっかり見りゃわかる、馬鹿にゃわからないけどねぇ」

「信次さんが持ち物全部に入れるって聞かなかったんです」

 アヴィルダはテーブルを叩きながら笑い転げていた。

「あー、笑いすぎて腹が痛いよ。大番頭ならしそうなことさね。あれは無害そうな顔して譲らないよ? 最後にはみーんな思う通りにしちまうんだ。強かな男さ」

 テーブルから顔を僅かに起こし、唇の端をあげて笑うアヴィルダの迫力はやはり船乗りというよりも。いや、今はプレリポトの揚羽屋を纏めるボスだ。

「なら私は信次さんにとってめずらしい黒星なんですね、思い通りにはなりませんでしたから」

「持ち物全部に紋入れられたのに?」

 アルフの疑問に頷いて返す。

「おじいさまの後を私に継がせたがってました」

 アルフも、あれだけ大笑いしていたアヴィルダも、何故か沈黙してしまった。

「勝ちましたよ? 私は継ぎません」



 沈黙の中、グラスの中の氷が音を発てる。



「………………………………若旦那、あんた、そんなあっさりと」

「?」

 どうしてこんな反応を返されるのだろう。

「ボス、仕事はするんで、一杯引っ掛けていいですか。棚の後ろに隠してるやつ」

「棚のはだめだ、引き出しの奥のならいい。あたしにも寄越しな」

 アルフは無言で執務机まで行き、ショットグラスを二つとボトルを持ってくる。ラム酒だろうか。ボトルを開けるだけでこちらにもアルコール臭がわかるくらいの強さ。氷も割り材もなし。なみなみ注いで、二人は一気に呷った。


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