お孫さま、寄り道
プレリポトへ向かう途中、野営した場所に立ち寄った。目的は青藍のおやつだ。どこにでも生えているわけではないらしいので少し多めに摘んでおこうと思った。
確かこの辺りだったなとうろ覚えで進むと、不思議なことになっていた。
「………………青藍。お前こんな花畑があったの覚えているかい?」
青藍はぶるるっと鼻息で返事をするだけ。
焚き火をした跡もある、周囲の風景も見覚えがある、ここに間違いないだろうが一部、天幕を張った跡地が花畑になっていた。
「なにがあった場所だっけ………………あ」
思い出した。ここは、風呂だ。バスタブがあった位置。入浴剤を入れたわけでもないし害はないだろうとバスタブの栓を抜いて残り湯をタイル越しに撒いた。
「残り湯だったからこうなったのか、あの天幕の湯だからこうなったのか……」
理由はわからない。ただ色とりどりの花は虫や小動物に歓迎されているようだ。
「生態系に影響がなければいいけれど……」
神の持ち物から生じた結果なのだから、大丈夫だと思いたい。
気付かなかったことにして葉を摘む。青藍は先日と同じように自由にしてある。見渡して、半分くらいならもらっても平気かなと思ったら、一瞬でその量が木から消えた。
「あぁー……」
感覚でわかる、収納してしまった。無闇矢鱈に収めてしまわないよう、これにも制御訓練が必要なようだ。
他にもあのとても酸っぱかった野苺や、色濃く熟した違う形の野苺などを摘む。輪郭が光って見えなければ自然の植物を摘むなんて危ないが、こうして判定出来るなら図鑑のようなものがあれば名前もわかっていいかもしれない。
野苺は葉ほど量はいらない、そろそろ青藍を呼んで先へ進むかと思ったら、森の奥から悲鳴と共に騒々しい音が聞こえてきた。逃げる二名と大型の魔物、感じからあの牛っぽいもの、ステップバイソンのようだ。距離はまだあるが数分でこちらに来るだろう。
逃げていたのは男女一名ずつ。男の方は助けてくれと叫び女の方は逃げてくれと叫ぶ。周囲の木をへし折りながら二人を追い掛けるのは緑色の牛っぽいもの。
「緑色も居るのか、カラフルだなぁ」
女が木の根に躓いて転ぶ、男はこちらを盾にでもするつもりか掴み掛かってきたので軽く躱して。
緑色の巨体は止まった。眉間に深々と刀を差し込まれて。左右どちらかが開けていれば耳からいくつもりだったが木があったし突進してきたので仕方なく。絶命を確認して、刀を抜いた。
「ひっ……」
男はへたり混んでいたが、女は逞しく立ちあがっていた。
「これ、いただいても?」
「え?」
「仕留めたひとのものです、私たちは逃げていただけ」
男はまだ理解出来ていないようだ、女の方が答えた。
「お、おい、なに勝手に」
「あんたが不用意に眠ってるステップバイソンの近くまで行くから!」
「お、俺たちが見つけたんだ、俺の獲物だ」
女は男に怒り、男はへたり込んだままこちらを睨んでくる。
彼女の前でかっこつけたかったのだろうか。しかし、俺たちが見つけたのに俺の獲物とは。彼女の分がないではないか。よくわからない発言だ。
「生きたのを探して連れてきましょうか?」
「ひっ」
へたり込んだままの男を見下ろせば、何故か悲鳴をあげられた。かっこよく斃すところを見せたかったのなら生きたステップバイソンでないとだめだろうと思ったから言っただけだ。範囲を拡げて気配を探れば簡単に何頭も見つかる。
「こいつの言うことは気にしないでください。命の恩人です、これはあなたの獲物です」
「そうですか。では遠慮なく」
鮮度がいいと解体の職人が喜ぶ、すぐに片付けた。ちょうど二人はこちらを見てなかったのでその瞬間は見られなかった。
「この期に及んで欲を出すって、救いようのない馬鹿だ。ギルドには報告するし、あんたとは二度と組まない」
「なっ、報告って!」
「依頼遂行中力量も弁えず強い魔物の注意を引き妨害行為をした。追い掛けてくる魔物を見ず知らずの居合わせただけのひとになすり付けようとした、助けてくれたひとが仕留めた魔物を奪おうとした。最低でもこの三つは絶対に報告する」
二人の話は続いているようなのでそっとしておこう。森を抜けて、青藍を呼ぶ。ピュイッと短めの口笛ですぐにやってくる。賢い子だ。
だが、青藍は何かを咥えていた。
「これこれ、妙なものは食べちゃいけないよ……これは、兎かい?」
すっかり絶命した兎が二羽。いやこれも兎でいいのだろうか。サイズは大型犬、それを考慮しても凶悪なほど大きな前歯。色は白と灰色。草原で丸まれば遠くからなら岩に見えるのかも。だがいくら大型犬サイズでも青藍から見れば小さい兎だ。
「苛めたのかい?」
違うと言わんばかりに青藍は首を振る。
「これも魔物で、襲い掛かってきた?」
肯定めいた鼻息が返された。草を食んでいて襲い掛かってきたようだ。
「お前に怪我はないね?」
ぐるりと見て回ったが無事のようだ。肢巻は保護の為だけではなく防具も兼ねていることに思い至る。今度会ったら信吉には礼を言おう。青藍は魔物だから普通の馬よりは逞しいのだろうが少し心配になる。今更だが今夜にも信吉に青藍の扱いについて訊いてみようか。野生のグランドエクウスはどんな環境で居るのか、寒さや暑さには弱いのか。なんてことだ、最初に気付かないなんて。
「悪いね、お前のことをもっと勉強してから出ればよかった」
顔を擦り付けてくる青藍の首を軽く叩いて宥める。出る時なにも言わなかったのだから、少なくともプレリアの気候は大丈夫なのだろう。
あちらでも兎を食べる文化はあるし毛皮も使っていた、収納しておく。兎も金になるなら青藍のものを買おう。
鞍を跨ぎ、出発しようとした時。森から女の方が出てきた。
「待ってください!」
一応、止まってみる。
「プレリアトに戻るなら乗せてってもらえませんか、少しならお金は払います」
「生憎と逆方向です」
「え?」
「これから海の方へ行くので。では」
青藍が一駆けすれば森はすぐに遠くなった。
走り続ければ日付が変わる前にプレリポトに着きそうだったが、夜中に着いても迷惑だろう。途中、目立ちにくい道から外れた位置で場所を見つけ野営することにした。
「よく頑張ったね」
青藍の身体を拭いてやると嬉しそうに目を細めふんふんと鼻を鳴らしていた。
スパイス類と一緒に少し肉も買っていた。こんな感じかなと適当に串を打ち石で高さを持たせた隙間へ焚き火から少し炭を転がし、付かないように気を付けて串を渡らせ焼いていく。時々回転させて、満遍なく。
「……うん、こういうのが野営の食事って言うのかな」
飯盒と米があればもっとよかったかも。パンもいいし央京では毎食白米だったが主食は飽きることがない。いや、もしかしたら打飼袋にはあるかもしれない。旅に出るとなって一旦打飼袋の中身を目立ちそうな財宝以外全部出したあと、揚羽紋を入れて中へ戻したがあまりの量にきちんと確認しなかった。あの時心なしか増えていた気がする。考えてみれば過保護な重郎や信次が食べ物を持たせない筈がない。あとで確かめておこう、今からでは肉が焼けるのに間に合わない。今日のところはパンを囓る。バゲットやロデヴがあるから今度スープを作ってもよさそうだ。
天幕の設備を使えば宿で出たような料理も作れそうだが一人だからこれでいい。青藍が草とニンジン、少しの塩、おやつの葉をもしゃもしゃしているのを見ながら焼けた串に齧り付いた。
「お」
我ながらいい塩梅に焼けていた。噛み締めれば旨味が出てくる肉、確かステップバイソンの茶と言っていた。食感もそのまま牛肉、黒毛和牛の赤身といった味だ。他の色のステップバイソンだと違うのかはわからない。
今回は市場の中にあった、専門の肉屋で購入した。野営で使いたいと言ったら、肉の磨きを丁寧にしてくれた。おかげで掃除することなくすぐ串打ちが出来た。
こうして食すことも供養のひとつになるだろうか。もしなるなら、食用に適しているものはなるべく口に入れよう。
「………………無理のない範囲で」
さすがに昆虫食は遠慮したい。そこは時代や文化の違いだ、文化が違えば生卵を口にすると気味悪がられる。蜂の子やイナゴも年代や居住エリアによっては貴重な蛋白源、または季節の味としても食べられるが自分は馴染みがない。エビやカニとどう違うのかと言われても困るが、あれはあれで冷静になると無理になってしまいそうだからなるべく考えない。魔物の牛やあの兎の大きさを考えれば、魔物に分類される虫はやはり大きいのだろう、なら尚のこと虫を食べる文化はありそうだ。
食後に珈琲を楽しみながら信吉に連絡してみる。
「就業時間は過ぎているだろうに、悪いね」
『心配になっちまうからご都合のよろしい時にご連絡いただけるのは有難いです』
時計を見れば夜の八時だ。念話はあまり得意ではなさそうだったので音声通話にした。
『グランドエクウスは魔物だけあって強い馬でして山も崖も平気です。ただ極端に寒いところ、雪原だのとんでもない高地だの、主人が専用の装備じゃなきゃ無理な場所にはグランドエクウスにも相応の装備が要ります』
防寒具を用意すれば大丈夫らしい。
『厳密には馬じゃなく魔物ですからね、強いですよ?』
「暑さはどうだい?」
『きちんと水を飲ませて、塩もやって、食欲が落ちなければ大丈夫。でも暑いこた暑いので時々日陰でしっかり休ませるなり氷を食べさせるなりして身体の中に熱が籠もるのを防いでやってください』
生き物は生命活動だけで熱を持つ、寒さよりも暑さに注意した方がいいらしい。水浴びも有効らしいので覚えておこう。
『あと、足は強いでしょうが馬の命はその足と言っても過言じゃあございません』
泥濘や砂場のような柔らかい、足を取られる場所には注意が必要だと。崖や岩場よりそちらの方が危ないそうだ。
「そうか、水溜まりとかには気を付けるよ」
『いえその程度なら平気です、沼を越える時なんかに気を付けてやってください』
沼越え。いやどこもかしこも整備されているわけではないしこの国はたまたま、草原が多いだけだ。そういう土地もあるのだろう。
『植物に関しては採取用の図鑑をご用意しておきます。ついでに石や鉱物の図鑑もご用意しておきます』
「ありがとう」
湯を使って、瞑想をしてその日は休んだ。
まだ早い内に着いたからか、プレリポトの検問は空いていた。衛兵は二十四時間交代で詰めているが一応開門と閉門の時間は決まっている。朝五時開門、二十二時閉門。緊急だと認められなければそれ以外の時間、門は開かない。閉門後に着いた者は検問所近くで野営して待つ。衛兵も居るから比較的安心出来るそうだ。
「おはよう。立派な馬だ、夜通し走ったのかい?」
気さくな衛兵だ。まだ混んでいない時間だからかもしれない。
「おはようございます。少し離れた場所で野営しておりました」
「うん、無理は禁物だからね。決まりだから、馬から下りて身分証を」
「えぇ」
青藍から下りて身分証でもある揚羽札を提示する。衛兵が固まった。
「もし?」
「………………………………あっ、揚羽屋さん! 揚羽屋さーん!」
衛兵は血相変えて、背後へしきりに手を振って叫んだ。
「あの、」
「ちょっ、ちょっと、ちょっとだけ、お待ちを!」
衛兵は慌てて奥へ引っ込んだ。中を覗き込むと長椅子で寝ている誰かを起こしている。
「起きて! 起きてくださいって! 起きろっ!」
中折れ帽タイプのパナマハットを顔に被せた男の身体を揺さ振っている。いや、パナマはこちらにないだろうから、パナマハットとは呼ばないか。服装は和装でもなく鎧でもない洋装だ。踝を見せる丈のトラウザーズ、ネクタイはなく、シャツにジャケット。
「んぁ……?」
「お待ちの方がお見えになりましたよ!」
「………………へ?」
帽子を外して顔をあげたのは、見知らぬ美青年。あちらでいえば北欧系と謳われそうな。
「うわぁ!」
こちらを見た瞬間、美青年は長椅子から飛び起きた。
清書できていて出せそうなのがこのあたりまでなので
少し間をあけます。ご寛恕くださいませ