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お孫さま、散髪不可

 央京の家で使っていた布団もふかふかだったが、ベッドとは違う。全身に感じる弾力は久し振りだった。起きあがり、ゆっくりと身体を伸ばす。

 昨夜はグラスを空にしたあと、湯を使い髪をおろしたまましばらく瞑想をした。気付いたら僅かに身体が浮いていた、コントロールすれば治まるだろうか。今後の課題だ。

 室内で木刀を振るわけにもいかないので軽くストレッチをしてから湯を使った。見苦しくない程度に身支度を調え、髪を結おうとして思い付く。

 髪を解いておろしていると光の粒が舞うのなら、髪そのものを短くしてしまえば洩れる力はマシになるのか。

 結えるくらいの長さを維持して短く切ってみようと無造作に手で束ねた髪へ刃を入れる。

「あれ?」

 ざくり、と切った感触はあったのに長さはまったく変わらなかった。

「……そういえば」

 神が気に入ったのはこの容姿、自分の勝手で変えることは出来ないのか。実際は伸びていた髪も伸びることはなく、ただ刃を入れたことで正しい長さを維持する為感触だけあった、と。いや。

 床に散らばる二センチ足らずの細長いもの。金色、銀色、白銀、透明、青や緋もある。数本拾いあげる。同じ形状で、違う物質。本来伸びていた分の断たれた髪は希少価値のありそうな金属や鉱物になるようだ。

「自分のことですら、まだ知らないことが多すぎる……」

 とりあえず、髪を短くすることは不可能なようだ。











 散らばった元は髪だったものは手を翳して収納する魔法で片付けた。どう呼べばいいのだろう、アイテムボックスの魔法、では箱そのものと間違えそうだし手翳し収納とでも呼ぶか。いや、そのうち手を翳さずとも一定距離まで近付けば視認するだけでいけてしまいそうだ。ならば単純に収納でいいのだろうか。しかしアイテムボックスの魔法と違ってデータ化している感覚がある、そこが引っ掛かる、安易に収納と呼んでしまっていいものだろうか。

 セルジュの給仕で朝食を済ませる。あちらでもよく見るイングリッシュブレックファストだ。呼び方は勿論違うだろうが。

 ベリーが特産と言っていた通りコンフィチュールだけで五種類出た。売っているそうなので気に入ったものを少し買っておこう。

 身支度を調えて部屋を出る。受付で出発手続きをセルジュがしている間ソファに座って待つ。

「おはようございます」

 信吉だ。

「おはよう。これから牧場でいいのかな?」

「いえ。それが今朝支度をしに行ったんですがね、ついてくるってきかなくて」

 準備万端の状態で獣舎に居るそうだ。

「初めてあいつの綱を引きましたよ! 若旦那さまに会えるんならしっかり我慢も出来る奴です。末永く可愛がってやってください」

 生き物に関する目利きは揚羽屋一と信次が言っていたが、そもそも信吉は動物が好きなのだろう。

「もう、お出になりますかい?」

「うーん、セルジュさんが来なくてねぇ」

 コンフィチュールを頼んでいる以上勝手に出発するのはよくない。

 受付の方を見遣ると他の客と思しき男が受付とセルジュ、二人に食って掛かっていた。






「ですから先程も申し上げました通り、これまでは偶然、毎回このセルジュが応対させていただきましたが今回は先に別のお客さまの応対についておりました」

「だから何故他の客を優先するのかと言ってるんだ!」

 どうやらセルジュのサービスが受けられたなかったことが不服らしい。バトラー指名制度でもあるのだろうか。

「私はお客さまを指定した覚えはございません」

「な……!」

 おっと、逆にバトラーが客を選ぶようだ。

 聞こえない振りをしているが信吉が情報を補足してくれる。

 こうした宿のバトラーは基本的に、フリーランスに近いらしい。宿の従業員ではなく高いスキルを持った助っ人であり宿と一定の契約は結ぶが契約期間が終われば違う宿で働くことも多いとか。その為客がバトラーを選ぶのではなく、バトラーが客を選ぶ。それを指定と呼びバトラーはその指定客が滞在する時は他のどの客より優先してそちらにあたることが出来る、と。宿が自前で抱えているバトラーはどこそこの宿専属バトラーと名乗る。

 格式高い宿でのバトラーはペイもよく、同時に貴人との出会いも多い。その目に留まり、実力を確かめ城や邸宅に迎えられる道もあるそうだ。

 セルジュの場合は、若い頃から様々な誘いがあったがどこかに仕えるよりも一期一会を好み、すべて断っているとか。






「お待たせ致しました」

 揉めていた客は居なくなっていた。

「信吉さんと話していたからね、さほど待っちゃいないよ」

 セルジュは小さく一礼した。

「お品物でございます」

 紙の箱に並ぶ瓶詰めされたコンフィチュール、ラベルはない。フランボワーズ、マラデボワ、ブルーベリーを頼んでいた。

「ありがとう」

 頷くとセルジュが箱の蓋を閉める、そのまま打飼袋へ収めた。

 プレリアトの揚羽屋に宿代を支払われないよう昨日のうちに大判の金、大を一枚渡しておいた。大までは使うらしいから常識はずれではない筈。

 ちなみに重郎に頼んで用意してもらった財布はウォレットタイプだった。硬貨がメインの江戸時代にも見られた紙入れを兼ねた形だ。神から持たされた財布も同じタイプだが、材質が違う。金糸銀糸が織り込まれた布製の見るからにゴージャスな神からの財布。逆に黒一色の革で作られた重郎からの財布。いずれも二つ折りで、紐でくるくる巻いて閉じる。そして信次はきっちりここでも噛んでいた。紐の留め具に黒蝶貝で作られた揚羽紋、二つ折りを開いた内側に揚羽紋のエンボス加工。

 落ち着いた色合いの黒、使うほどに手に馴染む革で持ちやすく、黒蝶貝が上品に纏める。重郎が言った通りの財布だった。丈夫そうだしまあいいかと受け取った。旅先では細かい方が使いやすかろうと大から銅までが五枚ずつ入れられていたが、中身が勝手に増えることもない。だがどこかで路銀を調達する方法を考えねば。






 セルジュの案内で信吉を連れて獣舎へ向かう。

 さっき揉めていた客が獣舎のスタッフらしき青年に詰め寄っていた。今度は何の文句かと思ったら青藍を指差している。自分の馬を入れる場所だとでも言っているのだろうか。指差したことか、近くで騒がれたことか、機嫌を損ねたらしく青藍が鼻息荒く男を睨み付けると男は数歩さがった。

 セルジュも信吉も無視しているので自分もそれに倣った。青藍は嬉しそうに目を細める。首の横をぽふぽふと軽く叩いてやる。

「今日からよろしく頼むよ」

「貴様がこの馬を買ったのか!」

 男が声を掛けてきた。いや、怒鳴りつけてきた、だろうか。

 振り向く前に信吉からそっと、お応えせずとも大丈夫です、と耳打ちされる。

「若造が! そいつはわしが買う筈だった馬だ! 寄越せ!」

 男の言動に正気を疑いつつ信吉に目で意見を求めるが緩く左右に首を振られた。相手にするなということだ、ならいいかと放置する。

「貴様聞いてるのか! この無礼な若造、っ……」

 信吉が綱を引いて獣舎から青藍を出すと、男は言葉を詰まらせた。

「立派にしてもらったねぇ」

 青藍はどこか自慢げに鼻先をあげた。

「大番頭から言われた時にはどうなることかと思いやしたがね、こいつとの相性がぴったりで一安心ですよ」

 本当に信吉一推しの馬だったのだろう。

「馬をお求めになったとは伺っておりましたが、グランドエクウスでしたか」

 セルジュも目を見張る、いい馬のようだ。よかった。

「そういえば信次さんと信吉さんは兄弟かい? 随分気安いようだったけれど」

「大番頭は兄弟子でございます」

「商人にも師弟関係があるんだねぇ」

「大旦那さまがお若い頃、師匠と出会われたそうで。師匠も大旦那さまの才覚は、弟子に収まるものではないと、揚羽屋を立ち上げるお手伝いをしたそうです」

 ブレーン役ということだろうか。いや、ブレーンというよりは案内人か。重郎に足りないのはこちらの世界の知識や慣習だ。その弟子たちが揚羽屋にそのまま居るなら、二人の師匠は既に鬼籍の方かもしれない。

 騒いでいた男はいつの間にか消えていた。何だったのかと疑問は残るがセルジュ曰く、お気になさらず、だったので忘れることにする。



「じゃあ、少し街の外を歩かせてみるよ」

「あんまり遠くへは行かないでくださいましよ?」

 セルジュと信吉に見送られ宿を出た。




お孫さまがインベントリという呼び方を知るのはかなりあとになってからです。

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