お孫さま、出会う
江戸時代のような街並み、それでいて洋装も自然と受け入れられている。ここは広大な世界に和の文化が根付いた一都市に過ぎない。インストールされた知識から常識として思考に浸透していく。
この国の外には石造りの街並みを持つ国も、天幕を住処として遊牧する民も居る。そのあたりは元の世界とよく似ている。違うのは文明の発展の仕方だ。この世界の命には多かれ少なかれ、不思議な力が宿る。魔法と呼ぶのか魔術と呼ぶのか、まだよくわからないがそういった能力でもって様々なことが可能である為、科学技術はさほど発展していない。
暖簾をくぐると、賑やかな声が聞こえた。まだ日も高いが既に出来上がっている。
「いらっしゃーい! ちょいとばっかしうるさいけど、ごめんなさいねぇ!」
店員は朱色の着物を着た女だ。徳利をのせた盆を持っている。
「少しでも静かな方がいいならあっちどーぞ」
あっちと視線で誘導されたのは盛り上がっている一角とは反対側だ。
「そうさせてもらおう」
「食事かね? 酒かね?」
「酒はいらない、食事で頼む」
「なら銀半で軽めに味噌汁と握り飯か、銀一で魚と飯と汁があるけど」
この店では日のあるうちの食事はこの二通りしかないようだ。
「銀一で」
「あいよ!」
賑やかな一角から離れた席へ着く。腰の物の扱いも仕事柄ある程度なら出来る。抜いて振るうわけでないのなら、だが。
銀一は通貨の一種だ。この世界、信用経済ではない為に兌換紙幣はなく金属製の硬貨を使用している。世界共通なのである意味、両替いらずだ。
上から順に黒、白、緋、大、金、銀、銅、とありその下に豆銭や粒銭と呼ばれる小銭がある。銀一とは銀の貨幣一枚の意味で、十進法がとられ銀半は銅五と同じ、銅十で銀一だ。だが生憎とそれが自分が慣れ親しんだ日本円ではどのくらいなのか、まだよくわからない。
「おまちどー!」
考えている間に食事が来た。アジのような焼き魚に豆腐の味噌汁、麦の混ざる飯、小皿で控えめに添えられていたのは香の物。
「いただきます」
◇◇◇◇◇◇
真っ昼間から酒盛りをしている連中を銭が騒いでいる、あいつらは銭だ、と思い込むようにして働いていると一陣の涼風に出会った。笠を被った若い男。お望みは食事ときた、すぐに裏へ伝えて支度をさせる。夜ならもう一人増えるからそう苦にならないが昼酒の連中は夜酒の連中の鬱陶しさはそのままに、自分一人だけで対応しなければならないから嫌だった。昼に酒を出さなければいいとは思うが、連中は二本目から徐々に水で薄めても気付かない程度の舌の持ち主の為いい銭になるのだ。
汁をよそい、飯を盛る。魚も焼き上がった、漬物はおまけだ。
男は、いただきます、ときちんと手を合わせて食べ始めた。それだけで嬉しい。そう、うちは飯屋だ。酒もあるが飯屋なのだ。夜ならもっと手の込んだ料理もある、夜にも来て欲しい。男の食べ方はとてもきれいだった。魚の解し方も無駄はなく、おまけの漬物も美味しそうに食べてくれた。
食器を下げに行くと男は笠の紐を結びながら道を尋ねてきた。誰もが知る大店だ。
「店の前の通りを左、突き当たりを右に折れて。少し行けばすぐにわかるよ。それくらいおっきなお店だからね」
「そうか、わかりやすいなら助かる」
男は礼を述べると盆に銀を一枚と銅を五枚置いた。
「お客さん、おあしが多いよ」
「ごちそうさま」
男は教えた方向へ歩いていった。本当に、夜も来て欲しい。
◇◇◇◇◇◇
教えてもらった道を行く。突き当たりとやらが大通りのようで一気に道幅が広くなり人通りも増えた。並ぶ店の間口も当然広い。少し行けば、確かにすぐわかった。他よりも大きな店構え。高い身分の客が乗ってきたのか、瀟洒な輿が担ぎ手と共に控えている。
「ここか……」
手紙の宛先は、揚羽屋主人。名前は記されていない。
「御免」
店の中はかなりの人数があちこち動いていた。客と、応対する店の者。だが何を売っているのか、どんな商売なのかさっぱりわからない。品物らしきものはなく、言葉を交わしては帰るか続く脇から奥へ通されるかだ。商談の為の別室でもあるのだろうか。店の者だけが動き回る、一段あがったところには机やら戸棚やら。一際奥にある机の向こうに座るのは番頭か。
「いらっしゃいませ。初めてお目に掛かるかと思いますが、お約束は……」
声を掛けてきたのは、入ってすぐ横に控えていた男。奥に居るのが番頭とすれば彼は手代か。
「約束はない、頼まれて文を届けに来たまで」
「然様でございますか。お預かりしてよろしゅうございますか?」
勝手に手代だと思った彼の傍らには丁稚にしては年嵩の少年が更に控えていた。黒塗りの盆を手代に渡すと、手代がその盆を恭しくこちらへ掲げる。懐から出した書簡をそこへ置く。一礼して、手代は盆を番頭へと運んだ。番頭は書簡とこちらを何度も見比べながら頷き、盆ごと受け取り障子の向こうへと消えた。あの奥に主が居るのか。その障子から店の入口まで光沢のある、白い布が敷かれている。細長く、レッドカーペットのような感じだが番頭だけでなく誰も踏まない。
さて、少し時間が掛かりそうだ。
「ここは何の商いをしているところだい?」
移動していなかった少年に話し掛けるとひどく驚かれた。
「お客さま、こちらは揚羽屋の本店でございます」
「うん。そうらしいね」
「え……」
おや。どうやら失敗したようだ。
「ご無礼を承知で申し上げます、お客さま、もしや、揚羽屋をご存知でない?」
それだけこの店が有名な店ということだろう。
「世界中にある揚羽屋の、本店、でございますよ?」
思ったより国際的な企業だったらしい。この国の生まれではないからと誤魔化すことも出来なくなった。
「あー……あ、そうだ、あの敷かれている白い布は何?」
「それもご存知ないと!?」
ミスを重ねてしまった。
「………………」
「………………」
言葉を失う少年に、言葉に窮した自分。なんとも居心地の悪い空気は再び障子が開けられることで変わった。
「確かにただの文ではない、運んできた者を奥へ通しもてなせ。お見送りののちに検める」
「畏まりました」
どこか聞き覚えのある、主と思しき声と番頭の返事。だが姿は見えない、彼らの前に不思議な一団が居たからだ。
羽織というよりはローブといった方が近い揃った服装。制服だろうか。中心には長い白銀の髪をおろした、性別不明の人物が居た。漂わせる雰囲気が周囲と違うがなによりその者だけが白い布を踏んでいた。楚々とした歩み、白い布はその為の道、外の輿も恐らくそうだろう。
「あ、……」
ふと、目が合った。白銀の髪が揺れる。
「! なりませぬっ!」
白銀の人物は飛び出し、土間へ額突いた。咄嗟に声をあげた誰かが予備を持っていたのか別の白い布を拡げ辛うじて白銀の人物が土で汚れるのを防いだ。
「ご来臨の栄を得たこと、至上の喜びにございます」
その言葉は、だが自分には聞こえていなかった。もっといえば額突いたことすら目に入っていなかった。
何故なら、一団のあとに姿を認めた揚羽屋の主は。
「おじいさま………………?」
二度と会えない筈の祖父に、そっくりだった。
◇◇◇◇◇◇
神託より百と八十夜。いつお出でになってもおかしくない。この世界の、どこにおりてくださるのか。この衣を纏うすべての者が待ち続けていた。
幸いにも自分が管轄する範囲には世界の覇者として名を轟かせても不思議はない実力者が居を構えていた。王よりも君臨し、されど統治には加わらず。揚羽の名が届かぬ地はないとさえいわれる大商人。財が集まるところには話も集まる、なにか耳にしたら教えてくれと協力を依頼した。
「旦那さま」
番頭の声、面会中にめずらしいことだ。この身分にあって、こちらを妨げる者は世を知る前の赤子かよほどの愚か者だ。勿論揚羽屋の番頭が赤子なわけはないし、愚か者でもない。それこそ、よほどのことの筈。
「初めて見る御仁が、旦那さまへ文を届けに参ったと」
「あとにしろ」
揚羽屋の主は明らかに顔を顰めた。
「そう思いましたがその御仁を目にした途端、不思議とこれはなにを差し置いてもお知らせすべき案件だと感じまして」
番頭がいうならそうなのだろう。商人の直感は侮りがたい。
「ちょうど話も終わりましたし、私はお暇致しましょう」
揚羽屋の主は丁寧に頭をさげてくれた。
部屋を出ると、微かな気配を感じた。番頭の持つ盆の上にある書簡からだ。
「私以外の聖職者が認めた文でしょうか……?」
「ここ数年、あなたさま以外の聖職者の方との関わりはございませんよ」
揚羽屋の弁明ともとれる説明に慌てて疑う気持ちはないと付け足しておく。
「されど、この文からは神気と思しき雰囲気があります」
「確かに……」
見送ってくれたのち、他の予定を後回しにして先に文を検めると揚羽屋は言った。あとでこの気配の理由も教えてくれるだろう。だが、その前に理由を知った。
戸口で佇む青年、笠の下から覗く双眸。柔和な面差し、凛々しい立ち姿。視線が重なった瞬間、衝動を抑えることなんて出来なかった。勢いのまま後先考えずその御許へ平伏した。筆舌し難い満ち足りた感情が溢れ息をすることも忘れそうになる。
これが、お仕えするということか。
日本円換算はのちのち出来るようになります。
まだ感覚がそこまで追い着いてないお孫さま。