お孫さま、還俗と限定
信吉の紹介でその日は宿を取った。標準を知りたいので豪華なところは避けて、一般的なところをと頼んだのだが。
「土地柄、駆け出しの冒険者も多く安宿が多いんです。そうなると平均というわけにはまいりませんで」
朝食付きで一泊金五枚だと言われた。この宿の一番安い部屋で金三枚。あちらの感覚でいけばシティホテルか。ドアマンが立ち、ソファで受付、その間に飲み物も提供される。
部屋の支度を調えるとのことで少し待つことになった。
「おじいさまか信次さんになにか言われたね?」
「……若旦那さまには敵いませんね」
信吉は苦笑しながらあっさり認めた。いや、それほど強く口止めされていないのだろう。
「大旦那さまのお孫さまとなった若旦那さまが旅に出られること、揚羽の煌めきを札にお持ちであること、過剰なもてなしを厭われ歳相応の若人らしい旅をお望みであること。さりとてこれまで余人との関わりなき場所で静かにお暮らしだったが故世情に疎くていらっしゃる若旦那さまに真にそのような旅路を歩ませるわけには。程度を見極めて丁重にお迎えすること。……といった感じの通達でございました」
そこに業務連絡として、揚羽札の登録処理があった、と。
「あとご到着とご出発、滞在中のご様子などは報告を厳命されております」
「おじいさまは私をいくつだとお思いなんだ……」
つい、こめかみに手を添えて唸ってしまった。
「ご心配なのもわかりますよ、銭の勘定を白でおやりになるんですから」
「そんなにおかしいことだとは思わなかったんだよ」
スターシアに額突かれる自分を見ていないからか、信吉はわりと気安い。豪商の若旦那という身分に恐縮されるのは致し方ないとしてもそれ以上に畏まられるのはあまり嬉しくないというか、居たたまれない。
「覚えておいてくださいまし、大抵の者が目にするのは金までで白や黒なんてのは夢物語に出てくる財宝くらいです」
「不用意に人目に触れさせないように、ということだね」
お持ちなんですかい、と小さく零された。濁すと、盛大な溜め息を吐かれた。
「大旦那さまのお気持ちもわかりますよ」
「確かに私は物知らずだけれど」
「付き人どころか、護衛すらなしでございましょう? よく大旦那さまがお許しになりましたねぇ」
「それはまあ、話し合いましたよ」
「更に聖職者の方と旅をなさるご予定だってんですから……」
「あぁ、ちょうどよかった。その辺りのことを教えてもらえるかな」
周囲には幸い受付以外誰も居ない。このグレードの宿ならスタッフの口も相応に堅い筈だ。
「還俗については聞いたんだけど、限定ってなんだい?」
「若旦那さま……どこでお暮らしだったんです?」
教会がないような辺境だと言っておいた。
「まあ、大旦那さまの弟さまなら確かにそういったお暮らしをなさっても不思議はございませんがねぇ。なにしろ大旦那さまは剛毅な方です、お身内さまが静けさをお求めになるのも無理はございませんよ」
商売を拡げていく最中の重郎は、やはりなかなかに苛烈な人物だったようだ。
「限定ってのは、その聖職者の方がすべてを放棄してただおひとりに尽くすってぇ誓いです。普通は還俗するんです、何年かに一回は聞きますよ」
還俗自体はそれほどめずらしくはないらしい。
「但し、特別神司、それも広域を持っていらっしゃる方だと話は別です」
「それほど違うものなのかい?」
信吉は重々しく頷いた。
「広域と付くのはひとつの大陸にお一人だけです。ですので今世界には五名の広域特別神司殿がいらっしゃいます」
「五名だけ」
「はい。そのうちのおひとりが、職を辞するわけですから大事ですよ」
「え? 還俗しなくても辞めることになるのかい?」
「そうですよ? そこは還俗と変わりません。昼夜問わず大陸全土に祈りと祝福を捧げていた方がそのお力をたったひとりに捧げる、それが限定です」
「…………もしかして、還俗よりたいへんなことだったり……?」
「めずらしいことは確かです、わけあって還俗出来ない場合そうなさるくらいで」
両膝に肘をついて頭を抱えた。
「還俗させてしまうよりはいいと思ったんだけど……」
「若旦那、わりと本気で心配になってくるんですが。ほいほい頷かないでくださいましよ?」
部屋の支度が出来たと、声を掛けられる。会話が途切れるのを見計らってくれていたようだ、
信吉は店に帰し、宿のスタッフに部屋まで案内してもらう。
「もし、手が必要な場合はお申し付けくださいませ。お部屋付きの者がおります。私がさがりましたのち、ご挨拶に参ります」
絶対金五枚の部屋じゃないだろう、バトラー付きとは。
「ありがとう。でも今日はもう休みたいから夕食だけ適当に部屋へ頼めるかな?」
「メニューはいかがなさいましょう?」
「お任せします、一般的なもので結構。あ、土地のものだと嬉しいかな」
「ヤマトの装束をお召しの方には伺っておりますが、箸はご用意致しますか?」
「カトラリーで大丈夫。ありがとう」
案内が退いて、部屋を確かめる。
テレビや電話がない以外は普通にホテルの部屋だ。畳はなく木の床に絨毯敷き、ベッド、鏡、机と椅子、硝子窓。ランプは魔道具、魔石が使われている。
笠を掛け手甲を外し羽織も脱いで畳んでおく。脚絆を解き楽なスタイルになってから浴室を確認。バスタブはあるがシャワーはない。シンクの傍、水道には魔石。これも魔道具らしい。手を洗い、顔も濯ぐ。
「はー………………」
まいった。スターシアの申し出がそんなにたいへんなことだったとは。初対面の時からスターシアからは純粋なまでのプラスの感情を向けられていた。最初はまだ神託の者と聖職者といった関係だったと思う。
私的な望みを抱かない筈の特別神司の変化。なにがそうさせたのか。
こちらに来たその日に出会って、重郎も居たことで無条件に信じた。
すべての事情を知るひと。信次もある意味そうだが彼は神絡みのことは話に聞くだけでスターシアほど通じてはいないだろう。
血の繋がりもある重郎を除けば一番の味方だ。自分にとってはそう困ることではない。なのに、何故こう、もどかしいというか歯痒いというか。
部屋のドアがノックされる。あちらではこのグレードの部屋ならチャイムだが、そういったものはこちらにはまだないらしい。
「失礼致します」