お孫さま、初めての通話
基本的にこちらの世界では街と野ははっきり分けられている。市街地には防壁が築かれ衛兵が立つ、出入りには入国審査ほどではない検問が実施される。市街地の外に広がるのは国土ではあっても野生の領域。獣も魔物も闊歩する。
央京はまさに江戸時代風の街並みだったがプレリア共和国との境にある検問所は石造りの頑丈な建物だった。こちらがスタンダードな様式なのだろう。
央京という街が特殊なのだと改めて思った。
プレリアトの揚羽屋は本店ほどではなくとも店構えは立派で賑わっていた。
「いらっしゃいませ」
本店が本社ならここは支社らしい。本店との違いは、展示品があること。品物の遣り取りは近隣の店、いわば営業所で行うようだ。
「お召しものから察するに、央京からのお客さまでしょうか?」
男が声を掛けてくる。
「そうですね、央京に一応家があります」
「本日はどういったご用件で?」
名乗る前に色々訊いた方が教えてもらえそうだ。
「こちらではどんなことが可能でしょうか?」
「おや、揚羽屋は初めてで?」
「本店と文庫しか知りません」
「え……?」
この答はまずかったようだ。
「本店と違ってこちらは品物も置いてますし、違う業態なのかと」
「そうですねぇ、主にここでは国内のうちの店舗をご紹介しておりまして。例えばこうした道具が欲しいとご希望がありましたら最適な道具を探して、それを扱っております店舗へご案内しております。揚羽屋以外の店舗の場合はお話だけでご案内までは致しかねますが」
温暖な気候と平野が多いことで、旅の初心者が多くそういった形態の商売をしているそうだ。他社への紹介を躊躇わないところはすごい。こちらではネットで検索なんて出来ない、情報は重要な商材の筈だ。
「なるほど」
「それで、お客さまはどのようなことをお望みで?」
「あぁ悪いね。実は客ではなくて」
揚羽札を出すと、男は倒れてしまった。
「プレリアトの揚羽屋を預かります、トーマスにございます」
クロードに似た雰囲気の店主は、きれいな正座で深々と頭をさげた。
「桐人です」
「番頭は嫁の出産が近く、休ませております」
揚羽屋は産休制度があった。医療技術のことを考えれば出産は二十一世紀以上に命懸けの一大事だ。
「ご無礼を致しましたのは手代の信吉でございます」
信吉です、とトーマスからさがった位置で頭をさげられる。
「いたずらに驚かせてしまって悪かったね」
「若旦那さまのことは揚羽屋全店に通達が済んでおります。ひとえに、この信吉の至らなさによるものでして」
トーマスの手に信吉の頭は押さえ付けられている。
「あんまり叱らないでやっておくれ。倒れたことには驚いたけれど、私が名乗っておけばよかったことなんだから。信吉さん、どこもぶつけていないかい?」
「は、はいっ」
「ところで、トーマスさんは、文庫のクロードさんとは……」
「あれは兄にございます。お会いになったのでしたら、おわかりでしょう、あれは本の虫でして。どこぞの宮廷魔導師にスカウトされたかと思ったらあっさり断ってああなりました」
華々しい地位よりもどこにも紐付けされず研究出来る文庫の司書を選んだと。
「通達では若旦那さまがお見えになったら揚羽札をお渡しせよとのことですが」
「あぁ、少し借りるだけでいいんだが、平気かな?」
トーマスと信吉の札を借りる。重ね合わせ、紋が一瞬光った。登録完了、すぐに返した。
「通話機能について説明は済んでいるかい?」
「はい」
「なら今ので、私の札と登録したよ。呼び掛けるのはたいへんらしいけど私からは平気だから不意に呼び掛けさせてもらうかもしれない。その時は、都合がよければ応えておくれ」
一人旅ならのんびり乗合馬車を乗り継いでいくつもりだったが事情が変わった。
「長距離の移動手段で一般的なのは、やはり馬でございますねぇ」
忙しいだろうトーマスには仕事に戻ってもらって、信吉に話を聞いてもらう。
「馬車は一般的ではない?」
「自前で馬車を持つ旅人はそうおりません、定期的に荷を運ぶ商会か教会関係者、よほど裕福な冒険者一行くらいです」
冒険者、馴染みのない単語だ。冒険家ならあちらでも聞いたが。
「なるほど。個人所有の馬車はそれだけで一財産なんだね」
「一財産でもありますが、そうした財を持っていると見られ目立ちます。盗賊にも狙われやすく、護衛なしにはお勧め出来ません」
そういえば乗合馬車にも護衛が居たが、あれは盗賊対策でもあったのか。
「ですが、馬車があれば野営時の寝床にもなります」
立派すぎる天幕があるのでそこは問題ない。
「若旦那さまでしたら馬車をお持ちでもなんら不思議はございませんが……」
「そうだねぇ。ひとまずは馬かな。こちらでは取り扱っているだろうか?」
「勿論でございます!」
信吉は自信たっぷり、にっこりと笑った。
「こちらが役畜全般取扱、揚羽屋プレリアト支店畜産部門でございます。中央でも一番と自負しております!」
緑豊かな国らしく、動物の扱いがあった。商店というよりも牧場に近いが、飼育されている種類は様々。馬や牛、豚、羊、山羊、鶏の他、魔物に分類されるものも家畜化され飼われている。魔物に需要があるのかと思ったが兵士や冒険者といった騎乗したまま戦闘の可能性がある者は魔物を選ぶ傾向だという。冒険者とは傭兵やハンターのような職業らしい。
「お客さんかい?」
詰め所のようなところから男が出てくる。
「あぁ、部門長。居てくれてよかった」
「信吉さんが直々にご案内とは……めずらしいね」
「特別なお方なんだ」
信吉と部門長と呼ばれた男が話している間、近くを見てまわる。きちんと掃除が行き届いていて、生き物の匂いや藁の匂いなどはするが悪臭はない。柵や檻の傍を通れば皆、我先にと慕わしげに近付いてくる。
「懐こいねぇ。よく躾けられている」
不用意に手を伸ばすことはしないが撫でてやりたくなるくらいだ。何故か信吉と部門長がぽかんとしていた。
「あー……、えぇと、馬、そう、馬でございましたね!」
「はい」
馬のエリアへ移動する。やはり寄ってくる馬たち、触っても平気だと聞いたので存分に撫でてやる。
「普通、こんな風にはならないんでございますがねぇ」
信吉が頻りに首を傾げている。
「そうなのかい? ここでの世話がいいから、皆落ち着いているのかと思ったよ」
「旅の足になさると伺っておりますがどんな馬をご所望で?」
部門長の問い掛けにどう答えたものか考える。
「重たい鎧なんかを着けなさるんなら速さよりも頑丈さが必要ですし」
「そうだねぇ……鎧を着るつもりはないんだけど……」
二人に断って、懐から揚羽札を出す。紋に触れて、点灯を確認してから。
「信次さんに繋いでおくれ」
声に出さなくてもよかったことにあとから気付いた。まあいいだろう。
一分も待たずに。
『桐人や、おじいちゃんだよ』
重郎が出た。
「あれ?」
『大旦那さま、若旦那さまは手前にご連絡くださったのですよ! なに先にお返事差しあげてるんですか!』
信次の声もしている。スピーカー通話になってしまっているからだろう。
『どうして最初が俺じゃなくて信次なんだい、桐人』
「いえ、旅の経過報告とかではなく、訊きたいことがございましたので。あ、只今プレリアトにおります」
『若旦那さま、ご質問はなんでございましょう?』
まだまだ重郎が喋っていたが信次は割り込めたようだ。
「一月後スターシアさんが私に同行することになりました。一人なら乗合馬車でも徒歩でもかまわないのですがさすがにそうもいかないなと思いまして、いっそ馬を買うかと見に来たのはよかったんですが、あの方が馬に乗れるかなと」
『………………』
何故か、沈黙が返ってきた。
「ご存知なら教えて欲しかったんですが……信次さん?」
『……若旦那さま、広域特別神司殿が、若旦那さまの旅に同行なさる、と?』
「えぇ。還俗するのは踏み止まってもらったんですが、私だけに祈りを捧げたいと仰って」
『神司殿が、そう仰ったんだな? 桐人』
「はい」
どたばたと足音もしているし、なんだか向こうが騒がしい。揚羽屋本店が忙しくない時なんてないだろうがタイミングがまずかっただろうか。
「もしお乗りになるなら、二頭買った方がいいのかなと」
重郎の咳払いが聞こえる。
『桐人や、まず神司殿は馬にはお乗りになれないだろう。かの御仁は屋外では輿か馬車だ』
「ですよねぇ。じゃあのちのち馬車を買う可能性を考慮して、二人乗っても平気で馬車も引けるような馬を探しましょうか」
『若旦那さま、プレリアトの揚羽屋に信吉という手代がおりまして』
「あぁ、ついてきてもらっているよ?」
『ならその信吉をお使いください。それは生き物の目利きに関しては揚羽屋一です』
信吉を見遣ると目を大きくして両手を顔の前で振っていた。
「大番頭、それは過分です!」
『なに言っていやがる、大旦那さまの馬もおめぇが選んだんじゃねぇか! ここで若旦那さまのお役に立ちたくねぇとでも言うのかい』
「とんでもない!」
二人が話している間、空いている片手で寄ってくる馬を撫でる。馬車を買うならそれまでに御者の勉強をしなければ。自分が乗るのとは技術がまったく違う。
「あの、若旦那さま」
信次と信吉の話は終わったようだ。
「聞いていらっしゃらなかったご様子ですが」
「あぁ、すまないね。御者の勉強をしなくちゃなぁと考えていたよ。それで?」
「この信吉めが最高の足をご用意させていただきます」
祈りの対象を限定するのはお孫さまが思うより、もっとずっとたいへんなことだったりします。