お孫さま、旅立ち
「若旦那さまの揚羽札を更新しました。紋に触れておられる間お力を消費しますが任意のところへお声を飛ばせるようになりました」
通話機能がついたらしい。魔力を消費、といえないからかお力と信次は濁した。
「触れたまま、お力を流していただくと紋が光を孕みます、その状態で相手を頭に思うことで指定します。誰でも可能なわけではなく札が覚えている者だけです」
バックライト点灯で受話器を上げた状態、登録している札の持ち主とだけ通話が出来る、と。
「私が声を飛ばすだけかい?」
「いえ、呼び掛けに応じてお返事する声も勿論届きます」
その際、個別通話か周囲の音も拾うスピーカーかは選べるそうだ。個別の場合は声に出さず、スピーカーの時は声にを出して相手を呼ぶ。
「私が呼び掛けられるとどうなるのかな」
着信はどう知らされるのかと思ったが、信次は緩く首を振った。
「機能としてはこちらから若旦那さまへ呼び掛けることも出来るのですが、生憎とまだ消費効率が悪く……」
呼び掛ける側が圧倒的に消耗し、受けるのはそれほどでもないとか。まるっきり電話と同じだ。掛けた側が通話料を払う。そのうちコレクトコールが出来るようになればいいがシステム的に難しそうだ。
「具体的にはどのくらい……?」
「呼び掛けるだけで、日常的に魔力を使っている魔道具職人が半日意識を失います」
「わあ」
「三十秒も話せば三日は寝込んでしまう有様で。距離を隔てればまたそれだけ消耗するかと」
恐ろしくコストが掛かる、それでも開発せずにはいられなかったのだろう。
「なるほど。実質私が一方的に呼び掛けるだけだね」
「申し訳ございません、効率化と高保有の魔石確保を進めているところです」
魔石は魔力伝導体の魔水晶とは違う、どちらというと魔力の電池に近いものだ。入手方法は主に三つ。生き物を殺して奪うのと、高魔力地帯での採掘、使い切った魔石へ魔力を注入したリサイクル。
魔物の心臓内に巡りきれなかった魔力が溜まり凝固したものが一般的に流通している、いわゆる普通の魔石だ。
採掘は大気中や地中の魔力が偶然に淀み長い歳月を経て固まったもの、天然物と呼ばれその美しさと希少性から宝石のようにも扱われる。
リサイクル品は使用済みの普通の魔石に魔道具職人が魔力を充填して使う、使い切った時に石自体が割れてしまうような低質のものは論外だが割れなければ魔石は繰り返し使えることが多い。それでも充填を繰り返す度に魔力保有量は減っていく。つまり、保ちが悪くなる。
「効率化を優先する方がいいだろうね、私にしか使えないような魔力喰いの機能で終わらせるのは勿体ない」
念のため着信時の反応は聞いておいた。バックライトが点滅し揚羽紋の魔水晶が微かに震えるそうだ。バイブレーション機能搭載。
「構想は以前からありましたが、実現の見込みがなくて頓挫しておりました」
「そこに私が現れた、と」
「はい。若旦那さまのお力ならば無理なくお使いいただけるのではと、魔道具職人一同の夢でもございました」
確かに使ったら使った分だけすぐ回復してしまう自分なら一時間話したところであくびひとつで済みそうだ。
「大旦那さまと、誠に勝手ながら手前は既に覚えさせました」
登録は札同士を重ねることで可能になるそうだ。
「順次、幹部連中の札は更新させます。各地の揚羽屋にお立ち寄りになった際もしよろしければ札へ覚えさせてやってください」
うまいこと考えたものだ。そうして旅の状況を把握しつつ、自分が戻った時には登録先の増えた揚羽札も戻るのだ。
「それはいいけれど、あんまり多い人数だと私が覚えきれないよ」
携帯端末のアドレス登録だって入っている全員、きちんと把握していたとは言い難い。
「呼び掛ける際に名前でも人相でも魔力の波形でも住んでいた土地でも、なんでもかまいません、頭に浮かべていただければその情報から絞り込みます」
「文庫の収納箱みたいだね」
「えぇ、その術式を参考にして組み込んでいるそうです」
「はー……大したものだねぇ、職人さんってのは」
信次から返事がなかったので目を札からあげてみるとなんとも煮え切らない顔をしていた。
「本当に、明日、お発ちなさるんですね……」
「……色々と世話を掛けましたね」
「そう仰ってくださるんなら、もっともっとお世話させてくださいましっ……」
「あはは、たぶん旅先でも色々とお世話していただくと思いますよ。なにしろ私は物見遊山自体が初めてなんですから、こんな便利なものも、いただきましたしね。信次さんが鬱陶しいと思うくらいに呼び掛けますよ」
「絶対でございますよ、揚羽屋本店大番頭この信次めになんなりとお申し付けを」
信次は深々と頭をさげた。
「はい」
実は旅立つ前にひとつこっそり相談したかったのだがとても言い出せる状況ではなかった。こちらに来てから普通に飲み食いしているが実は一度も催していない、トイレとしての設備はあるのでこちらでは排泄行為がないわけではない筈。食べたものはどこへ消えるのか。現人神だといわれたあとなら人間ではなくなったからとまだわかるのだが。聞かせるにはあまりに尾籠な内容で、さすがにスターシアにも相談出来ない。
そういえば、あの空間では神は光の粉を靡かせていた。
「あぁ、もしかして」
最初からこの身体はそうだったのかもしれない。ただ、魔力に関してだけは変な修行をしてしまったが為にバージョンアップしてしまった、と。
まあ不便はないので放っておこう。
髪を結いあげ、足袋を整え帯を締め、袴を穿いて脚絆を巻く。こちらに来た時と同じ装束だがいくつも手が加えられている。
ひとつひとつ丁寧に揚羽蝶が刻まれた。けっして目立たずしかし確実に。追加で仕立てられたものにも当然の如く入っている。中には織り方そのものに組み込まれ光の加減でうっすら見える程度のものも。
羽織に袖を通す、襟を直し、刀を差す。笠を手に、出ようとした部屋を一度振り返った。
「………………」
客間だったのはその夜だけ。翌日にはここがお前の部屋だと何室か宛がわれた。今度帰ってくる時には邸宅が建てられていそうな気さえする。
一礼し、店へ向かう。
盛大に見送られるのは避けたくて皆が忙しくしている開店直後に発つことにした。本当は勝手口から出るくらいのつもりだったが、見送りが出来ないのならせめて、普段のように表から出ていって欲しいと言われた。
「いってらっしゃいませ」
そう声を掛けてきたのは一人だけ、職人チームに戻れたあの少年。重郎も信次も手を止めまっすぐにこちらを見ている。
「……いってきますね」
「お戻りになるのを、お待ちしております」
少年が深々と頭をさげる。奥で重郎が頷く、信次も頭をさげていた。
一礼して、店を出た。
このあと、アイドル事務所の彼視点を一話挟みます。