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お孫さま、決意

 揚羽屋で自分の働き口はなさそうだし、技術関連で口を出すのもあまりよくない。それなら、せっかく自由なのだからあちこち旅して見て回りたい。物見遊山でありあくまでも帰る家はここだと言ってなんとか重郎は落ち着いてくれた。

「どこに行く、目的地はあるのか? 行きたいところがあるなら、」

「決めておりませんよ。気儘な一人旅です」

「一人! 一人だと! 桐人、それはだめだ、一人はだめだ、せめて伴を」

「おじいさま」

「あぁ、お前が大層強いこたぁ知ってる、それでもだ! あっちにも居ただろうがこっちにも悪い奴ぁいくらでも居る」

「おじいさま、私は二十歳をとうに過ぎております。腕力に不安のある御婦人でもありません」

「だが、お前はいい子だ! お前の考えが及ばないくらい悪い奴、騙そうとしたり、人質を取って悪辣な契約を結ぼうとする輩は居るんだ」

「私自身の功績でもなんでもないのでこれをいうのは憚られるのですが、私に血を流させるような者は現時点で存在しないんです。そして私を妨げる者は別途神罰が下ります。これ以上ない保障と護衛だとは思いませんか」

 重郎は唸る。厳密には既に重郎は、妨げた者だ。

 だが自分がそう感じていない為か神罰は下っていない。当然だ、身内が心配してくれているだけ、監禁されたわけでも泣いて縋られたわけでもない。

「私はあちらで確かに歌舞伎役者の家の長男として大切にされましたが所詮は庶民。世話をしてくれる者がまったく居なかったとはいいませんが、大抵のことは自分で出来ます」

 魔法だって髪を乾かす以外に色々出来るようになった。水や湯を作ったり、火を起こしたり、自分の周りに不可侵の領域を作って雨を避けたり。物質転移は自分で短距離を試してみて成功している。こちらの世界を肌で感じて把握すれば長距離の転移も可能な筈。さすがにその辺りは黙っておくが。

「それに支度もございます、なにも明日いきなり出ていくわけではございませんよ」

「…………桐人、旅に出るのは次の満月が過ぎてからにして欲しい。後生だ」

「? わかりました」








 それからは、色々と目まぐるしく。

「揚羽屋があるところは絶対にお顔を出してくださいませ。各店舗、代表者が首を長くしてお待ちしておりますからね」

 信次からは地図を渡された。詳細な地図は軍事的な理由で出回っていないのかと思っていたがそうでもないらしい。特殊な製法の紙に記録と転写した地図を込めた魔道具の一種だそうだ、自由に縮尺が変えられる。簡単にいえば、地図機能だけのタブレットパソコン。まだ未開のエリアは黒で塗り潰されているが、情報が入れば職人によって更新出来るらしい。

「訪れた国の記録なんてのも出来ますから各地の揚羽屋にお立ち寄りくださった時、お渡しください。最新の状態に更新致します」

「ありがとう」

「それと、若旦那さまの打飼袋はアイテムボックスの機能がございまして」

 刀と同じように承認が掛かっているのか中を確認することは出来なかったそうな。

「あとで見ておくよ」

「揚羽紋が入れられそうな道具がありましたらお預かり致します」

「、……まだ入れるのかい?」

「目立ぬよう、しかし目には入るようあちこちに入れておかねば。お守りでございますよ」






「桐人の口座にはボールペンの売り上げの一部が入るようになっているからね」

 重郎が渡してきたのは名刺くらいの大きさのカードだ。高級サロンの会員証かと思えるほどの豪華さ。飾り文字に金箔の飾り枠。揚羽屋桐人と名の横に揚羽紋。

「魔道具の一種で、露店では無理だが店や宿なんかならこれを出せば口座から決済出来る。財布に入れておきなさい」

 デビッドカードだ。

「口座を作った覚えはないんですが」

「ボールペンは桐人の事業だ、案を出したんだから何割か入るのは普通のことだよ」

 あまり使わないようにすればいいか。ここで強固に断ってやはり伴をつけるとか言い出されても困る。

 だが問題は財布にもあった。

 財布には元々いくらかの現金が入っていた。使ったのは一度だけ、揚羽屋に来る前に寄った食事処だ。あそこで銀を一枚、銅を五枚出した。だが、一度閉じて再び開くと使った分が戻っていた。どうやら一定の枚数に保つよう作られているらしい。

 ただそれが、黒から銅五枚ずつ。今はおおよそ日本円換算も出来る。黒金一枚で一億円相当。それが五枚。以下も桁を一つずつ減らして続く。明らかに持ちすぎだ。いや寧ろ怖い。そんな額の現金を持ち歩きたくない。中身をまるごと口座に入れてしまいたいくらいだが次に開けばまた入っている筈だ、それも出来ない。

「おじいさま、旅立つにあたりひとつおねだりをしてもよろしいでしょうか?」

「いいともいいとも! なんでも言ってごらん」

 重郎はふにゃふにゃどころかでれでれになってしまった。

「新しい財布が欲しいのです。こちらへ来る際に持たされたものは少々豪奢で」

「うんうん、わかった、桐人好みの落ち着いた色合いの、持ちやすい、だが上品ないいものを用意しよう!」

 上品と聞こえたが丈夫の間違いだろうか。財布は使いやすさも重要だが丈夫さも大事だ。






「そうですか、旅に……」

 スターシアは揚羽屋から二十分ほど歩いた先の教会に滞在していた。

 広域特別神司の管轄は数カ国に渡る、スターシアも重郎との面会でこの街に来ているだけで本来は違う国にある広域本部で暮らしている。毎度毎度呼び付けるのも申し訳ないと今回は自分が出向いてみたが、寧ろ大事になってしまって後悔した。

 本来約束がなければまず取り次いですらもらえない。自分も入口で断られそうになったのだが信次がついてきていたことと、スターシアが飛び出す度に声をあげ、布をすかさず拡げるあのローブ姿の世話役が居た為、通してもらえた。だがそれは同時に自分の正体が知れてしまったということで、足を踏み入れた教会では全員が跪いていて大層申し訳なかった。

「はい、せっかくの機会ですからね。考えてみたら仕事以外で旅をしたことなんて一度もなくて。それに今後私がなにをするか検討するにも世界を知らなければ話にならない」

 通されたのは部屋の床半分に白い布が敷き詰められたスターシアの執務室だった。各地の教会はいわば支部のようなもので、そこには広域神司が滞在する為の部屋が常に用意されており、執務室の奥には居住スペースもあるそうだ。

「ご決断なさったのですね」

「そんな大層なことじゃありませんよ。ただ、ずっと揚羽屋の居候で居るわけにはいきません。よくしてくれるからこそ……このままじゃ」

「それで、お発ちはいつ……?」

「生憎、すぐというわけにはいかなくて。おじいさまからは満月の日までは待ってくれと言われました」

「揚羽屋殿なりに暦を読んでいるのかもしれませんね」

 六曜的なあれだろうか。

「実は私も近々本部へ戻らねばならず明日にでもご挨拶に伺うつもりだったのです」

「そうでしたか」

「……私がおります本部の街にお越しの際は、是非ともお立ち寄りくださいませ」

「えぇ、その時は誰かに頼んできちんとお約束を取るようにしますね」

 今回の非礼を詫びるとスターシアは尊き方にとんでもないと首を振った。






 さて。

 打飼袋の中身だが、王侯貴族用かと思えるような大袈裟すぎる野営道具が一式。替えの衣類、これは季節に応じた着物の他に浴衣も含まれる。訓練用にだろうか、何の木で作られたのかわからない木刀。同じく、素材不明の槍。傘や外套といった雨具。どこへ行けというのか、内側に毛皮が貼られたロングコートとブーツと手袋。他には酒の満ちる水筒と水の満ちる水筒。

 このすべてに不壊と自浄と承認が掛けられている。勿論、打飼袋にもだ。

「たくさん入っていたねぇ」

 実は他にも黒金がびっちり詰まった箱だとか、ピンポン球よりも少し大きい真珠だとか、色とりどりの宝石だとか、なにかのインゴットだとか。財宝と呼べそうなものがあったが気付かなかったことにした。

「着替えがあるなら先に開けてみればよかったな」

 既に何枚も用意されてしまったあとだ。揚羽屋に来た翌日にはもうあった。日を追う毎に増えている。

「お召しものや天幕はともかく木刀と槍にはやはり、若旦那さまに入れていただくよりなさそうです」

「そういえば、不壊があっても刺繍や染色は出来るんだね」

「壊すわけじゃなく付け足すからかもしれませんがやってみて初めてわかったことです。なにしろ、不壊の付与なんてそうそうお目に掛かれるもんじゃございません」

「めずらしいものだったのか……こんなにあるからそうは思わなかったな」

「若旦那さま………………」

 信次を呆れさせてしまった。

 ちなみに水筒の酒は日本酒ではなくネクタルと呼ばれる神酒で、水も聖水だった。一口ずつ飲んでみたがどちらも美味しかった。蓋を閉めて開けてみればやはり元の量に戻っていたので常に満たされるようだ。今夜にでも重郎と信次に飲むか訊いてみよう。






 粗方支度も調って、満月の日を迎えた。夜、重郎に呼ばれ部屋へ行く。

「これは信次にも話していない」

 用意されていたのは鏡だ。手に持つことも出来るが台に据えられている、鏡台。重郎はおもむろに鏡の面へ水を垂らした。満遍なく、鏡全面が水に濡れるように。

「偶然、俺が見つけた方法だ。六十年以上前、俺がこっちに来た時たまたま夜中に水の張った甕を覗き込んだ。その夜は晴れた満月で、月の光と水鏡、どんな作用かさっぱりわからないが、界渡りから最初の満月にだけ起きるんだ。俺のあとに来た奴らで何度も試した。今日が最初で最後、これっきりだ」

 濡れた鏡に思わぬものが映る。

「おじいさま………………」

 重郎ではない、あちらの祖父だ。

『っ、…………いや、そっちじゃ元の名前を言っちゃいけないんだったな』

「おじいさま、どうして、」

 つい鏡に手を遣り近付くが、触れて水がなくなるとその部分のあちらは見えなくなってしまう。慌てて指を持ちあげそっと鏡を放した。

『それはあとで兄貴に聞いてくれ。あぁ、お前が、お前が生きていることだけで、俺ぁもう十分さ』

「おじいさま……私は、もう何のお役にも立てません、不孝者でございます」

『瓦礫の下で惨いことになっていたかもしれない、それを思えば平気だ、お前が、そうして無事に生きているだけで……』

「誠に申し訳ございません。ここまで育ててくださったのに」

『いくら仕込んだところでものにならない奴はならない、お前が立派に役者として立っていたのはお前の頑張りだ。お前が精進してきたことはお前のものだ』

「いいえ、おじいさまをはじめ諸先輩方、お師匠さま方のお教えあってこそです」

『謙遜も過ぎれば嫌味だ、お前はもう少しばかり自分の価値をあげてやりなさい』

 重郎が横で頻りに頷いている。そんなに自分を卑下しているつもりはないのだが。

『お前のことだから無茶はしないだろうがよく学び、よく休み、慎重に、用心して過ごすんだよ』

「はい。ありがとうございます」

「……悪いな、重。こんないい子を手放させることになっちまって」

『そっちの所為じゃねぇだろ、……しかし、老けたな兄貴』

「お前もな!」



 繋がっているのはごく澄んだ月の光がある限り。それは一時間にも満たない時間。

「重、そろそろ時間切れみたいだ」

 映る向こうが歪み出している。

「おじいさま」

『こっちのこた気にするな、俺がうまくやっておく。だがひとつだけ、俺の頼みを聞いてくれ』

「はい」

『生きてくれ』

「おじいさま」

『六十二年前、兄貴にも言ったんだ。こっちに居るよりゃずっと難しいだろうが、生きてくれ。お前が、世界は違っても元気にやってるってだけで、俺は』

「おじいさま」

「重、その点だけは大丈夫だ、俺が居る、安心しろ」

『頼んだぞ』

「あ、あの、おじいさま、あの日、私の隣の楽屋に居た方なのですが、出来れば、その方のお身内にも彼は生きていることをそれとなくお伝えいただけませんか」

『あ? あぁ、あのアイドルだか、タレントだかもそっちに行ったのか』

「まだお会い出来てはおりませんが、そうらしいのです」

『あれに身内はなかった筈だ、捜索の時に事務所の奴から聞いた』

「そうなのですか………………」

『あぁ、だが現場で祈ってるマネージャーが居たからそれとなく見ておくさ』

「容易に話せることではないでしょうが、よろしくお願いします」

『……お前は本当に、』

「おじいさま?」

『いや……そっちで、達者でやるんだぞ』

「はい。おじいさまもお健やかにお過ごしください」

 そうして、水は乾き月は翳った。



 最後、祖父が言い掛けたことは想像がつく。

 本当に優しい子だ、優しすぎて、歌舞伎の世界じゃ生き辛かったろう。

 名跡を継いだあとのプレッシャーは凄まじい。厳しさだけではない、外部からの容赦ない暴言めいた批評にも晒される。若くして儚くなってしまう者も居る。

「………………桐人や、改めて礼を言う。ありがとう」

「おじいさま?」

「俺が重にもう一度会えたのは、お前のおかげだ」

「おじいさま……」

「俺の時は甕に溜まった水だったから、風や吐く息で揺れちゃあ重の顔が歪んでな。何度か新しい奴が来る度に試して、見つけたんだ。最初の満月に、一回だけ起きる。自分があちらで親しくしていた、魂が一番近かった奴と繋がる。向こうも胸騒ぎがして鏡みたいに姿が映るものをその時見るんだと。繋がる気配がそうさせているのかもな。向こうは濡れている必要はないが、こっちにはある。水の下がぴかぴかに磨かれているほど鮮明なんだ」

「だから、鏡台なのですね」

「この形と傾斜が一番表面に水を蓄える。月の光も入れなきゃならないから真上を向けるわけにもいかない」

 試行錯誤の結果というわけだ。

「…………私も改めて。ありがとうございます、おじいさま」

「桐人……」

「界を渡るのはそれだけで危険なことだと、こちらに来る時に伺いました。水鏡を試すにしてもそう容易いことではなかった筈。おじいさまのおかげで、その方法が確立され、あちらのおじいさまにお暇のご挨拶が出来ました」


祖父の兄の失踪についてさほど話されてこなかったのは、祖父自身が

兄の存命を知っていたからだったりします。

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