お孫さま、とばっちり
はじまりはじまり。
「いやぁ、これは確かに見事な城だ」
その城の壁は輝かんばかりの白漆喰、幾重もの瓦屋根を支えている。建築様式は少々違うようだが己の記憶にあるものとよく似ている。白鷺と呼ばれた、幾度もの戦火を免れ存在し続けたあの城だ。
「にーさん、旅のひとかい?」
呟きが聞こえたのか、通り掛かった男に声を掛けられる。
「あぁ。旅の途中、出会った方に強く勧められてね。本当に美しい城だ」
「そうかい。そりゃ嬉しいねぇ、あのお城は財というよりゃ、技術が注ぎ込まれていてね。庶民の誇りでもあるのさ」
権力の象徴ではなく、敬意をもって庶民たちが統治者を住まわせてやっているという考え方らしい。なんとなく、その感覚は理解出来る。
次の仕事の前にと、少し早めの昼食を摂ることになっていた。仕出しの弁当だが慣れた味というのは安心感もある。それに同じ弁当ばかりでもなく店が変わったり種類が変わったり。用意してくれている自腹でもない食事に文句なんてない。時々不満を口にする同業者も見掛けるが自分はすべて有難くいただく。今日は和食だ、煮物と小さめの焼き魚、白飯の上に紫蘇ふりかけ。緑茶のペットボトルを準備する。今の恰好でペットボトルを持つと端から見れば違和感があるだろうがここに出入りする者なら奇妙に思うこともない。
纏う衣装は若侍。勿論カツラも装着済み。舞台に立つよりはかなり軽いが化粧もしている。セットでの撮影が済んだ、このあと衣装のままで短めの番宣を撮影する。単発シリーズの時代劇がわりと好評で、その特番を組んでもらえた。セット撮影は今日で終わり、明日からはロケだ。番宣撮りが済み次第稽古場へ向かわねば。由緒ある名跡を継いでいるわけではないが、歌舞伎役者の端くれではある。祖父も父も何代目とつく名を持つ。昔はそうでもなかったのだろうが現代では歌舞伎だけではやっていけない。テレビに映画に、様々な仕事に駆り出される。芝居の他に舞踊もこなす、一定以上の地力が見込める為かそこそこ仕事はあるのだ。
しかし、自ら望んでこの道に進んだかと訊かれるとすぐに頷くことは出来ない。その家に生まれ、偉大な役者たちに囲まれ育った、祖父や父と同じ道へ進むことは自然だった。自然すぎて、他を考えたことがなかった。
いや、今は弁当だ。
すぐ飲めるようペットボトルのキャップを開けて、いざ。
「いただきます」
その瞬間、ぐらっと来た。この国に居る以上経験したことがない方がめずらしい。すぐに身構え、弁当の横へ置いていた携帯端末へ手を伸ばそうとして。
それは闇というのが正しいのか。
それは光というのが正しいのか。
わかるのは。
今、自身が、ただひたすらに無垢なる空間に在るということ。
「随分落ち着いている」
男とも女ともとれない、だがとても心地よく聞こえる声。
「性格、教育、人柄、社会経験、どれかはわからない、いやそのすべてか。良くも悪くもすべてが今の君を保っている理由だ」
姿はない、どこから、誰が。
「だが、少し心配になるほどだな……」
「落ち着きすぎて?」
返答してみる。
「そう。君はもっと慌てたり取り乱したりしていても不思議はない」
調べのようにすら聞こえる声はちゃんと言葉を返してきた。
「ここには天も地もない、勿論重力もない。定命の理に縛られぬ場所だ」
移動してくれたのか、常識にあわせてくれたのか。声は前方から聞こえた。
「私が謝罪するのは少々筋違いだと言いたいが視野を広くすればやはり私から謝るべきだ。詫びよう」
ふわりとなにか、やわらかな空気のようなものが漂いそれに包み込まれる。
「言葉で説明するのはまどろっこしい。直接おろさせてもらおう。君の知る言葉でわかりやすく言い替えると、インストール、かな」
なにかが巡る、そうして理解していく。この空間の異様さ、声の主。
どのくらい時間がかかったのかはわからないが、ふと気付くとやわらかな空気は消えていた。言葉通りだとしたら膨大な量の知識を挿入されたのだろうが不思議と苦しさや辛さはなかった。昔見た頭に情報を記憶させて運ぶ映画では容量に応じて負荷があって主人公は苦しんでいたが。
まず、この状況は夢でも幻覚でもないこと。勿論弁当を食べようとしていた楽屋でもない。
声の主は、自分がわかる言葉で言い替えれば創造主のような存在、いわゆる神だ。自分が生まれた世界、以外の。
「君にインストールしたのはこちら側の理、私への疑問は既にないだろう。言葉も君が理解しやすい単語に置き換わって届いている筈だ」
そこから事情説明が始まった。
「禁忌を犯した者たちが居たんだ。自分たちでどうにかするのがたいへんだからと安直に、身勝手極まりないことをした。よそから奪うことで解決しようとした」
狙いは自分ではなく、隣の楽屋に居たアイドル事務所所属の男性だったらしい。人間一人にどんな期待を持っているのかと思ったらこどもに聞かせる昔話レベルの伝承に界を越えた者は大いなる力を持つなどとあるとか。本当に安直というか。
「君の波長があったのか君がすさまじく不運なのか」
「とばっちり、つまり巻き添えですか」
「その通り」
「もしかして、あの地震がそれですか」
「そうだ。君たちを掠った証拠を消そうとした……界を渡る時にばれるというのに」
言葉の後半かなり物騒な響きを含んでいた。神罰でも下したのだろうか。
「目的通り掠われた彼はどうなりましたか」
「君みたいに落ち着いてくれてはいなかったので少し難航したが処理済みだよ」
きちんと説明して合意を得たそうだ。よかった、ひどいことになっていなくて。さて、自分も説明をもらおう。
「君には酷なことをいうが、戻すことは出来ない。界を渡るのはそれだけでまずい、僅かな揺らぎで魂が粉々になる」
今ここにこうして居るということは無事渡れたということか。いや、妙だ。
天地がない空間に自分はどうして居る?
どうやって存在している?
「気付いたか。声を出している時点でかなりのイレギュラーだ。自我を保ち、声を発し、取り乱すこともなく説明を受けている。先の若者なんて会話にならなかった、だが定命の者ならそれが自然だ。我が感情やら思考を読み取り、教え、納得させる」
なるほど、発声がイレギュラーというならこの空間では実体がないということか。鏡もない、目線をおろして手を見ようとしても下がどちらかわからない。そもそも目線がわからない、光とも闇ともつかない無垢なる空間。
「こちら側に来てもらうより他なく説明と詫びに来たのだがどうにも君からは妙に懐かしい気配を感じる。どれ、肉体を戻してみよう。手掛かりになるやもしれぬ。その程度私なら可能だ」
この様子だと先に説明を受けたアイドル事務所の彼の身体はどうしたのだろう。
なにか言葉を返す前に、実体が出来た。手を見る、ちゃんと指がある、手の平も。服装は、まさかの衣装のままだった。
「ほう……?」
「あ、これは、撮影中の衣装で、」
「ほうほうほう……なるほどなるほどなるほど」
神の納得しきった声に、不安が募る。
「いや、すまぬ。懐かしい気配の理由はわかった。だがそれ以上に、貴公の容貌が気に入った」
「は?」
微妙に、自分の呼び方が変わった。君から貴公に。
「うむ、我を象るに適している。そなたの容貌、いただこう」
「えっ」
目の前に、自分そっくりの若侍が現れる。
「うむ、うむ、よいな、よい、気に入った」
右手をあげ表裏、左手をあげ表裏、片足ずつ軽くあげてはその場でくるりと回る。その動きを追うかのように淡い光の粒が散る。
「えっと……」
自分を模した神は、自分がしたことのないような素晴らしい笑みを浮かべる。
「これより貴公はこちらの世界へ足を降ろしてもらうことになる。貴公の安全の為、相応の備えはしておく。更にこれを」
中空に現れたのは書簡だ。
「その者が住まう国へとおろす故、届けてくれ。必ずや貴公の助けとなるだろう。あぁ、とても見事な城がある、国の長が住まう城だが観光名所でもある、是非見て欲しい。手紙を届けさせる意味がわかるだろうからな」
そうして、気付いた時には旅装束の若侍として地を踏み締めていた。さすがは神、タイミングは完璧。誰の目にも触れていない一瞬におろしてくれたようだ。すぐに聞こえてくる生活音。足音、物売り、話し声。周囲を見ながら雑踏に紛れる。
目に飛び込んでくるのは知らないわけでもない景色。時代劇のセットに酷似した街並み。城への道は尋ねるまでもなかった。
「本当に見事だ」
だが完全に同じというわけではない。街行く人々の多くは和服だが洋服も居る。明治時代とも違う。和服の者も髪を結いはしているが月代もないし、肩より上まで短くしている者も居る。インストールされた知識から当然の如く理解は得られる。ある程度周囲のことがわかれば制御しなければ少し面倒だ。
「俺のじーさまも石垣作りに携わったんだ。剃刀一枚入らねぇんだぞ」
「素晴らしい。優美さに加え堅牢さも備えているのだな」
ここは江戸時代でもなければ日本でもない。ただこの文化が根付いているだけの一都市だ。
◇◇◇◇◇◇
この国に馴染んだ出で立ちなのにめずらしげに城を眺めている男が居た。僅かに笠をあげていた為その顔が見えたが役者のような美形だった。
上等な旅装束を揃えていながら城を見たことがなかったのか。旅人かとの問いに男は肯定した。もしかすると外の国で生まれ親の故郷にやってきたのかもしれない、そう思ったら話が止まらなかった。城を自慢し、身内を自慢した。穏やかな笑みのまま聞いてくれる男に一層好感を持った。
「ところで、どこか食事が摂れるところを教えてもらえないだろうか」
「俺の知ってるところでよけりゃ」
よく行く飯屋を教えた。
男は礼を述べ、歩いていった。まっすぐに通った背筋、伴もつれずに歩くような身分ではなさそうだが話していてとても気持ちのいい男だった。日が暮れたら店に顔を出して、男が来たか訊いてみようか。
「さてと……俺も油売ってねぇで仕事に戻るかね」
懐かしい気配ではあったが、かなり疲れた魂でもあった。こちらの世界で自由を得て、どう過ごすのか。
「さあ、教会への神託を済ませよう」
アイドルの彼の方も合間合間にいれていく所存。