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懐かしい街

作者: 梅村 松竹

ガタンゴトンと電車が今日も走り出す。私はそれに乗って、いつもとは違うある場所へ向かっていた。閉じようとする目蓋をこすり、外れそうなイヤホンをきゅっともう一度奥に押し込む。お気に入りの曲を少しばかり大きめの音でジャカジャカと奏でてぱちくりと目を開けてみたりする。そうやって外の景色を眺めたりしている間に目的の場所に着いて、私はホームにとんと降りた。懐かしい、ここは私の育った街だ。爽やかな風がひゅうと吹いて眠気が少し吹き飛んでいき、私の胸は懐かしさと寂しさでいっぱいになった。そのまま改札を抜けて懐かしい街をきょろりと見渡してみると街は私がいた頃とは少し変わっていた。まあ無理もない、私がこの街を出てもう十数年経っている。私はとりあえず家に向かって歩を進めた。家の近くまで歩くと懐かしい人に会った。昔からのお隣さんだ、そう私が気付くとほぼ同時に向こうも私に気づいて近付いてきてくれた。

「夢川さんのとこの坊ちゃんかい。大きゅうなったねぇ、おかえりんしゃい。」

私は懐かしい顔に少しほっこりしてニコッと笑い、ただいまですと会釈をした。すると向こうもニコッと笑ってそのまま話し出してそのまま家まで向かった。お隣さんなのだから当たり前のように行き先は同じだ。懐かしい話をしながら最近はどうだとかも色々聞けた。そうやって家の前まで来たところで母が居た。ただいま、と声をかけると嬉しそうな顔をして母はこちらに向かって軽く走ってきた。お隣さんは母と軽く挨拶をして久々の家族水入らずだとさっさと家に帰ってしまった。とりあえず家に入ろうか、と言って母の荷物を少し持って家の中に入った。家の様子は家を出た時から何ら変わらなかった。だが一つ二つ見たことの無い置物が増えていて私は少しの間じっとそれを見つめた。またこれから少しずつ増えたりするのだろうかと思うと私は少し見てみたい気持ちになった。

「ただいま、父さん。」

居間まで行くとそこには父の姿があった。父は私の挨拶を右手だけで答えて新聞を読み続けた。懐かしい父の姿、父は既に定年を迎えて仕事を退職していたがその姿は時の流れをあまり感じさせず、私がこの街を出ていった時から何も変わっていなかった。新聞を読む時、父は何ひとつとして喋ろうとはしない。無言でテーブルの上のみかんをひとつ取って私に投げ渡してきたので私はそれを一瞬落としそうになった。しかし父が食べろと言わんばかりにみかんなんかを投げてくるのは珍しい。私はそれを持って昼飯を作ってくれている母の元へと向かった。

「母さん、このみかん父さんが渡してきたんだけど。」

そこまで言うと母はふふっと笑ってそれは二人でこないだみかん狩りに行った時のものよ、と嬉しそうに言った。仕事をしていた時は冷たい人だと思っていたけれども退職して少しは丸くなったのだろうか、そう推理していると母は懐かしそうに話を続けた。

「お父さん、アンタが産まれる前はこうやってどこかへ何度も連れていってくれたのよ。それにアンタが生まれたあとだって月に一度はどこへも連れて行けなくてすまないって謝りに来てたのよ。」

父さんは俺と滅多に遊んだことがない、だが今でも覚えている。人生でたった数回、キャッチボールをした日には必ず帰る時にまた今度来るか、とぼそりと言ってくれていた。あれを私は父さんがたまに見せるコンマ一ミリの優しさだと思っていたが違った。それは不器用な父さんの精一杯の優しさだったのだ。


久々に食べる母のご飯はやはり美味しかった。私は食べているあいだに外にあるプチトマトの植木鉢をちらっと見て、さては母さんが育てているのかと思ってそのトマト美味しいね、と母に声をかけた。すると母はですって、と父さんの方を見た。

「父さんったらあのトマトの種、急に買ってきて育てだしたのよ。なんでって聞くと美味しいトマトが食べれたら嬉しいだろうって、それに忙しいだろうって私に黙って掃除機なんかかけたり洗濯物も……」

そこまで言ったところで父さんが少し恥ずかしそうに箸を置いて自慢するためにやってるのではないからやめなさい、と回る母の口を止めた。母ははいはいと笑って残りのご飯を食べる。懐かしい我が家は私がいた頃とは同じようで全然違った。厳しく時に優しい私の父は実は優しい不器用な父だった。それを知れただけでも私は嬉しかった。ご飯を食べ終えてごちそうさまと私が言うと父さんがどこかから懐かしいグローブを持ってきていた。久しぶりにどうかと、父さんは無愛想な顔でそう言ってきた。懐かしいね、と私が言うと父さんの横顔は少し笑っているような気がした。懐かしい何も無い公園、ここは昔から遊具ひとつなくただ四方を柵で囲んであるだけという寂しい公園で私と父さん以外は誰かが来ているところを見たことがない。ぽすんぽすんとボールを投げてはキャッチする、それも無言で。懐かしい父とのキャッチボール、何も変わっていなかった、だがそれが今の私には一番幸せな時間だった。キャッチしたボールを胸にあてて私は父さん、と一言声を掛けた。すると父さんはそろそろ帰るかとこちらに歩いてきた。帰り道、父さんはいつでも帰って来いと言って私の肩を叩いた。父さんはきっと全部分かっていたのだろう。私は溢れ出そうな涙をくっと堪えて歩いた。

「もう帰るのかい、泊まっていってもいいのに。」

母さんは少し寂しそうな顔でそう言った。私は明日も仕事だから、と母さんに一言告げると父さんの方を向いた。また来るよ、そう一言だけ言うといつも無愛想な父さんは微笑んで、またなにか育てておくとだけ言って自分の部屋に帰っていった。最寄り駅まで歩いてくるりと振り返った。次来るのはいつだろうか、もう一度前を向いて改札を抜けた。長い電車に揺られてがたごと家に帰った。私は長いロープを物置に直した、使うことのなくなったあのロープは私と父さんを繋ぐ切っても切れない絆なのかもしれない。

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