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恋に金棒  作者: ねっしー
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プロローグー1

 疲れた。眠りたい。今週はどれだけ眠れただろうか。なぜ理系大学生なぞという物になったのか。季節は11月を迎え、日に日に透き通り見上げるほどに高くなる空とは裏腹に、将来のことを考えると胸の奥が重い。その重さは、背中に背負う一年間の研究データを内包するノートパソコンだけの重さだけではあるまい。

 高広は、今年で学部四年になった。大学では誰もが目の色を変えて研究に取り組み、最後の追い込みをかける時期である。早く卒論を書かなくてはいけないことは良くわかっている。だが、日々のやる気は研究による疲労によって削がれ、やりたいこともやらなくてはいけないこともあるのに、一日の作業が終わり、暗く冷たい学生寮の部屋に戻る頃には、いつもぐったりとしてしまって寝るだけの生活が続いていた。

 食事は大抵カップ麺で済ませるので、部屋の片隅には発泡スチロールの器が積み重なって歪な塔を形作る。一番下の物はいつ買ったかも怪しいのだった。高広はその上に今日の分のカップを置こうとして、バランスを崩しバベルの塔を崩壊させる。

 器に残っていたわずかな汁が腐ったのか、真っ黒になった汁が部屋に飛び散った。が、それさえもかたす気力がない。散らばったカップ麺の容器を乱暴にスーパーの買い物袋に詰め込んで布団に倒れる。


 だれか注意してくれる人でもいれば少しは違うのだろうが、人付き合いは苦手だった。表面上の友達はいるが、どこまで行けば友達なのかもわからない。いい加減他人に合わせて生きるのもつかれる。皆嘘つきだし少しでも楽をしたい。彼らが何を考えているのか高広には全く分からなかった。おそらく、頭の中の問題だろう。

 これが就職先でも続くというのだから、この日本は恐ろしい。そういうのは流行らないって。仲良しこよしなんてしているから自殺者が出るんじゃないかと高広は思う。


 服も着替えぬまま、ゆっくりと閉じた瞼と共に、明日が来なければいいなと思った。だが、明日は早起きをしなくてはいけない。明日は週刊報告があるのだ。その原稿は未だ……。


ピピピピ。ピピピピ。


 耳障りな電子音で鉛を流されたように重い体を起こす。部屋は酷く冷えていて、窓ガラスが結露で曇っている。時計は朝5時を示しているが、どうにも寝た気がしなかった。

 再びつぶりそうになる目を何とか開いて、戸棚の中、買い置きの栄養ドリンクを飲み、昨日のままのリュックを背負って寮を出る。

 外の寒さが身を切るように痛い。この時間でもせっかちな車は何台も交差点を行き来した。昨日充電器につなぎ忘れたスマートフォンが振動してメッセージの受信を伝える。


『緊急。これを見たら直ちに学習科の窓口を訪れること』


 高広は嫌な咳をした。まずい。なにかしたか。




 銀糸大学、第一キャンパス、一号教練棟――

 朝早くから仕事を始める掃除の人たちのお陰で汚れ一つない床の上を歩いていくと、そこに分厚い金属製の扉があった。白く塗られているが、長い使用もあって所々ペンキが剥がれ、よりその無骨さが強調された扉である。

 その中には校長が座る豪華な椅子があり、その前には客人用の皮張りの椅子がある。


 だが、その部屋の空気はピリリと張り詰めていて、例えるならば全身を針で刺されるような緊張感が支配していた。


 客人用の席に座っているのは、カーキ色の服に身を包んだ人物だ。どうみても一般の人間ではない。肩を下から押し上げる筋肉は、長い訓練の結果練り上げられた物だ。刈りこまれた髪の毛の下、顔は笑っていたが明らかに強いまなざしが光る。


 かたや、私服に身を包んだ男だ。最近女性にもてたいと思って自分で鍛えてはいるが、明らかに戦う筋肉をしていない者。


 前者は日本において自衛隊に一般人を勧誘する仕事を受け持つ存在――自衛隊地方協力本部において広報等の業務を行う自衛官であり、後者は一大学生、それも大学四年の大事な時期を迎えた学生である。

 時折まみえるこの組み合わせは、企業に就職が決まらず、公務員を志す者に多い。



 そういうわけで、この大学では学生から恐れられる存在である自衛官が口を開いた。


「学生というのはいいね」

「いや、本当に大変ですよ」

「えっと、内定は出ているんですよね?」

「はい。勿論です」

「困ったなぁ。内定取り消しをしてもらわないと」

「ハハハ。何言ってるんですか」


 自衛官は手をフリフリしておどけたようなしぐさを見せる。


「この頃は涼しくなってきましてね、自衛隊に入りたい人も少なくなっているんですよ」

「うわー」

「本当に大変なんです」


 話は何気ないグチから始まった。

 自衛隊にもルールがある。それは無理に勧誘しないという事。勿論、無理は禁物だが、彼らは自衛隊のいいところだけを伝えて勧誘をしたという過去がある。最近は情報化が進んでそれも少なくなったが。


 しばらく表面だけの笑いのあった会話が収束する。

 お互いに相手を探っている沈黙だ。


「わざわざ来てくださってありがとうございます」

「いえ、学校から緊急メールでお知らせが来たので何事かと思いましたが、こうして内定があることをお伝えできて良かったです」

「そう言っていただけると助かります。まぁ、本日の要件は本来の自衛隊とは少し離れた事なんですがね」

「あーですか。何に付いてですか」


 一応、と一言おいて自衛官は名刺を取り出した。それを一大学生である高広は両手を使って受け取った。名刺には剛毅と書かれている。役職も、企業名も無し。


「まだ名刺を持っていませんので、私はこれで」

「ええ。お疲れ様でした」


 やがて今日、最重要として会う必要のあった学生が入り口から出て行った。

 剛毅は、高広が先ほどまで座っていたソファーを眺めて、手元の資料を整えて立ち上がる。


 向かった先にはこの学校の校長と研究室の教員がいた。


 彼らも、かつて自衛隊にいた。年を取ったが、未だに体を鍛えることを辞めていないようで、歳相応の腹のでっぱりが無く、着こなされたスーツはマネキンが着ているようにしなやかだ。


 彼らは手元の資料をなんどかぺらぺらと見返して、途中で動きを止める。

 今この時になってなお、学生を送り出してしまうことに、罪悪感を覚えたのだ。


 自分たちがここで匿ってやる方が良いのではないか?



 自分の自由な時間を研究に裂き、日本と世界の将来のために努力している青年である。


 書類手続き上は、研究時の不慮の事故による死亡という事になる。当然遺体は遺族に返されず、学生寮に残された遺品だけが送られる手はずになっている。


 多額の資金と教員の知識で練り上げられた学生は、ついにこの時をもってその運命に身を投じることになる。確率にして1/2000。

 手の中でカサカサと揺れる薄い紙きれに人間の命がこうも儚くも決定されるのかという寂しさがあった。


「どうか、生きてくれ青年よ。死ぬまで安らかに」


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