ツーリング小説じゃないんだけど
夕闇がせまり、林に囲まれたその池はだんだんと黒く沈んでいった。静かな場所だった。聞こえるのは鳥の声。時折助けを求めるように短く鳴く。
空は赤く迫り、林の上を染めていた。そこを一群の鳥が横切った。わたしはそれを雁だと勝手に決め付けた。
小さな池だった。周囲は100メートルくらい。だから対岸までは30メートルくらい。赤く染まることを期待していたけれど、林の陰になってどんどん黒く沈んでいく。反射する光りも辺りにはない。
わたしは地図に目を落とした。残り少ない夕日でかろうじて読み取れた。
長距離を走るとき、来た道を戻るというのは心情的にしたくない、と思うものだ。
地図とにらめっこしながら、なるべく戻らなくて済む道順を考えたくなる。とくに、眠かったり疲れていたりすると余計にそうなるものだ。理性的には、元の道をたどったほうが確実だと分かっていても、なんとなくそうしたくない。
だけど、大抵の場合、それは失敗する。
そう、思ってみたけれど、わたしは実際、自分が何処にいるかすら分からなくなっていた。地図の上で、大体このあたりかな、と見当はついても、だから目的地へはどうやっていけばいいのかは分からなくなっていた。
悪いことにだんだんと、日が暮れ掛かっていた。
300キロの距離を、国道ばかり通るから、平均50キロで6時間でいける、なんていうのは、一度でも長距離を運転した人には分かっているだろうけど、不可能である。何処かで休憩するし、第一平均50キロなんてスピードは日本では維持できない。信号を無視してアクセル全開でならいけるかもしれないけど、そんな運転をすれば、とても疲れるからやはり何処かで休憩して無駄になる。
とにかく、わたしは昼間の間、やたらと休憩もして、その上道に迷って、200キロしか走っていなかったのだ。メーターはそれ以上の距離を指していたけれど。
眠いし、疲れているし、それにガソリンが残りわずかだった。わたしのバイクには燃料計が付いていなかったけれど、経験的に何キロくらい走ったらどのくらい燃料を使うかは知っていたし、燃料コックというメインとリザーブを切り替えるレバーがあって、メインは使い果たしていた。
なのに、山の中だった。
近くにガソリンスタンドは無さそうだった。それに、あったとしてもこういうところのガソリンスタンドは夕方に閉まってしまう。せいぜい遅くまで営業しても7時か8時。たぶん、これから見つけても間に合わない。地図で深夜営業のガソリンスタンドがある街まで40キロから50キロ。ぎりぎりだった。
道を間違えなかったら、だけど。
いっそ、ここで野宿しようかしら。
ライダーとして、テントで寝た事は何度かある。
辺りを見渡した。急速に暗くなっていく林は不気味だった。池は幽霊が出そうなほど暗かった。
無理よ。こんなところで寝られるわけがないわ。
それに、テントも持ってきていなかった。一緒にいて安心させてくれる洋一もいない。
ふっと、わたしは頭を振った。彼のこと、今は思い出さないほうがいい。
とにかく移動しなきゃ。わたしの読みが当たっていれば、ぎりぎりで給油出来るはず。そうしたら、頑張って大学にたどりついて、サークルの部屋にでも泊めてもらおう。わたしはエンジンをかけようと、バイクに近づいた。
その時、違うバイクの音がした。わたしは思わず車道に走った。一台のバイクがやってくるのがヘッドライトで分かった。
わたしは大きく手を振った。
回転が下がり、わたしに気が付いたのだと分かった。怪しむようにゆっくりと近づいてくる。
ま、そりゃそうだろう。
でも、結局は彼はわたしの前でバイクを停めた。
「どうしたんですか?」
はっきりとした声で言った。エンジンは止めなかった。
「道に迷ったんです。教えてください。」
わたしはエンジンの音にかき消されないように大きな声で言った。
「ああ。」
分かった、というように彼はそう言うと、エンジンを止めて、それからはじめてわたしの後ろにあるバイクに気が付いた。
「幽霊かと思いましたよ。」
ジェットタイプのヘルメットを脱ぐと彼はそう言った。
わたしは微笑んでおいた。
彼はヘルメットをバイクのタンクの上に乗せ、
「ツーリングですか?」
「いえ、知り合いのところに行く途中だったんです。」
「そうですか。」
「ツーリングですか?」
わたしも、そう聞いた。ま、ライダー同士っていうのは、大抵そういう会話をするものなのだ。あいさつみたいなものである。
「ええ。残り少ない休みのうちに、と思って。」
そういうと、彼はバイクの荷物のなかから、地図を取り出した。
「何処へ行くんですか。」
わたしは目的地を言った。
「ああ、それならこの道はまるっきり見当違いの方向へ行ってしまいますね。戻ったほうがいいですよ。」
わたしは、頭がくらくらした。わたしって、こんなに方向音痴だったかしら?
「近くに、ガソリンスタンド、無いかな。」
わたしはつぶやいた。
「ガソリン?」
「ええ。もうリザーブなんです。」
「それは・・・。」
何を言おうとしたのか、なんとなく分かった。彼は言いにくそうにしていたけれど、結局こう言った。
「戻るとたぶんガス欠でしょう。」
「そうですか。」
「ええ。こっちへ行けば、なんとかなるかもしれないですけど。僕はそこに住んでいるんですけど、確か開いている店があったと思うんです。」
わたしは迷った。その方向へ行けば、確実に目的地までの距離は伸びる。けれど、戻ればガソリンが無くなる。ここで野宿するのは嫌だ。
「付いて行ってもいいですか?」
「え?ええ。いいです、けど。」
彼は驚いたように言った。