最終回
シトローエンの真後ろに車を停めると、ビルに入って行った二人をわたし達は追いかけた。田辺は電話で佐久間を呼び出していた。階段を駆け上がりノックもしないでドアを開いた。
昨日と同じ女性が、わたし達を見るなり叫んだ。
「なんですか突然。出て行ってください」
わたしは構わずに奥の部屋に向かった。そのドアを勢い良く開く。そこには友美と浦上、それから鳥井がいた。
「これはこれは。蓮田さん。どうなさったんですかねえ?」
鳥井は落ち着いた様子で、そう言った。
「手を出さない約束でしょう?訴えられたいの?」
鳥井は大袈裟に両手を広げて天をあおいで見せた。
「私は何もしてませんよ。彼女が自分でやって来たのです」
わたしは友美の方に向き直った。
「友美、帰りましょう。」
友美は首を振った。
「騙されているだけよ」
「違うのよ、奈々。浦上先生が誤解を解いてくれたの。これで私は帰ることが出来る」
わたしは浦上を指差した。
「この人は、お金のためにやっているだけよ」
今度は浦上が声を荒げた。
「何を言い出すんですか?小早川さんの希望を叶えただけです」
わたしは声を上げて笑った。
「そんなことを頼んだ覚えは無いわ」
アストと田辺が受け付けの女性をドアで押し戻して、その部屋は密室になった。
「浦上先生、大学と友美の両親に報告します。あなたがカウンセリングに来た学生をセミナーに送り込んでいるってね」
田辺は「ドン、ドン」と音を立ててドアを開こうとする力に対抗して、それを抑えつけていた。ドアノブが腰に当たって痛そうな顔をした。
「違う。そんなことはしていない。証拠があるのか?」
わたしは頷いた。
「証拠なら、調べ上げてみせるわ」
浦上はうろたえた。
「先生が友美のカウンセリングをするって言い出した時から疑っていたのよ。ひょっとしたら、あなたが友美をセミナーに紹介したんじゃないかって」
友美が、ぽかんとして言った。
「あれ?知らなかったの、奈々。聞けばいいのに」
今度は、鳥井が笑い出した。
「うかつな探偵ですなあ」
わたしは鳥井をにらんだ。
鳥井が続けた。
「誰が紹介者でも、問題にはならないでしょう。私共は、人生の挫折から立ち直る手助けをしているだけなんですから」
「それには賛成しないわ。」
そう言うと、わたしは浦上に目を戻した。
「先生の方は問題ありですわね。カウンセラーの立場の悪用です。」
「違う、これは、研究の一環だ」
「なんの?」
アストが、ぼそっと言った。
「マインドコントロールの研究だ」
わたしは首を振った。
「じゃあ、セミナーがマインドコントロールをしていることを知ってやったわけですね?謝礼はいくらですか?」
「謝礼など、受け取っていない」
「今回は謝礼を受け取って、その上で友美さんをどうするつもりだったんですか。銀行へ行かせるつもりですか?」
田辺が、あっと声を出した。
「奈々、私はやっぱり戻りたいの。そのためなら二百万くらい・・・」
わたしは、手でそれ以上言うのを制した。
「いいかげんにしなさい。友美のお金じゃないわ。それに、あなたの虐待の記憶だって、ここにいる浦上先生が作り出したのよ」
「なに、それ」
友美は不安そうに言った。
「認めますか?浦上先生」
「それは、覚えがない。」
「その件については、既に証人がいますよ。あなたの未熟なカウンセリングで余計に苦しむことになった学生です」
「未熟・・・。それは不適当だ」
「今回のことで、大学にはいられなくなるでしょうね。なんのつもりで、ここに友美さんを連れて来たんですか?」
じっと下を向いていた浦上は、苦しげな声で言った。
「これは・・・。脱会のプロセスだ」
友美が浦上の顔を見上げた。
「なんなの、これ」
友美は泣き声になって言った。
「もう分かったでしょう?帰りましょ、友美」
そう言うと、わたしは手を差し出した。友美が歩きかけた。
「待ってくれ」
そう言ったのは浦上だった。
「鳥井さん。なんとかしてくれ。持ちつ持たれつでやってきただろう?」
鳥井は首を振った。
「知りませんね。うちには関係の無いことです。帰るなら、どうぞ御自由に。私共は無理強いをしたりはしませんから」
わたしは鳥井をにらみつけた。
「その件については、わたしが良く知っています。とりあえず、バイクと携帯を返して欲しいわね。話はそれから。」
鳥井は顔色一つ変えずに言った。
「なんのことだか分かりませんが、たぶん、見つかりますよ。ガス欠で放置されていたバイクと携帯電話を拾った、という報告が届いていたはずです。登録者にあなたの名前があったようだから、そろそろ大学の方に届いているんじゃないかな」
「そう。ありがとう」
わたしは、そう言うと踵をかえした。
「帰りましょう。友美」
わたしは友美の手をとった。アストがドアを開いた。
「待ってくれ、わたしはどうなるんだ」
浦上が言った。わたしは、ちらっとそっちを見た。
「さあ。その鳥井さんにでも雇ってもらったら?」
鳥井は苦笑した。
「しかし、浦上さんはトレーナーにはなれんでしょうなあ」
わたしは友美と田辺を先にドアから外へ送り出した。最後に、わたしがドアから出ようとした時、鳥井が言った。
「蓮田さん。もうこれ以上首を突っ込んではいけない。大人の世界なんだ。学生風情がなんとか出来るような話じゃないんだよ」
「わたしは、もう学生じゃないわよ」
わたしは笑顔で言った。
「どちらでも。こんな真似をしていると、命を無くすよ、と言っているんだ」
鳥井の顔は笑っていたが目は怒っていた。
「殺しかけたくせに」
「なんのことだかわからんね。しかし、蓮田さんはコントロールされないタイプのようだ。そういう人はね、消えてもらうしか無い場合もある」
「脅迫?わたし、テープレコーダーもって来た方がよかったわね」
「ビジネスだよ。障害は取り除かねばならん。どんな方法を使ってもね」
そう言うと、手で「いけ。」と言った。わたしはドアを閉めかけた。それから振り返った。
「どんなビジネスもね、誰かを幸せにしないといけないのよ」
鳥井は歯を見せて笑った。
「しているよ」
後部座席に友美と並んで座った。クーペだから、ちょっと狭かった。特に頭の上が狭い。
「友美」
呼びかけると弱々しく顔を振った。目に涙が浮かんでいた。
「大丈夫よ。もとの生活に戻るだけなんだから。悪い夢を見ていただけなんだから」
友美は声を上げて泣き出した。運転席と助手席でアストと田辺が居心地悪そうにしていた。
「奈々、私、奈々にひどいことをした」
泣きじゃくりながら友美はそう言った。
「いいのよ。友達だから。時にはそういうこともあるわよ」
車の窓からは夕焼けが見えた。背の低いビルの上に赤い太陽を反射した雲が流れていく。空はだんだんと紫色に染まっていた。街の喧騒とは裏腹に、それはだんだんと暗く落ち着いていった。
誰かに騙されないようにすることは難しい。こんなにも嘘や誇大広告が渦巻いた世界では。
人を騙して儲けようとしている人がたくさんいる。騙されないためには、常に身構えていなくてはいけないのかもしれない。それはつまり、人を信じないことだ。どんな人に出会っても、その人をすぐには信じないことだ。
それから自分も信じないことだ。この世界には心理学だのトリックだのが溢れてかえっている。会社の上司は心理学で部下を掌握しようとするし、テレビのコマーシャルも心理学を取りいれて作られている。あのジュースを飲んでみたいと思った気持ちは、本当はトリックのせいかもしれない。だから、自分も信じないことだ。
そうすれば、こんな世界では成功出来る。失敗の無い人生が送れる。
でも、わたしは誰かを信じていたい。
わたしが感じたこと、思ったこと、考えたことを信じていたい。
いつもトリックを見破ろうと身構えて、自分の目も耳も信じないで、そんなことはしたくない。
わたしはわたしの感性を信じていたい。
騙されたり、利用されたりしたくはないけれど、それを疑って人を信じられず、自分も信じられずにいたくはない。
いったい、どうすればそれが出来るんだろう。
ひとつは心理学を学ぶことかもしれない。テクニックを学べば、それを悪用する人達のテクニックを見抜けるかもしれない。
わたしが心理学を学ぼうと思ったのは、つまり、そういうことだったのかもしれない。
人を信じたいから、嘘をつく悪い人を見つけられるようになりたかったのかもしれない。
わたしは幸せになりたい。幸せになるっていうのは、誰かを、そして自分を信じていられるってことだ。誰かを愛したいし、皆に愛されていたい。そして自分も愛したい。
きっと、いつかは、それが出来るようになるだろう。
明日や来週ってわけにはいかないけれど。
幸せになる近道なんてないんだから。幸せは、心の中にあるものだから。それを手にいれるのは、とっても難しいんだけど。
読了ありがとうございました。
10年位前に書いたまま、そのまま投稿しています。
シリーズとしては、これで最後となります。
ありがとうございました。




