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ワンスアポンアタイム

 電話が鳴っていた。

 家の電話だ。携帯じゃない。

 わたしはキッチンの床からそれを見上げていた。電話機の回りの空気が震えているのがわかる。うるさい。とめてくれ。

 起き上がる気にはさらさらなれなかった。いや、起き上がれば吐くよ、たぶん。

 留守番機能に切り替わり、相手の声がスピーカーを通して聞こえてきた。

『あ、父さんだ。奈々、今日はどうだった?就職先は決まったのか?風呂でも入っているのか?』

 そこで、少し間が開いた。酔いが回っていたから、ただ一呼吸しただけっだったかもしれない。わたしにはやたらと長い時間に思えただけかもしれない。

『明日、帰る。少し話をしよう。』

それからガチャと音がして、電話は切れた。

 わたしは、再び目を閉じた。


 わたしは、何故か高校生に戻っていた。

 また、夢なのだ。また、夢だと知って夢を見ている。

 セーラー服を着て教室の真ん中くらいの席についている。先生が黒板を指差しながら歴史の授業をしていた。

 あれ?

 隣には洋一が座っていた。

「洋一。」

洋一はちらっと、こちらを見てまたノートに目を戻した。

違う。洋一とは大学で知り合ったはず。

 そうすると、ここは大学なの?

 目を上げると、黒板も先生も消え去り、他の生徒も消え去って誰もいなくなっていた。わたしはセーラー服のままだった。

「洋一?」

洋一もいなかった。

「洋一?」

遠くで誰かが泣いていた。

「誰?」

暗い部屋のすみに金属パイプで組まれた素っ気ないベッドが置かれていた。わたしはそれに近づいて行った。

 なんだか、とても怖かった。

 白いシーツをかけられた人が寝ている。

 もう、分かっていた。それが洋一だということが。

 わたしがそっと白いシーツを引くと、洋一は裸で寝ていた。そっと触れると、とても冷たかった。

「そうよね、死んでるんだもの。」

わたしはそうつぶやいた。つぶやいてから、わたしは愕然とした。そう、彼は死んでしまったのだ。

 それでも、わたしはシーツをさらにひっぱって、それからベッドの上によじ登った。いつの間にか、わたしも服を着ていなかった。

 そっと、洋一の体に自分の体を重ねた。

 とても、冷たかった。


 目が覚めると、フローリングの床が目に入った。

 キッチンで寝てしまったらしい。冷たい床が電器の明りで光っていた。カーテンを引き忘れた窓から暗闇が見て取れた。首を回して壁の時計を探すと、2時を指していた。わたしはそうっと立ち上がり、お風呂に向かった。

 着ているものを一枚ずつ脱いでかごに放り込む。3日分の洗濯物がたまっていた。明日父親が帰ってくる、と電話で言っていたような気がした。たしか、そう言っていたわよね。留守電にそういうメッセージをいれていたわよね。

 この洗濯物も、それから掃除もしなくては。3日間、ちゃんと生活してました、と言わなくては。

 顔を上げると鏡に自分の姿が写った。

 やせている。脇のあたりの骨が浮き出ている。それに、記憶よりも胸がない。顔には赤い跡がある。これはたぶん、床に顔を付けて寝ていたからだろう。肌も荒れている。髪はくちゃくちゃで、言ってみれば、妖怪のような荒れ方だった。

 思わず笑ってしまった。

 洋一が見たら、なんて言うだろう。

 なんでも許してくれた洋一だから、怒ったりはしないだろうけど、わたしのことを心配して何かと世話を焼くだろう。

 でも、彼がいてくれたなら、わたしはこんなにはならなかった。

 慌てて首を振って、その考えを頭から追い出した。

「何を考えているの、奈々。」

わたしは、自分に声に出して言った。

 扉を開けてバスルームに入り、お湯を出す。適温になるまでシャワーを出しっ放しにしながら、今日一日の事を思い返そうとしていた。

 洋一の事は、乗り越えたつもりでいた。

 もう、2年も経つのだ。

 新しい恋人がどうしても欲しい、とは考えてはいなかったけど、洋一のことばかり考えるのはよそう、と決めたはずだった。事実、大学生活の最後の半年はそう出来ていたように思う。卒論や足りない単位のことで追われてもいたし、サークルだって引継や何かでいろいろ忙しかった。自分の部屋で酒浸りになっている暇は無かったのだ。

 けれど、実家に帰ってきて、何もしない時間が増えて、意識しないうちに彼のことを思い出すことが増えていたようだ。

 引っ越しをした時に、いろいろと彼のものは処分したけれど、全部捨ててしまったわけでもなかった。一番の大物は、バイクだ。

 交通事故が起きた時、彼だけに怪我を負わせたバイクをわたしは家族から引き取った。洋一が最後に触れていたものが欲しかったからだ。洋一の家族は、彼の命を奪った乗り物は見たくも無い、とすぐに承諾してくれた。

 事故には目撃者がいて、相手の車に乗っていた人もすぐに非を認め、トラブルにもならなかったから、バイクは事故後すぐにわたしの手元にやってきた。少しだけオイルが漏れていて、修理が必要だったけど、わたしはそれに乗りたいから引き取ったわけでは無かったから、1年くらいそのままになっていた。

 忘れていたわけではない。自分で言い出したくせに、やっぱり、バイクを眺めていると、彼のことを思い出すし、第一、彼はわたしのかわりに図書館へ本を返すために出かけたのだ、と思い出すし、とにかく、見たく無かったのだ。

 去年、走れるように修理と車検の取り直しをして、わたしはそれに乗ることにした。忘れる必要はないけれど、乗り越えなくてはいけないと思ったからだ。

 もっとも、そんな理詰めでバイク屋に持って行ったわけでは無かったけれど、とにかくバイクは走るようになった。そのバイクで、彼との思い出のあるところに行ったり、彼との楽しい思い出を思い出したりするうちに、わたしは自分の毎日を反省した。それからはちゃんと授業にも出るようになったし、なんとか卒論も書き上げた。満足はして無いけど。

 シャワーを浴びながら、目を閉じた。

 くしゃくしゃだった髪が、濡れて顔や肩に張り付いた。

 腕も随分と細くなったように思う。やせて、うれしいような、悲しいような気がする。わたしはやせているといより、骨ばってきているような気がする。

 ここしばらく、洋一の夢は見ていなかった。

 大抵の場合、彼の夢は後味が悪くて、悪夢のような結末になることが多かった。たぶん、彼が死んだのは自分のせいだと思っているからだろう。わたしが彼に図書館に本を返しに行ってよ、と頼まなければ、彼は死ななかったのだ。

 そういう考え方が良く無いのは分かっていたし、理性的には図書館に行くのが危険だと、誰が考えるのか、と思う。でも、わたしがそう感じていたのだから仕方無い。友人やカウンセラーに何と言われようが、そう思っていたのだから仕方無い。

 降り注ぐ、お湯の中で下を向いてそうっと目を開けた。

 髪の毛をお湯がしたたり落ちていく。

 何度も考えたことだ。同じことを同じように考えて、結局は同じ結論にたどり着く。

 洋一が死んだのは誰のせいでもない。でも、そもそもそんなことはどうでもよかったのだ。わたしは一人置いていかれて、寂しいんだ、と。誰のせいでもなくて、ただわたしは寂しいのだ。

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