円環の終わり
どこまでも広がる草原を、吹き抜ける風がそよがせる。
ゆっくりと降下してゆくドラグーンゼロ。
「異世界エオス……」
操縦席で龍哉が呟く。
バイザーに表示されている位置情報には、聞いたこともない地名が表示されていた。
転移したのだ。
結局、ネヴィル帝国は歴史を変えることができなかった。
むしろ彼らのやったことは、歴史をなぞっただけ。
すべて最初から決まっていたことだったのである。
ネヴィルの精霊宝珠が映し出した未来も、ドラゴニアの魔導コンピューターが示した未来も、ある意味において間違っていなかったし、欺瞞を語っていた。
そもそもネヴィル帝国が地球に攻め込まねば、ドラゴニア王国が後を追うこくともなく、龍哉がドラグーンゼロに搭乗することもない。
それでは転移は起こらないのだ。
だから、魔導コンピューターも精霊宝珠もせかしたのである。
滅びが近づいている、と。
「すべて予定調和ってか。ふざけろよ」
エオスの大地にドラグーンゼロが着陸する。
搭乗口を開き、ひらりと龍哉が飛び降りた。
そこまでは格好良かったが、ぐらりとよろめいて倒れ込んでしまう。
激闘につぐ激闘で、疲労の限界を超えていたのだ。
精神が高揚していたため気付かなかったが、肉体は正直だった。
「ぐ……そういえば俺は、行き倒れてたところを発見されるんだったな……」
まったく重要でない情報を思い出す。
これは行き倒れで良いのだろうか?
ともあれ、ドラグーンゼロを見られるのだけはまずい。
彼が飛んだのがはるか昔の、千五百年も前のエオスだとすれば、こんな魔導機械があるわけがないのだから。
最後の力で戦闘服のポケットに手を突っ込み、個人端末を操作してステルスモードを起動する。
それからゆっくりと目を閉じた。
とにかく少し眠りたい。
起きたら、やることがたくさんある。
こんなバカバカしい歴史を終わらせるために。
円環を打ち破るために。
どれくらい時間が経ったのか、龍哉は人の気配に目を醒ました。
「わ。起きた。生きてた」
少女の声が聞こえた。
日本語ではないが、個人端末が問題なく機能し、少年の耳に理解可能な言語として届けてくれる。
瞳を開くと、目の前にいたのは美しい少女だった。
驚いたような、心配したような、微妙な表情をしている。
ついさっきまで一緒に戦っていた少女だ。
「メグ? なんできみまでエオスに?」
さすがに驚いて訊ねる龍哉。
びくっとした少女が大きく跳びさがった。
ひどい反応である。
「なんで名前知ってるの? こわい。きもい」
台詞はもっとひどかった。
「あー いや、知り合いにそっくりで……名前まで一緒なのか?」
苦笑しながら身を起こす。
わかった。
判ってしまった。
この娘はマルグリットの先祖だ。
つまり、ドラゴニアの祖となった女性ということである。そしてもちろん、一人だけでは子孫は残せない。
「あんただれ? どうしてここに倒れてたの?」
警戒を解かないままの質問。
「俺はリューヤ。遠い国からきたんだがな。なんというか、時空震に巻き込まれたって理解できるかな?」
こくんと少女が頷いた。
「これでも魔法使いのハシクレだからね。わかるよ」
いわれて龍哉が少女を観察する。
いかにも魔法使いという服装はしていない。
むしろどこにでもいる町娘にしかにみえなかった。
「失礼なこと考えてる顔ね。いつでも世間様のイメージに合わせるってわけにはいかないのよ」
「違いない。すまなかった」
「いいわよ。そもそもわたしがここにきたのは、でっかい魔力反応があったからだし。時空震は想定の範囲内よ」
「なるほど」
よっと龍哉が立ちあがり、戦闘服についた土埃を払う。
「あらためてよろしくな。メグ」
「なんで、あんたによろしくされなくちゃいけないのよ」
うろんげな顔を向ける少女だが、瞳が笑っていたので迫力には欠けていた。
「袖振り合うも多生の縁っていうだろ? 身よりもなく、ここがどこかも判らない少年を見捨てたら可哀想だと思わないか?」
「自分で可哀想とかいわない」
くすくすとメグが笑う。
龍哉の言い回しが気に入ったようだ。
「でも、リューヤを助けて、わたしにどんなメリットがあるの?」
「これを研究させてあげるよ」
言って、少年が個人端末を操作する。
それは踏み込みにも似て。
分水嶺だ。
これが歴史を変えるための一歩目となる。
ステルスモードを解除されたドラグーンゼロが姿を現した。
大きな目をさらに大きく見開く少女。
「わぁお……すごい魔法人形……なにこの魔力反応の大きさ……」
「ドラグーンゼロ。俺の愛機さ」
「始まりの竜騎士? なにそれ無茶苦茶かっこいいんですけど」
ぺたぺたとメグがスカイブルーの機体に触れる。
興味津々だ。
「のってみるか? さすがに俺専用に調整されてるから操縦は無理だけどな」
「乗れるのっ!? ぜひぜひ!」
龍哉が個人端末を操作すれば、ドラグーンゼロは片膝をつき、搭乗口が開いてゆく。
「わぁおっ!」
メグがきらきらと目を輝かせた。
「いろいろ世話になると思うんで、報酬の前渡しかな。こいつを好きに研究してかまわない」
「マジでいってんの!? リューヤ最高! 結婚して!」
「いやいや。そこはもうちょっと慎重にいこう。メグ。将来的には吝かじゃないんだが、まずは親睦を深めるっていうか、お友達から始めるっていうか」
飛ばされた冗談に、なにやらごにょごにょと言っている龍哉。
可哀相な人を見るような目で、メグがなまあたたかく見つめていた。
西暦二〇一九年。
三十年続いた平成が終わり、新たな元号を迎えることとなっている年の元旦。
日付の変更とともに、日本はとんでもない出来事に見舞われた。
なんと、異世界からの客人が訪れたのである。
それは巨大なドラゴンを思わせるフォルムをした船だった。
交易船『マルドゥク』。
かつて世界を救った金色の竜王の名を冠したのだという。
その世界の名は、エオス。
『テレビをご覧のみなさん。私たちは歴史的な瞬間の目撃者となっております。日本とドラゴニア王国の間に、いま通商条約が結ばれました』
画面から流れるアナウンサーの声は、まったき興奮にうわずっている。
よく疲れないものだ、と、龍哉はリビングで肩をすくめた。
交易船マルドゥクがエオスから訪れてから十日あまり、報道はそればかりだ。
日本の技術力をはるかに超えた魔法科学をもったドラゴニア王国。
彼らはこの国に対して様々な技術提供を約束した。
最初は半信半疑だった政府首脳部も、福島原発の残留放射能を一瞬でゼロにされては、信じないわけにはいかなかった。
「宇宙戦艦にのって銀河の彼方まで除去装置を取りに行く手間が省けたじゃろう?」
と、笑ったのは、全権大使であるドラゴニアの王太子、イスカリオットだ。
好々爺然とした白い髭の老人のユーモアに、政府高官たちは微妙な表情を浮かべたものである。
ともあれ、交渉はとんとん拍子に進んだらしい。
一介の高校生である龍哉が、もちろんその内容まで知る由もないが、両国にとって益のあるものだろうということ推測できた。
「歴史的な瞬間なのは判るけど、元旦から歴史的瞬間ばっかりだからね」
くすくすと妹の美雨が笑う。
異世界から客が訪れたのも、その人々が日本語を話していたのも、とんでもない技術力を持っていたのも、とにかく規格外のことが多すぎて、テレビ局も他の表現ができなかったのだろう。
「表現者としてどうかと思うけどね」
えっらそうに論評したりして。
龍哉が苦笑を浮かべた。
だが、これで良い。
ずっとずっと良い。
「上手くいって本当に良かった……」
ぽつりと呟く。
「なにが? って、兄さん!? なんで泣いてんの!?」
慌てたように、妹がテーブルの上のボックスティッシュを投げ渡した。
「うえ!? なんで俺泣いてんだ!?」
本人が一番驚いている。
なにがなんだか判らない。
「病気じゃないの?」
「やめてくれよ。美雨」
とはいえ、まったく何もない場面で突然涙がこぼれ出すというのは、尋常なことではない。
なんらかの疾病を疑われても仕方がないほどに。
医者に行った方がいいかも、と、龍哉が考えたとき、さらに尋常でないことが起きる。
家のチャイムが鳴り、応対した母親が悲鳴を上げたのだ。
慌ててリビングを飛び出した龍哉と美雨が目にしたのは、とんてもない光景である。
玄関に客が立っていた。
それだけなら妙でも珍でもないが、その客の氏素性が問題であった。
今まさに話題になっているドラゴニアの王族。
王太子イスカリオットの孫娘たるマルグリット姫が、柔らかな微笑を浮かべて佇んでいた。
酸欠の金魚みたいに口をぱくぱくさせる龍哉。
次の瞬間、姫殿下が動いた。
飛燕の身のこなしで。
少年の胸へと飛び込む。
「リューヤ! 会いに来たよっ!!」
言葉とともに押し倒され、龍哉が廊下に後頭部をぶつけた。
母と妹は混乱の極みである。
変な踊りでも始めそうな勢いだ。
ゆっくりとマルグリット姫の背中に龍哉が手を回す。
「やっと言える。好きだよ。メグ」
「うん。わたしも。リューヤ」
唇が重なり合った。
新たな歴史を紡ぎ始めるように。




