異世界からの侵略者 2
平成三十一年の年明けは、文字通り最悪だった。
東京上空に現れた巨大要塞。
ニュース速報が伝えるそれを、朝倉龍哉はまったく現実のものだと認識していなかった。
一年に一回しか放送しない歌番組を見たあと、そのままの流れで年末から年始へと移り変わる各地の様子を映すテレビプログラムを眺める。
十七年の人生で、それ以外の年越しをしたことがないくらい定番の過ごし方だ。
だから、番組中にテロップが流れても、とくに気にも留めなかった。
それが変わったのは、いきなりの鳴動がきてからである。
大地震でも起きたのかと思った。
もちろんその予想は外れていたのだが、事態はおさおさ劣るものではなかった。
謎の要塞からの攻撃だ。
東京は一夜にして焼け野原になってしまった。
何千万という人が亡くなった。
……らしい。
仮定形なのは、情報が遮断されてしまったからである。
龍哉の住むさいたま市は攻撃されたわけではない。しかし、状況として最悪なのはまったく揺るがない事実だった。
とにかくテレビはなにも映さなくなった。放送しているのかどうなのかすら判らない。
電気が止まってしまったからだ。
こうなってしまうと、現代人は何もできない。
パソコンだって使えないし、携帯端末の充電もできない。
それどころか冷蔵庫すら使えない。
自家発電ができる病院など施設は、それでも何日かは持ち堪えることができたが、本当に数日だけだった。
発電機を回すための燃料が届かないのだ。
現代社会において、電気がなくても使えるのは水道くらいのもの。
それも高層マンションのようにポンプで組み上げるタイプは無理だ。一戸建てや水道管から直接取水している低層のアパートに限られる。
その意味で、龍哉は幸運な部類に入っていた。
水だけでも使えたのだから。
ただそれは、命日を横に少しずらしただけ、という程度の幸運でしかない。
一月である。
暖房がなければ凍えてしまう。
「父さん。母さん。すぐにガソリンスタンドに走って、買えるだけ灯油を買おう。あとコンビニで食料とか使い捨てのガスボンベとかも」
彼が宣言したのは鳴動の直後だった。
中肉中背の息子。
とくに成績が良いわけでも、スポーツが得意なわけでもなく、平凡を絵に描いたような少年がすっくと立ち、凛とした表情でてきぱきと指示を下している。
両親や妹に。
日本中が混乱に陥るより前、まだ茫然自失としている段階であった。
セルフサービスのガソリンスタンドであればたいていは二十四時間営業だし、コンビニエンスストアもべつに年末年始を休業したりしない。
どちらも、それほど大量に在庫があるわけではないだろうが、とにかく急場をしのがなくてはならないのだ。
「現金はあるだけ使ってかまわないと思う」
「龍哉……」
おいおい、という表情の父親に笑顔を向ける。
被災地でお金なんか役に立たない。
そもそも、大量の現金なんて、中流サラリーマン家庭である朝倉家にはストックしていない。
何もなければ正月明けの銀行でおろすことができるし、今の動きだって笑い話で済む。
しかし、何かあったときにはモノがなければ笑えないのだ。
「美雨。電話は使える?」
中学生の妹に確認する。
「無理ね。通信制限がかかってるのか、何か起きてるからなのか、どっちか判らないわ」
落ち着いた声に頼もしさを感じながら、ともかく龍哉は必要な手はすべて打った。
それは、一介の高校生とは思えない胆力と指導力だった。
東京が壊滅し、日本が国としての機能を失ってから数日。
国内が混乱に包まれ、各地で暴動などが起こり始めているさなか、さいたま市に存在する小さな住宅街は秩序を保っていた。
朝倉家を中心として。
黒髪黒瞳の平凡な高校生が、五十人ほどの小さなコミュニティを維持し、指導し、ひとりの犠牲者もださなかった。
危機に際して輝く人材、というものが存在する、と、周囲の人々は感心したものである。
しかし、それもあの放送までのことだった。
東京上空に浮かんだ要塞が、徐々に高度を下げながら宣言したのである。
朝倉龍哉を引き渡せ、と。
意味不明だった。
侵略者のネヴィル帝国とやらは、どうして龍哉のことを知っているのか。
あるいは同姓同名の別人を指しているのかもしれないが、それを確かめる手段もない。
「兄さん……」
不安を滲ませる妹。
一応の秩序を保っている住宅街ではあるが、限界は近づきつつある。
どこからも支援がないのだ。
そもそも都市というのは消費型の社会であり、生産性は著しく低い。
それ以前の問題として、一月では耕作などもできないのだが。
ゴミの収集もないから町はだんだんと汚れてきているし、食料も燃料も底をつき始めている。
真綿で首を絞められているような状態なのだ。
そんな状態で個人を指定しての引き渡し要求である。
簡単にマスヒステリーが起きるだろう。
朝倉龍哉とやらが存在するから奴らが攻めてきた、というやつだ。
「やばいな。こいつは」
生かして連れてこい、と、侵略者が明言している以上、彼自身の命はある程度安全だ。
しかし、命があるから無事とは限らないし、龍哉の家族に関してはまったく安心できない。
復讐心に駆られた民衆によって皆殺しにされてしまう可能性もある。
もちろん、これまでの龍哉の功績に鑑みて、かばってくれる人たちがいるかもしれないが、さて、どっちに転ぶ確率が高いだろう。
自室の窓からちらりと外を見る。
不気味なくらいに町は静まりかえっていた。
まるでゴーストタウンのように。
「誰もいない、ってことはないだろうな」
「兄さんの身柄を引き渡すための会議をしている。どうやって媚びを売ろうか、とかね」
美雨が肩をすくめてみせた。
まったく面白くもない予想だったので、龍哉も妹と同様のポーズをとっただけである。
「逃げるしかないだろうな」
「問題は方法よ」
極端なことをいってしまえば、埼玉県どころか、さいたま市を離れてしまえば彼の顔を知っている人間などいない。
ネームプレートでも首からぶらさげて歩かないかぎり、まずばれることはないだろう。
しかし、どうやって町を離れるか、という話である。
当たり前だが電車もバスも動いていない。
徒歩なんて論外だ。
となれば自動車しかないわけだが、残念ながら朝倉家は自家用車を保有していなかった。
「どうやって足を調達するか……」
「レンタカー屋でかっぱらうしかないと思うけど?」
不穏当なセリフを吐いて、美雨が住宅地図を広げる。
携帯端末もパソコンも使えないため、こういうアナログな手段しかないのである。
じつはこの地図だって、近所の新聞販売店から黙って拝借してきたものだ。
もうすっかり一般的な道徳観念など失っている。
それでもこの住宅街は助け合いでなんとかやってきたが、タガなんて簡単に外れてしまうだろう。
「龍哉」
ドアが開き、私室に両親が入ってくる。
二人とも背嚢を背負い、手にはスキーのストックを持っていた。
その姿に息子と娘が軽く頷く。
同じ結論に達していたというわけだ。
そして、荒事に発展する可能性も充分に考えられている。
でなければ武器など持ってこない。
「二丁目のレンタカー屋。キーストッカーの場所をなんとなく憶えてるし」
美雨の言葉だ。
家族旅行のときに自動車を借りたことがある。
返却の際には満タンにしてくださいね、といっていた店員の言葉も記憶にあった。
「カギとかかかってるんじゃないか?」
「そんなもん、ぶっ壊すに決まってるでしょ」
兄の疑問に対して、じつに頼もしいセリフとともに、妹がバールを掲げて見せた。
何日も風呂に入っていない垢じみた顔には、好戦的な笑みが浮かんでいる。
肩をすくめ、龍哉が苦笑した。
野蛮な家族である。
「じゃ、とっとと逃げだそう」
時間をかけて、良いことなどひとつもないのだ。




