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始まりの竜騎士 3


「勝ったようじゃの」


 イスカリオットが白い髭をしごいた。

 メインスクリーンには、ほうほうの体で逃げ去ってゆくシルフィード部隊が映し出されている。


「リンカーベルや。フランベルジュ隊の臨戦待機(スタンバイ)を解除させておくれ」

「了解しました。艦長」


 軽く頷き、女性副官が通信端末を操作する。


 ナースは函館共和国軍の勇戦をただぼうっと眺めていたわけではない。

 フランベルジュ隊のドラグーン三十機が、いつでも救援に馳せ参じられるように待機していたのだ。


 わざわざ出番を待つような真似をしなくても、最初から一緒に戦えば良いという考え方もある。

 そうすれば、ワイバーンの損害だって、もっとずっと抑えられただろう。


 十七機撃墜というのは、十七人の人間が死んだという意味なのだから。

 上手く戦えば失われなかったはずの命だ。


「さすがにゼロでは勝てなかったか……」

「それは仕方がないわ。戦争だもの」


 悔しげな表情の龍哉の肩を、マルグリットが叩いた。

 慰撫するように。


 数の上ではワイバーンが有利だったし、戦術でも勝っていた。それでもこれだけの損害が出たのは、やはり性能差が大きい。

 さらに、腕の差もあっただろうか。


 射撃戦から近接格闘戦への切り替えのタイミング。あれは完璧というほかなく、普通のシルフィード部隊だったら一撃で全滅させることが可能なほどの見事さだった。

 それを二、三機の損害で抑えたのは、精霊使い(パイロット)たちの腕である。


 おそらく、精鋭部隊だったのだ。

 龍哉とマルグリットが苦戦した黒いシルフィードも含まれていたし。


「判っては、いるんだけどな」


 肩に乗せられた手に、龍哉のそれが触れる。


 この戦いは、函館共和国軍が自らの手で勝利することに意味があった。

 もちろんドラゴニアの魔導装甲(マグナイト)で戦っているのだから、完全に自分の力だけとはいえないが、それでも日本人が、日本人の戦い方で勝利した。


 このこと自体がネヴィル帝国に対する圧力(プレッシャー)となる。

 今後の作戦行動にも、大きな影響を与えるだろう。


「これで、しばらくは時間が稼げるじゃろうな」


 龍哉とマルグリットの様子を視界のすみに捉えながら、イスカリオットは呟いた。


 十七人の犠牲が必要なものだったとは言わない。それはけっして言ってはいけないことだ。

 しかし、指揮官が考えなくてはいけないのは、彼らの死をいかに有効に活用するか、ということなのである。

 徒死(いぬじに)で終わらせないために。


「どういう手を取ってくると思いますか? イスカさん」


 感傷を振り切るように息を吐き、龍哉が訊ねる。


「まずは新たな戦略構想を組み立てる必要があるじゃろうな。おそらくこれに数日はかかるじゃろう」


 老人の返答である。

 ネヴィル帝国軍は、罠の存在を疑いながらもそこに飛び込んだ。

 罠ごと食い破る腹づもりで。


 しかしそれは適わなかった。

 食い破るどころかずっと手前、正面から日本人が操る魔導装甲(マグナイト)と戦い、痛撃を被ってしまった。

 これは非常に大きい。


「違う計算用紙を用意する必要が出てきましたからね」

「じゃな」


 今回登場したのが五十機のワイバーン。これははたして函館共和国軍とやらの総兵力なのか。

 もし一部にしかすぎず、他にも戦力があるとすれば、それらへの対応も考えなくてはいけない。


 あるかないか判らないのだから、ないものとして考えよう、という思考をするほど、帝国の闘将アダルバートの頭の中はトロピカルではないだろう。

 機動戦艦ナースの積載量に鑑みれば、百や二百ではないだろうと、容易に想像がつくのだから。


 そして彼は当然、函館共和国軍とドラゴニア王国軍は連携していることも知っている。


「つまり、ナースと戦っている最中に、いきなりアスラを後ろからワイバーンが襲うかもしれないってことですから」

「おそろしいのぉ。こわいのぉ」


 ふぉふぉふぉ、と、老人が笑う。

 じつに人の悪い笑いだ。

 もちろん龍哉は知らないが、アダルバートが「魔族や邪竜の方がまだ可愛げがある」と称したのが、このドラゴニアの王子様である。


 ともあれ、ネヴィル帝国はナースにだけ注意を割いていられなくなった。

 函館共和国の存在も考慮に入れなくてはならない。そして、ここで彼らが戦闘ユニットの精鋭部隊を退けたという実績が活きてくる。


「常に一定数の戦力は、ワイバーン対策として配置しなくてはいけませんね」

「でもさ。リューヤ」


 半ば挙手するようにマルグリットが声をかけた。

 少年と老人の陰険漫才に飽きたのかもしれない。


「そこまで追い込んだなら、いっそこっちから仕掛けてもいいんじゃない?」

「うん。その考えも一理あるんだよ。メグ」


 精鋭のシルフィード部隊が戦果を上げられなかった帝国軍の士気は、間違いなく落ちている。

 森町上空での戦いのダメージもある。

 この機に乗じて一気にたたみかけるという戦術も、間違ってはいないのだ。


 もちろんドラゴニアにもダメージは残っているが、そこはお互い様。ようは主導権(ヘゲモニー)を握ってしまうのが、この際は肝要なのである。


「攻撃は最大の防御というしのう。じゃが」

「ですね。いま追いつめすぎるのはまずいと思います。俺も」

「というと?」


 わざわざ戦機を逃す理由が、マルグリットには判らない。

 いくらドラゴニアの戦略目的がネヴィルの撃滅にあるわけではないといっても、叩けるときに叩いてしまった方が、後に禍根を残さないのではないか。


「メグや。追いつめられた人間は、何をするか判らないものなのじゃよ」


 苦笑混じりのイスカリオットだ。

 極端なことをいってしまえば、ネヴィル帝国は日本という弧状列島を海に沈めてしまってもかまわないのである。

 それで、龍哉が日本(・・)から転移するという条件が崩せるのだから。


「まさか……」


 いくらなんでも、そこまでするか?

 ごくりとマルグリットが唾を飲み込んだ。


「人道的にという意味なら、やらない理由はないさ。やつらは日本人の命にもこの土地にも、まったく価値を置いてないからな」


 龍哉が肩をすくめる。

 すでに五千万人近い日本人を殺しているのだ。残り七千万を殺すのをためらうわけがない。


 問題は、物理的に可能かどうか、という部分だ。


 大都市を滅ぼした精霊弾(ベヒモスボム)では威力が足りない。となれば、たとえば移動要塞アスラをこの国の竜脈に突っ込ませて自爆してしまう。

 大地震が起き、火山という火山が火を吹き、地殻は変動し、巨大津波がこの国を圧し包むだろう。まさに日本が沈没するほどの。


「いやいやリューヤ。それだと彼らも死ぬじゃん」

「うん」

「うんて……」

「それは覚悟の上だと思うんだ。俺が転移しなかったら、どのみちその瞬間に彼らは消えるんだから」


 エオスが救われたことを確認して消えるか、自らの命と引き替えにエオスを救うか。

 違いはほとんどないだろう。

 ただ、できれば確認はしたいだろうから、前者の方が好ましい。


「それが究極の方法を選ばない理由じゃな。じゃが、どうやっても勝てない、このままではエオスを救えない、と思い詰めてしまったら、何をするか知れたものではないのじゃよ」


 イスカリオットが髭を撫でる。

 ゆえに我々としては、彼らに勝利の可能性を見せびらかしつつ、のらりくらりと攻撃をいなすのが最適解じゃな、と付け加えながら。


「なるほどねぇ」


 納得したように頷くマルグリットだった。

 彼女の趣味に合う方法ではないが、ネヴィル帝国とドラゴニア王国のスタンスの違いというものを、あらためて知った気分である。


「アダルバート卿が次の方針を決めるまで、一週間から十日というところじゃろうのう」

「たったそれだけの時間しか稼げないんだ」


 これだけの思惑を重ねて、犠牲まで出して、先の先まで読んで、稼ぎ出した時間はわずか十日。

 マルグリットならずとも、疲労を感じてしまうだろう。


「やむを得んの。彼らもまた時間に追われておるからの」


 宿将と呼ばれる老人が微笑する。

 十日というのはけっこう貴重じゃよ、と。



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