函館共和国 10
二月になった。
北海道において、最も寒さが厳しくなる時期だ。
森町上空の戦いから十日あまりが経過している。
その間ネヴィル帝国の攻撃はなかった。北海道以外の地域を捜索しているのか、それとも損傷の修復に時間がかかっているのか判断はつかないが、ドラゴニアとしては貴重な時間を稼ぐことができた。
真綿で首を絞められるような緊張感を伴ったものではあったが。
そんななか、彼らはやるべきことを着実に進めていった。
函館山の山中に隠した龍哉、アイリーン、ミリアリアの機体を回収にいったり、函館共和国軍に貸与するワイバーンの調整をおこなったり、搭乗訓練をおこなったり、迎撃プランの立案をしたり。
どのくらいの時間的な猶予があるのか判らないため、一日たりとも無駄にはできなかったのである。
結局、運用されるワイバーンは五十機となった。
騎士として選出されたのは自衛官。身体を動かす仕事をしていた人々だ。
「魔法に頼らない戦闘とか。最初は眉唾ものだったけど、ちょっとびっくりね。これほどのものだなんて」
そう評したのはドラゴニアのエースともいえるセイヴァー01、マルグリットである。
近接戦闘に限定して考えれば彼女とほぼ互角。魔導ライフルの取り回しも上手く、正直、教えることなど何もないレベルだった。
「まあ、魔導装甲は操縦するってより、自分の身体を使って戦うイメージが近いからな。普段から鍛えている人たちに向いてるかもしれない」
訓練を終えたマルグリットに、ペットボトル入りのスポーツドリンクを投げ渡しながら、龍哉が微笑する。
軽く礼を言ってキャップをきり、少女は一息に半分ほど飲み干した。
二月の冷たい風とよく冷えた飲み物が、火照った体に染み渡ってゆく。
「かもね。その意味ではドラグーンよりワイバーンのが相性も良いかも」
ごく自然に並んで歩き出す。
仲良しだ。
互いに憎からず想っているのは誰の目にも明白だが、そういう関係にはなっていない。
先祖と子孫だから、戦争中で余裕がないから、理由はいくつもあるが、いずれ近いうちに龍哉が転移するというのが最大のものだ。
情を通わせてしまえば別れがたくなる。
離れたくない、転移させたくないと思ってしまったら、ネヴィルの歴史修正主義者どもの同じだ。ベクトルは違えど。
だからマルグリットは仲の良い僚友という立場を崩さないし、龍哉もまた踏み込まない。
「そうなのか?」
「タイプドラグーンになると、格闘戦とかはあんまり重視されてないからね。一応はできるけど。基本的には火力と機動力がテーマだもん」
「それはあるかもなぁ」
龍哉がぽりぽりと頭を掻く。
ドラグーンの格闘用武器である魔導カッターは左腕に装着されているのだ。
これはもちろん主兵装の追尾光弾を右手で扱うからである。
理屈としては良く判るのだが、右利きの龍哉としてはけっこう使いづらい。
その点、日本人用に調整されたワイバーンは背中にフラッシュセイバーを背負っており、手で柄を握って使う。
右手で持とうと左手で持とうと、それは騎士次第だ。
魔導ライフルは両手で扱わなくてはいけないため、たとえばドラグーンのように追尾光弾を放ちながら魔導カッターで斬り込むという芸当はできないが、近接格闘戦と遠距離射撃戦を分けて考えるという、ある意味で割り切った戦い方ができる。
「リューヤもワイバーンに乗りたくなった?」
「まさか。ドラグーンゼロは、せっかく俺専用にチューンナップしてもらったんだし」
使いづらいとか言ったらバチが当たるだろう。
そもそも、基本性能でワイバーンとドラグーンでは比較にならないのだ。
「そーいえばさ。ワイバーン隊が隊名決めたって話、きいた?」
不意にマルグリットが話題を変える。
「ワイバーン隊でええのんちゃうんか?」
謎の方言で龍哉が返す。
函館共和国が持つ魔導装甲は一種類だし、隊だってひとつしかない。
わざわざ名前をつける必要があるのかどうか。
どうしてそんな実利のない部分にこだわるのか。
「わたしたちは剣の名前で統一してるけどね。彼らはフォールリヒターって名乗るそうよ」
「フォールリヒター。なるほどなぁ」
くすりと龍哉が笑った。
またしても特殊能力である知識獲得が発動したようである。
その名は、蝦夷共和国軍の旗艦である軍艦『開陽』が、製造元のオランダで呼ばれていたものだ。
意味としては、夜明け前。
自ら国を閉ざし灰色の闇に沈んでいた日本に夜明けをもたらす暁の女神。そう願って榎本武揚が名付けたといわれている。
函館共和国の連中は、どこまでも函館戦争にこだわるつもりのようだ。
「格好いいじゃん。モノは旧型のワイバーンだけど」
「そこはつっこんでやるなよぅ」
開陽は当時世界最新鋭の軍艦だったが、フォールリヒター隊は一世代前のタイプワイバーン。
わりと哀しい現実だ。
「でもね。リューヤ。わたしたちの世界エオスも同じ意味だよ。地球の言葉にしたら」
にこっと笑うマルグリット。
それは、ギリシャ神話に登場する暁の女神の名である。
「発見しました。北海道の函館です」
ルクレーシャの言葉とともに、大精霊鏡に映像が浮かぶ。
星形の要塞と中央部の建造物、それの前庭に整列した魔導装甲どもだ。
五稜郭である。
「先日の戦いから五十キロも移動していなかったとか。九州まで探しに行った俺の気持ちを百四十字以内で述べよってところだな」
移動要塞アスラの司令室で、アダルバートが苦笑する。
「可能性の低い場所から当たったのだから当然だ、というところでしょうか」
笑いながら美貌の副官が返した。
敬愛する司令官がどうやら精神的な再建を果たしてくれたことを嬉しく思いながら。
アスラ自体も補修が必要だったし、激減した空戦隊の再編成もしなくてはいけなかったので、ドラゴニア王国が潜伏していなそうな場所から時間をかけて調べたのである。
いつくるか判らないタイムリミットまでの残り時間が気にかかるところではあったが、焦っても仕方がないとアダルバートは開き直った。
場当たり的に戦端を開いても老人に手玉に取られるだけだ、と。
次できっちり決める。
もう後はないと覚悟した。
そのためには完璧に準備する必要があった。
十日以上の空白は、そのための時間である。
「あれは、ワイバーンかな? ステルスは使っているようだが」
「ですね。タイプワイバーンです。あんな骨董品を出してくるということは、彼らも苦しいのでしょうね」
十年以上昔の機体である。
ステルス機能だってとっくに解析されているし、そもそも戦力として計算できるようなものでもない。
かなり頑張っても、汎用型のピクシーと同等といった程度だろうか。
シルフィードなどと戦ったら一撃で蹴散らされる。
「ふむ」
アダルバートは腕を組んだ。
敵も戦力が逼迫している。
それは事実だろう。アスラだって同じだ。
しかし、これ見よがしにワイバーンを並べているのが、どうにも引っかかる。
あの機体のステルスに効果がないことを、イスカリオットが知らないとはちょっと思えないのだ。
「ルクレーシャ。近くにナースの気配はあるか?」
「難しいところです。あの艦の光学迷彩は最新式ですので、この距離からはなんともいえません」
「だよな」
司令官の右手が机の上でタップダンスを踊る。
いかにも罠くさい。
ワイバーンを見つけ、勇躍して飛び込んだところを四方八方から袋叩きにする。
あの老人が取りそうな戦法だ。
であれば、ナースもドラグーン部隊も、近くに潜伏しているはず。
「しかし、相手は彼の老将。そんな見え見えの手を使うか?」
罠があると疑って帝国は手を出さない。
その隙にとっとと逃げてしまう。
これもまた、あの老人がやりそうなことである。
「日本人に魔導装甲を与えた、か。やはりそう考えれば筋が通るな」
ルクレーシャの兄であるケンプファーが戦場でまみえたという、騎士の魔力を感じないドラグーン。
それにはおそらく日本人が乗っている。
アダルバートの推測が正しければ、アサクラリュウヤが。
保護対象を最前線で戦わせるなど狂気の沙汰だが、帝国にしてみれば、絶対に殺してはいけない相手だ。
ある意味において、非常に安全なのである。
そしてアサクラリュウヤにドラグーンを与えた以上、他の日本人にワイバーンを与えるのをためらったりしないだろう。
「……日本人による魔導装甲部隊ですか? ヘドがでますね」
ルクレーシャが吐き捨てた。
エオスを滅茶苦茶にしたアサクラリュウヤの同族たる日本人に、魔法科学の粋たる魔導装甲を与えるなど。
いったいどこまで腐っているのだ。ドラゴニアは。
自分たちの今の便利な生活を守るためなら、どんな手でも使うというのか。
「小官が出て蹴散らしてやりたいです」
美貌の副官の瞳に灯るのは、怒りの炎であった。




