異世界からの侵略者 1
西暦二〇一九年。
三十年続いた平成が終わり、日本は新たな元号へとかわるはずだった。
しかし残念ながら、日本人たちが新元号を知る機会は、ついに訪れなかったし、この弧状列島に居住する人間のうち、四割が冥界の門をくぐってしまった今となっては、そんなものにほとんど意味など存在しなかった。
カレンダーが役割を終え、新たな一年が始まろうとしたとき、それは突然に現れた。
東京湾上空に。
全長二キロメートル、全幅三キロメートル、全高一キロメートルの巨大な船。あるいは城郭のようななにか。
夜の闇を切り裂いて空中を飛ぶ白銀の巨大要塞。
まるで特撮映画のような光景であったが、冗談でも夢でもないことをすぐに日本人たちは知ることになる。
攻撃を受けたからだ。
問答無用だった。
降伏勧告もない、交渉の余地もない。
要塞から放たれた光が、一瞬にして国としての日本を奪った。
東京、横浜、大阪、名古屋、札幌など、この国の主な大都市が地図から消えた。
文字通りの意味で。
初撃での死者は三千万人以上と推測されているが、確度の高い数字ではない。
統計を取るべき日本国政府は、なんらの為すところもないまま、最初の攻撃で消滅してしまったから。
もちろん、とれなかったのは統計だけではない。
反撃の指揮も、国民の避難指示も、和平のための交渉も、まったく何もできなかった。
国だろうと軍だろうと、頭を潰された組織がどうなるか、まさにその例証だった。
ともあれ、統一指揮をとるものがいないまま、自衛隊と在日アメリカ軍による反撃はおこなわれたが、ただ徒に戦死者を増やしただけに終わる。
科学の粋を集めた最新兵器も、戦闘機乗りたちの献身的で果敢な突撃も、イージス艦からの攻撃も、なんの意味もなかった。
巨大空中要塞に、ひび割れひとつ付けることができなかったのである。
圧倒的という言葉さえこえて、もはや滑稽ともいえる結末だった。
もちろん国民たちにとっては滑稽でもなんでもない。
国全体が被災者となってしまった状況。しかも真冬である。
どこからの支援もなく、多くの国民が死んでいった。
子供や老人、あるいは病人など、最も弱い立場のものから。
要塞が出現した一月一日から半月もしないうちに、一億二千万人を数えた日本の人口は七千万人を割り込んでいた。
むろん、この数字は日本政府がとった統計ではない。
「提督。大陸間弾道ミサイルの照準がセットされました」
歩み寄ってきた美貌の副官が告げる。
さらさらと流れる金髪とアメジストのような紫の瞳。
女性の割には長身で、地球の度量衡を用いれば百七十センチ近くはあるだろう。
「どこからだ? ルクレーシャ」
天高く舞う巨大な城。名を移動要塞『アスラ』という。
その司令部。
読んでいた報告書から顔を上げ、提督と呼ばれた男が訊ねる。
名をアダルバート。
長身痩躯の青年である。
「アメリカ合衆国ですね」
「ふむ。勝ち目がないと判り、尻尾を巻いて逃げ出したと思っていたのだがな」
男が苦笑を浮かべた。
攻撃を仕掛けてきた在日アメリカ軍を、ちょいちょいと小指の先で捻ってやったのは、十日ほど前のことである。
「負けっぱなしでは終われませんよ。仮にも『世界の警察』を自称しているのですから」
「同盟国に核ミサイルを撃ち込むのが警察の仕事か? あたらしい辞書がいるな」
「まあ、彼らにとって友人とは、利用する価値のある人間、という意味ですからね。価値がなくなれば生かしておく理由だってなくなりますよ」
女性副官の言葉に皮肉がこもった。
苦笑しただけで、アダルバートはたしなめもしなかった。
「殺されるのは困るな。防ぐとするか」
「地球の兵器ごときで私たちは殺されませんが?」
「我々のことではないさ。さすがに核ミサイルともなれば、人が死にすぎるからな」
笑う。
六千万人ちかい日本人を殺した男のセリフとは思えない。
しかしその笑いの意味を、ルクレーシャは正確に理解していた。
べつに彼らは日本人の命に重きなど置いていないのだ。
ある例外を除いて。
「はい。知っています。普通に無害化してしまってよろしいですか?」
「それでもいいが……何度も続くとなるといささか鬱陶しいな。すこし痛い目をみせたほうがいいか」
「承知しました。それでは返してさしあげましょう」
やや考える素振りを見せたアダルバートに、ルクレーシャが微笑をむける。
ロッキー山脈に存在する発射基地から射出された大陸間弾道ミサイルは、目標である空中要塞に着弾する前に消失した。
爆発でも撃墜でもなく。
忽然と姿を消したのである。
監視衛星から送られてくる映像に、合衆国政府は混乱した。
要塞に命中するかに見えたそのとき、別の空間にでも吸い込まれるようにミサイルが消えてしまった。
そして、本当の混乱は次の瞬間に訪れる。
消えたはずのミサイルがロッキー山脈の上空に出現し、そのまま発射基地を直撃したのである。
迎撃とか、そういう次元の話ではなかった。
大爆発する基地を、政府高官たちが声もなく見つめる。
数千キロの距離を一瞬のうちにゼロにして、発射地点に送り返す。
まるで魔法だ。
もう撃てない。
撃ったら撃ち返される、という冷戦構造ではなく、相手にダメージを与えることすらできず、そのまま返されるのだから。
何度か繰り返したら、アメリカのミサイル発射基地はひとつもなくなってしまうだろう。
それどころか、敵はわざと発射地点に戻した可能性だってある。
ワシントンやニューヨークに落とすことが不可能だとは、とてもではないが思えない。
「悪魔か……」
ぽつりと大統領が呟く。
まるで魔法のような謎の技術を使い、こちらの武器が通じない存在だ。
これを悪魔と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
「いいや? 我々は人間だよ」
アメリカ合衆国大統領の呟きが聞こえたわけではないが、アダルバートは唇のはしを持ち上げて言った。
おそらくは同じ光景を見ながら。
ただし、合衆国首脳部の目の前にあるのは軍事衛星が映し出した映像で、移動要塞アスラの大精霊鏡が映すのは大気の精霊が運ぶ情報だ。
「高度に発達した科学は魔法と見分けがつかないものですよ」
司令官席の横に立ったルクレーシャが笑う。
ちらりと副官を見るアダルバート。
「クラークか?」
「はい」
SF作家、アーサー・チャールズ・クラークが定義した法則のひとつだ。
ふ、と、ほろ苦い笑いをアダルバートが浮かべた。
得体のしれない敵性勢力に、地球の作家の言葉をもじって論われていると知ったら、地球人たちはどんな気分になるだろうかと思ったのだ。
「もっとも、小官たちの始祖も同じ思いを抱いたかもしれません。地球人とは悪魔なのか、と」
「……そうかもな」
副官の声で、司令官が無作為な思考を中断する。
地球人がどう感じるかなど、それこそどうでも良い話だ。
「ともあれ、さすがにこれでアメリカは手を引くでしょうね。中国やロシアは、そもそも日本が滅びようが沈没しようが、痛痒を感じる立場でもないでしょうし」
「やっと本題に入れる、というわけだ」
アダルバートがにやりと笑ってみせる。
心得顔のルクレーシャが、うやうやしくマイクを差し出した。
「放送の準備は整っております。提督」
「本当に仕事が速いな。副官どの」
「恐縮です」
冗談めかした会話のあと、司令官がこほんと咳払いした。
喉の調子を確かめるように。
「日本人諸君。私はネヴィル帝国地球派遣軍司令官のアダルバートだ。諸君らは、この半月ほどで我々の力を充分に思い知ったことと思う。我々の要求はひとつ。この国には朝倉龍哉なる青年が居住しているはずだ。彼の身柄を生きたまま引き渡せ。期限は三十日。以上」
わけの判らない、まったく謎の宣告が日本中に響き渡る。
日本語で。