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函館共和国 8


「艦長。お耳に入れたいことが」


 不分明な表情をして、リンカーベルが近づいてきた。

 内浦湾の海底に潜伏する機動戦艦ナースである。


 森町上空のでの戦闘から二日。散り散りになっていた魔導装甲(マグナイト)たちも、ほとんどが帰還した。

 ナースの補修も間もなく完了予定だ。


「ふむ? 凶報でなければよいのう」


 白い髭をイスカリオットがしごく。

 凶報の最たるものとは、龍哉がネヴィル帝国に捕縛された、というものになるだろう。

 ただ、その場合にはエオスの歴史は改変され、イスカリオットたちも地球にはいないことになってしまうから、それはないだろうが。


「デジタル無線による通信が入ったのです」

「魔導通信ではないということじゃな?」


 確認する艦長に副官が頷いた。

 エオスの技術ではなく、地球のそれである。

 次元を越えるに際してナースにも一応、地球式の通信設備は作られた。


 ただ、作られただけで使われるとは誰も思っておらず、イスカリオットですら正直にいえば存在を忘れていたほどだ。


「ナースの固有周波数で呼びかけてきました」

「そんなものがあったのじゃのう」

「ええ。わたくしも知りませんでしたが、マニュアルには記載されています」


 なかなかにひどい艦長と副官である。弁護するなら、膨大な機動戦艦の機能の中で、使いもしないシステムのことなど誰も憶えていない、というところだろうか。


「函館共和国の名前で対話を求めておりますが、いかがなさいますか?」

「聞いたこともない国名じゃな。日本の混乱に乗じて生まれた泡沫国家(バブルステイツ)といったところかのう」


 適当な造語で評しながら、イスカリオットは頷いてみせた。

 応じる、という意味だ。

 付き合いの長いリンカーベルは、老人の直接的でない指示や命令には、すっかり慣らされてしまっている。


 てきぱきと副官が手配し、やがて艦橋のサブスクリーンに文字が浮かぶ。

 通信状態良好、音声のみ(サウンドオンリー)、と。


『こちら函館共和国。機動戦艦ナース応答せよ。こちら函館共和国。機動戦艦ナース応答せよ』


 呼びかけている。

 やや無機的な女性の声で。


 ちらりとイスカリオットがリンカーベルに視線を送れば、軽い頷きが返ってきた。

 このまま話して大丈夫、という意味である。


「機動戦艦ナース。艦長のイスカリオットじゃ。貴君は何者かの?」


 一瞬の沈黙があり、無線の向こう側が騒がしくなった。


『通じた! イスカさん! 本当にイスカさんですか!?』


 そして響く声。

 聞き覚えのあるものである。


「これは驚いたの。リューヤくんか」


 老人が破顔一笑した。

 無線の向こう側の喜びようが、手に取るように判ったから。


 魔導通信を使えばネヴィル帝国に察知される可能性がある。傍受されるかどうかは微妙のところだが、発信源の特定はまず間違いなくされてしまうだろう。

 それを防ぐために地球の無線を使った。

 ナースが拾ってくれると信じて。


 まさに涙ぐましい努力だ。


「無事だったのじゃな。重畳じゃ」

『ええ。いろいろありましたが』


 慌ただしく情報が交換される。

 龍哉たち三人はナースの無事を喜び、ナースのクルーは僚友の無事に歓喜した。

 そしてひとしきり騒いだ後、現実への対処が始まる。


 函館共和国なる組織のことだ。

 戦力としては取るに足りない。むしろ彼らも守らなくてはならないとなれば、ドラゴニア王国の不利は大きくなるだろう。


 しかし、地球において初めてできた味方である。

 自分たちのことは捨て置いてかまわないなどとリーダーの相原が主張しても、見捨てるという選択肢はない。


「リンカーベル。このあたりに帝国はおるかの?」

「レーダーに反応はありません。光学迷彩(ステルス)している可能性は否定できませんが」


 返答を受け、イスカリオットが髭を撫でる。

 この状況でネヴィル帝国が姿を隠す理由はさほどない。

 むしろ堂々たる偉容を見せた方が、威圧としても効果的だ。


 ナースがすでに遠くに逃げたと考えて移動したか、あるいは移動要塞アスラも損傷が大きいため何処かで補修をおこなっているか。

 どちらとも判断がつかない。

 が、イスカリオットの迷いは短かった。


「そちらに向かおう。五稜郭にはナースが着陸できるスペースはあるかの?」

『それはさすがに無理ですよ。イスカさん』


 五稜郭要塞の広さは、ざっと一万二千平方メートル。わかりやすくいうと東京ドームの三倍ほどだ。

 かなりの巨城ではあるが、さすがに全長千二百メートルのナースを収容できるほどではない。


 むしろこの大きさの船が入れるドックなど、世界中を探したって見つからないのである。

 こんな巨大な艦が着陸してしまったら、五稜郭など潰れてしまう。


「たしか近くに塔ががなかったかの? あれを着陸塔にできぬか?」


 質問はリンカーベルに向けたものだ。


「五稜郭タワーですね。光学迷彩で姿を隠してタワーの展望室に横付けすれば、乗り降りはスムーズにできるかと」


 副官が頷く。

 見えない空中戦艦が接舷したタワーというのは、かなりシュールだが、この方法なら乗組員は転移魔法(ジャンプ)を使わずに五稜郭に降りることができる。

 魔力反応を察知される可能性が減るというわけだ。


 ただ、展望室の窓などは開くような構造になっていないだろうから、破ってナースと繋げてしまう必要がある。こんな時勢に観光地を訪れようとする物好きがいるとも思えないので、さほどの迷惑にはならないが。


『ていうかイスカさん。降りるつもりなんですか?』

「むろんじゃよ。なんでリューヤくんたちだけに、海の幸を独占されなくてはならんのじゃ?」


 龍哉の疑念にイスカリオットが笑った。


『びっくりですよ。俺たちを回収にくるんじゃないんです?』

「それはついでじゃよ。主目的は海の幸をたらふく食うことじゃて。比率としては一対九くらいじゃな」

『俺らの比重、低すぎませんかねぇ』


 伝わってくる苦笑の気配だ。

 異世界エオスの命運を握る少年より、海の幸に不等号が開いてしまった。


「相原どの。儂らは二千人ほどいるのじゃがの。食い物は足りるかのう?」

『三千でも五千でも大丈夫ですよ。世界に誇る観光都市函館の底力、とくと味わってください』

「や。それは頼もしいことじゃ」


『あんたら。戦争はもうちょっと真面目にやるものだと思うぞ』


 艦長と共和国リーダーの会話に、龍哉が割り込んだ。

 呆れたような口調で。






 私室の扉が控えめにノックされ、美貌の副官が入ってきた。


「アル先生……」


 紡がれる言葉が憔悴した様子のアダルバートの耳に届く。


「俺は、そんなにひどい顔をしてるかな? レーシャ」

「……うん。かなり」

「さすがにへこんだよ。アスラは小破と中破の間くらい。シルフィードは七十四機が撃墜され、ピクシーも三百機以上墜された」


 先の戦闘の結果だ。

 それほどの損害を出しながら、アサクラリュウヤを捕らえることはできなかった。

 ナースを沈めるどころか、内部に侵入することすらできなかったのである。


 まさに惨敗だろう。

 ネヴィルの闘将アダルバートとしては、幾重にも面目を失した。


「更迭されて本国に呼び戻されるかと思ったくらいさ」

「アル先生に代われる人材なんていないじゃない」


 苦笑して、ルクレーシャがベッドに腰掛ける。

 慰撫するための言葉ではなく事実だ。

 常勝不敗の名将で、幾多の武勲を打ち立ててきた男である。

 ネヴィル帝国の土地をすべて掘り返して探したって、彼に比肩する将帥は存在しないのだ。


「俺もそう思ってたんだけどな。上には上がいるもんだよ」


 アダルバートはくるりと椅子を回し、かつての教え子と正対する。


 ドラゴニアの老将は、まさに想像以上だった。

 打つ手打つ手先回りされ、勝てる気がしない、という気分を充分に味わわせてくれた。


 肩をすくめてみせる。

 気遣わしげにルクレーシャが右手を伸ばし、男の頬に触れた。


「まだ終わったわけじゃないよ。アル先生」

「わかっては、いるんだけどな」

「兄さんがね、変なドラグーンと会ったんだって」

「変?」


 ルクレーシャの兄であるケンプファーは空戦隊の総隊長だ。少し、というかかなりの変わり者ではあるが、指揮そのものは堅実で隙がなく、高い能力を示している。

 そのケンプファーをして変と言わしめるというのは、そうとうおかしい。


「かなり強くて苦戦したっていうか、負けて逃げてきやがったんだけどさ。あのバカ兄は。それはともかく、騎士(パイロット)の魔力を感じなかったんだって」

「バカっていってやるなよ」


 笑ったアダルバートだったが、途中で笑みが凍り付いた。


 ありえない。

 魔力を持たないものが騎士(パイロット)になれるはずがないのだ。

 そもそもエオス人に、魔力を持たないものなど存在しない。


 であれば、その騎士(パイロット)はエオスの民ではないという結論になってしまう。


「まさか……そんなことが……?」


 ナースには、エオス人でないものが一人だけ乗っているはずだ。

 その一人とは……。


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