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函館共和国 7


 聞き慣れない名前に龍哉が首をかしげる。

 戦国武将などにも、そんな人物はいなかったはずだが。


「柳川熊吉……あ」


 呟いた瞬間、天啓があった。


 函館戦争時代の人物である。しかも、明治政府軍人でも蝦夷共和国軍人でもない。

 侠客、つまりやくざだ。

 当時函館に住んでいた人間の一人、という解釈でおおよそ問題ない。

 歴史に名を残すような人物ではまったくないのである。


 では、住人でしかない柳川熊吉の霊に恥じないとはどういうことか。


 勝利した明治政府軍は、すくなくとも正義の軍勢だとは主張できないことをした。

 敗れ去った蝦夷共和国軍兵士の遺体を弔うことを禁じたのである。

 自分たちに逆らった連中だ。犬にでも食われてしまえ、というわけだ。


 これは蝦夷共和国を率いた榎本が取った措置とは大きく異なる。捕虜にも治療を施し、きちんと相手陣営に送り返すというのが、彼のやり方だったから。


 蝦夷共和国軍とはまったく違う、あまりといえばあまりな仕打ちを見かねた柳川は、自ら手下のヤクザ者を率いて町をまわり、放置された死体を回収しては寺に運んで埋葬した。

 公然と、明治政府の命令に逆らったのである。


 彼は捕縛され、死刑に処されることとなった。

 が、それは回避される。

 軍監である田島圭蔵(たじま けいぞう)によって助命され、釈放されたのだ。


 ちなみにこの田島という人物は、蝦夷共和国の捕虜となったのち、解放されたという経歴の持ち主である。


 ともあれ、函館のいち住民でヤクザ者の柳川ですら、意地のために明治政府に逆らった。


「だから、あなたたちもネヴィル帝国に逆らうというのですか? 相原さん。命がけで」

「愚かなことだと笑いますか? それより、詳しいですな。朝倉くん」


 柳川など函館市民でもほとんど知らないと相原が笑った。


「こいつは特別なのさ。だから帝国に狙われてるんだよ」


 とは、ミリアリアの言葉である。

 非常に雑な説明だが、納得したように男が頷く。


「侵略者の慈悲にすがり、乞食のように生きるより、この島に生きる人間として、死に様くらいは自分で選びたい。それだけのことですよ」


 相原が右手を差し出す。


「……大馬鹿野郎ですよ。それは」


 ややためらってから、龍哉がその手を握りかえした。

 家族以外で、彼が初めて得た味方である。

 実効的な戦力とは、お世辞にもいえないだろうが。





 函館共和国の拠点は、なんと五稜郭だった。

 再建されて観光施設として展示されていた函館奉行所が、そのまま司令部となったのである。

 そんなところまで歴史にならわなくても良いし、しかもけっこう縁起が悪い。

 蝦夷共和国は敗北したのだから。


「ちなみに、函館共和国って函館を完全に掌握しているんですか?」


 その五稜郭にパトカーで案内され、アイリーンが訊ねた。

 味方になってくれるというのはありがたいが、どの程度の戦力があるのか知っておかなくてはならないし、函館市における影響力だって把握しておかなくてはならない。


 名称からして、道南一帯に勢力があるということもあるまいが。

 事実、森町の濁川地区に潜伏していた龍哉たちは、彼らの存在を知らなかった。


「掌握? ここにいる人間ですべてだが?」


 何を言っているのか判らない、という顔をする相原。

 函館奉行所の前庭に集まっているのは、百人もいない。


「……こころみに問いますが、五稜郭以外の拠点ってありますか?」

「ない」


 返答は簡にして要を得ていた。

 ふたたび龍哉とアイリーンが頭を抱え、ミリアリアが大爆笑する。

 国などというレベルではなかった。


 ただの有志団体である。

 五稜郭公園を不法占拠しているだけの。


 ただ、戦力としてはそこそこのものがあるという。

 函館にいる海上自衛隊や、警察官が、武器を持ったままかなりの数参加しているからだ。

 もちろん、ネヴィル帝国と戦うには、完全に意味のない戦力ではあるが。


「良い! 良いよアンタら! たったこれだけ数! こんな貧弱な装備で帝国に盾突こうってのかい!」


 大いに気に入った、と、ミリアリアが相原の肩を叩く。

 無謀という言葉すらこえて、不可能だ。


 帝国がその気になれば、というより、その気にならなくとも、羽虫でも追い払う感覚で手を振った程度で、五稜郭など吹き飛んでしまうのである。

 本来、逆らうことなど許されない。


 圧倒的な力の差だ。

 地面に頭をすりつけて慈悲を請うくらいしか、できることがないほどに。

 にもかかわらず、こいつらは膝を折らない。


「あたしは、アンタらを尊敬するよ」


 相原の肩を抱くミリアリア。

 一緒に歌でも歌いだしそうな雰囲気だ。


「ありがとう。異世界の友よ。水、食料、燃料、必要なものがあったらなんでも言ってほしい。すぐに用意しよう」


 男が胸を張るが、残念ながら機動戦艦ナースに必要なものはひとつもない。

 すべて艦内で生産・調達できるからだ。


「ホントに! 海産物とかもっ!?」

「ああ。もちろんだとも。今の季節は津軽海峡産の本マグロと毛ガニだな。それに噴火湾のホタテか。イクラも美味いな」

「マジでっ!?」

「用意しよう。すぐ食うか?」

「もちろん!!」


 なのに、身を乗り出すくらいの勢いでミリアリアが食いついている。

 むしろ、ついさっき食事をしたばかりである。


「アイリーン。止めた方が良いんじゃ……」


 もう一人の僚友を見た龍哉だったが、それ以上言葉を続けることができなかった。


「マグロ……毛ガニ……ホタテ……イクラ……天国はここにあったよ。姫……」


 うわごとのように呟いている。

 かなりダメな感じだ。


 考えてみれば、イスカリオットなども海産物に並々ならぬ関心を寄せていた。

 先刻、焼き鳥弁当を食べた少女たちも、美味いと喜びつつもどこか満足していない様子だった。

 つまり、空飛ぶ戦艦の中で生活しているから、海鮮料理は口に入りにくいのかもしれない。


 と、龍哉は推測する。

 類推能力と論理思考力によって。


 まさに特殊能力の無駄遣いである。




 冬の北海道は味覚の宝庫だ。

 とくに海鮮。


 北の海の魚たちは寒くなればなるほど身が締まり、極上の美味で人間どもを魅了するのだ。


「相原っち! もっとイクラかけて! どばーっと!!」

「毛ガニ美味しい……毛ガニ美味しい……毛ガニ美味しい……」

「マジか。ホッケってこんなでかいのかよ。しかも脂のってるなあ」


 少年少女たちが壊れている。

 提供された御馳走を食べて。


 首都をはじめとして大都市の多くを破壊され、日本は崩壊の危機にあるはずだが、この北の島に住む人々は、知ったことではないとばかりに逞しくて生きているようだ。


 まあ、家に閉じこもってめそめそ泣いていたところで、事態が好転するわけではない。

 生きるためには食わねばならず、食うためには漁でも畜産でも耕作でもしなくてはいけないのだ。

 悩んだり立ち止まったりしている暇があったら、漁船のエンジンに火を入れる。猟銃を持ってエゾシカを狩りに行く。


 このタフネスとバイタリティは、まさに開拓者魂だろう。

 北海道には日本最大の石油備蓄基地があり、それを確保してしまえば燃料の心配をしなくて良いという事情はあるにせよ。


「いずれにしても日本はもうダメだ。国としての統治機能は消失したし、春までには無数の都市国家が誕生するだろう」


 そう語るのは函館共和国のリーダーたる相原である。

 せいぜい言葉を選びはしたが、意味するところは群雄割拠だ。

 少ない食料をめぐって殺し合いが起きる。


 なにしろ日本には国民全員を養うだけの生産力はないから。

 七千万人ほどにまで人は減ってしまったが、その事実は覆らない。


 そうなってくると、二百パーセントを超える北海道の食糧自給率が輝く。否、人口百七十万を数えた札幌が消滅してしまったので、現在では三百パーセントを超えているだろうか。

 いずれにしても、自活できる場所しか生き残れない。


「だが、侵略者がいては、そもそも生き残ることも難しい」

「だから俺たちに味方する、ということですか?」

「生きるか死ぬかの大博打さ」


 ネヴィル帝国を追い払い大手を振って生きるか、敗れて死ぬかだ。

 奴隷のように這いつくばって、生かされるのだけは拒否する。


「さっきも言いましたが、本当に大馬鹿野郎ですねえ。相原さん」


 悪意のない笑顔を龍哉が向ける。

 彼だって同じだ。


 生きようと決意したから、戦う道を選んだ。


 それだけの話である。


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