異世界からの侵略者 10
さて、ネヴィル帝国の追跡をまんまと出し抜いた機動戦艦ナースは、北海道南部の小さな温泉郷に着陸していた。
もちろん人知れず。
濁川温泉郷と呼ばれるこの場所は、領域区分的には森町という地方自治体に属している。
ありていにいって、辺境の漁師町だ。
とくにこれといった産業もなく、人口流出にも歯止めがかからず、北海道の多くの自治体がそうであるように、消滅可能性都市のひとつに数えられている。
どうしてそんな場所に隠れたかといえば、たいして深くもない理由があった。
ナースの艦長たるイスカリオットの希望である。
海の幸も山の幸も食べたい。あと温泉も入りたい、と。
「言いたいことは山ほどあるんだけどさ。なんでおじいさまはわざわざここを選んだのかしら? あの条件なら北海道のどこでも良かったと思うんだけど」
浴衣姿のマルグリットが訊ねる。
宿泊している温泉宿のものだ。
満喫中であった。
ともあれ、北海道に存在する百七十九市町村のうち、温泉のない場所はひとつもない。
美味しいものだって、たいていどの町でも食べられる。
内浦湾の恵みや、この町特産の豚肉などがあるが、とくに希少価値を主張するようなものではない。
移動要塞アスラの攻撃で壊滅してしまった札幌はともかくとして、べつにどこに降りたってかまわなかったはずだ。
「人里離れた山間だからってのが、たぶん一番の理由だと思う」
応えるのは龍哉だ。
彼もまた浴衣姿である。
潜伏して一週間。朝倉家の人々は、すっかりナースの乗組員たちに馴染んでいる。
「というと?」
「もし見つかって攻撃されても、被害はバカみたいに大きくならないだろ?」
そして龍哉の読みも、ますます鋭さを増していた。
イスカリオットやマルグリットが舌を巻くほどの知謀の冴えである。
いつまでも隠れてはいられない。
いずれは居場所が露見してしまう。
龍哉たちはともかくとして、あきらかに外国人の外見をしたドラゴニア人たちだ。目立つなという方が無理というものだ。
もちろん濁川を含む森町の住民たちには、彼らを不審に思わないようにちょっとした魔法をかけてあるが、これは気休め程度のものでしかない。
本格的な大規模魔法などを使用したら、すぐにネヴィル帝国に察知されてしまうから。
ただ、そうやって露見を先延ばしにしてはいるものの、時間の問題という事実は覆らない。
むしろ一週間も隠れていられたことが奇跡的だといって良いほどだ。
間違いなく帝国はここを突き止めるし、場所さえ判ればすぐに攻撃してくるだろう。
そのとき、イスカリオットは住民の避難誘導などしない。
優先順位を考えれば当然だ。
日本人を守ってドラゴニア人が傷つくわけにはいかないし、龍哉を奪われるなど、もっとありえないのだから。
「つまり住民たちは見殺しにするしかないんだけど、その数は一人でも二人でも少ない方がいいだろ?」
ほろ苦い表情の龍哉だ。
たとえば多くの観光客が訪れるニセコや阿寒では、巻き添えで死ぬ人間が多くなりすぎる。
その点、うら寂れた濁川であれば、被害を最小限に抑えられるだろう。
「なんかフケンゼンな発想ね。そうまでして温泉に入らなくても良いと思うんだけど」
海の幸も山の幸も温泉も、しっかり味わい尽くしているくせに、マルグリットが小首をかしげた。
ただ、犠牲が出ることを大前提にしてまで、享楽を得ようというのはよく判らないのも事実である。
たしかにナースで供される栄養価優先の味けない食事より、平成日本の豊かな料理はずっとずっと素晴らしかったが。
「苦肉の策だよ。これは。上空にいたらすぐに発見されてしまうからな。地上に降りて目をくらませたんだ。その上で、できるだけ人死にを出さないようにって考えたんだろ。イスカさんらしいよ」
龍哉が艦長を愛称で呼び、肩をすくめてみせる。
万事に飄々とした老人は、あまり真意を語らない。
だから孫娘のマルグリットなどは誤解してしまいがちだが、龍哉のイスカリオットに対する評価は非常に高い。
やるべきことがしっかりと見えており、物事の優先順位も理解したうえで、つねにベターな選択をとろうとする。
ちゃんと現実を見ることのできる指揮官だ、と。
「買いかぶりすぎじゃない?」
つんとした表情のマルグリットだったが、うっすらと頬が染まっている。
彼女だって、祖父が褒められたら悪い気はしないのだ。
口には出さないが敬愛しているのである。
「でも、いつまでもは隠れていられないんでしょ?」
「だなぁ。空を探して見つからないとなれば、当たり前のように地上に目を向けるさ」
「目を向けたからって簡単に探せるものかなぁ」
形のいい下顎をマルグリットが右手で撫でる。
移動要塞アスラが抱える兵力はたしかに膨大だ。しかし、日本全土をローラー作戦で調べるほどの数がいるわけもない。
つまり、調査する場所が上空から地上に変わったくらいで、劇的に効率が良くなるわけがないのだ。
「尻尾を振ってくる日本人を使って狩りたてるのさ。賞金とか出してな」
「うわ……そこまでやる?」
嫌な顔をするマルグリット。
日本国政府が消滅してしまった今となっては、寄らば大樹の陰と考える人は拠り所がない。
生き残った各自治体が、なんとか社会構造を維持しようと必死の努力を続けているものの、おそらく春を待たずしてこの国自体が崩壊する。
県単位、下手をすれば街単位で、政をおこなうようになるだろう。
良くいえば、都市国家だ。
しかし、そんなものに明るい未来図を感じられる日本人は数少ない。
であればどこに擦り寄れば良いのか、という話である。
「そこまでやらないで欲しい、と、イスカさんは思ってるだろうな。けどネヴィル帝国は、やらないで欲しいなって手を確実に打ってくるから」
かぶせるように、緊急警戒警報が鳴り響いた。
「ほらな?」
龍哉が苦笑する。
潜伏場所が露見した。
各々の転移魔法装置でナース艦内に戻った乗組員たちを待っていたのは、予想通りの凶報である。
「一週間。もうちょっとくつろぎたかったところじゃが、しかたあるまいの。緊急発進じゃ」
浴衣姿のまま艦長席に座したイスカリオットが命令を下す。
「了解。浮上後に光学迷彩を解除します。囮は飛ばしますか?」
確認するのは、やはり浴衣姿のリンカーベルだ。
くつろぎすぎである。
「囮に食いつくほど素直な連中でもなかろう。それより万全の体勢で迎え撃つのが吉じゃよ」
にやりと艦長が笑う。
「承知いたしました。セイヴァー、フランベルジュ、レイピア、シミター、カタナ、五個空戦隊を出撃させます」
ナースに搭載する艦載機の半分にあたる百五十機だ。
否、正確には百五十一機である。
セイヴァー隊には、セイヴァー00という、員数外のゼロ番機が加わることになったから。
「リューヤくんも出すのじゃな? リンカーベルや」
「志願した以上、特等席で戦争ゲームを観戦させる余裕はありませんので」
「だから、なるべく楽そうな局面で初陣というわけじゃな」
偽悪趣味な発言をする副官に、ふぉふぉふぉとイスカリオットが笑う。
生真面目そうなリンカーベルの頬が染まった。




