旅立ちの前夜
お迎えに参りました。サリの姫よ、その日の内に、ルスは、カザの町を治める領主の館へと連れて行かれた。
イチゴの手籠も置いたまま、畑にいた家族にも、青い空にも、飛び交う小鳥達にも、ろくに別れの言葉も言えずに………
大人に囲まれ、何もわからぬままに、山を降り、今、彼女は賓客をもてなす為の一室に閉じ込められていた。
美しく格子がはめ込まれた窓、柔らかな寝台、部屋の中央に、置かれてい卓上には、花が飾られ、室内は、金の燭台の蝋燭によって、柔らかいが、ゆらゆらと、どこか怪しい灯りがうごめいている。
そして彼女が、身にまとう衣は白い生地に艶やかな刺繍が施された美しい品。
その細い手首にも、涼やかな銀細工の腕輪が通され、玉の首飾り、頭に金の髪飾りをつけている。
―――――今までとは、何もかもが違う世界、しかし彼女は寂しかった。窓辺で、家族と共に住んでいた空をここに来てから眺め続けている。
サリの神殿からお迎えに上がりました。あの場で言われた一言が、冷たく彼女の心を掴み離さない。
明日の夜明けと共に、この地を離れなくてはならない、悲しくて、悲しくて、涙が、ポロポロとこぼれてくる。
逃げ出そうにも、扉の向こうには見張りの神官達が控えている。それに何より、ここに来たときサリの神官達の一人から言われた言葉。
サリの姫様をお育てしたご両親、そして姫様を育んだこのカザの町に褒美が与えられる。
その言葉を領主とカザの神官達と共に聞いたとき、領主も、神官も、幼い彼女に深く頭を下げ、礼を述べた。
そして、両親にもこの先困らない生活を約束をすると言われた。
貧しいカザをお救い頂き、姫様のお恵みは生涯忘れません。
とも、そしてそれは目に見えない網となり、彼女を十重に二十重に絡めとり、そのたおやかな心に枷をはめる。
逃げ出せば、どうなるのか、それは神官達の目の光に答えが宿っていた。それは冷たく、まるで、ぽっかりと口を開けた、洞窟の闇と同じ色。
………逃げたしたくても、出来ない。神官達が当然の如くルスに与えた高価な品々を目にして、サリの街がここよりも、恵まれてるのがわかる。
まだ七才にしかならないが、自分が何もかも捨て去れば、恐ろしい事が起こる、それだけはわかった。
彼女にとって、戦、餓えに病、人の生死は常に背中合わせにあるもの。
し、んと冷えた風がルスの体を濡らしてゆく。まるで涙が全身から溢れるように……
いつの間にか、見上げる空は、夜の闇へと色を変えている。月も星も出ていない、全てを覆う漆黒の布を広げた様………
心を決めなくてはならない。私が、両親を、皆を、カザの町を守る者になるの。ならなければいけない。
私は神様にお仕えするのだから………
そして幼い少女は、重き物を背負い、それを下ろすすべのない、姫と変わってゆく………