彼女とエンピツは、丸くない⁉︎
胸キュン賞への投稿作品です。感想等いただけたら幸いです。
2018/03/27 題名、本文、改稿しました。
2018/03/29 本文完結しました。それに伴い、あらすじ改稿しました。
2018/07/09 ラストの一部を改稿しました。それに伴い、タイトルを「君への半歩が踏み出せない」から「君への半歩を踏み出せたなら」に変更します。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
2018/10/07 文章を推敲して、後日談を追加しました。それに伴い、タイトルを変更しました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
2019/07/27 タイトル変更しました。
ふっさふさのポニーテールを揺らして、一人の女の子が僕の背後に忍び寄る。物思いにふける僕は、近付いてくる女の子の気配に気づかない。
「……し〜〜っ」
女の子はそっと僕の背後に到達すると、精一杯広げた小さな可愛い手のひらを、やおら振り上げる。
「背中曲がってる。もっとシャキッと……しろよ」
女の子は僕の背中をバシィっと乾いた音がする程、容赦無く思いっきり叩く。一瞬遅れて針で刺されたような強烈な痛みが身を貫き、僕は身体をよじりながら、跳び上がるように椅子から立ち上がる。
「いっ……ってぇな、バシバシ叩くなよ。ゴリラか、お前は」
あまりの痛さに思考は停止し、僕の楽しい物思いの時間を邪魔した張本人を、恨めしそうな目つきで文句を言いながら振り返る。
「……何か言った? バカ朋弘」
そこには僕より頭一つ分背の低い女の子が、勝気そうな笑顔で僕を見上げている。腰に両手を当てて立ちはだかる姿は、身長の低さと相まって生意気に見える。
フワリと柑橘系のシャンプーの香りを漂わせた彼女は、クラスメイトの莉恋。
僕の、初恋の相手だ。
ここは雪で覆われた、ある北国の小学校。
卒業式を間近に控えた僕たち六年生は、あと数ヶ月で卒業することになる。
「アンタ、男子の中で一番背が高いんだから、卒業式でウチのクラスの先頭に立つっていう自覚あるの? みっともない真似だけはしないでよね」
どうやら彼女は、僕の姿勢が悪い事に腹を立てたらしい。
「そんな自覚なんて、ねぇよ。
ぼ……俺が猫背だからって、莉恋には関係ないだろう」
別に彼女は僕のお目付役でも何でもないから、言われる筋合いはまるで無い。でも、口では文句を言いつつ呑気な僕は、彼女に話しかけられることが、ただただ嬉しい。
「あるわよ。担任の先生にも頼まれたし。
卒業式まであと二ヶ月……。それまで猫背の朋弘を見かけたら、治るまで容赦なくひっぱたくから、覚悟する事ね」
莉恋は口の端を上げて、不敵に笑って見せる。
彼女は担任の先生からの信頼も厚く、見た目が可愛いせいかクラスの内外でもすこぶる人気がある。
人当たりは良いのだが、なぜか僕に対してだけいつも喧嘩腰で接してくる。当然、売り言葉に買い言葉となってしまい、彼女に対してだけは心にもない事を口走ってしまう。
「怖っ。そんなに暴力的だから、可愛げが無くなってくるんだよ。
いつも長ズボンだし、夏だって丈の長い短パン履いてるだろ」
「キュロットって言ってよ。可愛げが無いのはどっちよ」
口から突いて出た僕の言葉を、呆れたような顔で訂正する莉恋。残念ながら、僕はキュロットなんて知らない。
気恥ずかしくなった僕はランドセルを手に持ちながら、照れ隠しに幼馴染の名前を呼ぶ。
「付き合ってられないや。コウタ、体育館行って遊んでから帰ろうぜ」
「あ……うん」
家は少し離れているけれど、幼稚園から付き合いのある少しおとなしい性格のコウタは、素直に僕の後ろをついてくる。
「明日から覚悟しなさいよ、朋弘。逃がさないからね」
教室の外まで聞こえてくる莉恋の声から逃げるように、僕は教室の前にある一階へ続く階段を駆け下りる。
「でっけぇ声。嫌なのに目をつけられちゃったなぁ……明日から、注意しないとな」
言葉とは裏腹に、さっきからニヤケ顔が止まらない。
「……二人とも、仲良いね。ホントに夫婦みたいだ」
体育館へと続く廊下を歩いている時に、はにかみながらポツリとコウタがつぶやく。
「夫婦」という特別な響きに、僕は顔が熱っぽくなるのを感じている。
「何、デタラメ言ってんだよコウタ。どこからそんな情報が出てきたんだよ」
「……どこかは分からないけど……もう、ウワサは学年中に広まってるみたいだよ。トシヤが言ってたから……」
「……ウソだろ」
学年中って事は……莉恋の耳にも届いているかもしれない。もしそうだとしたら、彼女はどう思っているんだろう……。
体育館の入り口付近には沢山のランドセルが置いてある。僕とコウタも分かりやすい場所に並べて置いてから、沢山のボールが入った網かごからドッチボールを手にすると、ゆっくり弾ませながら入り口をくぐりぬける。
「いつ頃から噂されているのかなぁ……。トシヤの奴、変な感じに広めなければいいけど……」
「……おぉい、こっちだ朋弘。一緒にドッチボールしよっぜぇ」
噂をすれば何とやら……先に体育館に来ていた、隣のクラスのトシヤから声をかけられる。
「……あ、トシヤだ。ケンスケもいるね」
「……ちょうどいい、噂の出どころを突き止めてやる。
おい、トシヤ」
僕は彼の目の前まで駆け足で近づくと、勢いを利用して噂を流した張本人が誰なのか尋ねてみる。
「噂を流したのは誰か、教えろ」
「何だよ、朋弘。おっかねぇ顔して走ってくるなよ。
何だよ、噂って……」
どうやら勢いがあり過ぎて、伝わらなかったようだ。
「噂と言ったら、あれだろう? ぼ……俺と莉恋が……その……ふっ……夫婦……」
お約束のように呼称を噛んでしまった事も手伝って、トシヤに対する質問の内容が今更ながら気恥ずかしく感じた僕は口ごもってしまう。
少し遅れて合流したコウタが、見兼ねたように代わりに尋ねてくれる。
「……朋弘と莉恋ちゃんが夫婦みたいだって噂になってるけれど、それを流したのは誰か、知ってる? 」
「……そう、それ。知ってたら教えてくれ」
コウタと僕の質問に、トシヤは彼と幼馴染であるケンスケと顔を見合わせる。
「……知らねぇ。いつの間にか、噂になってたからなぁ……」
トシヤのその言葉に、ケンスケも同調する。
「……っていうか、誰が見ても夫婦にしか見えないじゃん。噂が立つのも当然じゃん? 」
「……えぇ〜、マジか〜 」
僕はあえて頭を抱えて、赤くなった顔を見られないように隠してみる。
そんな僕の様子を見たトシヤは、追い討ちをかけるように提案する。
「朋弘が気にしてるのは、噂の張本人が誰かじゃなくて、莉恋の耳に入ってどう思われるかだろう?
そんなの気にしてるんだったら、いっそのこと、告白しちまったらいいんじゃね? 」
「えっ……告白……なんて……」
告白……今の莉恋との距離感で満足していた僕にとって、それは思ってもみない言葉だった。
「……そんなの、上手くいくわけない。恥かくだけだよ」
「そんな事ないだろ。既に公認みたいなものだもの、絶対上手くいくって」
トシヤは恥じらう僕の様子が面白いのか、莉恋に対する告白を迫ってくる。
そんな僕達に声をかけたケンスケの言葉に、その場の空気が一変する。
「……っていうか、朋弘はコウタと一緒の『北ノ中』に行くんだろ? 莉恋は俺達と一緒に『南ノ中』で別々の中学校だから、告白するなら今のうちじゃん? 」
賑やかな放課後の体育館の中で、まるで僕達四人の周りだけ時が止まったように静まり返ってしまう。
告白という言葉の響きに浮かれていた僕も、一気に奈落の底に突き落とされたような気分になる。
「……そう……だよな……うん、忘れてたわけじゃ……ないよ……」
僕の様子を見たトシヤは困ったように自分の頭を押さえ、ケンスケの首に左腕を回すと体育館の端の方へと連れて歩いて行く。
「ケンスケ君、分かりやすい説明ありがとう。……だけど、もうちょっと言葉を選んでみよう、な」
「……っていうか、俺マズイ事言った? 」
僕の様子を心配そうに見つめていたコウタは、おずおずと声をかけてくる。
「朋弘……本当は、気にしてるんじゃないの? 莉恋ちゃん達と一緒の中学に行きたかったんじゃ……」
「……大丈夫だよ、コウタ。心配するなって……」
僕は心配そうなコウタの肩に手を乗せ、気落ちしていないそぶりを見せる。
でも、遊ぶ気分じゃ無くなってしまったから、僕はトシヤ達に声をかけて帰ろうとする。
「……トシヤ、ケンスケ。今日は、ぼ……俺達帰るわ。
また明日な」
未だにケンスケの首に左腕を回したままのトシヤは、右手を上げてそれに応える。
挨拶をすませると、僕は入ってきたばかりの体育館の入り口に向かって歩き出す。コウタは、僕がいつのまにか手放していたボールを拾ってくると、早足で追いかけてくる。
「……朋弘、ゴメンね」
「……コウタは何も悪くないよ。
ウチが学校から近いところにあるから、どちらの中学校にも行けるけれど、コウタと同じ学校に行く事は、ぼ……俺が決めた事だから」
謝るコウタに、僕は笑いかける。
「それに、幼稚園から続いてる同じクラス連続記録を途切れさせたくないだろう? 」
「……朋弘、ありがとう」
体育館の入り口に置いてあるランドセルを背負い、昇降口から外へ出る頃には、僕達は笑顔で学校を後にしていた。
僕とコウタは二人でふざけ合いながら、雪で覆われたいつもの帰り道を、夕陽に照らされながら帰宅する。
さて……問題は、この後。
翌日の朝以降、僕は莉恋の事を妙に意識し過ぎてしまい、何にも手につかなくなってしまう。おそらく、昨日のトシヤ達との出来事が原因だろう。
教室での僕の席は、窓際の一番後ろ。莉恋は僕の席から右斜め一つ前の席に座っている。
だから、ほんの少し視線を右に向けるだけで、黒板を熱心に見つめる莉恋の横顔が視界に入る。
背丈の低い莉恋が椅子に腰掛けると、まるで小動物が椅子に座ったような姿に見え、めちゃくちゃ可愛いく見える。
彼女のトレードマーク、ふっさふさのポニーテールもよく見ると、背中までかかる程の少し長めの髪をてっぺんにまとめてから垂らしてある。
(そういや……意識してから、莉恋の顔をまともに見たことないや……)
授業中、僕は教科書を見てるふりして、チラチラと莉恋の横顔を見つめてしまう。何となく悪い事をしているような気がして、心臓はものすごくドキドキしている。
(……あと、二ヶ月くらいで……今みたいに毎日莉恋とは会えなくなる……。
告白……した方が良いのかな)
ふと、視界が遮られて莉恋の姿が見えなくなる。一瞬後に視界が開けると、彼女は何故か僕を振り返っていたから、バッチリ目が合ってしまう。
ドキッとしたのもつかの間、いつの間にか僕の隣まで歩いて来ていた男の担任の先生に、軽く頭をはたかれてしまう。
「いってぇ……」
「朋弘……先生の話、聞いていたのか? 」
たちまち教室中には笑い声が巻き起こる。僕は頭を押さえながらチラリと莉恋の顔を覗き見ると、彼女も可愛らしい笑顔で僕を見ている事に気がつく。
たまらず僕は、立てた教科書の陰に赤くなった顔を隠してしまう。
(とても告白なんて出来ない……。笑われて終わりだ)
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、莉恋は毎日のように僕に付きまとってくる。
「朋弘クン、もうすぐ卒業するからって、先生の話はちゃんと聴かなきゃダメだぞ」
放課後になり机に突っ伏した僕の背中を、ポニーテールを揺らしながらバシバシ叩く莉恋。
「……うるさいな、誰のせいだと思ってんだよ……」
僕は、伏せた顔を上げながら文句を言おうとして、ハッとして動きを止める。
「……じゃあ、誰のせい? 」
不意に香る柑橘系の匂い。気がつくと彼女は僕の顔を横から覗き込むように近づけて来たから、視界一杯に莉恋の顔がある。
息がかかりそうなほどの近距離で、思いがけず初めてまともに見つめた彼女の瞳は透き通るようで、思わず僕は見とれてしまう。
(……莉恋の瞳って、こんなに綺麗なんだ……)
一瞬そう思ってから、状況を一気に理解してしまった僕は、赤くなった顔を見られないよう慌てて両腕で囲いを作って伏せる。
「……知らない」
「え〜っ、さっきは誰のせいか分かってるような言い方していたじゃない……」
莉恋は僕の背中に手を乗せて揺さぶりながら、しつこく食い下がってくる。
「気になるから教えてよ。スッキリしないじゃない」
「……知らないったら、知らない」
莉恋の性格はよく分かっている。気になることがあると、分かるまで諦めない。
このまま籠城戦を続けてもらちが明かないと思った僕は、彼女の一瞬の隙をついて脱出、ランドセルを手に駆け足で教室を出る。
「……あっ、こら。待ちなさいよ」
教室前の階段を一気に駆け降りた僕は、一階の廊下の壁に背をもたれかけて息を整える。
(僕の言いたかったこと、莉恋に気付かれていないよな……)
僕はキュッと締め付ける胸を押さえつける。
(それとも……告白したら、この胸の苦しさは無くなるのかな……)
頭の中は莉恋の事しか考えられなくなって、自問自答を繰り返す僕。
(あんなに顔を近づけていても、莉恋は僕の事気にしちゃいないのかな……? )
本人に確認することも出来ず、息苦しい程の胸の痛みに押しつぶされそうになった僕は、誰もいない廊下の片隅で座り込み……いつのまにかこぼれ落ちた涙に、頬を濡らしていた。
二月中旬。
時間だけが駆け足で過ぎ去っていくような毎日を過ごし、卒業まで残り一ヶ月を切るようになった頃。
バレンタインデーという、僕らにとって最大のイベントがやってくる。
とはいえ、学校の規則でチョコレートとか食べ物は持ってきちゃいけない事になってるので、過去に目立った受け渡しは無い。
当然、僕もクラスの女子からもらった事なんて、一度もない。だから最大のイベントと言いつつも、すでに僕は「この日は何も無い日」と決めてしまっている。
そう、三日前までは……。
「莉恋、大ニュース、大ニュース」
昼ご飯を食べ終え、僕の席で昼休みは何をして遊ぼうかコウタと相談している時。
斜め前の席に座る莉恋の元に、彼女の親友が駆け寄ってくる。
「どうしたの? ミナ。そんなに慌てて……」
「これが慌てないでいられますかって、あと三日でバレンタインじゃない? 」
ミナは莉恋以上に活発だけど、ものすごく少女趣味みたいなところがある。良く言えば女の子らしいとも言える。
そんな彼女がバレンタインデーに興奮する事は、容易に想像できる。
「ミナってそういうの好きだよね……あたしには関係ないけど」
ドライな莉恋の返事も、悲しいけれど僕は容易に想像できている。
「先月から担任の先生にお願いしていたことが叶ったのよ。
バレンタインデー当日に限って、他の学年の子達にわからないようにさえすれば、学校にチョコ持って来ても良いんだって」
ミナの持ち帰ったその情報は、クラス中にどよめきを起こす。
女子はこぞって莉恋の机に集まり、ミナの得た情報の真偽を確かめに来る。
莉恋の机の周りに女子が集まり過ぎて、相談しづらくなった僕とコウタは机を離れ、教室の後ろの方へと追いやられてしまう。
男子は、表向きは興味ない風を装っているけれど、明らかに動きがギクシャクしてくる。
「……くだらない、何を興奮してるんだか……」
口ではそう言いつつも、僕もかなり期待している。
「……えっ? 朋弘ってチョコ嫌いだっけ? 」
「そういう意味じゃないけど……」
僕は言葉に詰まる。
ふと、視線を莉恋の方へ向けると、何故か莉恋とミナが僕達の方を見ている事に気がつく。
目があったミナは恥ずかしそうに顔を伏せる。
(えっ……なんだ……? )
「……どうしたの? 朋弘」
「……ん? 何でもない、体育館行こうぜ」
僕はドキドキしながら教室を後にする。
(まさか、ミナも僕にチョコを準備したりは……しないよな……)
自分に都合の良い妄想だけは無限大に広げながら、体育館への廊下を歩く僕とコウタ。
もうすぐ体育館というところで、コウタが口を開く。
「……なんか良かったね、これでミナちゃんも堂々と皆んなにチョコを渡せるようになったから……」
「なんだよ、それ。まるで今までも皆んなにチョコ渡してるような言い方じゃないか」
僕が無意識に口走った言葉に、コウタは足を止める。
「……えっ? だってミナちゃんは去年、僕の家まで来て『皆んなにも渡してるけど、恥ずかしいからナイショにね』って……」
僕は足元にポッカリと穴が開いて、どこまでも落ちて行くような気分になってしまった。
「……コウタ、お前それ……」
「……えっ……どうしよう……明日から、ミナちゃんの顔見れないよ……」
パニクるコウタを僕はなだめようとしたけれど、まるで告白してもいないのにフラれたような気になってしまい上手い言葉が出てこない。
(ミナはコウタを見ていたんだな……)
僕はちょっとだけ残念なような、ホッとしたような複雑な気分を味わいながら、バレンタインデー当日を迎える事になる。
「お……おぉはよう」
僕は至極平静を装いながら、教室のドアを開ける。返ってくる皆んなの挨拶は、心なしか上ずっているような気がする。
コウタは朝から机に伏せたままだ。
朝のホームルームが始まると、担任の先生から今日の事について話があると言う。
「……聞いてるとは思うが、眼をつぶるのは教室内での受け渡しだけだからな。特に男子、チョコ貰って嬉しいからって見せびらかしながら食べたりするんじゃないぞ」
ホームルームが終わると、ミナを先頭に一部の女子が担任の先生にチョコを渡しているのを見かける。
(……あれが口封じってやつかな……女って怖いな……)
僕はそんな事を考えながらぼーっと見ていたが、チラリと莉恋の方へも目を向ける。
彼女は席を立つ事もなく、一時間目の授業の準備を黙々としている。
(莉恋は……誰かにチョコを渡したりするのかな……)
彼女の動向はものすごく気になるけれど、直接聞く事も出来ずにただ時間だけが過ぎて行く。
ドキドキしながら、今日という日はあっという間に終わろうとしていた。
その間、くだらない事で莉恋から話しかけられる事はあっても、僕はおろか誰にもチョコを渡すような素振りはない。
(……僕はいつまでドキドキしていればいいんだ)
誰に対する怒りかわからないけれど、心の中で毒づく僕。
いっそのこと、このまま何も起こらずに家に帰りたいとも思いながら、僕は筆箱を開けて少し早めの準備をする。
僕の筆箱の中は芯先が丸くなって、めちゃくちゃ短い鉛筆ばかりが並んでいるからスカスカだ。爪を使って鉛筆を固定し、小さな鉛筆削りを器用に回して芯先を削っていると、いつのまにか莉恋が僕を呆れ顔で見つめている事に気がつく。
「……朋弘、アンタ新しい鉛筆無いの? 」
「えっ? いや、まだ使えるし」
莉恋は自分の布製の大きめな筆箱から、パステルカラーの可愛いキャラクターが描かれた新品の鉛筆を数本取り出すと、僕に向かって差し出す。
「……これ、あげる」
「……えっ? いいよ、カラフルな色の鉛筆なんて、恥ずかしい……」
僕が拒否しようとする間も無く莉恋は立ち上がり、僕の筆箱に手に持った数本の鉛筆をねじ込む。
「……そのアンタの、みみっちい行動を見てると私が恥ずかしくなるのよ。黙って受け取りなさい」
僕は莉恋の迫力に気圧され、筆箱の中にあるパステルカラーで彩られた鉛筆から彼女の顔へと視線を移す。
窓の外から差し込むわずかな夕陽が莉恋の顔を照らしている。
言いたい事を言い終え、ぷいとそっぽを向き自分の席へと戻ろうとする彼女の顔が一瞬だけ、心なしか赤くなっていたような気がするのは夕陽のせいだけでは無いと思いたい。
(チョコじゃ無いけど……まぁ、いいか)
にやけそうになる顔を必死でこらえ、他のクラスメイトに見られたくない僕は急いで筆箱を閉じる。
ふと、最前列にあるコウタの席を見てみると、今日は一日中机に突っ伏している姿しか見ていない。
結局コウタがチョコを貰ったかどうかは、教えてもらえなかった。
卒業式のリハーサルや中学校への準備を進めながらも、みんなと過ごせる最後の楽しい日々は駆け足で過ぎて行き、ついに式当日を迎える。
これまでに何回か莉恋に告白しようとした事はあったのだが、タイミングが悪いことが多く結局言えないままになってしまった。
中学校で着用する制服を着て自宅を出る僕。
春から通学する事になる『北ノ中学校』の制服はブレザーだ。ネクタイを締めることには苦労したけれど、慣れるしか無い。
「おはよう、朋弘。
ブハハッ、お前ブレザー似合わねぇ」
「うるせぇ、トシヤも学ラン似合わねぇな」
ちなみにトシヤ達の通うことになる『南ノ中学校』の制服は学ランだ。
校舎前で出会ったトシヤとケンスケ、それにコウタと共に通い慣れた昇降口をくぐり抜ける。
「……なんか中学校の制服着てると、それだけでここに来ちゃいけないような気になるね」
「……それが卒業って事なのかもな。
必ずしもそうとは限らないけど」
コウタのつぶやきに、僕はあいづちを打つ。彼とはこれからも、こんな毎日を過ごすのだろうか。
二階の教室へと向かう階段を登り、クラスの違うトシヤ達と別れた後、僕とコウタは通い慣れた教室に一歩踏み込む。
「コウタ君、おはよう。……なんかブレザー着たコウタ君、可愛い。
ね? 莉恋」
ミナは僕を無視してコウタに挨拶している。見慣れた女子も制服を着た姿は、少し大人びて見える。コウタは照れたようにうつむいている。
「……馬子にも衣装とはこの事ね、朋弘。それなりに中学生っぽく見えるじゃない」
「……卒業式の日まで悪口言って……るのか……よ……」
売ってきた喧嘩を気前よく買ってやろうと思っていた僕は、目の前の莉恋の姿に言葉を失ってしまう。
トレードマークだったふっさふさのポニーテールは解かれ、大人っぽく背中におろされた綺麗な黒髪は、まるで光を反射して透き通っているようにみえる。
それに何より、いままでパンツルックしか見たことのない彼女のスカート姿は新鮮で、他のどの子よりも大人びて見える。
「……何? 口開けたまま固まらないでよ……やっぱり、ヘンだって言いたいんでしょう? 」
自信なさげに顔を曇らせた莉恋に気の利いた言葉をかけてあげたかったけれど、情けないことに僕は首を横に振るだけで精一杯だった。
体育館前の薄暗い廊下で、主役である僕達卒業生は入場行進のタイミングを測っている。
「このワイシャツってうざったいよな……。どうにかならないのかな」
まだ少し時間に余裕がある事を知った僕は最前列から離れ、列の中程にいるコウタの元へ雑談をしに来ている。
「……ちょっと苦しいけど、慣れればなんて事ないよ。朋弘は首が太いから尚更だよね」
既に慣れた様子のコウタは涼しい顔をしている。
僕等の会話が聴こえたのか、莉恋は目の前までやって来て、強引に会話に入ってくる。
「朋弘、背筋伸ばしなさいよ。みっともない歩き方してたら、後ろから蹴りつけるからね」
「……なんだよ、大人っぽくなったのは見た目だけかよ……」
僕は莉恋に聞こえないように小さく毒づく。コウタは苦笑いしている。
「……今、私の悪口言ってなかった? 」
「……悪口に聴こえた? 気にしすぎだって」
僕は適当にやり過ごしながらも、この楽しかったやり取りがもうすぐ出来なくなることに、寂しさを感じていたその時。
その瞬間は、唐突に訪れる。
「ホントかな……あれ? 」
僕の顔をジロジロ眺めて、言葉の真意を探ろうとしていた莉恋は、何かに気付いて首をかしげる。
「朋弘、アンタのネクタイ曲がってる」
不意に、何のためらいもなく伸ばされる、彼女の細い腕。
僕の首元にあるネクタイの結び目に、莉恋の小さな両の手がそえられる。
「……えっ? 」
にわかに漂ってくる、柑橘系のシャンプーの匂い。
(うわっ……うわ……)
いつもなら、恥ずかしさからくる皮肉めいたセリフを言ってけむに巻いたり、距離を置いて気持ちを落ち着かせたりするところだけれど、僕は完全にタイミングを逃してしまい、立ち尽くしてしまった。
(えっ……莉恋、僕のネクタイ直してくれてる……? )
彼女はほんの少し背伸びしながら、曲がった僕のネクタイを直してくれている。
(莉恋は……なんで、こんなに……)
一生懸命な表情の莉恋を眺めながら、戸惑いながらも変にハッキリした頭の中で、僕は理由を考える。
クラスの為に、先頭を歩く僕がみっともない格好なのを許せなかったから?
それとも、
自分の為に、ひん曲がった事に気付いてしまったネクタイを直さなければいけないと思ったから?
それとも……
「……これで良し」
さらっさらの髪をなびかせて、満足そうな笑顔の莉恋はポンと優しく僕の胸を叩いて、幸せな時間の終わりを告げる。
始まった時と同じ様に、唐突に。
「あっ……」
体感的には、卒業式が終わってしまうくらい、長く幸せな時間を過ごしていた様な気がしている。
けれども、僕と莉恋のやり取りを見ていたクラスメイト達が、二人の世界から現実へと引き戻す。
「アツいねェ」
「ヒュー、ヒュー」
まるで夫婦の様な僕と彼女の自然なやり取りを見ていたクラスメイト達は、あちらこちらで声を潜めて話したり、盛んに僕らをはやし立てたりする。
「……っ、は……早く元の場所に行きなさいよ」
我に返った僕と莉恋は、弾ける様に元の場所へと戻っていく。と、同時に入場の音楽と手拍子が聞こえてくる。
(何だったんだ、今のは……)
僕はあの束の間に訪れた、永くも短い幸せな時間を嬉しく思う反面、後悔にも似た例えようの無い感情に襲われていた。
胸はドキドキして収まる気配がないままに、列の先頭に立つ僕は体育館の中へと促されて入場して行く。
行進を続けている間も、フワフワと地に足がつかないような感覚がずっと続いている。
僕がどうしようもない子供だったのか、意気地のない奴だったのかはわからないけれど。
もう半歩、僕が近寄っていれば、また違う気持ちになっていたのかもしれない。
でも、莉恋にネクタイと共に気持ちまで引き締められた様な気がして、気持ちだけは晴れやかなまま。
温かい拍手に迎えられ、僕達は行進を始める。
光差す、未来へと。
あれから二十数年の時が経ち、僕は……俺は、四十も間近になっている。
小学校を卒業してからは、散々な日々を過ごしてきた俺も遅まきながら結婚し、いっぱしの家庭を持つことができるようになった。
生憎と、俺の初恋は成就する事は無かったけれど。
それでも、あの卒業までの二ヶ月の事を未だに思い出せるのは、一番楽しかったからだと思う。
つい先日の事、小学校に上がった娘から鉛筆が欲しいとせがまれた。
俺は思い立ち、掃除がてら部屋を探し回ったら、懐かしいモノが見つかった。
それは色あせた、パステルカラーの鉛筆。
俺は最後の一本を手に取り、あの出来事を思い出した後に娘に、渡した。