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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第二章 うしなわれた姫の影
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四. 異郷から


 セト・ラツトの郡ノ長の娘ミリクに招かれ、アルヒとノーシは郡ノ長の館へとおもむいた。道中ミリクは加護なき地の娘という負い目をまったく感じさせず、明るく笑って積極的に会話をたのしんでいるようだった。


 大広間に通されたふたりは、酒とここ数日のあいだ宿で饗された食事にくらべればよっぽど見栄えのするごちそうを用意された。


 ミリクはふたりにすすんで酌をし、都の花街で客をもてなす女たちのようにかいがいしく世話をした。なんとなく気詰まりのアルヒは修行中の身を理由に酒をことわったが、ノーシは酒もごちそうも、ミリクとの会話ですら遠慮なく味わうようだった。


「では噂の姫君というのは、ミリク様の姉姫さまでいらしたわけですね」

「ええ。姉のことは残念に思っております。わたくしは姉にまったく似ない不肖の妹ですが、せいいっぱい神官さまがたをおもてなしさせていただきますわ」


 ミリクは小首をかしげてアルヒの顔をのぞきこんだ。髪かざりについた染め糸にぶらさがる無数の玉が音をたてて、なんとなくアルヒは落ち着かない気持ちになる。


 ミリクが動くたびにたちこめる香木をくゆらせたような芳香が鼻腔をくすぐり、アルヒはうるみあるミリクのひとみから目をそらした。


 香りにあてられてかなんとなく食がすすまず、アルヒはよくみがかれた玻璃のさかづきを手にとり、果実茶ばかりをすする。弁柄べんがら色のとろりとした飲み物のなかで小指の先ほどの干し果実がゆらめいた。


「それにしてもたいしたごちそうですね」

「ええ。セト・ラツトは土地は豊かなのです。ここ数年はとくに広大な土地を農へとあてているものですから、このように多大な土の恩恵にあずかっているのですわ。絲の神さまは、まるで傲慢で罪深いわれわれに地の恵みへ目をむけるように、このような運命の絲を繰ったのではないかと…わたくし、考えることがありますの」


 そう言ってミリクはアルヒに体をかたむけたので、アルヒはぎょっとしてしまった。


「神官さま、食がすすんでおられないようですが…料理は口にあいませんでした?」

「いえ、少し疲れてしまったみたいで…」

「まあ、そうでしたの。長旅でしたものね、気が利かず申し訳ありません。お部屋を奥にご用意させていただいたので、案内させますわ」


 アルヒは苦笑いでうなづきながら、それとなくまわりを探った。アイレの姿はどこにも見当たらなかった。


 この庄に足を踏みいれて以来ずっと姿が見えないところを考えると、やはり霊体のまま術をあつかった疲れが出たのだろう。


 内心でアルヒはほっとする。なんとなく、アイレはミリクのことを気に入らないと思ったからだった。




 客間はノーシと別の部屋を用意された。といってもとなりあった部屋ではあったが、なんとなく落ち着かないものがあった。


 あれこれと世話を焼こうとする女中たちをさがらせると、アルヒは息をついて部屋を見まわす。天井板から床柱、雪見障子の木枠のきわまでみごとに磨き上げられている。さらには複雑な文様を縫いつけた上等の織物が敷かれ、奥の間にはゆうゆうと手足をくつろげても夜気にさらされないだろう、大きな布団も用意されている。


 イツクシミヤ家という宮主の直系にありながら、見習いで修行中の身であるという肩書をもつアルヒは、こんな布団で横になったことはない。むしろ、山ごもりの際には野営すらもいとわない身だった。


 おそるおそる布団のやわらかさをたしかめたアルヒは深いため息をついた。セト・ラツトの敷地に足を踏みいれてからこちら、予測をこえた出来事ばかりという気がしてくる。


 コツコツと表の戸をたたく音がして、アルヒは顔をあげた。


「アルヒさん、入ってもいいですか?」

「あ、どうぞ」


 ノーシの声だった。ノーシはこうやって、戸やふすまを二、三度たたいて入室の確認をとることがある。祖国での作法らしい。


「あやー、やっぱりこちらはすごい部屋ですね。布団なんか女の子ふたり添い寝しても窮屈せず眠れそうだ。ひとりではさぞや落ち着かないことでしょう」


 部屋に入るなり、ノーシはたのしげに言った。若干アルヒは辟易する。


「ノーシさんの発想はいつもそれですね」

「え?いやいや、そういう意味ではないんですよ。ただ、寝床が広すぎてさみしいとクー様もよく言ってらしたものだから」


 ノーシの語調はおわりに向かうにつれおだやかになり、言い終わるとともに目もとをなごませる。


「クー様、というのがノーシさんの主君なんですね」

「言ってませんでしたっけ?」


 じつはアイレが盗み見た手紙の内容で知っていたのだが、アルヒはまばたきを増やしてごまかした。


「よかったら聞かせてほしいですね、ノーシさんの戸をたたいてから入る祖国の話」


 半分は後ろめたさからの申し出だったが、残りの半分は純粋な興味だった。ノーシはしばし床の間にかざられた掛け軸をながめながら思案する。掛け軸に描かれているのは祀り宮の随神門ずいしんもんでも見たおおとりだった。


「こんなに大きな鳥がエカサ国にいると知れば、クー様は顔をかがやかせるのでしょうね」


 なにを想像したのか、ノーシは小さく吹きだす。


「たぶん、こうしてエカサのかたに知っていただくことも、クー様ののぞみのうちでしょう。聞いていただけますか?祖国ソシア公国と、我が主君クー姫のことを」




 祖国のソシア公国は、貧しい国でした。


 切りたった山々がけわしくそびえて国土の大半を占める、少大陸国家群のなかでも産業に恵まれない国。


 ただ国民は健脚でたくましく、武に優れた国だったので、傭兵国家として名を馳せました。早くにシトネロ神聖帝国の傘下に入り国力をのばすしたたかさも持っています。


 自分はそんな国の貧しい平民としてうまれました。きょうだいは九人いて、そのなかでおしめがとれる前に大地へ還ったのがふたり、六つの祝事も受けられなかったのがふたり。末っ子の自分は無事に大きくなれたのですが、あるときとうとう末っ子の口まで養えないということになりましてね。生き残った自分も十になる前には傭兵隊に売りに出されました。


 自分はチビで逃げ足くらいしかとりえのない子どもだったので、補給部隊にまわされました。女たちにまじってまかない処の手伝いをしたり怪我の手当をしたり、輜重確保の交渉につきあわされたりとあちこち走らされましたよ。


 ソシア公国は国そのものが大きな傭兵部隊の口きき所みたいなもので、ひとくちに傭兵といってもちゃんと届け出を出している傭兵隊はソシア公国の常備軍のようにあつかわれます。仕事の主は隊商の護衛ですが、いくさにかりだされることも少なくはないのです。


 まあそんな場所でもまれましてね、結果口先だけはうまくなりました。交渉術のとっくんだとか言って、女性衆をよく口説かされたものですよ。優れた口は百の兵にも匹敵する、舌をみがけよだなんて言って。…いずれ剣の必要ない時代が来る。そんな時代にたよりになるのが交渉術なんだって。


 でも、自分がそれを磨こうと思ったのはそういう金言のためではなく、ただ楽しかったからなんですよ。


 人をひたすらほめそやすというのは、ほめる側になんの益もないことに思えるのかもしれませんが、なかなかどうして、不思議といつわりのないほめ言葉は、相手から暖かく素直なものを引き出してくれるものなのです。


 自分はそういう言葉とは無縁でした。体格に恵まれず、きょうだいたちには軽んじられて、拳でなじられながら生きていました。それにおびえながら、ご機嫌伺いをしていつわりばかりを口にしてきました。だから、だれかをちゃんと見つめて、うれしい言葉をかけるということができなかった。…うれしい言葉をかけられ慣れた者は、不思議とそういう言葉が自然に出てくるものなんです。それを知りました。


 …しかし、あるとき事件は起こりました。ある内紛に自分の所属していた傭兵隊が参加していたのですが、その大敗の責任を取らされることになったのです。多くの死傷者に多額の賠償金を抱え、お世話になった人々が明日をもしれない身におとしめられようとしたとき…自分はこの身を、人買いに売りました。


 ご覧のとおり見目もうるわしくなければ、抜きん出た特技だってない。ただ、自分には口が、言葉があった。あと幸いにも五体満足で丈夫でした。まあ、下働きか新薬の実験体くらいにはなれるだろうと思いました。人身せりの前金をうけとった仲間たちは、なにもうれしそうではなかったのですが、それでもうけとってくれました。それだけで充分でした。


 人身せりの舞台にあげられたとき、自分はこれでもかというほどしゃべりましたよ。歌だって歌いました、大して上手でもないのに。不思議と、楽しかったものです。


 自分を買ったのは、ひとりの老婦人でした。品がよくて、優しそうなかた。自分を、孫娘の話し相手にのぞまれました。


 そして、ひきあわされたのが、クー・エル・ソシエリア様。ソシア公王イリクス陛下のご長女であらせる…姫さまでした。クー様は、国はずれの塔に軟禁されていました。


 ソシア公国はシトネロ神聖帝国の傘下にはいる際に、君主をすげかえられました。現在の君主はシトネロ神聖帝国の公爵家のかたですが、クー様はその君主と、ソシア公国が公国となる以前の王家の姫の間にうまれた御子です。…しかし、イリクス陛下はすでに正室となるシトネロの由緒ただしい血をひく后がおいでです。あらたな君主をすえるに、まだ旧態の王家の血を引くものが王籍に名をつらねるのは早すぎると判断されたのでしょう。陛下はクー様をかわいがっておいででしたが、クー様は世間から無き御子としてあつかわれることとなったのです。


 自分を買った老婦人は、かつての皇太后さまでした。


 …そうして、自分にあたえられた仕事は、クー様の目になることでした。ソシア中をまわり、見たもの聞いたものをお伝えする。


 クー様はどんな他愛もない話もたのしげに耳を傾けてくださいました。まだ年端の行かない姫さまなんですが、聡明なかたです。自分は、図絵でしか外の世界を知らないクー様に外の空気を手にとってもらうため、言葉をつくすことになりました。


 クー様は興味深くお聞きになると、口をちいさくあけて目をくりくりさせるんです。そしてかがやいたような目をして、しきりに自分をほめるのですよ。それが、なによりの報酬でした。


 ソシア中を歩きつくしたクー様の興味は、いつしか外国へむかうようになりました。そして、とんでもない夢の話を自分にしたのです。


 とおい、謎多き神秘の国、エカサ。その国の神の血をひくといわれる王子様について、くわしく知りたいと。



「おや」


 ふとアルヒを向いたノーシは、いつの間にか話を聞いていたアルヒが布団で横になっているのに気がついた。その目はとじられて、胸がわずかに上下しているのがわかる。


 ノーシはその様子を見てなにかを思案するようだったが、くるりときびすを返すと明かりを消して部屋をあとにした。


 去りゆくノーシの足音の余韻を残した部屋のなかで、アルヒはほんのわずかな身じろぎをする。そのこめかみは、うかんでくる汗にじっとりと濡れていた。


 アルヒの体は、動かそうとしても動かなくなっていたのだった。


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