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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第二章 うしなわれた姫の影
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三. 切り通しを抜けて

 翌朝、アルヒとノーシは木々に囲まれた街道へ、セト・ラツトの郡の玄関口となる庄めざして足を踏み入れた。


 セト・ラツトがエカサ国の民にとって忌憚なき地であったころは今から数えて国長が二、三代も前のころだったというのだから、街道はほとんど意味のなさないものになっているだろうと思っていたアルヒの見通しをうらぎって、そこにはちゃんとした道がつづいていた。


 いくら別の郡の者に忌みはばかられたといっても、そこは他国の野心のうずまいた場所であった以上、国の護持の目が光らないはずがない。行商人がかつて踏みならした道を、その後も国防の要人たちが監視もかねて踏みならしつづけたのだった。


 文字どおり荊棘けいきょくの道を歩くことを覚悟していたアルヒは切り通しのととのった道に拍子抜けしたが、ノーシはそう気を抜かないほうがいいとくぎを刺した。


「こういう場所はたしかにお役人の目が光る安全があるわけですが、逆に言えばお役人の目しか光っていませんからね。旅人もめったに通らない、当然それをむかえる宿もないとくれば、人の目を避けたい者には好都合だと思えませんか?お役人だって、決まったころににぎにぎしく来るだけでしょうし」

「一理あるな」

「まあ、姫をかどわかした賊ならぜひおむかえしたいところですね。手がかりがつかめるかもしれませんし」


 本気なのかはったりなのかはノーシの口ぶりから判断つかなかったが、アルヒは口をはさまないことにした。


 …もしも、セト・ラツトで育った「姫君」が例の生き別れの妹であるなら、賊にかどわかされたというのは怪しいものだ。あの日現れた紺の衣の闖入者の言葉を信じるのなら、きっと妹は自分の意志で行動している。


 もくもくと歩きながら足もとだけを見ていたアルヒの衣のそでになにかが引っかかった。アイレが風を吹かせて引っ張ったのだった。


「アルヒ様、かこまれています」


 突如耳元でささやいたアイレの声に、おどろいてアルヒは顔を上げる。するどくノーシを向けば、ノーシはすでにそれに気がついているようで、ものいいたげな目でうなづいてみせた。


「急に歩みをとめないでください」


 無声音でノーシが言うのにアルヒはわずかに頭を上下させてこたえる。


「むこうもこちらを探っているのでしょう。

 アルヒさんはどう見ても神官ですから、へたに手を出して正教に目をつけられるようなことはしないとは思いますが、そんなことすら頭にない賊ならば矢のひとつでも射かけてくるかもしれません」


(賊にみせかけた者の可能性もあるだろう)


 緊張に総毛立つ思いで、アルヒは息を吸った。胸のあたりが熱くなるのを感じながら、精気こめた息をはく。


 きらりと、目の端でなにかが光るのが見えた。


「走って!」


 ノーシが声をあげ地面をけるのと、アルヒの背後にまわったアイレが飛んできた短い矢を風で弾くのは同時のことだった。


 アルヒも一緒になって走りながら、並走して別の足音が追うのを聞く。先導して走るノーシの前に立ちふさがるつもりだと察すると同時に、アルヒは右手をつきだして、精気おびることによって目視できた『編み目』に指をつっこんだ。


 踊り出た影がノーシに跳びかかるその刹那、アルヒの『編みあげた』空間がゆがんで見えない壁を形成した。空中で影はそれにぶつかり、いきおいよくはねとばされた。つづいて出てきた者も『編みあげられた』なにかに足をとられ、派手に転げた。


 アルヒがかなめの糸を引けば、編み上げられてつくられた障害はそのかたちを霧散させる。


 ノーシは動じて足を止めることもなく、転げた男たちをかるく跳びこえる。つづいたアルヒも難なく跳びこえ、あらたな『編み目』にひっかけた指をうごめかしながら今度は腕を大きくふりまわした。


 大量の『糸』が、苧環おだまきの要領でアルヒの腕にからみとられる。


「アイレ、前方に影は」

「ありません。でも背後ちかく、せまっています」


 アルヒが、編み上げた『糸』をはるか前方の大木から突きでる上方の枝に投げる。うまく絡みついた!


「ノーシさん!」


 ノーシがふりむくのを見てとるや、アルヒは地面を蹴った。


 アルヒの腕に絡みついた『糸』はいまや強固な『縄』となり、アルヒひとりの体重をもたやすく支えられるほどだ。アルヒが宙に浮いた体を大きく振らし、ノーシに向けて腕を広げると、意図を察したらしいノーシはそのアルヒにしがみついた。


「しっかりつかまって!」


 いきおいをつけて、アルヒの腕にからまる縄は収縮する。大木の幹に吸い込まれるかのように体が引き寄せられたが、枝をぐるりとまわって勢いを弱め、二人は難なく太枝に着地した。足場は大きくしなりこそしたが、折れる心配はない。


 はるか下方を見おろせば、おそらく二人を追っていたのであろう男たちが走っていくのが確認できた。


「幻を見せてあります。アルヒ様がまだ前を走っていると思いこんでいるのでしょう」


 得意げなアイレの声に、ようやくアルヒは安堵の息をついた。


「ありがとう、アイレ」

「ありがとうございます、アイレさん」


 ぎょっとして、アルヒはとなりで太枝のたわみに身をまかせるノーシにさっと向きなおった。


「気がついていたんですか」

「まあ、なんとなくですけど。絲の一族も霊体をあつかう術を使うんですね。絲の術についてはからきしですけど、霊体絡みなら祖国でもあつかう者がわずかにいますからね。多少なりと知識がありますよ」


 そう言ってほいやりと笑ってみせたノーシからますます距離をとるアイレは、うすぼんやりとした霊体でもよくわかるような渋面になった。


「アルヒ様、やっぱりアイレはこの人のこと信用できません」

「そう言わずに。いやあ、それにしてもアイレさんはそうだろうなと思っていましたが、アルヒさんも絲の術を使えるっていうことは、絲の一族でいらっしゃったんですね」

「気がついていたんでしょう」


 アルヒが観念したように言うのを、ノーシが小首かしげてうそぶいた。


「そんなことありませんよ」

「アイレが俺にかしこまるの、よく見ていたでしょう。ノーシさんは、ご婦人をよく観察する人だから」


 その言葉にノーシはゆかいそうに頬肉を盛り上がらせた。


「なかなかの観察眼をおもちですね、アルヒさん。そのとおり、このノーシご婦人を見る目はたしかです。趣味と実益をかねています。ついでに逃げ足も早いときている。優秀なものでしょう?」

「それだけではないでしょう。さっきの身のこなし、あれはなにかしら体術をしこまれているんじゃないですか」


 くつくつと、喉の奥でノーシは笑ってみせた。


「そりゃあ、ひとりで遠くまで旅をすれば修羅場のひとつやふたつも遭遇はしますし、それなりの対処法や身のこなしも覚えます。ああでも、さっきのは突然だから驚いた。絲の術っていうのはすごいものですね、アルヒさん」


 その言葉はやはり、偽りのひびきをおびてはいなかったが、ノーシの底知れないという印象をぬぐうほどではなかった。


 毛をさかだてる猫のように身をかたくするアイレを横目に見てから、アルヒはふと遠くへ目を向けた。


 このあたりは木々がうっそうと枝葉をのばし、見通しが悪かったために気が付かなかったが、すでにセト・ラツトの郡さいしょの庄ちかくまで到達していたらしい。もう一、二刻を歩いたさきには、がらりとひらけた地が見えた。


 そこは遠目に見てもさびしく、ふるぼけた大厦たいかや屋舎ばかりがそびえたつ土地だった。


 いまから歩けば日暮れには間に合うだろう。ただ、もうしばらくここで様子を見てから降りることを考えると、それも少々あやしいものだった。




 セト・ラツトの玄関口にして最大の庄は、かつては人でにぎわったであろう街の面影を色濃く残していることが、より全体の印象をわびしいものにしていた。


 遠目にも見えた立派な宿がその姿を堂々とのこしているが、象嵌のほどこされた外壁が不自然にとぎれて無骨な板をつぎあてられているのを見るにつけ、今ではそこが監査に来た要人たちの宿直場になりはてていることがうかがえる。今も監視の者が泊まりこんでいることだろう。


 多くの建物はうちこわされ、踏みかためた大地をほじくりかえして畑に変えているようだ。うちすてられたがれきや木材がそこかしこにある。


「聞きしにまさるさびれぶり、といったところでしょうか」


 あたりを見まわしていたノーシは、小高い場所にある白木の建物を指した。


「あれ、祀り宮ですね。意外に大きい」

「当時のままなのでしょう」


 絲の神官たちに見放されたとしても、神にすがり拝む心ばかりはそう簡単に絶えなかったのだろう。むしろ心根を見せるように、丘の祀り宮は遠くに見てもよく整えられているのがわかる。


 荒涼とした庄のなかで、祀り宮ばかりが当時の荘厳さを保っているのは、どことなく皮肉な光景だった。


「行ってみましょうか」


 心を奪われたように祀り宮をあおぎ見ていたアルヒを察してか、ノーシは静かに提案する。それを断る理由など、アルヒにはなかった。




 魔よけの朱色に塗られた瑞垣のはてには、なめらかな石でしつえられた随神門ずいしんもんがあった。


 絲の護神獣の一体といわれる、長くうつくしい尾をもつおおとりがほどこされており、そのみごとさにかつての栄華がしのばれる。


 拝殿そのものも堂に入ったいでたちだった。本殿に御神体もなく、守りの司や禰宜ねぎたちがいないとしても、庄の者が清く保っているのだろう。


 日はすでにかたむき、薄闇の舞い降りる刻限とあっては人影もあるはずがなく、参道をはずれたアルヒとノーシの玉砂利をふむ音だけがうつろに響くだけだ。静寂を乱さないかのように、ノーシはごく小さな声で話した。


「こんなにも大きな祀り宮を見るのははじめてなんですよ。

 前にセト・ミクラの里村で見つけた祀り宮はもっと古くてちっぽけだった。でもそこはちゃんと宮の司もいたし、おとずれる人も絶えなかったので、ここよりも様子よく見えたものです。

 ただ、ここは…不思議と、この人間の息のなさが神域めいていて、とても雰囲気はありますね」


 アルヒはなにもこたえられず、ただ外堀をおおうようにそびえる瑞垣にむかって歩をすすめた。小高い祀り宮の場所からは、夕闇に沈む庄が一望できる。


 夕暮れの庄はひどく静かに感じた。けれど、家に明かりがともり、子どもが駆けていくのを見れば、ここに人が暮らしているのがわかる。


 暮らしていけるのだ。絲の教えから見放され、守りもなく、命に秘儀をあたえられなくても、畑をたがやして市をおこして家に明かりをともすことができる。


 とみに、アルヒは遠くから玉砂利をふむ音が近づくのを聞いた。それもひとつふたつではなく複数だ。


「どうしましょう。もしかして怒られますかね」


 ノーシはすっとぼけたように言った。


 アルヒはゆっくりと、足音のありかへと向きなおる。そこには、火袋をかかげた男たちがいた。みな初老がかった者ばかりだが、そのうしろから娘が裳裾をたなびかせながらしずしずと進み出た。


 長くつややかな髪をもつ娘だ。歳のころはアルヒよりひとつやふたつを数えたくらいに見える。白目の面積が少ない灰色のひとみは、火明かりにあてられてときおり藍色にまたたいた。


「お初にお目にかかります。わたくしはセト・ラツト郡ノ長が娘、ラツトノ・ミリクと申します」


 洗練された所作での深い礼の作法にしばし男ふたりは見とれてしまったが、そのままでも口を開けるのがノーシだった。


「…それではあなたが『エカサ正教真の後継』とうたわれた姫君でいらっしゃると…?」


 ミリクと名乗った娘は、ふっくらとした袖のひだに口もとをあてがうと、かろやかな笑い声をたてた。


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