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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第二章 うしなわれた姫の影
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二. 加護あるものと加護なきもの

 アルヒが髪を切りおとしてエカサ正教の嫡流イツクシミヤ家の次期当主としての役目から一時逃れて数日。


 異国の(おそらく)無害なる密偵ノーシと霊体としてこっそりとついてきた少女アイレとともに行く旅はつづいていた。



 アイレははじめこそ、一日のほとんどを霊体に姿をやつして、アルヒのそばにつき従った。しかし3日、4日がすぎるにつれてアルヒのそばにする時間は少なくなっていった。


 アイレがいくら術に天賦の才を発揮したとしても、一日のほとんどを霊体として過ごすことの負担は変わらない。


 もちろんそういった体力面の問題もあるのだが、大きいのはアイレがノーシにたいする警戒心を薄くしたことだった。


 この男、とにかく女性にたいしてはみさかいなく愛の言葉をかきくどくくせに、男にたいする関心はまるでうすい。女性の容姿や言動については逐一記憶しているが男性にいたってはそこにいたという記憶ですら怪しいのだ。


 そのため、アルヒにたいしても疑いや害意をいだく様子も見せない。


 ノーシにとってはあくまでアルヒはただの同行人であり、宿に泊まるにしても遅い時間まで部屋には戻らず、戻ったら戻ったで一も二もなく眠りにつく。会話がもりあがったためしはないが、かといって礼を欠くわけでもない。


 アルヒとしても非常に楽な同行人だった。



 ある晩アルヒが宿でいつものように長歩きにくたびれた足をほぐしていると、ノーシが酒のにおいをただよわせて戻ってきた。


 酒に強いノーシはそうそう酒で顔色を変えることもないが、その日は若干足どりをおぼつかなくさせて、片頬を真っ赤に腫れさせていた。原因が飲酒ではないことは火を見るよりもあきらかだ。


「しくじりました」


 なげやりながらも敬語はくずさないノーシだったが、ふらふらと寝床まで歩みよるとよっぱらいがするようにいきおいよく寝転がった。


「どうしたのか聞いてほしそうですね」

「聞かれても話します。これは教訓です。口説く相手に別の女性の話をあれこれ聞いてしまった。この不実は聖母様に舌を割られてもあまりある失態です」


 夜ごとちがう女におなじ愛の言葉をささやく不実についてはかえりみないのがノーシである。


「で、どんな女性の話だったんですか」

「エカサ正教真の後継とうたわれる姫君です」


 ぎくりとして、アルヒはノーシに目をむけた。


 あの日、隠し宮に押し入った闖入者の、『真なるイツクシミヤの当主長子』という言葉が耳にもどってくる。


「さすがにそれは話を盛りすぎだとは思ったんですけどね、我々のめざすセト・ラツトにそういった女性がいたと聞いたのです。長の娘で、術に通じていると。…それも絲の一族のつかうというその術に」

「いや、それはさすがにないでしょう。絲の術は絲の一族の血を引くものが口寄士くちよせしにあつかい方を教授されてその上で使いこなせるものですから」


 口寄士の管理する術の規範にもとづいて、習得する術は厳密に管理される。その者の特性や才覚をみきわめ、習得にあたっての修練の計画を用意するのも口寄士たちの役割だ。


 絲の一族頂点に君臨するイツクシミヤ家嫡男のアルヒでさえも、それは論外ではない。もっとも、イツクシミヤ家の嫡子の習得計画については定石とされるものが用意されているため、才覚のみきわめなどは存在はしないのだが。


「そうですか…あ、でもセト・ラツトの郡ノ長はもともと絲の一族の血を引いているのでしょう?なら術の才をもつ子どもが生まれてくることだってありうることですよね、術を使えるかどうかは別として」


 アルヒは思わず口をつぐんだ。


 ある考えが頭をめぐる。生まれたばかりの赤ん坊…幼い妹がいくらきびしい環境に落とされるとしても、乳の必要なころにはそれなりの保護下にあったはずだ。正教の宮中においてその存在を隠蔽された赤ん坊を安心して育てるには、正教の目のとどかない加護なき地は絶好の場所だったのではないか。


「しかしその姫君は先般かどわかされたそうです」

「えっ…?」

「山中で物盗りに襲われたのだとか。護衛の者に死傷者は出たのに姫君はこつぜんとすがたを消してしまったということで、かどわかされたという線が濃厚かと。

 いったい、どこの不埒ものでしょうね。所在さえわかるのならこのノーシ、賊などけちらして姫君を奪還するものを」


 寝がえりをうって大きくため息をついたノーシは、そのままぐっとのびをした。


 成人男性としては若干小柄のノーシが山中で不届きをはたらくごろつきを相手どって大立回りをするところはどうにも想像できない。


「ところでノーシさんのねらいは姫君の情報をくれた女性じゃなかったんですか?」

「アルヒさん、甘いですよ。つねに広い目でものごとをみきわめる。その心意気がなによりも大事なんです」


 真面目くさって言うノーシの腫れた片頬を盗み見ながら、これはあともう2、3発はもらってくるなとアルヒは予感した。



 ノーシが心地よく寝息をたてはじめてからも、アルヒはノーシの話が頭から離れなかった。


 何度か寝がえりをうち、睡魔のおとずれをあきらめたアルヒは、夜風にあたるべくそっと宿を出た。本日の宿はセト・ラツトへ向かう道すがら最後になるだろうと言われる宿場町だった。


 ここからはセト・トカラへ向かう街道ともつながっているものの、遠回りになるため人足は昨日の宿街よりぐっと減る。


 軒をつらねる屋舎は年月を重ねた風合いをおびながら、さみしげな明かりをゆらめかしていた。昔は立ち寄る人の足がたえなかったのだろう、宿の構えばかりが立派なのがよけいに虚しくうつった。


 こうしておとずれる足が遠のこうとも、セト・ラツトの郡は細々と隣国ツケルとの貿易をおこなっているらしい。


 しかしエカサ国でのセト・ラツトの冷遇を知る隣国の大店や商店のおおくはエカサ国の不況をおそれるようになり、セト・ラツトの交易路を忌避し、あらたな交易路が整備されるやいなやあっさりとセト・ラツトを見放した。現在も取引を続けるのは、セト・ラツトの民と血縁関係にあるわずかな商店のみだという。


 そういった場所があることを手習いのいっかんとして教えこまれたアルヒだったが、実際のこととして考えてはいなかったことに気付かされる。


 そしてその郡で自分の妹は生活していたのかもしれないのだ。姫君ともてはやされながら。


「アルヒ様」


 ほおをすずやかな風がくすぐり、実体を持たないアイレの声がひびいた。


「夜分に失礼いたします。今日はなかなかおそばに来られず申し訳ありません」

「無理して来ることもないのに」


 アルヒの目前でかたち作られはじめていたアイレの面影は自信なさげにゆれて、うつむいた。


「アイレは、お邪魔でしょうか…?」

「そんなことはない。ただ、アイレが無理をしていないかが心配なんだ」

「アルヒ様…」


 顔をあげて、アイレはひとみをうるませたようだった。


「そのような言葉、とってもとってももったいないです。アイレは、アイレはただ…アルヒ様のお役に立てればそれだけで光栄なんです」


 指をからませながら手をすりあわせるアイレは、すこしうれしそうだった。

 そのアイレのすがたを透かし見るようにして、アルヒは物思いにふける。…まだ見ぬ妹のことを。


 そのまま、アルヒはひとりごちるようにしてアイレにノーシから聞いた「姫君」の話を、自分の考えもまじえて話した。


「セト・ラツトの郡へ行くようにと言ったのはラミ様なんですよね。その話を知っていてセト・ラツトの名前を出したんでしょうか」


 いろいろと考えながら話しているのか、アイレの面影は風にあおられときおり霞む。


「でも、いまいち信憑性にかけるのが、生まれつき絲の術に通じていたってところだ。ノーシの言うように話を盛っていた可能性もあるが…」

「そうでもないですよ。アイレも、けっこういろんなことがすぐにできましたし」


 あっけらかんとアイレが言う。


「絲の術の根柢こんていは、呼吸とものの見かたです。

 精気をこめた息をはくと、視界や音のなかに紡ぐべき線のようなもの、大気中に存在する霊気の編み目を感じることができる。それをきゅっと結ぶのが、術の基本です。

 アイレはなんとなくで、精気の出しかたが教わる前からできました。それに伝説の術士と名高いシオツメ様なんて、赤ん坊のうちから大気をむすんだりほどいたりして遊んでいたみたいですよ」


「そうか。そうやって、教えなくてもできるようになる者はたしかにいるんだ。

 …術の管理をおこなう口寄士くちよせしは、やりかたのわからない者に方法を教授するためだけじゃなくて、そういう才能のある者を正しくみちびくためにも必要なんだな」

「そういえば…」


 アイレはくるりとその場でまわる。


「ラミ様が気になることを言っていたんです。

 口寄士くちよせしを信じすぎるな、って。初代のこころざしを継いでから時間が経ちすぎているし、口寄士くちよせしたちを一枚岩と思わないほうがいい、って。

 口寄士くちよせしをやってるラミ様がそんなこと言っていいんですかってからかったら、たくさんラミ様は笑って…言いました。『私が見習いに甘んじている理由を考えろ』って」


 ぴり、とこめかみがしびれるように感じた。


 その言葉が正しいものを見出すための最大の助言であることが直感でわかったものの、それについて考えるときりがなくて、今はただめまいがしそうだった。


「アルヒ様」


 考えこみはじめたアルヒにそっと身をよせて、アイレが浮かない声でささやいた。


「もしもアイレがセト・ラツトの民なら、こうしてアルヒ様とお話をしていることなんかなかったんでしょうね。…アイレは、二回も死んでしまったのだから」

「二回…」

「一度目は6歳のとき。熱病で、たしかにアイレはあの時死にました。だから、二回目…この間シーヤ兄様の前に出たときに、多分アイレは魂を絲の神様にお返ししてたはずなんですよね」

「でも、アイレはこうして生きている。あの時だってきっとアイレががんばったから戻ってこれたんだろう?」


「そうかもしれないんですが…。でも、やっぱりちがうと思います。もしも、二回目が本当にあったとしたら…それはとてももったいなくて、わるいことに思えてならないんです。…シーヤ兄さまはきっと、それを償うために姿を消したんだと思うんです」


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