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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第二章 うしなわれた姫の影
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一. 密偵ノーシ

 拝啓 あまり手紙を書くことにはなれていないので、文章の荒れについてはお目こぼしいただけるとさいわいです。


 クー様に命じられエカサ国へ足を踏みいれ数日、入念な調査のかいあって、ようやくエカサ国の全容が見えてきたように思えます。


 まず、おそれながらもよくわからなかった『法王』について。エカサ国正教すべての祀り宮でもっとも権威がある存在なので、現地では「宮主」とも呼ばれているみたいですね。法王といえば、われわれソシア公国、またはシトネロ神聖帝国なら聖母教の最高位である教皇が思い浮かびますね。


 エカサ国正教の法王も、実質はそれと変わりません。いわゆる宗教の最高指導者で、エカサ国の王位とは直接かかわりのないもの。ただし、その影響力はエカサ国の国王をはるかにしのぎます。


 なにせ、エカサ国の法王は神の御業みわざに通じているのですから。


 そもそも、法王はエカサ国王とは由緒がちがいます。国長の祖については書にも記され残されているというのに、法王の一族はそれよりも古くから国にあったというそうです。国長というのは法王が権力からしりぞくために任命した立場だったとのことですから、いったい、彼らはどこからやってきたのか想像もつきませんね。


 そうそう、その御業みわざについてです。その御業みわざによって法王は「たましいのおや」と呼ばれるそうです。それもその御業みわざによるもので…とだらだらとのべるのは、自分のわるいクセですね。


 単刀直入に記します。彼らのなす神の御業みわざとは、「ひとつのはずの命をふたつに増やすわざ」です。とんでもないですね。


 しくみとしましては、彼らは自然に存在する霊気のようなものに手をくわえることができるみたいなのですが、法王のみ、人間そのものに手をくわえることができるらしいのです。その人間の時間だとか、寿命だとかそういうものにむすび目をつけるのだとか、いろいろ説明されたのですがピンとこなかったので割愛させていただきます。クー様におかれましてはてきとうにご想像ください。


 さすがに命に手をくわえることができるほどの力をもつ者は法王家直系の血筋の者たちだけらしいですね。とはいえ、傍系の人たちも生まれつき風やら炎やらに手をくわえれあやつることができるっていうんで、国としてもそうそう野放しにはできないわけです。


 なので、その一族を管理する別の一族が存在するわけなんです。それが、「口寄士くちよせし」という人たちで、どうやら古くに残された初代法王の規範をただしく理解し術を管理する立場にあるみたいですね。今は亡きご初代の声をかたるから口寄士くちよせしなんて呼ばれているのだそうです。


 発言力で言えば、法王をしのぐのだとか。エカサ正教の頭脳であり、実質的にそのたずなをにぎっている人たちと言えるのではないでしょうか。


 その出自については謎につつまれているのですが、今回なんとこの口寄士くちよせしの女性と接触をはかることに成功しました。


 それが、非常にうつくしい女性でしてね。桃色のくちびるのかぐわしいほどに愛らしいこと、口もとのほくろのなやましさ、なによりも目がいい。身体つきなんか絵画の女神のような肉感で、丸みをおびたちいさな肩はそれは抱きしめたいほど魅力的なのですが、ひとみはまるで気まぐれをおこす肉食獣のそれに似ていて、なんとも油断ならない印象をおぼえます。


 ああ、そのうつくしく研がれた爪でひっかかれてみたい。バラ色に似た傷をこの胸にきざまれたい。


 その女性のもとにはこれまたかわいらしい少女がいましてね、どういうことだか冷たい目で自分のことを見るのです。その頬の白さ、まつげの重そうなこと。そして上等の絹糸にも匹敵する髪のきよらかさ。あれは近い将来多くの男達にかしずかれてしかるべき女性へと成長するでしょうね。ああ、そのころには自分もそのひとりになっているかもしれません。


 というわけで、かのご婦人ふたりに少年をひとり託されました。神官の見習いとのことですが、見るからに普通の育ちの良さそうな少年です。彼の視察につきあってほしいとのことですが、ご婦人がたは同行しないということでこのノーシ少々気落ちをしております。


 それではまた、わかったことがあれば文をお送りします。


あなたの忠実なるしもべ ノーシ



「軽薄さをすいて作ったみたいな手紙でしたよ」


 うんざりしきったようにアイレは言った。


「のぞき見はよくないのでは」

「他国の諜者ですよ。あちらもこちらを探るっていうのなら、こちらだって探る権利ってものがあります」


 不機嫌そうなアイレのその姿はどこにもない。ただ、黒髪をざっくり短くした少年のまわりをただようゆげのようなものが、ときおり少女のかたちをとるのみだ。


「やっぱりアイレは反対です。あんなうわついたような男とアルヒ様をふたりにするなんて。今からでもこちらまで」

「いやだめだ。アイレは大けがしたばかりだし、危険な目にはあわせられない。そうやって術で霊体だけでもそばにいてくれるだけでじゅうぶん心強いよ」

「だけど…」

「おまたせしました」


 あらわれた男の声にアイレのその小さな霊体はおどろきはねて、黒髪あたまのうしろにまわった。


「ノーシさん。伝書の鳥は飛びましたか?」

「ええ、元気よく飛んでいきましたよ。天気もいいし風もおだやかなので、祖国までまよわずに飛んでいくことでしょう」


 晴れやかに言ったのは、ノーシと名乗った他国の密偵だった。


 亜麻色の巻き毛にあつぼったいまぶたが特徴的なその青年は、とりたてて美男子というわけではないが、やけに人好きのする笑顔が特徴的だった。やや猫背で頭をかたむけ上目で話すすがたは、他国の密偵というよりも大店おおだなの若店主といった風情がある。


「それでは我々も参りましょう。ええと、なんてお呼びしましょうかね」

「俺のことはアルヒでいいですよ」

「アルヒ…ですか。法王家若君とおなじ名前なんですね」


 アルヒは目を細めてみせた。


「この国じゃ、宮主の一族にあやかろうとこどもに同じ名前をつけるのなんて珍しくもありませんよ」



 アルヒは長い髪を切りおとしたその日に、口寄士くちよせし見習いラミによってひょっこりと現れた男に身柄をたくされた。仰天したのはアイレばかりで、アルヒはそういうものだろうとすんなり理解した。


 海むこうの小国から主君の知識欲をみたすためにエカサ国正教について調べに来たというこの男を、アルヒはアイレのようには敵外視する気にはなれなかった。


 大気中にあらかじめ存在する霊気の編み目をとおして人が話すのを見ると、その言葉にいつわりや謀りがあるかは震えでわかる。絲の術に通じる者ならそれを巧みに隠すことができるが、そんな術を知ることもない異国の民であるこの男の言葉にはいつわりがないことをアルヒは感じとっていた。


 修行の身とはいえ編み目を見ることに関してはたしかな修練をつんだアルヒにもそう思わせ、さらには言霊に深くかかわる口寄士くちよせしのラミが彼を信頼したのなら、そうかまえることもないだろう。


 もっとも、ラミも見習いの身ではあるが。


「それじゃあ、ラミさんの言っていたセト・ラツトのこおりへ向かおうと思うのですが」

「セト・ラツトへと…ラミは、そう言っていたのですか」


 アルヒが声をくもらせたことに敏感に気がついたノーシは不思議がるように聞いた。


「なにか、あるのですか?」


「加護なき地、夷狄いてきの里と忌避された場所なんです、そこは」



 セト・ラツトの郡はエカサ国の北西の果て、ツケル王国にまたがる山脈のふもとにある。


 当時、セト・ラツトの郡ノ長は絲の一族の血をひくとされて、近隣の郡でも特別な尊敬をあつめていた。


 また、その土地はツケル王国の行商人の立ち寄るにほどよい場所ということもあり、異国との交わりをおこなう陸の港としても栄えて、そのころのセト・ラツトは国内でも有数の都とされていたのだった。


 しかし、その富をかさにきてセト・ラツトは道をあやまる。ツケル王国の野心ある領主にそそのかされた時の郡ノ長は、エカサ王国正教の権力をみずからに寄せようと画策したのだった。


 奸計はエカサ国正教近衛兵団、そして口寄士くちよせしたちの機転により未然に回避された。そして企みの中心にいた時のセト・ラツト郡ノ長は失脚、制裁としてセト・ラツトの民は自今いっさいの正教の加護を受けられなくなってしまったのだった。



「加護、というのは例の命をふたつに増やす秘術のことですね。つまりエカサ国の民ならだれもが受けられてしかるべき加護を、その郡の民のみ受けられなくなったと。…それはさぞかし、セト・ラツトの郡をあとにした民も多くいたことでしょうね」


「近隣や別所に親戚のあるものは早々に郡を捨てて逃げ出したと聞いています。けれど背信の民として、セト・ラツトから来た者を冷遇する郡も少なくはありませんでした。けっきょくは郡をとびだした半数の人間がセト・ラツトの郡にもどっていった。

 古くからセト・ラツトに住んでいた人々はなおさら、ヤドカリがすむ貝がらをかえるようにはいかなかったのでしょう。

 他の郡にさげずまれ、共謀していたツケル王国にも見捨てられながらも、こんにちまでセト・ラツトの郡は存在しているそうです」


「アルヒ様のようなかたが足をふみいれていい場所じゃない」


 アイレがアルヒの耳元でひとりささやいた。


「でも、そういう場所は俺が宮主の長子という立場では行けない場所だろう?俺は、そのために髪を切りおとしたんだよ」

「なにか言いましたか?」

「いや、雨が降ってきたらこまるな、と思っただけで」


 明らかに雑な言いつくろいだったわりに、ノーシはたんぱくにうなづいただけでそれ以上の追求はしてこなかった。この男はくいつきがいいのはあくまで相手が女性の場合のみだということがよくわかる。


 ぞんざいに扱われることが新鮮なアルヒは、意味もなくそれがゆかいになるのだった。


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