五. 紡ぎあげる
「ルサ!」
ほとんど悲鳴に近い声を上げてテロスが駆け寄る。その言葉で正気をとりもどしたアルヒも我知らず走り出した。
ぐったりと横たわったルサをテロスが抱き上げゆすりあげたが、ルサはうつろな目を泳がせただけだった。
「テロス…さま…大事な、戦いを、邪魔、して…」
「なぜこんなことをした」
「ごめんなさい…うらぎっ、たり、して…」
咳き込んだルサの口から血があふれ、テロスの衣を染める。体をつたう血が床に広がるのを見て、アルヒはその場に立ちつくした。
ルサの目は死を見つめている。最期の言葉を飾ろうとした口からは、次から次へと命が漏れ出していく。
ノーシのときとは違う。ルサはみずからの命を取り戻すことを望んでいない。かわりに使い尽くすことによって、最期に爪痕を残そうとしている…。
「ルサをこんな風に死なせるために、私はルサを助けたんじゃない」
「テロス…さまが…死にたい…ことは…」
知っていた、とルサの口が動く。
「だけ、ど…どうか…ッ、いき、て…」
最後の力を燃やして上がりかけたルサの手が、何を掴むこともなく力をなくして落ちる。
彼女はみずからの勝手で死にたがるテロスを生かした。そしてその罪を償うために命をなげうったのだ。
その証拠に、目をわずかに開いてテロスの胸に顔をあずけたまま息を引き取ったルサは満足そうにすら見えた。
「ルサ…!」
慟哭するようにテロスが名前を呼ぶ。
テロスにゆすりあげられたルサの手がぶらぶらとむなしく揺れ動いたが、いくら名を呼ばれようが血に濡れたくちびるが返事をすることはなかった。
テロスのもとより青白い顔色は白刃の切っ先のように色をうしない、衣が血に染まるのもいとわずにテロスはルサを抱きしめる。その肩が震えるのを見つめながらアルヒはめまいを覚えていた。
何度も浅く呼吸をする。アルヒがひざまずいて、願うような気持ちでノーシを救った時のようにルサの体を近くで『視て』も、もはや彼女の命を巡らせる流れを見出すことはできなかった。
断ち切れた命の糸はありありとわかる。だがこれを結んだところで、彼女は命を巡らせはしない。
すでに、命の流れは枯れ果てていた。
「シーヤ…私は…『紡ぐ』よ」
テロスがかすれた声でルサを抱きしめたまま口を開く。
「…それがルサを救う道だとすれば、私は…私の命を使っても、ルサを救う」
テロスが顔を上げる。目を見開いたその顔は幽鬼に取り憑かれたようだった。
「ルサは、ひどい。…私はこの厭わしいすべてを壊すためにみずからの命を使おうとしたのに。そうすれば、私は楽になるはずだったのに。それを知っていたというのに。
…その私に、ルサは生きろと言う。生きたところで、もうルサはいないというのに」
砂利を含んだようなテロスの声はうらめしさすら感じたが、それがルサへの憎しみではないことが痛いほど感じられる。
「滑稽だろう。私はルサすらも背くんだ。ルサは私のためを思ってくれたのに。私がこの力を投げ打ちたいと行ったことに賛成してくれたのはルサだけだったのに…。
そうだ、私は…私の味方になってくれたシーヤですら、死んでもいいと…」
「テロス!」
アルヒがテロスの肩をつかむ。
「俺も、ルサを救いたい」
テロスが信じられないものを見るようにアルヒを見つめる。
アルヒは投げ出されたルサの手を取り握った。かたく冷たくなった手を温めるように両の手で覆うとそこにじんわりと光が生まれる。
それは、先ほどまでセラタを包み込んでいた光と同じ色をしていた。
「俺の、まっすぐにのびていく生の力…テロスの、受け入れる死の力…本来はひとつのもののはずだ。テロスの力だけでは不完全で、その代償を払わなくてはならないかもしれない。だけど、それが完全のものであれば…よみがえりの力が生じるかもしれない。
体内に巡る糸を紡ぎ直すことができるのかもしれない」
ずいぶん不確かな話だった。
それでも、アルヒにとってそれは心の深い部分で確証を持てることだった。
アイレの一度はうしなわれたはずの命を、シーヤの命を使うことによって呼び戻したテロス。死に瀕したノーシを生へと引き戻したアルヒ。…これが、いつかにラミが言っていた死の知恵を得る必要性だったのではないかと思える。
ふたりの力は、ルサをはさんで均衡していた。
「私は、間違っているのだろうか」
無声音でテロスが問う。それをアルヒはかぶりを振って否定した。
「失われるべきではなかった命だ。イツクシミヤの力のぶつかりあいに巻き込まれてしまった命を、イツクシミヤの力で蘇らせても罰は当たらないだろう」
探るようなテロスの眼差しが、すがるようなものにと移りゆく。うながすようにアルヒがうなづけば、テロスがそれにうべなう。
テロスがそっと、床にルサの体を横たえた。ルサの体へとテロスが手をかざすのと、アルヒが手を出すのは同時だった。
ふたりの体から淡い光がたちこめる。
テロスの力がたゆたい、かぼそく煙をたちのぼらせて燃え尽きた命から熾を掻き出すかのようにルサのなかへ流れ込むのを、アルヒは感じる。その力を押し戻さぬよう、ぶつからないようにしながら慎重に流れを添わせる。
鼓動が聞こえた。みずからの鼓動と、あともうひとつ。ルサの体を通じてテロスの鼓動を感じる。
テロスとアルヒの力が相為すことによって生まれた流れが小さな玉を生み出す。あたかも雪玉が雪原を転がって大きさを増すように、流れにのって玉は肥大化する。
作り上げた玉を丁寧にほぐし、ふたりはそこから糸を紡ぎ出す。アルヒの紡ぎ出した糸、テロスの紡ぎ出した糸が編み上げられて、ひとつへとなっていく…。
横たわったルサの体が浮き上がるのを見る。複雑な色合いの光に包まれながら、徐々に浮かびあがった体は高度を増していく。
言いようもない高揚感がアルヒを襲った。腹の底をくすぐられて自然と笑いがこぼれるように、どこまでも突き抜けていく昂奮がある。
頭を押さえられることなく力を開放することは快哉を叫びたいような快感だった。自分がこのために生まれたのだとすら思え―もはや、アルヒはまわりの音も聞こえなかった。あるのは、みずからの力へと身をゆだねる夢見心地のみだ。
「サズカリモノのト、舞い戻り、エとひとつへとする…」
うわ言のようにラミがつぶやく。
「ヒカリ差し、トコヤミ照らし、そこにカゲ、生ずる…」
「まさか、本当に…」
気抜けしたように立ちつくしていたシーヤは突如として我に返り、セラタの手を引いた。
同じく立ちつくしていたセラタは驚いて反射的にその手を打ち払ったが、ひるまずにシーヤはふたたびその手を強い力で掴む。
「早くここから離れるんだ!カゲに呑まれるぞ!」
「何を…!そんなことより、アルヒ様が」
「アルヒ様は大丈夫だ。それよりもここにいたら…」
「もう間に合わないだろう。セラタ、シーヤ、すぐに術で結界を作るんだ」
ラミの声は落ち着いているようで、これから起こる事態を想定してか上擦り気味だった。
混乱しながらもシーヤに促され、セラタはシーヤに变化した。ふたりでひとつの結界をつくり、空気の層を重ねて厚くしていく。
何が起こっているのか、セラタにはまったく認識できなかった。
ただその作業の合間に、浮かびあがったルサの胸もとにぽつりと針でつついたような黒い点が生まれるのを見る。まるで清水に墨を垂らしたように点は光のなかに滲み、呑み込みはじめる。
あまりに異様な光景だが、力を送るのに集中しているアルヒとテロスは気がついていないようだった。
「カゲ、だ…」
シーヤがつぶやく。それとほとんど同時だった。
地鳴りが響く。地の底からなにかが突き破って現れようとしているような気配を感じ、セラタは分厚い結界のなかにいながらも襲いかかるであろう衝撃に身構えた。
みしみしと柱がきしみ、建物全体が揺れ動く。立っていることすらままならず、ラミをはじめにセラタとシーヤも片膝をついた。
「来るぞ…伏せろ!」
光なのか闇なのか、なにかの力がルサを起点にして弾ける。
結界の中にありながらもその衝撃に頭を殴られたようになってしまったセラタは耳をつんざく轟音のなか、何もかもわからなくなってしまった。




