十二. 斎王殿からの脱出
さしあたって当面の危機を回避したアルヒ一行だったが、まだ斎王殿の脱出という最大の難関が残されていた。
北の殿での異常事態にそろそろ気がつく者も現れることだろう。そして斎王は聖地中腹に御在所であるということが知れ渡れば、衛士が押し寄せてくるのは必至だった。
「ぞろぞろと連れ歩くこともない。降りたら、別れましょう」
先導して歩くセラタは感情をまじえずに言い放った。
「もとより、そのつもりだ」
殿をつとめるルサがとげとげしく返事をする。
「よろしいですね、テロス様」
ルサに話を振られたテロスは心ここにあらずといった趣でうなづいたが、同時になにかを決心したようだった。
「…アルヒ」
つぶやくような声音で、だがたしかにアルヒのほうを向いて、テロスは呼びかけた。どきりとして、アルヒはテロスに向き合う。
「儀式を、行おう」
唐突に言われたそれが何を示しているのか、アルヒはすぐに察せられた。
この期に及んで確認をする必要もない。古い神を呼ぶ儀式…アルヒとテロスが互いに奪い合い、殺し合う儀式。
「いいのか、本当に」
「私はこの命を今さらだれに使われても…どのように利用されても仕方がないと思っていた。つらいこと、悲しいこと…そのすべてを、心を鈍くして受け入れようと思っていた。だが、お前はあのとき怒ったんだな。私に…いや」
それまではひとり言のようだったテロスの声色が、ふいに地面を蹴って浮かび上がる。
「私のためではなく、ルサのために」
はっとして、ルサがテロスを見る。
「ボクは…ただ、テロス様の望む通りに」
「私は、ルサを助けた。でもルサに救われたことも確かだった。…それを、思い出した」
「…そうだな」
後につづくノーシに目をむけて、アルヒは口にする。
「逃げるのをやめよう。俺にしても、テロスにしても…その儀式を行うためだけに教育を受けていた。それを通らないかぎり、その先には行けない気がする」
そう思うことすら、もしかしたら仕組まれていたことなのかもしれない。テロスもわかっているだろう。
ただ、吐き気を催すような事実を聞かされても、それを受け入れても、こうして談笑しながら歩いていくことができる。もしかしたらそれは、乗り越えられる試練なのかもしれないと信じられるのも、確かだった。
「ならば、次に会うのは、宮でだな」
「…ああ、そうだ」
テロスがくちびるの端を上げる。
ぎこちないその表情が彼女がはじめて見せた笑顔だと気がついたとき、アルヒも自然と笑みを浮かべていた。
互いを殺し合う。その約束を交わしたというのになぜか心はすっきりとしていた。
それは今になってはじめて、妹と心を交わしたという思いに浸ったせいかもしれなかった。
ルサとテロスは先に山を降りていった。彼女たちは彼女たちなりの脱出の経路があるのだろう、どうやら彼女たちが降りていったあとの斎王殿は騒ぎにはならなかったようだった。
ノーシは女神官の衣装を脱ぎ捨て、下に着ていた旅装に戻っていた。
結局、アルヒとセラタ、そしてノーシは斎王殿をぐるりと囲む築地塀をよじ登って脱出するということになった。
無理があるようにも思えるが、そこは潜入に慣れたセラタもいるということもあり、衛士の目につきにくい場所があるという。
そうなれば身軽に行動することは必須となる。ノーシは動きにくい女神官の装いにうんざりした様で、軽やかな旅装を噛みしめるがごとく足どり軽くアルヒとセラタの後ろについていた。
「リズルは斎王殿中に術の網を張っています。通常であれば、脱出に術を使えば感知される恐れもありますが…まあ、今は大丈夫でしょう」
「大丈夫って?」
「リズルの気配はしませんから。まあ、少し眠っていただいているのでしょうね」
その言葉の意味を聞こうかとも思ったが、あえてやめておいた。かわりに、アルヒは別の質問をすることにする。
「シーヤとはいつの間に合流していたんだ」
「合流した…というよりも、この斎王殿でばったり会ったんです。
こんなことになってしまって、協力することになったのですが…まだ、私は兄さんがどうして影君につくことになったのか聞いていないんです。どうも、ごまかされてしまって…
でも、アルヒ様のことを案じていたのはたしかでした」
言葉をえらびながら、なやみなやみに話すセラタにアルヒはただうなづいた。
シーヤにはシーヤの考えがあるのだろう。ただ、シーヤはどこかひとりで背負いすぎるところがあった。
アルヒを強行的に連れて行こうとしたこともそうだ。自分が悪役になればすべてが丸く収まると思えるのなら、思い切ったことをしようとする…シーヤがなにを目的に動いているのかまだはっきりとしないことが気がかりと言えば気がかりだった。
「セラタさん」
横から唐突に話しかけられ、セラタはあわてて話しかけたノーシのほうを向いた。
「あの…とばしとばしに聞いていたんですけど、セラタさんはここにいる女性の姿を基礎にして変装を行うんですよね?」
「え?あ、まあ」
「つまり、ここにいる女性のすがたを外に持ち出すと…」
ノーシはわずかな間その意味を吟味してからやおら口を開いた。
「セラタさん、多分アイレさんはいろいろ誤解されているのではないかと思います。差し出がましいこととは思いますが、お話をしてみてはいかがでしょうか」
はあ、とセラタは窮したような返事をする。
傍目に見ながらアルヒは、いつの間にノーシはアイレと仲が良くなったのだろうといぶかしがるのだった。
セラタの案内によって北の殿をうまくすり抜け、中庭伝いに忍び歩き、一行がたどり着いたのは夕暮れ前の現在煮炊き作業に追われる厨の裏だった。
厨の煙出しからはもうもうと煙が上がり、中からはしきりに菜を切る音に水仕女たちが声を掛け合う甲高い声ががやがやと重なる。
立ちこめる味噌に火が通るいいにおいや煙にまぎれ、それにあわせて東の果てにあるということもあって、厨の裏はどこよりも影が立ち込めていた。
築地塀と厨の外壁の間に体をねじこみ、まずはセラタが塀を登る。術で形作った目に見えない縄も駆使しながらもひどくこなれた様子だった。
続いてアルヒが登る。なんとかセラタに手を借りながらアルヒは問題なく築地塀を登りきる。
最後に残されたのはノーシだった。術の使えないノーシだが本人はあまりそれを問題とせず、厨の外壁もうまく使って身軽に登る。アルヒが登りきろうとするノーシへ手を伸ばしたそのとき、身を低くしながら辺りを注意深く見ていたセラタがびくりとうごいた。
ピィー、と耳の奥まで反響する笛の音と同時に、空を切って矢がこちらに飛んで来るのをアルヒは見た。
セラタが立ちあがる。その背丈がすらりと伸びて、結い上げられた髪がふわりと風になびく…そのすがたはまさしく、シーヤそのものだった。
飛んできた矢を、セラタは風を起こして弾き飛ばす。
方向をねじ曲げられた矢が地面にざくざくと突き刺さるのを横目に見てアルヒは肝が冷えた。
「アルヒ様、引き上げましょう」
「ノーシ!」
アルヒが伸ばした手をノーシがつかむ。ぐいとノーシの体を引き上げたところで、セラタは築地塀を飛び降りた。
無事着地し、辺りを確認したセラタがうなづくのを見てアルヒも跳び上がろうとするが、背後を見ていたノーシが突如として声を上げた。
「アルヒさん!」
ヒュンヒュンと続けざま矢が放たれる。
飛んできた矢に、アルヒは飛び上がりかけた身を固くするが、一本は別へ飛んでいき、もう一本は足もとにカツンとぶつかるのを見た。
もはや、もたもたしている暇はない。結構な高さだったが、アルヒは思い切って築地塀から身を投げた。それにアルヒの背後に立っていたノーシが続いたのをふわりとセラタが起こした風で受け止める。
そこからはひらすら、セラタの先導のもと駆け抜けた。木々を分け入り、ただただ身を隠すことだけを考えて進んでいく。
どれくらい走ったくらいだろうか。
背後から追ってくる気配もなく、セラタが足を緩ませはじめたときだった。
「ちょっと、すみません」
息も絶え絶えに、うしろを走るノーシが声をかける。
「あの、追手もないようですし、ここで、少し休んでも、いいです、か?」
「しかし…」
「自分のことは、置いてくださって、結構、ですか、ら…」
ノーシが言葉を詰まらせる。
その違和感にアルヒが振り向いたのと、ノーシが両膝をついてゆっくりと前のめりに倒れたのは、ほぼ同時だった。
「…ノーシ?」
うつぶせに倒れたノーシの背には、矢が突き立っていた。




