十一. 斎王の決着
「あなたには、従えない」
顔を上げて斎王と目をあわせたアルヒは、自らをたのむようにはっきりと宣言した。
斎王は事態をのみこめないらしく、目を白黒させている。ほんの少し前までアルヒはたしかに自らの腕のなかにいた。体を支える力はうしなわれ、いつ彼女の胸へ身を投げかけてもおかしくないほどだった。
それがなぜ今、彼はしっかりと自分の足で立って、声高らかに決別を宣言するのだろう。
「なぜ…」
「俺には先約がある。そういうときに俺の手をとるのが誰なのか、もう決まっているんだ」
白粉で端然とならした斎王の顔ばせに驚きが通り過ぎたあと、追うようにしてじわじわと激しい感情がわきあがるのを、アルヒはありありとその目で見た。
怒りとも恥辱とも取れるようなその感情は女神然と品よくふるまって見せた彼女をどこか人間めいて見せ、老醜すらも匂わせる。
なぜかそのすがたは、セト・ラツトの里で出会ったあのミリクを思わせた。彼女もアルヒを欲しがったのだ。己の目的のために。
(セラタも、自分の目的があって申し出てくれたのだろうか)
ひとときアルヒはそう思った。
(だとしても、セラタの目的はたぶん自分と同じだ)
その目的というのが何のことなのか、アルヒははっきりとした言葉を持たない。そうだと確信できるものも、手元にあるわけではない。
それでも、ぼんやりとその理由がつかめる気がした。
「リズル!」
アルヒの表情から交渉の余地をさぐりかねたのだろう、斎王は立ち上がって背後にひかえていた女神官の名を鋭く呼びつけた。
その声にいち早く反応したのは名を呼ばれたリズルではなく、となりにいたテロスだった。
彼女もいつの間にかくずおれていたのだろう。斎王の鋭い声に正気を取り戻したらしく、どこか居心地悪そうに肩や腰元を払うような仕草をする。
それも斎王には信じがたい光景であったらしい。首をふりながら、腹だたしげに胸をかきむしる。
「なぜ…なぜ、術が解かれるのだ」
激高に顔を赤くそめた斎王が後ずさった。
「これはどういうことなのだ、リズル!」
「申し訳ございません、猊下。このリズルの力が至らないばかりに」
顔をふせたまま、リズルが斎王に歩み寄る。そのリズルを袖で薙ぎ払う勢いで斎王は振り向いた。
「お前の力ではイツクシミヤの御子ふたりは手に余るというのか」
「ええ…それは間違いありません」
斎王の怒気にあてられながらも、リズルは悠然としたものだ。その態度に神経を逆撫でされた斎王が声を荒らげようと口を開きかけた、そのときだった。
「テロス様!」
彼方から、凛とした声が響きわたる。それはわずかにうわずり揺らいでいたが、たしかにこちらへ向かってくる声だった。
テロスがまっさきに声に反応して身をひるがえし、それにアルヒが続く。
斎王はただ、呆然としてそれを見ていた。
花を踏み荒らしながら現れたのは、たしかに座敷牢にいたはずのルサだった。
「まるで話が違うではないか」
なかば失笑するように斎王が口走る。
「リズル、これはいったい…!」
斎王が勢い込んで詰め寄ったリズルの様子に、そのときになってはじめて違和感を覚えた。
こんなときになっても、やはりリズルは余裕を崩していなかった。それどころか、どこか満足げな表情をして…斎王ではないどこかに目を向けている。
喜びいさんでテロスに駆け寄ったルサだったが、斎王のそばに立つリズルに気がついてぎょっと足を止めた。
「なぜ、お前がここにいる」
テロスを背にかばいこちらへ睨みをきかせたルサに対して、鷹揚にうなづくような仕草まで見せて、おもむろにリズルは口を開いた。
「その様子ではシーヤ兄さんはうまいことやったみたいですし、猿芝居はここらで閉幕といたしましょうか、猊下」
その口ぶりに、はじかれるようにしてアルヒはリズルへ向く。目の合ったリズルは下くちびるを噛みながら口の端を上げる独特の笑みをみせる。
雷に打たれたような思いがして、アルヒは息を吸うのも忘れてリズルを見つめた。
いや、それはすでに、リズルではなかった。
衣装はそのままに、リズルであったはずの女性は姿形を変えていく。
ふたつまばたきを終えるころには、アルヒと同じ黒髪にシーヤによく似た紫のひとみの少女が、リズルだったはずの女性が立っていた場所にいた。
その少女の姿形もはじめて見るものだったが、アルヒにはそれが誰なのかすぐにわかる。
「セラタ」
感嘆をこめてその名を呼ぶ。セラタは得意そうに首をかしげてみせた。
「アルヒ様、私までアルヒ様をたばかるような真似をしてしまい申し訳ございませんでした。おかげで、斎王がどの口寄士と癒着をしていたのか、突き止めることができました。
…アルヒ様のお父上が誰の手によって弑されたのかも」
一方、斎王は真っ赤にした顔を今度は真っ青にしていた。その斎王をよくよく見つめ、リズルよりも小柄の少女は彼女に対して会釈すらしてみせる。
「猊下、ずいぶんと私に関していいかげんなことをアルヒ様に仕込んでくださいましたね。…このように、髪の色やひとみの色くらいなら変えることもできます。おおまかな造りはやはりだれかを真似なくてはいけないのですけれど」
どこか冗談めかした言い方だったが、斎王は少しも心をほぐさないようだった。
「術を…なぜ、お前はリズルと同じ術を」
「聞きたいのはそんなことですか?…簡単なことですよ」
からりとセラタが言う。
「ここにはリズルが術をこめて作った要の石が仕込まれている。すでに完成された術式の土台があるから一から術を構成することもなく、仕上げに手を加えるだけでいい。
私は絲の一族に化ければある程度の術式も真似れると、それはさすがにご存知ありませんでしたか?」
斎王が目を見開く。そうして口もとをわなわなと震わせていたが、その口がふいに高い笑い声をつむぎ出した。
ひとしきり笑うと、斎王は髪を乱れさせたままでセラタを見つめる。
「すっかりしてやられたというわけか。…どうする?わたくしを手にかけるか」
「それこそ、ひどく簡単なことでしょう。私はそんなつまらないことはしません。
なによりも、あなたがこの国を案じていたことも真実であると私は知っているから。
…私は、この国のことなどどうなってもいい。だけど、壊れてしまうのはやはり、忍びない」
セト・ラツトのことがアルヒの脳裡に浮かぶ。
エカサ正教に仇をなし、加護無くした土地…それでも、たしかにこの地に根ざして、生きている郡。
エカサ正教の『力』が歪んで保たれているのなら、いずれエカサ国すべての民がセト・ラツトのように加護をうしなうのかもしれない。
それでも生けていけることを、セト・ラツトは皮肉にも示していた。そして…うしなったものを手に入れようとエカサ正教の影に追いすがり火傷する様すら、象徴的に示していた。
(少なくとも、斎王はセト・ラツトを忌避しない)
彼女がその場所の名を語ったときの口ぶりを思い出し、アルヒはそう思った。
(ならば…セト・ラツトを正しく見つめているとするのなら、この国がエカサ正教の加護をうしなったときに、この人なら道を示すことができるのかもしれない)
「さて」
セラタがきびすを返してアルヒへと向く。
「さあアルヒ様、帰るとしますか」
まるでなんでもないような口調だった。こうして彼女はいつでも、アルヒがのっぴきならない場所に入り込んでしまったときに助けに来てくれた。
ラミの言うことはやはり気になる。それでも彼女がまっすぐにアルヒを案じてくれるのは確かだった。
アルヒがうなづきかけたとき、晴れやかな表情をしていたはずのセラタがアルヒのその背後にある何かを見て、思いっきり訝しげな顔をつくる。
いったい何ごとかとアルヒがその視線を追って振り向いた。
すると、いつからいたのだろう。ルサとともに到着したらしきノーシがどこか居場所がない様子で少し離れて立っていた。
なぜか、その身に女物の神官服を身にまとって。
「ノーシ…その格好は」
「言わないでください。やむを得ない事情があったのです」




