十. アイレが求めたもの
そこに立っていたのは、たしかにシーヤだった。アイレは信じきれず、その姿をよくよく見たが間違いない。
こうして相まみえることがあれば、交わしたい言葉や聞きたい物ごとはかぎりなくあったが、そのひとつも口にすることはできなかった。
それどころか、アイレは意識せずに横たわった男のかげに隠れてしまう。シーヤはそれに気がついたそぶりは見せなかった。
リズルを、ひざまずいたルサを見たシーヤは剣をおさめる。そうしていても、シーヤには一切の隙はなかった。
「本当に不躾な男ね、あなたという人は」
憎々しげにリズルが口を開く。
「日和見でころころと主を変え歩いて、乱暴に人の術を斬り裂いて…わたくしがこの術を構成する手間は知っているでしょうに」
「勘違いされているようだが」
よく通る声で端正な顔だちに感情の波を立てずシーヤは口を切る。
「私が主君を変えたなど無礼千万も甚だしい。近衛士として、つねに私の忠誠はイツクシミヤ家宮主へ向けられている。…主君を変えるというのはお前のような行為を言うのだ、神官リズル。お前が主とあおぐ斎王もだ」
「知った口を」
「ルサ」
シーヤがルサに目を向ける。
「足はまだ痛むか」
「…お前はどこをほっつき歩いていたんだ。あのときに、ボクを出してくれればこんなまどろっこしい真似をせずに済んだものを」
「恨み言は改めて聞こう。アルヒ様とテロスを頼む。聖地の衛士はみな別所に引き寄せ斎王の謁見の東屋周辺は手薄になっている」
気に入らなさそうにルサはシーヤをねめつけていたが、鼻を鳴らすと勢いつけて立ち上がった。
ルサが動くのを見てリズルは手をかざす。
「行かせるとでも思ったか」
その手が大気を織り上げる。手の動きのすばやさのわりには恐ろしく織目は均一であり、うつくしい文様を織り上げる。走り出したルサの足もとの空気すらも編み上げようと迫るのを、絡み取られる刹那に跳び上がって逃れた。
なおも追いすがる織り上げられた空気の縄はルサに向かってその身をおどらせたが、シーヤの剣により一刀両断に斬り伏せられる。
ルサは着地したその足でリズルの横をすり抜けて駆けていく。振り向いたリズルの首もとにはシーヤの剣が突きつけられていた。
ノーシも今しかないと思ったのだろう、いつの間にかぴったりとルサの背後について駆け出していた。
去りゆくふたつの背に舌打ちをし、リズルがシーヤへ目を向ける。
「よくも、あんなものに味方をしようという気になるものだこと。イツクシミヤ家など、しょせん口寄士の傀儡じゃない…エカサ正教の実情は口寄士の腐りきった虚栄心によって動かされていると、あなただってわかりきっていたでしょうに」
「お前は斎王の思惑に踊らされているのだろう」
リズルが目を細める。
不穏なものを感じてシーヤはすばやく背後へ目を向ける。ほんの数歩の距離、そこに宙を舞う小刀があった。
「くっ」
ほとんど脊髄反射で身を反らし、シーヤはその身めがけて飛んできた小刀を薙ぎ払う。しかしそれで均衡をくずし、たたらを踏んだところで倒れていた男につまづいてしまう。
そのわずかな隙を、リズルは見逃さなかった。
薙ぎ払われた小刀がふたたび浮かびあがりシーヤに襲いかかる。すんでのところで転がり避けたものの、軽装の脇腹をかすめられ、わずかに血をにじませた。
見れば、倒れた衛士の携えていたであろう剣、小刀の数々が宙を舞っている。すべて、リズルが糸繰りあやつっているのだろう。
次々に襲いかかるそれを打払い、身をかわすが避けきれなかったいくつかはシーヤの腕や足から血の花を咲かせた。いつしか押され、シーヤは扉まで追いやられる。
この部屋はなおもリズルの支配下にある。人ひとりを絡め取るような大掛かりの術は断ち切られたとしても、小物を操るくらいなら訳がないということなのだろう。
勝ち誇った顔で、リズルは剣を放つ。2本はシーヤの動きを封じるようにシーヤを避けて左右に突き刺さった。続けざま、なにか大きなものがシーヤに向かって飛んでくる。突然のことに、シーヤは対応しきれない。
飛んできた机ごと扉も巻き込んで、シーヤは部屋の外へはじき出された。
「あらあら、こんなに散らかして。神聖な北の殿をよごしたこと、猊下にはどのようにわびれば良いものか」
中庭で土と木くずにまみれながら、シーヤは痛む体を起き上がらせる。そして立ち上がりかけたそのとき…シーヤの表情に緊張が走った。
体が、動かない。
「まさか、わたくしが『場』を張ったのは北の殿だけとは思っていませんわよね?ここから、はっきりと見えますわ…縛りやすいほどむき出しになった、あなたの魂が」
腕を、そして足を動かそうとすると胸や頭に激痛が走った。その激痛にも耐え、なんとか動かそうともがけば今度は指先足先から体が冷えて感覚がなくなっていく。考えようとすれば、こめかみが蹴られるように痛んだ。
「外身を縛ったわけじゃないわ。あなたの流した血が『場』に溶け込んで、あなたの魂そのものを縛っているのだもの。抵抗するだけ無駄よ」
激痛と感覚を奪う寒さからの怖気で、シーヤの意識はじょじょに薄れていく。魂が苦痛から逃れたがっている。
それが、彼女の術の恐ろしいところだった。シーヤはなんとか自分を保とうと、口を開く。
「おまえ、は…」
シーヤが口をききたがっているのに、リズルの興が向いたのだろう。意識の混濁が若干薄れる。
「どのような餌を鼻先にぶらさげられて、逆賊にくだったんだ」
高きからシーヤを見下ろすようにしていたリズルの表情が怒気をはらんだのが遠目にもわかった。つかつかと歩き出したリズルがシーヤの目前で足を止める。
「あなたがどのような見解を持ってそのようなことを尋ねるのか、聞いてさしあげましょう」
「質問をしているのは、こちらだ。神官の身であれば、斎王に顎で使われることもないだろうに」
「わたくしは猊下の描く未来に賛同し、己の意志で動いているのです。イツクシミヤの奇跡という子供だましに目をくらまされた口寄士の犬になにがわかって?」
シーヤが失笑をうかべる。
「辺境の村を襲うような賊まがいのことをしてでも叶えたい未来が、正しい未来だというのか」
リズルはシーヤの頬を張ろうと振り上げた手をぴたりと止めた。
「絲の術の気配は同族ならある程度わかるが、この場所でお前を見て確信した。あのときにいたのは…ここに巫女としてつとめている、お前の手勢か。狙いは、祀り宮を落としてエカサ正教の守りに不安を煽らせるためといったところか。姑息なものだな」
「あの日、あなたが立ち寄っていたことは最大の誤算だった。もっと誤算だったのはあなたを殺し損ねたこと」
怒気の過ぎたリズルの顔に青白い殺気が立ちのぼるのをシーヤはまざまざと目にする。
「テロスの悪い癖が出たのは憤懣ものだけれど、あなたがこちら側に寝返るのならと見逃してやったのに…やっぱり、イツクシミヤの判断なんてこんなものだということ。さんざん世話になった猊下に背く真似を平気で演じる。
…わたくしは、姑息な真似だろうが演じてみせますわ。それが猊下の描く未来の礎になるのなら、手をよごすこともいとわない。
あなたはあの時妹にひとつ命を譲ったそうね。もうひとつの命、ここで華々しく散らすといいわ」
シーヤが細く長い息をつく。そして、覚悟を決めるように目を閉じた。
「似たようなことを、私の妹も言っていたよ。だが、お前のそれが広い目で見た判断なのかはわかりかねる」
「なにを…」
「アイレ」
シーヤがするどく名前を呼ぶ。
それと同時にシーヤの体がぶれはじめ…リズルはたしかに縛っていたはずの魂がぐにゃりと形を変える手応えを感じた。なんとか捕まえようと焦ったそのとき、シーヤに少女の面影が重なる。
二重うつしになった魂はするりとリズルのいましめから抜けだした。
リズルがシーヤと距離を詰めすぎていたのが災いとなった。シーヤの拳がしたたかにリズルの鳩尾に入る。
ぐらりとリズルの体はかしいで、倒れ込んできたのをシーヤが受けとめた。
リズルは、すでに意識をうしなっていた。
「ありがとうアイレ、お前のおかげだ」
『当然でしょ』
涙ぐんだような声は、シーヤの内側から響く。 『アイレは、ずっとシーヤ兄さんの任務を支えていたんだから』




