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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第四章 斎王の思惑
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九. ノーシとアイレの潜入(5)

 ルサに取り憑いたアイレは、斎王殿をざくざくと大股で進んでいた。


 ある程度を歩いたところで身を隠し、アイレだけがひきかえして今度はノーシに取り憑いてルサの歩いた道をなぞらせる。身を隠す場所の下見なども買って出た。


 何度かそれを繰り返すこととなったアイレにとっては目が回るようだった。それに加え霊体とはいえ見出されないかの心配もあり、神経も削れるというものだ。


 このような方法を提案したノーシのことをいっしゅん恨めしくもなったが(ノーシもそれを感じ取ってか移動中にいっさい無駄な口は聞かなかった)、やはり奥まるほどすれ違いに危険な場面も出てきて、堂々と一人ずつが移動をできるというのは確かな方法だったと実感するようになっていった。


 そのような苦労の甲斐あって、一行はようやく斎王殿の最奥…北の殿目前にたどり着いたのだった。


 北の殿は祭殿、官衙はおろか斎王の寝所、謁見の間よりもさらに奥まった場所にある。その場所は、聖地へと続く門の役割を果たしていた。


 ルサによると、大祓などの儀式や祭事の際には一般の巫女も足を踏み入れることがあるが、平時において聖地は斎王と一部の神官をのぞいて立ち寄りを禁止しているとのことだ。


「女性の聖地だからな、衛士もそうそう立ち寄れはしない。斎王の守りは…あの女神官がするだろう」


 吐き捨てるように言ったルサは、名前を出すのもいまいましいといった風情だった。


「聖地というのはどのような場所なのですか」

「白糸の滝だ」

『イツクシミヤの初代が妻問いをしたっていう…』


 ルサがうなづく。


「白糸の滝の場所まで登ることはない。登り始めてまもなく、切り開かれた場所がある。斎王はそこで秘密の謁見を行うんだ。

 …ボクはテロス様の付きで何度かそこへ通されたから知っている」

『そこにアルヒ様も連れていかれたっていうの…?いったい、どうして』

「斎王はテロス様を取り込みたがっている」


 ルサは噛み締めた歯のすきまから漏らすように言った。


「あそこには、リズルの『場』がある…リズルは戦闘能力には秀でていないが、限られた面積を『場』という形で術によって縛り、その『場』を操る術を得意としているんだ。

その術は強力かつ広範囲のものとなれば術をこめたかなめを四方に置く必要があるが…あの場所で要として使われる石は地中深く埋められていて、とっさには手出しができない。『場』に縛られたら身動きだけではなく、術や…最悪魂すらも縛られてしまう」


「魂を縛られるとどうなるんですか」

「長い時間縛られ続ければ、人格にすら影響を及ぼすだろう。あいつの術はそういった…内側から人間を壊すことも可能にする」


 それだけを言って、いかにも嫌なことを口走ってしまった自分を恥じるようにルサは足もとに目をむけた。


 彼女はテロスだけのことを案じて言っているが、その危険にあるのはアルヒも同じだろう。考えるだけで落ち着かない思いになるアイレは取り憑くなどというまどろっこしいことなどせず今すぐにも飛び出して行きたい衝動に駆られるが、それはあまりにも危険すぎることはわかりきっている。


 北の殿入り口には二人の衛士が睨みをきかせていた。その室内にも人の気配を感じる。


 入り口から死角になる位置にルサとノーシを隠した状態でそっとアイレがのぞいて確認をする。見たことをそのまま伝えると、ルサはやはりと言ってうなづいた。


「さて、口寄士のおつかいという身分が使えない以上どうやって侵入するかなのですが…」

『ノーシさん、装束の左の袖の中』

「え?」


 アイレに言われ、ノーシは借りた衣装の袖の中を探る。


 よくよく触れてみると、袖の内側に衣嚢いのうが縫いつけてある。その中からノーシは小袋をひとつひっぱり出した。


「これは」

『眠り薬を含ませた花びらです。テカシャの花びらは軽くて風によく舞うから…。この花びらの舞う風にあてられたら立っていられないほど眠くなってしまうんです』


 袋の口をゆるめて中を覗き込みかけたノーシはアイレの説明を聞き、いそいで口を閉じた。いっしゅんだけ見えた青紫の花びらの甘やかな香の余韻がまだ鼻もとにただよっている気がして、それを空気をはたいて散らす。


『この花びらを風にのせて殿内に放てば、中にいる人はみんなぐっすり寝てしまうはずです。…風を吹かせる術はルサさんにやってもらおうと思うのですが…できますか?』

「風を吹かせるくらいなら」


 アイレはルサが挑むような目をして首肯するのを目にして胸をなでおろした。

 さすがのアイレも取り憑いた上に術まで扱うというのは難しく、また術を使うのは疲弊しきっていたのだった。


 小袋を受け取ったルサにアイレが取り憑く。ノーシはそれを見届けると身を隠した。


 斎王殿に侵入してから、はじめての強行突破となる。アイレにできるのはせいぜい力添えのみで実際に立ち回るのはルサとノーシであり、最悪の場合はアイレだけでも逃げ帰ることは可能とはいえ、緊張するなというのが無理な話だった。



 ノーシはそろそろと、物陰から様子をうかがった。


 入り口に立っていた二人の衛士は、今や片方は膝をついてもう片方は背を壁にした状態で眠りについているようだ。


 ルサが北の殿に飛び込んでからずいぶんと時間が過ぎていた。中は静まり返っているようだが、それきりだ。うまく建物内の人間を寝かしつけたらアイレがノーシのもとに迎えに行く手はずになっているのに、その気配は感じられない。


 まさか、花の力が思ったよりも強力で放ったルサも眠りについてしまったとか…。そこまで考えてノーシはその考えを打ち消した。


 ルサにはアイレが取り憑いている。ルサがヘマをして行動不能に陥れば、それこそアイレはすぐに飛び出してノーシに助けを求めに来るだろう。


 それがないということは…何かがあったということだ。ノーシは心を決めた。このままでは埒が明かない。


 足を踏み出したノーシは最新の注意をもって北の殿入り口へ向かう。案の定、入り口の衛士ふたりは心地よく寝息をたてていてノーシの足音に反応を示す様子もなかった。


 見れば、二人が守っていたはずの両開きの扉は固く閉ざされている。それを訝しげに思いながら、ノーシはあまり音をたてないようにして扉を開き、その中をのぞき込む…。


 入ってすぐの場所に男が倒れているのを見た。その奥に、巫女とおぼしき女性が長い髪を打ち広げて倒れているのも見てとれる。他にも数名倒れたり座り込んだりして肩やら胸やらを静かに上下させている。床には青紫の花びらが散乱し、室内には複数の寝息が響いていた。


 そのなかに、ルサの姿があった。ルサはこちらに背をむけて立っていた。

 それはどことなく、不自然な体勢だった。見えない壁に前後を押されるのをなんとか押し返そうとするようにも見える。そのルサを助けようと、アイレがルサの体から抜け出そうとするのが見えた。


 ただならないことが起こっている。考えるよりも早くノーシは扉を開け放った。

 ふわりと花びらの甘い香がして、ノーシは息をとめる。それと同じくしてルサの体がびくりとはねて、その場にくずおれた。


「ルサさ…」

「あらあら、まだひとりいたんですねえ」


 ルサに駆け寄ろうとしたノーシは、その涼やかな声にぎくりとその足を止めた。

 扉の隙間からのぞいたときには死角となっていた場所に、女がひとり立っている。こざっぱりとした清潔感のある娘だが、ノーシを見る目はいかにも怪訝そうだった。


「ねえルサ、ずいぶんと変わった殿方と来たのね。あなたは殿方なんて趣味じゃないとは思っていたけれど、こういう趣味だとは想像もしなかったわ」


 その面白がるような物言いに、ルサは憎悪こめてねめつける。


「御託はいい。リズル、お前がここにいるということは…テロス様は」

「あなたが何の話をしているのかはさっぱりわからないけれど、あなたが牢破りのおいたをしたことならよくわかっているわ」


 リズル。あれが、ルサの話していた『場』を操るというリズルという斎王に加担する絲の一族か。飲み込めたノーシだが、どうすることもできずその場に固まってしまう。


 絲の術がどのように扱われるものなのか、ノーシには計り知れないものがある。不用意に近づいて事態を悪化させてしまっては元も子もない。


 逡巡するノーシをよくよく観察して、リズルは軽く笑ってみせた。 「何も考えないで『場』を破ったわりには、なかなか賢明な殿方ね」


 ルサの体からすでに這い出していたアイレはリズルと距離を取る。


 ルサの体が『縛られた』と感じたしゅんかん、アイレも自分の霊を蜘蛛の糸のようなねばっこいもので絡め取られるように自由を奪われた。あれが魂を縛られるという感覚…思い出してアイレは震え上がる。


 とっさのことで反応できなかったが、今はリズルの術式がよく見える。それはまさに、部屋一面に敷き詰められた蜘蛛の糸だった。均一かつ法則的に織り上げられた術式だけに、部屋の空気が変わることによって風穴が空いてしまうらしい。


 リズルが指先をうごめかす。ハッとしてアイレが振り向いたのはもはや遅く、扉はふたたび固く閉ざされてしまう。


「それにしても…」


 体の自由を奪われ、それでもなんとか動こうともがくルサを見下ろし、リズルは口もとだけで笑ってみせる。


「まんまとわたくしの手に落ちて、かわいらしいかた。たっぷりとかわいがってさしあげますわ」


 そのときになってノーシも、自分の体が動かないことに気がついた。扉が閉められたことによってリズルの『場』は構成し直されたのだ。


 アイレはほぞを噛む。ただ、大気を乱すような大風を吹かせるだけでいい。小さな炎を上げるだけでも、『場』を乱すことはできる。ずれた均衡につけこんで、この『場』を壊すこともできるだろう。


 アイレの霊体は今度は縛られなかった。さっきはルサと一体になっていたから巻き込まれたが、彼女がすがたを現す前にルサの体から抜け出したため、目を逃れることができたらしい。『場』を支配するリズルに見つからない以上、その支配を受けることもない。


 だとしても、どうしようもなかった。疲弊しきった今、一度だけなら大風を吹かせることもできるかもしれない。だが、一度吹かせてリズルに見つかってしまえばどうなる?


 また扉を閉められ、今度は自分も縛られてしまえば万事休すだ。


(どうすれば…どうすればいい)


 リズルがゆっくりと、ルサに近づく。


(アイレはなにをやっているの…アルヒ様を助けるために、ここに来た…助けたかっただけなのに、今ここで助けられるのはアイレだけなのに)


 リズルが手をかざす。相対するルサの背中が、あの日雨に濡れた川原で襲われるシーヤに重なった。


(だめ…こんなの、絶対、だめ!)


 何も考えずに、アイレは飛び出す。…そのときだった。


 バタン!と扉が蹴破られる大音をきっかけに、体の自由を取り戻したノーシはつんのめる。ルサも立ち上がり、リズルと距離を取って突如開いた入り口へ目を向けた。


「くっ…」


 術を急激に破られたことによって感じた痛みを抑えながらリズルも扉の前に立つ人物を憎しみ込めてにらみつけた。


 軽装に結い上げた髪をなびかせた、長身の男が剣をたずさえて立っている。その男の名を、アイレはよく知っていた。


『シーヤ兄さんっ…!』


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